<第二章:ソロモン・グランディ> 【05】
【05】
野良犬の夢を見た。
情けない犬の夢だ。
群れに弾かれ居場所もなく、日々の餌にも困る始末。野良犬の癖にプライドを持ち、自意識だけは強い。
選り好みしなければ、粗末ながらも食うに困ることはないだろうに、馬鹿な犬なのだ。
それに孤独だ。
友はいない。当然、恋人も。家族らしき者はいたが、それは昔のこと。
ただ、孤独は嫌いではなかった。
他人は煩わしい。他人の考えを理解するのも、予想するのも、汲み取るのも面倒だ。生きるだけで精一杯の犬が、他人に割ける余力はないのだ。
世界は煩雑だ。
強い者が弱く、弱い者が強者ぶる。ヒーローが駆けつけて守ってくれるわけでもないのに、弱者は無意味に虚勢を張る。何を自信に、何を盾に、彼らは胸を張って生きているのか。権利なんて立場なんて、ただの言葉でしかないのに、理解できない。
一人は気が楽だ。
が、好きではない。
犬は群れるのが自然。一人で生きられはしない。しかし、何もない犬が傍に誰かを置く資格はない。
強さが欲しかった。力を得れば何もかもが変わると思った。
だから、ボイドを求めた。
絶対的に何かを変える不条理な力を求めた。それを得た今、俺は犬のままなのか? それとも。
犬が、俺の背後で吠えている。
黒い犬が、俺の胸で、俺の腹で、オウオウと吠えている。
肥え太った黒い犬が、俺の腕で、俺の腿で、狼のような真っ赤な口をあいて、悩ましく吠え叫びながら、俺の体中をうろうろと歩いている。
「気持ち悪っ」
気持ち悪い夢だった。
顔を覆った毛布をはねのける。俺は、豆腐ハウスの中で一人だった。体調はかなり良い。左腕に力が戻っている。
取り出した剣は、刃こぼれが目立つ。しかし、斬れば斬れるだろう。まあまあ、万全といったところ。
壁にかけられた上着を羽織って外に出た。靴をスリッパ履きしてゆったりと歩く。
キヌカがいた。
パーカーとホットパンツというラフな格好。頭にはバスタオルを巻いている。
「丁度よかった。シャワー使っていいわよ」
「ん?」
彼女の指す先には、古い映画で見た電話ボックスのような物がある。
「シャワーユニット要請したの」
「マジでなんでもあるのな」
キヌカからアメニティグッズをもらい、シャワーユニットに。
扉を閉めると、ガラス部分が不透明になる。それでも外の様子はぼんやりと見えた。まあまあの広さと狭さ。一人用のシャワー室と考えれば上等か。
履いているもの、着ているものを外に脱ぎ捨てた。
手早く確実に、体の汚れ、こびりついた血と疲労を洗い流す。ついでに歯も磨く。仕上げに冷水と温水を交互に浴びた。どういう効果があるのかは知らない。どこかで知って、無意味に真似しているだけのこと。
そういえば、とシャワーユニットの扉を少し開ける。
「キヌカー、タオルくれー」
「ユルル~着替えと一緒に持って行ってー」
巨大な影がぬるりと流れてきた。
扉の隙間からバスタオルが差し出される。体を拭き終わると、新しい制服と下着が差し出された。
着替えをすまして素足で外に出る。踏みしめる草の感触は本物のようだ。
ユルルが、視界の端でうろうろしている。
「どうしたんだ、その恰好?」
ユルルは、胸に極小のビキニ、腹にはコルセットのように小物入れのポーチを巻いている。尾にも大きいポーチが四つ。男用の制服の上着を羽織っている。
「………………」
ユルルは、くるりと一回転した。
よくわかん。
しばらく沈黙しあうと、ユルルはキヌカの元に逃げた。何故か、キヌカに頭を撫でてもらっている。
「ん?」
どういうこと?
「ちょっとー飛龍!」
なんでか怒られたので、俺もキヌカの元へ。
「褒めてあげてよ」
「何を?」
「ユルルの服装を」
子供かよ。
俺は、ユルルを脳天から尻尾の先までマジマジを見つめ直して一言。
「裸よりエッチだな」
「あんたがエッチだから、エッチに見えるだけでしょ。てか、褒め言葉!」
「エッチは褒め言葉じゃないのか?」
当のユルルは、くねくねしていた。
たぶん、喜んでいると思う。
「ほら」
「………………」
キヌカは、複雑な顔で沈黙した。
その後、朝飯を食った。
キャンプ用のテーブルとイスで、熱い紅茶と、缶詰のパンにたっぷりのブルーベリージャムをつけて食べる。キヌカは、例の豆缶も食べていた。
「この紅茶、高いやつなんだけど美味しい?」
「んー風味のあるお湯?」
高いといわれたら高い気もする。
が、全くわからん。
「正直、アタシもよくわかんない」
「このジャムは美味しいな」
「それ120円だけど」
「120円でも十分美味しい」
「安い舌には、これで十分なのかぁ」
「高いから腹が膨れるってわけじゃない。これで十分だ」
パンにマシマシでジャムを塗って口に入れた。
モチモチなパンは、缶詰とは思えない食感だ。ジャムの甘さが口に広がる。それを高価な紅茶で流し込む。高い安いはともかく、美味い物には違いない。
一個気になったのは、キヌカの背後で荷物整理をしているユルルだ。
「あいつは飯食わなくてもいいのか?」
俺たち二人だけで飯食って、一人だけ除け者は気分が良くない。
「あんたのボイドでしょ? わかんないの」
「わからん」
「さっき食べ物を手渡したけど、受け取らなかったわよ。あんたがやってみたら?」
「そうだな。ユルル、これやる食え」
パンを千切って、ユルルに差し出す。
近付いてきたユルルは不思議そうな顔でパンを眺めた。
「飯だ。食事。エネルギー補給」
俺は、口を開いてパンを食べるジェスチャーをした。
ユルルは理解したようで、俺の顔を両手で掴むと唇を奪った。
「!?」
脳内に電流が走る。
初キッスは柔らかく、だが肉越しに感じる長い牙の感触が少し怖い。
「ぎゃー!」
俺はキヌカに椅子でぶん殴られた。その衝撃でユルルは離れた。
「クッ、エロボイドめっ」
誰に似たんだ?
真っ赤な顔でキヌカが言う。
「え、何? ユルルの食事って今のが?」
「じゃないのか? と言っても、別に力吸われた感じはないが」
少し元気になった気もする。つーか、俺の初めてがボイドに奪われるとは複雑だなぁ。
ユルルは、背後から俺を抱き締める。うなじにデカイパイが当たった。これ、甘えてるつもりだろうか? 凄く重柔らかい。
「色々と情操教育しないといけないわね………」
母か、お前は。
「しかしキヌカ、ユルルに服やポーチ着けてどうするんだ?」
「力持ちだし、荷物持ちしてもらおうかと思って。こんな大量の物資、アタシらだけじゃ持てないでしょ」
「ああ、なるほど」
ボイドに荷物持ちをさせるとは、盲点だった。
「でも、ユルルは腕に戻さなくて大丈夫なの?」
「わからん。どの程度、活動時間があるのか使いながら様子見だ」
結局、ボイドはわからないことだらけだ。使って慣れて覚えて修正するしかない。
わからないと言えば、肝心の【ソロモン・グランディ】だ。
「コルバ、次は何時だ?」
『不明。現在、異常性拡大による空間の歪みは探知できていません』
使えないやつ。
「もう少しゆっくりできるわね。飛龍は何か欲しい物ないの?」
「特に」
ない。
衣食住はキヌカが用意してくれる。他に欲しいものといえば、新しいボイドくらいだ。
「良い靴とか、良い素材のインナーとか、色んな機能の付いた腕時計とかあるよ」
キヌカはタブレットを見せてくれた。
ズラッと並んだ商品をフリックして眺める。
どれもピンとこない。
「靴は、履きなれた支給の予備を一足。他はいらない。良い素材のインナーっていっても、ボイドの攻撃を防げるわけじゃない。腕時計はコルバがある。そもそも機能を使いこなせる自信がない」
「嗜好品は?」
「酒も煙草も特に………ああでも煙草は持っておくか」
「吸うの?」
「吸わない。でも、映画の刑務所じゃ煙草を通貨替わりにしていた。もしかしたら、誰かと交換に使えるかも」
「へぇ~そうなんだ。靴を一足と煙草を一箱ね。他はいらない?」
「ない。キヌカが適当に選んでくれ」
「適度に選んでおくわ。後で文句言わないでよ」
「言わん」
貰った物にケチ付けるほど偉くもない。
「支給品の無料期間まで、あと14時間。それまでに欲しい物あったら言ってよね」
「わかった」
紅茶のおかわりに口をつけた。
まったりとした空気だ。敵が出てくるかもしれないのに、こんな気を抜いて良いのだろうか? いや、よくない。素振りでもするか。
「忘れてた。飛龍、怪我は?」
「完治だ」
「睡眠って大事ね」
「大事だな」
寝れば治るのはありがたい。だが、眠るまでが大変という。
昨夜眠れたのは、ユルルの力なのか? それとも、こいつが守っているという安心感なのか? デカパイに体重を預けてユルルを見上げた。相変わらず、髪でがっちりガードされて目が見えない。
少し興味が沸く。だがしかし、隠れたものは隠れる理由があるのだ。不用意に触れるのは危うい。相手が女となると尚更――――――いや、おいおい。ボイドを女扱いとか、大丈夫か?
「我も、それを摂取したい」
『………………』
普通に、【ソロモン・グランディ】が現れた。前に投げ飛ばされたエリンギ状態である。
短い手足でテーブルによじ登ろうとして、転げ落ちた。
「テーブルは乗るもんじゃない」
「なるほど、覚えた」
「はい、椅子」
キヌカが持ってきた椅子に、エリンギはちょこんと座る。
「あんたも紅茶飲むの?」
「飲んでみたいのだ」
釈然としないキヌカが、紅茶を入れたカップをエリンギに渡す。
エリンギは、だばーと自分に紅茶をぶっかけた。
「温度上昇」
「そりゃそうなるよな」
「体表から吸収はできるのだ。問題ない」
変な奴だなぁ。
ともあれだ。
「おい、エリンギ。俺は回復したぞ。さっさとやろう」
剣を取り出し、傍に突き刺す。
「回復したのか。いつでもやれるとは?」
「戦うだろ」
「“戦う”とは何をするのだ?」
「切った張っただ」
「切り付けたり、張り飛ばしたり、という意味であるな。理解。だが、何故に?」
「いや、お前が最初に射かけてきたんだろうが」
「我はそんなことしない。故にしていない」
前形体のことは記憶にないのか。
質問を変えよう。
「エリンギ、お前は何がしたい? 目的はなんだ?」
「生きることが目的である」
「それじゃ俺らに喧嘩を売るな。敵がいない方が、生きるのは楽だぞ」
「売っていないが?」
微妙に嚙み合わないな。
「んじゃ約束しろ。俺らと敵対しないって」
「同盟であるか?」
「同盟ってなると、お前の敵と俺らが戦わなきゃいけなくなるな」
つまり、OD社が敵になると。
「同盟は駄目だ。もっと緩い関係にしろ」
「ゆるいとな? では、ご近所付き合いということで」
意味がわからん。
まあ、ボイドとのコミュニケーションなんてこんなものか。
何気なく、自分の紅茶に目が留まる。
波紋が出来ていた。すぐさま体で振動を感じた。
地震だ。
腕の端末から警報が鳴る。重なるように遠くからサイレンに似た音が響く。
『緊急警報、緊急警報、異常性の拡大を検知。全観測機器がゼロ数値を検出。観測不要、即時破壊を推奨します』
遠くの草原が燃え盛る。
現れたのは、赤い馬に乗ったミイラ。前と違い片手には炎をまとった剣を持っている。頭部には、溶け続けている赤熱の王冠。
間違いない。
次の【ソロモン・グランディ】だ。
「来たな」
俺は、椅子から立ち上がる。戦いを察知したユルルが隣に並ぶ。
「ほー来たのか。何がであるか?」
のんびりと、エリンギは俺の紅茶をだばーと頭部にかけた。
あれ? ん?
「いや、お前は何なんだ?」
こいつ【ソロモン・グランディ】じゃないのか?