パトロクロスとシスター・マリー
「それで?許可もなくあの『叫びの森』に一人で入って、わざわざ死にかけてきたのか」
少年は特に何の感情も浮かべずにそう言った。
稽古の途中だったのか、その手には模擬戦用の木製の片手剣が握られている。
「違うよ、パトロ。今回は仲間がいたんだ」
「仲間だって?ヘイゼル、君の言う『仲間』っていうのは、あの胡散臭い冒険者崩れの三人組のことだろう」
パトロと呼ばれた少年の言葉にヘイゼルは思わず口ごもる。
「前も言ったろう。アイツらとは組むな、って。どうせ体のいい囮にでもされたんだろう」
フン、とわずかに憤りの籠った息を吐きながら、額に滲む汗を手拭いで拭う。
「そ、そんなことないさ」
「ふぅん……じゃあ、どうして君はそんな恰好をしているんだい?」
パトロはヘイゼルのつむじからつま先までを見て、わざとらしく訝しんだ。ヘイゼルの格好は森から逃げてきた時と全く同じ、いわゆる女装のままだったのだ。
「こ、これは違うんだよパトロ。別に僕にこんな趣味があるとかそういうんじゃなくて……その……」
「『叫びの森に出る魔物の犠牲者は、女性ばかり……』いかにもあの冒険者崩れが考えそうなことだよ。手ごろな女性冒険者が捕まえられなかったから、代替として君に目をつけた、ってところだろう。君の線の細さなら、魔物には十分、女性に見えただろうしね」
ヘイゼルは「わあああああ!」と大慌てでウィッグとスカートをはぎ取る。その顔はすでに火が付いたように真っ赤だ。
それを見ていた周りの少年たちが大笑いする。彼らもパトロと同じく、模擬戦用の片手剣や両手剣で、稽古の真っ最中であった。
「み、皆まで笑うなよ」
「そんな格好しているやつを笑うな、っていうほうが無理な話だよ」
大勢の笑い声が、稽古場であるマレウス修道院の庭中に響き渡った。
最早、ヘイゼルは顔だけでなく、全身が真っ赤である。
「なんでもいいけど、早く着替えて来いよ。シスターに怒られちまうぜ」
パトロの一声で、ヘイゼルは慌てて修道院の中へと駆け込んでいく。その後ろ姿を目で追う彼に、同じく稽古に勤しんでいた一人が声をかけた。
「毎度毎度、懲りない奴だなあ」
「アイツの父親が一流の冒険者だったなんて信じられないよ」
「息子には一流の冒険者の血は引き継がれなかったみたいだな」
「心配いらないさ。アイツ、女装の腕は一流だ」
「それに一流の『泣き虫』だしな!」
またもや一斉に笑い声が上がる。
一人が声をあげると、それに続けとばかりにあちこちから声が上がる。
集団の悪い癖だ。
パトロは内心、舌打ちした。
一人ではまともに文句ひとつ言えないくせに、集団になるとまるで勝ったように相手を責め立てる。この場でそれを戒めても大した効果は無いのだろう。彼らにはあくまで、悪気は無いのだから。
真昼の強い日差しが、肌をジリジリと焦がしていく。
拭いたばかりの額から、新たな汗がいくつも肌を伝って流れ落ちていく。
パトロは手拭いで乱暴に汗を拭った。
§§§§§§
マレウス修道院はこのアカシアの村に住まう子供たちの多くにとってそうであるように、身寄りの無いものにとっては何よりも尊き家であり、騎士修道士を志す者にとっては研鑽を積む修練の場でもある。
額に汗しながら剣を振るう少年―――パトロクロスにとっては、その両方が当てはまる。幼いころに両親を亡くした彼は、この修道院こそが我が家であり、そこに身を置く修道士の一人一人が家族であった。
「パトロ。稽古に精が出ますね」
声をかけられたことで、それまで無心で木剣を振るっていた腕を止める。
周りで一緒に練習をしていた仲間たちはいつの間にか誰もいなくなっており、気が付けばこの庭にいたのは自分一人であった。
「剣の稽古も大事ですが、成長期の子供たちにはご飯を食べることも立派な稽古ですよ」
修道院の中から顔を出したのは、パトロと同じくらいの年齢に見える女性である。彼女はこのマレウス修道院を取り仕切る人物であり、実際の年齢は初老を少し過ぎている。と、他の修道士たちから聞かされているのだが、彼女の容姿は自分たちとそれほど違いを感じさせないほど若々しい。謎多き人物である。
「僕はもう15歳ですよ、シスター」
「15歳はまだまだ育ちざかりですよ、パトロ。いいから稽古はその辺にして、お昼にしましょう」
そんな謎を多く抱える人物―――シスター・マリーは、控えめな笑みを浮かべたまま、フワリと身を翻して教会の中へと消えていった。
これは修道院で暮らしている者ならば誰もが知っている常識で「ついてこなければご飯は抜き」という彼女なりの明確なサインなのである。当然、そのことを知っているパトロは、剣を素早く片付け、身だしなみを整えると、慌ててシスターの後を追った。