【第07話】老忍の思惑
「ゴロツキ程度の傭兵では、ウーフを止めるのは不可能か……。斥候の忍共には、多少の期待をしてたが、制限をかけられた新人のチェニータにやられるようでは、計りにもならんな……」
ダレントが狼頭人の観察をしていた時から、大木の幹を挟んで反対側の枝木に立っていた者が、そう呟く。
黒い忍装束を纏い、獣を模した仮面を被った、忍の恰好をした男性が目を細める。
西の密林地帯を、我が物顔で駆けていた女王を、捕らえれたのは大きかったな。
野良時代は制限をかけないと、器が壊れるのも気にしない程の戦闘狂いだったので、しばらくは首輪生活に甘んじてもらおう。
荷馬車でベアトニスと王都へ外出したように見せ掛け、頃合いを見て戻って来たグレンは、ダレントがオルグに狩られたのを確認した後、枝木から跳躍した。
隣接する樹の枝木を、豹頭人の如く軽々と飛び移り、森の高所を駆けて行く。
森の入り口付近を拠点にする野良魔族を、あらかた清掃し終えたタイミングで、妙な連中がコソコソと嗅ぎまわっているのは、把握していた。
ルヴェン様に報告した際、折角だからと人族相手にどれほど戦えるか、実験がてらに行ったのが今回の作戦だった。
結果は上々。
まさかの保険として待機していたグレンだが、その必要もなかった。
「ルヴェン様、か……」
年下の相手を敬う言葉が、自然と出てきたことに、グレンは苦笑いを浮かべた。
ギリムに雇われて、忍兼執事として屋敷勤めをして、早十五年が過ぎた。
屋敷が国境付近にあるので、隣接する他国の情報が仕入れやすく、忍である自分が配置されるのは、まだ納得がいく。
しかし、いくら尊敬するギリム殿の頼みとはいえ、愚者としか思えない子供の御守りは、張り合いの無い毎日であった。
これが忍としての最後の仕事だと、辛抱強く耐える毎日だったが……。
ルヴェン様が魔力暴走で死の淵を彷徨いながらも、なんとか一命を取り留めた、あの日。
ベッドで半身を起こし、どんな大病を患っても、絶対に口へ入れることのなかった病人食を、静かに口へ運んで食す彼を見て、妙な違和感を覚えた、あの時。
彼が赤子の時に、余命十五年とギリム殿から聞かされた彼が、死期を見事に乗り越え、人並みに食が細くなった、あの瞬間から、まもなく半年を迎えようとしていた。
ギリム殿から一年の契約延長を言い渡されて、今まで通りに彼の監視を継続したが、人とはこれ程までに変わるものだろうか?
あまりの変化ぶりに、おもわず彼にどうなされたのかと、尋ねた際には。
「死にかけて、いろいろと思うことがありまして……。今まで、私の我儘で迷惑を掛けて、すみません。これからは、他人の気持ちを考えて、行動するようにします」
と苦笑いを浮かべ、頭を下げて謝られた時には、グレンは大いに困惑した。
しかし、以前の彼の生活態度に辟易していたグレンは、あの魔力暴走は彼を成長させる良い切っ掛けになったと、内面の変化を素直に喜んだ。
ギリム殿やベアトニス殿は、腑に落ちないと言う顔で、「要観察だな」と口にするばかりだったが……。
少なくともグレンは、今のルヴェンに対して不満点は無い。
この短期間で、召喚士としての異常な成長を遂げたことに、むしろ恐ろしさすら感じるほどだ。
雌型しか召喚できない致命的なハンデを背負いながら、ルヴェン様の弛まぬ努力と様々な創意工夫により、彼女達のような強者が生み出された。
英雄ギリム殿の息子だからと言われたら、納得しそうにもなるが、これから先どのような成長を遂げるかが、今のワシには全く読めない。
ワシも、年を重ね過ぎたかもしれんな。
人を見る目が、すっかり衰えてしまった……。
そういう意味では、妻やベアトニス殿の方が、先見の明に長けてるのかもしれん。
『氷滅の老魔女』と恐れらた彼女が、どのような経緯でギリム殿と契約を交わしたのかは知らぬが、ルヴェン様の講師役として、最近は本来の仕事をこなしてる彼女もまた、以前とは違って生き生きとした目をしてる気がする。
ベアトニス殿も、あと半年ほどで講師としての契約が切れるらしいが、ルヴェン様の今後をギリム殿は、どのように考えてるのだろうか……。
契約が切れた後の愚者の行く末に興味は無かったが、英雄の息子と納得できる程の驚異的な成長を目の当たりにして、最近のグレンは彼の今後が気になって仕方がなかった。
ルヴェン様が、この地から離れる決断をせぬ限り、かの大帝国からの侵略は避けられまい。
今のルヴェン様の唯一の弱点が、人脈の少なさだ。
外界との接触がほとんどない、ヒキコモリをしていた結果と言えるが、ワシやベアトニス殿が去った後、どうされるつもりだろうか。
十六で成人を迎えるまでの援助はするが、それ以降の資金を含めた援助をするつもりは一切無いと、ギリム殿は宣言されてる。
ルヴェン様も先を見据えて、小鬼人をメイド代わりに教育しようとしているが、本当にそれで良いのだろうか……。
様々なことを思案しながら森の中を移動していると、今回の作戦を指揮する為に、簡易的に設営された本陣に到着する。
野生の小鬼人達が棲んでいた集落の中心に、手先の器用な小鬼人達が用意した、テントが張られていた。
天幕の下には、杖を両手で握り締めた、金髪碧眼の少年が立っている。
魔力暴走をする以前の醜悪な容姿とは異なり、両親の良い所だけを受け継いだ美少年が、ポツリと呟く。
「魔力感知」
ルヴェンが杖の先端で、地面をコツンと叩く。
すると、水面に波紋が広がるように、青い光が地面に広がり、一瞬で消えた。
「ウーフ、西に二百五十。チェニータ、南に八百二十五」
「はいです」
虚空を見つめながらルヴェンが呟くと、すぐそばに立っていた小鬼人のブリンが、机の上に手を伸ばす。
森の地理を描いた地図の上に、いくつかの駒が置かれており、そのうちの二つを移動させた。
「チェニータが、細かい距離が測れる範囲まで、戻って来たな。負傷をしたって聞いたけど、けっこう強かったのかな?」
グレンが報告するまでもなく、既にルヴェンはチェニータの近況を耳に入れたようだ。
その情報入手の速さに驚きつつも、グレンは彼の行動を静かに見守る。
「タマとポチも、こっちに近づいてる。何か見つけたのかな?」
ルヴェンの呟きと同時に、遠くで茂みが揺れたのを視認した。
「えっさ、ほいさ。えっさ、ほいさ」
「オサ、持って来たよー。コイツが、ギンブルだよ」
猫頭人のタマと犬頭人のポチが、人族の男を担ぎながらテントの前までやって来る。
ルヴェンの前に到着するや否や、金髪を角刈りにした、目つきの悪い青年を乱暴に放り投げた。
「ぐあっ!?」
両腕で抱きしめるように腹を押さえながら、ギンブルが苦悶の声を漏らす。
息苦しそうに呼吸を繰り返し、芋虫の如く地面を這いずるギンブルが、弱々しく顔を上げた。
殺気立つ魔族達が、武器を手にして取り囲んでおり、その状況に気づいたギンブルが、不安そうな顔で周りをキョロキョロと見渡す。
「初めまして、ギンブル。俺が、君が強盗に入ろうとした屋敷に住む、ルヴェンだ」
普段の温和な態度とは違い、氷のような冷たい瞳をしたルヴェンと目が合い、ギンブルの顔が青ざめる。
「余計な、お節介かもしれないが。犯罪計画を喋る時は、小声で話した方が良いと思うよ。誰が聞いてるか、分からないしね。君が馬鹿笑いしながら、大声で喋らなければ。もしかしたら、強盗も成功してたかもね」
「す、すみません。で、出来心だったんです。ほ、本当は、そんなつもりはなくて……。や、雇い主に、借金をしてて。それで脅されて、仕方なく」
身の危険を感じたのか、ギンブルが怯えた顔をしながら、言い訳めいた言葉を必死に喋る。
「借金をしてたら、強盗をしても良いのですか? 屋敷の住人に乱暴をして、口封じに殺しても良いのですか?」
静かな怒りを含んだ声色で話していたルヴェンが、腰に提げた鞘から剣を抜いた。
剣先が眼前に迫り、ギンブルが小さく悲鳴を漏らす。
「この国の法律では、強盗で襲われた場合、正当防衛で相手を殺しても問題ありません。このまま、あなたを私刑で殺すことも可能ですが、あなたには聞きたいことがいろいろあります。グレンさん、彼の尋問をお願いしてもいいでしょうか?」
「はい。お任せ下さい」
敵から情報を吐かせる尋問も、忍を生業とするグレンの仕事の範囲内だ。
特に異論はなく、グレンは了承の意を示す。
「オサ。コイツ、良いモノ持ってるんだ。貰っても良い?」
猫頭人のタマが男を指差しながら、ルヴェンに尋ねる。
「良いよ。欲しい物を剥ぎ取ったら、グレンさんにそいつを渡してね」
「やっほー。それそれ、剥ぎ取れー。ニャフフフ」
「ギャァアアア! 痛い痛い痛い! や、やめてくれ! 骨が折れてるんだ!」
内臓をどこか損傷してるのか、男が涙を流しながら悲鳴をあげる。
しかし、そんなことを気にした様子もなく、タマが嬉々とした表情で、胸当てを剥ぎ取ろうとする。
「うっさいなー。ポチ、ちょっと手伝って」
「はいはい」
「ブリン。うるさいから、ソイツの口を塞いで。あと、剥ぎ取りが終わったら、逃げないように縄で縛っといて」
「はいです」
ルヴェンの指示を受け、テントから荒縄を取って来た小鬼人のブリンが、タマ達の剥ぎ取り作業に参加する。
一連のやりとりを静観しながら、グレンは思案する。
ワシを含む少数の者だけが、彼の稀有な才能を知っている。
しかし、このままでは誰にも知られることなく、この若者が大戦の渦に飲み込まれて、消えていく可能性が高い。
それを分かっていて放置するのは、果たして正しい選択なのだろうか?
ギリム殿が意図的に、息子が外界との接触を図らないようにしてたのは、もちろん知っている。
魔力暴走をする以前の彼が、もし自分の孫であれば、一族の恥だと考えて、グレンも似たような行為をしてたかもしれない。
ギリム殿の気持ちも分かるし、他人の子育ての方針に、口を挟むのもどうかと思うが……。
やはり、惜しいものがある。
……そういえば。
グレンは妻と手紙のやり取りをしてた際に、妻から相談されていた内容を思い出す。
しばしの熟考をした後、グレンはルヴェンのもとへ歩み寄った。
「ルヴェン様」
「はい。なんですか?」
真剣な眼差しで、机に広げた紙を見つめていたルヴェンが、グレンを見上げる。
「屋敷の管理についてですが……。前にも話しましたが、あと半年で小鬼人に引き継ぐのは、不可能だと思います」
「そうですね。確かにブリン達では、難しいと思います……。でも、複雑な運営部分については、僕が引き継ぐつもりですから、なんとかしますよ」
ルヴェン様の物言いを聞いてると、自分がまだ十六に満たない子供であると、本当に自覚してるのか疑いたくなる時がある。
彼の根拠なき自信の現れは、おそらく十五年もヒキコモリ生活をして、外の世界を知らぬが故にだろう。
この者の将来の為にも、このまま放置するのは危険だと判断したグレンは、決断をくだす。
「メイド、ではないのですが……。もしかしたら、メイドとして働いてくれるかもしれない者が、身内におりまして……」
「え? そうなんですか?」
最後の意思決定はもちろん、あの子次第だが……。
ルヴェン様に、紹介してみるくらいはいいだろう。
それで縁ができなければ、我ら一族と彼との繋がりは、それまでだったということ。
「はい。まもなく成人を迎えますので、近いうちに屋敷へ連れて来たいと思います」
「それは、助かります。身から出た錆ですが。今度は来た人に逃げられないよう、早めに静かな森にしたいですね」
冗談めいた言葉を口にしながら、ルヴェン様が笑みを浮かべる。
「そっちは、問題ないと思います」
「……え? そうなのですか?」
不思議そうな顔で、ルヴェンが首を傾げた。
誰のせいとは言わんが、あの子は仕える主に対しての願望に、少しこだわりが強すぎるところがあるようだ。
若造の我儘が通用する程、世の中は甘くないと諭してやりたいが、外の世界を知らないが故の無知とも言えるか。
妻との手紙のやり取りを思い出しながら、グレンは深く思案する。
さて、どうしたものかの……。