【第02話】召喚士の務め
「オサ。見て来たけど、小鬼人と猪牙人しか、いないよ」
深緑色の茂みをかきわけて姿を現したのは、コゲ茶色に黒い縞模様が入り混じった体毛で覆われ、頭から大きな三角耳を生やした獣顔。
猫顔と言う比喩ではなく、本当に猫の頭から人の身体が生えたような容姿をした、猫頭人に声をかけられて、考えをごとをしていたルヴェンは顔をあげる。
「ん? ……了解」
森の開けた場所で、適当な岩に腰を落として座っていたルヴェンが、おもむろに立ち上がる。
弓を手に持ち、矢の入った矢筒を背負った、猫頭人のタマを眺めながら、ルヴェンが口を開いた。
「ポチは?」
「僕も、いるよ」
猫頭人のタマが出て来た茂みから、今度は頭から大きな垂れ耳を生やした犬頭が顔を出す。
タマと同じく、胸元と腰元を布で巻いただけの簡易な服を着た、犬頭人のポチだ。
――円形の木板の一部に金属加工をし、持ち運びを重視した盾――ラウンドシールドを片手に持ち、腰にはショートソードを提げている。
全身を獣毛で覆われた雌型の二人が、体毛に纏わりついた枝葉を払い落とす。
「ブチとルトがまだ戻ってきてないから、ちょっと待ってて」
「あいよ」
「スンスン」
ガサガサと煩く茂みを揺らす音に気づいて、二足歩行する人型の猫と犬にしか見えない二人の女性が、音のする方へ目を向けた。
タマ達が出て来た深緑色の茂みから、赤みがかった茶色の体毛に覆われたお尻が覗き、左右に揺れているのが目に留まる。
「ウーフ。そっちに行くな」
タマが慌てて手を伸ばし、左右に激しく揺れていた尻尾を掴み、力強く引っ張った。
身体を捻って顔を出したのは、白と赤茶色の体毛が混ざった小さな狼の頭。
ダックスフンドのような、つぶらな瞳と穏やかな顔が特徴的なポチとは違い、少し厳つい顔をした狼頭のウーフが、何か言いたげな表情でタマを睨み上げる。
ただし、茂みから全身を出した狼頭人のウーフは、背丈がタマ達よりも小さく、園児にしか見えない小さな子供だ。
目つきの悪い園児に睨まれても、大して怖くはない。
方向転換をしたウーフが地面に狼顔を近づけ、幼犬の如く鼻先を小刻みに動かしながら、ルヴェン達の周りをうろつき始める。
屋敷の庭から外に出るのは初めてだから、何もかもが新鮮なんだろうな。
微笑ましいモノを見るような表情で、ルヴェンがクスリと笑った。
産まれたばかりの赤子を抱き上げた、ウーフとの最初の出会いを思い出す。
一月も経ってないのに、もうここまで大きくなるんだからな。
魔族の成長は、恐ろしく早いよな……。
「ウーフ。そっちはダメだよ」
やっぱりそちら側が気になるのか、タマ達が出て来た茂みの中に、ウーフが鼻先を小刻みに動かしながら、顔を再び突っ込み始める。
今度はポチが慌てて駆け寄り、ウーフの尻尾を掴む。
最初は両足に力を入れて踏みとどまっていたが、地面と擦れる音が聞こえ始め、ポチの獣足がズリズリと前へ動き出した。
「ちょっと、ウーフ……。タマ、なんとかしてよぉ」
「無理」
犬顔の眉間に皺を寄せ、困り顔で仲間にヘルプを頼むが、首を横へ振ったタマがにべもなく断る。
体格的に考えれば、少女体型のポチが幼女に力比べで負けるはずも無いのだが、ウーフの身体が青色の淡い光に包まれてることから、その要因が推測できる。
魔族による本能なのか、誰かに教わったわけでもないのに、魔闘気を纏う幼女に思わず感心する。
鼻息を荒くして、前進するのを止めないウーフに、苦労してる様子のポチを眺めていたルヴェンは、助け舟を出すことにした。
楽し気にお喋りをしながら、待機していた少女三人組に、ルヴェンが声を掛ける。
「ブリン。少し早いけど、おやつの時間にしよう」
「はい、オサ」
声を掛けたルヴェンに反応したのは、荷物袋を背負った小柄な少女。
健康的に日焼けしたような薄小麦色の肌に、鋭い目つきをした少女が、リュックサックを地面に降ろす。
少女が茶色の髪を手でかきあげると、額から生えた小さな白い角が目につく。
荷物袋の上部を開き、その中から布に包まれた小さな袋を取り出した。
小鬼人のブリンから渡された小袋を受け取り、ルヴェンが中を覗き込む。
芋の良い香りが、ルヴェンの鼻孔をくすぐる。
「ウーフ。芋だぞ、芋。食べないか?」
「ふぇ? ちょっ、ウーフ、ひゃぁあ!?」
なぜかポチの悲鳴が耳に入る。
ルヴェンが声のした方へ顔を向ければ、ウーフと力比べをしていた犬頭人のポチが、頭から派手に茂みの中へ突っ込んでいた。
ポチの下半身を肩車で持ち上げ、茂みの中から顔を出した狼頭人の幼女。
わざわざポチの股下を、潜り抜けて出て来たのだろうか。
茂みの中から下半身を生やし、空中で足をジタバタとさせて助けを求める犬頭人を無視して、ウーフがトテトテと足早に歩み寄って来る。
「ニャハハハハ。うけるー」
「ちょっと、タマ。笑ってないで、助けてよぉ」
「はいはい、よいしょっと」
指を差して笑っていたタマが、ようやくポチの救出を始めた。
小袋の中から腕を抜き出したルヴェンの掌には、白い塊がのせられている。
細かく刻んだ粒々の芋が載せられた、白色の蒸しパンを眺めた。
「今日は、ブリンが作ったですよ」
「え? マジで」
平らな胸を逸らし、小鬼人のブリンが自慢気な顔をする。
「ベア様に、教えてもらったです」
「そうなんだ……。あむ、んぐ……。美味い」
ブリンを含む小鬼人の三人娘が、執事のグレンから簡単な料理の手伝いをさせられているのは聞いていた。
どうやら小間使いの雑事だけでなく、老魔女からお菓子作りも学んでいたらしい。
二口目を齧ろうとしたところで、ルヴェンは下から強い視線を感じた。
目を大きく見開いた狼頭人の幼女が、口の周りを舌でベロベロと嘗め回しながら、無言でルヴェンを見上げている。
穴が開くほどの熱視線に耐えられず、手に持っていた齧りかけの蒸し芋パンを、ウーフの口元に近づけた。
「芋、食べるか?」
間を置かず幼狼の口が大きく開き、パクリと一口で食べられてしまった。
口をモゴモゴとさせて、喉をゴクリと鳴らしたウーフが、再びルヴェンを無言で見つめる。
「また後でな」
小袋から二つ目の蒸し芋パンを取り出したところで、ルヴェンはもう一つの視線に気づく。
ルヴェン達から少し離れた場所で、一本の樹に背中を預け、腕を組んでこちらを静観している褐色肌の少女が、ルヴェンの目に留まった。
骨と皮だけの体躯でガリガリに痩せ、黒いボサボサ髪を肩まで垂らし、前髪の隙間からナイフのように鋭い眼光を覗かせた、異様な雰囲気の少女と、ルヴェンの視線が重なる。
しかし、ルヴェンと目が合ったと気づいた黒髪の少女は、顔をすぐ横に向け、露骨に目を逸らした。
「ブリン。オルグにも、一つ食べさせてやれ」
「……え?」
さっきまで、他の小鬼人二人と仲良く喋っていたブリンが、ルヴェンと遠くにいる少女を交互に見つめる。
持っていた蒸し芋パンを指で二つに割った後、戸惑った顔をするブリンへ手渡した。
「半分は、ブリンが食べて良いぞ」
しばし悩んだ後、食い気には勝てなかったのか、渡された蒸し芋パンを握り締め、ブリンが腕を組んだ少女に歩み寄る。
今いるメンバーの中で一番に背が高い、百七十センチメートルもあるオルグは、身長が百二十センチメートル程しかないブリンからすれば、圧倒されるものがあるだろう。
近寄り難い雰囲気を醸し出す少女の前で足を止め、半分に割られた蒸し芋パンの片方を、ブリンが少し気後れしながらも差し出す。
「これ。オサが、食べろ言ったです」
それを横目でチラリと見たオルグが、手を伸ばして指先で摘まんだ。
小さな粒芋がのせられた蒸しパンを、オルグが角度を変えながら、無言で観察している。
「蒸し芋パンです。あむ」
用事が済んだからか、残りの蒸し芋パンを口に放り込みながら、ブリンがこちらに戻って来る。
手に摘まんでいた物を口に放り込むと、オルグが目を丸くした。
しばらく口をモゴモゴした後、指についたパンくずを、舌でペロリと舐め取る。
「美味いだろ?」
離れて行くブリンの背中を、無言でじっと見ていたオルグに、笑みを浮かべたルヴェンが声を掛けた。
「ブリンが、作ったんだぞ。俺の仕事を手伝ってくれたら、またブリンに頼んで、作ってやれるぞ」
ルヴェンと目を合わせたオルグが、何も言わずにプイっと顔を横に向けた。
昨晩、召喚したばかりの魔族だからか、まだ他の魔族との仲は微妙みたいだな。
細身の割りに、大食らいのウーフと競い合うように、宿舎の食堂で出された飯を食らっていたから、しばらく経てば肉付きもよくなるだろうと、執事のグレンからの報告もあったから、そっちはあまり心配してないが……。
「オサ。ブチとルトが、戻って来たよ」
ようやく茂みから救出されたポチが、体毛に付いた枝葉を払い落としながら、ルヴェンに声を掛ける。
「了解」
さて……。
それじゃあ、ルト達の話を聞いてから、挑戦してみますか。
この十人で、どこまで行けるんだろうな……。
ルヴェンは腰に提げた剣を強く握り締め、森の奥を静かに見つめた。
* * *
屋敷から十分ほど歩いた場所に、その者達は棲んでいた。
深緑色の樹々が鬱蒼と生い茂る森の奥、少しだけ開けた狭い場所に、魔族達が小さな集落を築いている。
家と断言して良いものか迷う、枝木を重ねて獣の皮を屋根代わりにした、雨風を凌ぐ程度の住処の一つから、小さな人影が顔を出した。
額から小さな角を一つ生やし、獣の皮を胸や腰に巻いた小鬼人の雌が、首を左右に動かして周りをキョロキョロと見渡す。
森の近くにある住処の一つが緑色の瞳に映り、重ねた枝木の一部が崩れてるのに気づく。
小鬼人の雌が駆け寄り、地面に散らばる枝木を、手を伸ばして拾い始めた。
点々と転がる枝木を拾い集めながら、森の方へ近づいていた小鬼人が、ふと足を止める。
何かの視線に気づいて、小鬼人が顔を上げた。
すると、茂みの中から頭だけを出して、こちらを見つめる小さな狼と目が合う。
驚いた小鬼人が、枝木を腕に抱えたまま硬直し、目だけをパチパチと瞬かせる。
互いが静かに見つめ合っていると、幼狼の口元にみるみると皺が寄り始めた。
「ガァアアア!」
大口を開けて咆哮した狼頭人の幼女が、いきなり茂みの中から飛び出した。
小鬼人よりも背が低いため、自然と懐に潜り込む形になり、小鬼人のお腹を頭で持ち上げたまま、幼狼が突撃する。
ウーフに軽々と持ち上げられ、空中へ投げ出された小鬼人の雌が、住処の一つに背中から激突した。
派手な音を立てて枝木が崩れ落ち、集落に棲んでいた魔族達が、何事かと顔を出す。
潜んでいた茂みの中から、弓矢を構えた猫頭人が飛び出す。
「ニャッハー! ゴブリン狩りですぞ、ブチ」
「せやな」
口元を舌でペロリと舐めたタマと、白い体毛に顔の右半分が黒色模様のブチが、間を開けずに矢を放つ。
小鬼人達の身体が次々と矢で貫かれ、まだ状況が理解できない者達が、悲鳴混じりの奇声を上げて集落の中を逃げ惑う。
犬頭人のポチとルトも飛び出して、孤立した者を背後から強襲し、持っていた剣で斬り伏せる。
突然の襲撃に、集落が混乱の一途を辿る中、ルヴェンは崩れた住処の一つに駆け寄った。
ウーフに投げ飛ばされた小鬼人の雌が、痛みに悶絶して、右へ左へと寝転がっている。
一番弱ってる者を狙う行為に、少しだけ罪悪感が脳裏を掠めたが、その思考をあえて跳ねのけ、ルヴェンは剣を振り降ろす。
野生の魔族は、人族を積極的に襲う。
放置すれば魔族は住処を拡大し、力を持たない人族達が命を落とす。
十五年もサボっていた召喚士の務めを、俺は果たすだけだ……。
痙攣していた手が動かなくなったのを確認した後、ルヴェンは重い樽腹を揺らして、自分が倒せそうな次の獲物を探す。
「オサ。猪牙人が、出て来たよ!」
左手にラウンドシールドを構えた犬頭人のポチが、右手に握り締めた剣先で集落の長を指し示す。
二メートルはあろう巨体を揺らし、赤黒い液体が付着した石斧を引きずりながら、そいつは現れた。
小鬼人とは違い、額から角が生えてたりはしないが、口に収まりきらない程の大きな二本の牙が、下顎から突き出ている。
巨漢の大男が足を止め、緑色の瞳で足元を見下ろす。
「ウーッ!」
一メートルにも満たない小さな幼狼が、乳歯を剥き出しにして猪牙人を威嚇する。
それを見た猪牙人は、二メートルの高さにある顔をニヤけさせ、丸太のように太い腕で石斧を持ち上げた。
足元をうろつく羽虫を叩き潰すように、石斧の先端を幼狼めがけて、力一杯に振り下ろす。
重く鈍い音と共に、石斧が地面へめりこんだ。
「ん?」
無謀にも己に立ち向かう愚か者を、馬鹿にしてた笑みが消えた。
違和感を覚えた猪牙人が、石斧を持ち上げて地面を覗き込む。
そこに潰れてるはずの人影はおらず、猪牙人の目が点になった。
首を傾げる猪牙人の頭上を、黒い影が覆う。
上を向いた緑色の瞳に映ったのは、二メートルの高さを超えた位置まで、空高く跳躍した幼狼。
青い魔闘気の光で全身を包んだウーフが、猪牙人の頭に飛び掛かる。
両足で肩を踏み、左手で猪牙人の牙を掴むと、右手の拳を握り締めた。
「ガァアアアア!」
ウーフの咆哮と共に、突き出した小さな拳が、猪牙人の顔にめり込む。
血を噴き出した鼻が陥没し、猪牙人が目から涙を流す。
慌てて引きはがそうと手を伸ばすが、幼狼の追撃は止まらない。
その小さな容姿に見合わないスピードと怪力で、猪牙人の顔を何度も何度も殴打する。
「ニャフフフ。ウーフちゃん、やるぅー」
タマの楽しそうな声が耳に入ったが、ルヴェンは苦笑いしかできなかった。
執事のグレンが、戦闘の訓練用に捕まえて来た猪牙人を、タマとブチとポチとルトの四人で、協力して倒そうと挑んだ時は、武器無しの相手でも凄く苦労した記憶がある。
あの時の俺達の苦労は、いったい……と嘆くルヴェンの瞳に、力無く折り曲げた膝を地に突け、背中から崩れ落ちる猪牙人の姿が映る。
小さな拳を赤く染めたウーフが、白目を剥いた猪牙人の顔を踏みつけて、どこかへ走り去って行く。
森に逃げた他の小鬼人達を、追って行ったのだろうか?
「ちょっ、ウーフ。どこへ行くのさ!」
森の奥へ消えて行く、血気盛んな幼狼の背中を、ポチやタマ達が慌てて追いかけて行った。