第7話 新たに何かを得る事は、何かを無くす事である。
ついにこの時が来てしまいました。
逃げられないと悟った私は、覚悟を決めます。
「はい、お胸のマッサージを致しましょうね」
寝そべる私の上に跨ったエマさんの笑顔は、何故かとても嬉しそうです。
「まずは背中からいきますので、ベッドにうつ伏せになってください」
隣をチラリと観ると、皇后様が寝そべっています。
今、この部屋の中には、皇后様の配慮により、私、エマさん、皇后様、皇后様の侍女さんの4人しかいません。
何故なら、恥ずかしがる私のために、皇后様が気を回してくれたからです。
エマさんと侍女さんは、事前に先生から施術を学んだと聞きました。
私のために、申し訳ない事をしたかもしれません。
「次は前を施術いたしますので、仰向けになってください」
私は下に敷いたタオルで胸を隠しながら、言われた通り仰向けになります。
首の喉仏は、なんとかチョーカーで隠しました。
「ツボを押します、少し痛いかもしれませんが、我慢してくださいね」
いってぇぇぇええええええええええ。
思わず飛び起きそうになったが、上に跨るエマさんに完全に組み敷かれていてどうしようもない。
ちょっとまって、エマさん何でそんな笑顔なの?
「これも、お胸を大きくするためです、我慢ですよー」
いやいや、大きくする必要ないんだって!
マッサージしてる振りだけでいいんだって!!
エマさんは、冷や汗を流す俺にそっと顔を近づけ耳元で囁やく。
「お嬢様、レディに有るまじき顔をしてますよ?」
ひえっ……私とした事が、痛みのあまり心の声が乱れていたようですね。
「最後に、クリームを使ったお胸のマッサージです」
エマさんは手にクリームを取ると、私の体とタオルの中に隙間に手を伸ばす。
もはや尊厳だとかプライドだとか、そういうちっぽけな物は捨ててきました。
でも、どんなに弄られようとも、辱められようと、私の心までは奪わせませんから!
「はい、これにて施術は終わりです」
少々恥ずかしいですが、これも確認のためです。
私はおそるおそる自らの胸にそっと触れる。
なんと言う事でしょう、心なしか雄っぱいが大きくなってる気がします。
「お嬢様……涙目になるほど喜ばれるとは、私も苦労して習得した甲斐がありました」
くっ、殺せ!!
「エスターさんにそこまで喜んでもらえるとは……誘った甲斐がありましたわ」
ガウンを羽織った皇后様は、誇らしそうな顔でこちらを見ています。
喜んでいただけたというのなら、私もこの身を汚された甲斐がありました。
「隣にお飲物を用意しています、こちらにどうぞ」
皇后様の侍女さんに案内されて、部屋と部屋を繋ぐ広い通路に設けられた席へと案内されました。
建物内の通路なので天井はついてますが、左右の壁は柱だけしかないのでとても開放的な作りです。
侍女達の仰ぐ羽根扇によって運ばれてくる、噴水の冷ややかな風が火照った身体に気持ちいい。
「今日はお誘いくださり、ありがとうございました」
私はテーブルの上に置かれたアイスティーに手をかける。
中の氷には花びらが閉じ込められておりとても華やかですが、作るのにとても手間がかかってそうです。
わたし達貴族がこういった贅沢が享受できるのも、国家の政治経済が安定し、多くの臣民に支えられているからでしょう。
「婚約の儀に向けて、他にも不安な事があれば、いつでも相談してきて構わないのよ」
皇后様は目つきが厳しいだけで、本当に優しいお方です。
それだけに、そんな皇后さまを騙している罪悪感が私の心を余計に締め付ける。
「ところで……婚約のドレスはもう準備できてるかしら?」
婚約の儀は、結婚の儀と違って自由度が高い。
例えばドレスの場合、結婚の儀であれば典則によって事細かく決められています。
私の場合に当てはめると、お色直しを含めドレスを着るのが計3回。
式前の皇帝陛下へのご挨拶の時には、公爵家の用意したドレス。
式中の白のドレスは、私の意見も取り入れたデザインになるでしょう。
式後のお披露目では、皇太子殿下が用意したドレスを着用する事になります。
また帝国では、皇族や一部の貴族には専用の色が割り当てられていて、公爵家は臙脂が下賜され、皇太子殿下は深紫が割り当てられているので、式前式後のドレスはその色が用いられるでしょう。
今回のように広くお披露目される場合は、権威を示すために他の色を着ることは考えられません。
しかし、婚約にドレスの指定はないので自由度は高いのですが、その分それぞれの感性が問われます。
「はい、後はフィッティングを残すのみとなっております」
こうやって着々と準備が整ってくると危機感を感じます。
一刻も早くお爺様には、本物をエスターを捕まえて貰わねばいけません。
「わかりました、フィッティングの時はユニコーンの間を使いなさい」
ユニコーンの間というのは、一部の男性を除き男性が不可侵とされている皇宮において、唯一、男性と交流が許されている場所です。
このユニコーンの間を使うには、皇后様や皇宮長など一部の人間の権限が必要で、まだ結婚前の私では勝手に使用する事はできません。
私のドレスをデザインしてくれている方は男性なので、フィッティングのために公爵家に一時的に戻る許可を取ろうと考えていました。
「ありがとうございます、おかげさまで公爵家に戻らずに済みそうです」
本当は帰宅時に事の進展を確認する予定でしたが、皇后様の申し出を断るわけにはいきません。
どのみちフィッティングの際には、家族も帯同してくると思うので問題ないでしょう。
「よいのです、他にも困ったことがあれば、なんでも頼ってくれて良いのですよ?」
皇后様の侍女さんが、どうか頼ってあげてくださいと、視線で語る。
私はこの機会を利用して、知りたかった情報を得ようと思います。
「はい、では、お聞きしたいのですが、皇太子殿下とはどのようなお方なのでしょうか?」
エスターが見つかるまでの間、私が皇太子殿下を教育します、と意気込んで見たものの、会う事ですらまだ叶っていません。
それもそのはず、皇太子殿下はまだ1度としても私に会いに来たことがないのですから。
「ウィリアムですか? あれはただのバカ息子です」
今日一のヒエヒエの視線を頂きました。
そういえば昨日、ウィルと聞いて少しドキリとしました。
ウィルと言えばウィリアムの愛称でもあります。
しかし彼は、羽飾りやマントに赤を用いていました。
もし彼が皇太子であれば、羽飾りやマントは皇太子のカラーである深紫が使用されているでしょう。
そもそも皇族である皇太子殿下が、あんな所をうろついているわけがないのです。
「学業が大変優秀であらされるとお聞きしています」
お兄様も学業は優秀だと言っていました。
それなのにバカとは……一体、どう言う事なのでしょう?
「騙されてはいけませんよエスターさん、馬鹿と天才は紙一重なのです」
そういえば、本物のエスターも学業はすごく優秀でしたね……。
「あの子はそもそも全てが突拍子も無いのです」
ごめんなさい。
謝る私の脳裏に、先程からエスターがちらつきます。
「慣例をぶち壊すのも良いでしょう、時代によって変わりゆく柔軟性も必要な事ですから」
この言葉から察すると、皇后様は皇太子殿下の考えに一定の理解がありそうですね。
改革自体は否定しないけど、その手法に問題があると考えているのではないでしょうか。
「でも全てが急ぎすぎなのです、みながあの子の歩幅で歩けるわけではないのです」
こういったタイプの人は、時には振り返り後ろを確認する事が重要なのですが、前しか向いてないので、周りの人は苦労するでしょう。
エスターもそうでした。
「この前も、議員に平民を入れようとして陛下と喧嘩したそうですし……」
現行の帝国議会の議員は、貴族のみで回っています。
主に国家運営や外交に関わる案件が大半なので、市民生活に関わる小さな案件はあまり議題になりません。
「貴族の中には選民意識が強い人も多いですし、反対されても仕方がないでしょう」
議会で可決された案件は、議長である宰相、私のお父様が皇帝陛下に奏上し、最終決定権を持つ皇帝陛下の裁決を持って決定されます。
「平民のみの……議会に近いシステムを作る所から始めたら良いのではないでしょうか?」
そもそも帝国議会は、国が大きくなるに連れて皇帝陛下1人で全てを決めるのが難しくなり作られた物です。
それならば、ある程度の予算だけ割いて、平民達の裁量で決められるものは平民達で差配してもらった方がいいのではないでしょうか。
貴族たちは自らの利権が絡まない案件であれば、表面上はさほど煩くはありません。
その上で貴族が最終決定権を持てば、反対する者もいないでしょう。
「貴族議員の方達も細かい案件に時間を取られずに済みますし、そういう所から切り崩していけば理解が得られるのではと思いますが……」
皇太子殿下が平民を入れようとしたのも、なんとなくわかります。
帝国の拡大に対して。貴族議会だけでは対処できていない現状は明白ですし、優秀な人材を遊ばせて置くのが勿体無いと思ったからかもしれません。
それならそうと段階を踏めばいいのですが、エスターがそうであるように、手間を踏むのを面倒臭がるんですよね。
「エスターさん」
皇后様の声にふと我に帰る。
周囲を見渡すと、みな、笑顔でこちらを見ています。
「貴女なら私も安心してウィリアムをお任せできるわ」
あぁっ!
自ら墓穴を掘った事に気がつき落ち込みます。
長年、エスターの尻拭いをしていた癖がでてしまいました。
もう余計なことは喋りません!
口を真一文字に結ぶ私の隣で、エマさんは愉悦の表情を浮かべています。
くっ、後でお父様達に報告するつもりでしょう。
このままでは、本当に結婚させれてしまいます。
早くどうにかしないと……お爺様、一刻も早くエスターを見つけてください!
お願いします!!
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補足
帝国のカラーリングマナー
重要な式典以外は、基本的に女性のドレスカラーは自由。
皇族のカラーリングは、紫系統が割り当てられ、他の貴族はいかなる場合も使用不可。
公爵家は皇族にとても近しいので、紫に近い赤系統の臙脂を割り当てられている。
重要な式典では臙脂色は使用不可ですが、公爵家より臙脂のお召し物を下賜されたり贈られたりしたものは着用が認められます。
また、女性と違って男性の場合はカラーをタイやチーフなどに使用する。
戦場では、兜の羽飾りやマントなどに使用してそれぞれの家をアピールします。
お読みいただきありがとうございます。
補足をどうするか迷ったのですが、後書きに書いた方が良かったのでしょうか?
もう一つ補足しておくと、羽飾りの色のせいで戦場では重要な貴族がモロバレです。
ですが、この世界の貴族は強いのです、故に力を誇示したがるのです、脳筋ではないですよ……多分。
皆さんもうお気づきかもしれませんが、エスターは常識人なので常識外のことをやられるとポンコツです。
どうか、エマさんのように生暖かい目で見守ってやってください。
ブクマ、評価ありがとうございました。