第5話 逃げ場のない夜の帳、新たなる冒険への夜明け。
「エスターさん、貴女……」
死を覚悟した俺は、心の中で今まで出会った人たちに感謝する。
「いいのよ、なにも言わなくても……」
皇后様は俺をそっと抱き寄せる。
んんっ? これは、一体、どういうことなんでしょう?
「貴女のように、お胸が小さいことを気にするご令嬢は多いわ」
あれ? もしかして、皇后様はいい感じに誤解してくれてるんじゃ……。
「仕方ないわよね、殿方は大きさに拘る方もいらっしゃるから」
よしっ! このチャンスを逃すわけにはいかない、乗るんだ! この一発逆転の荒波に!!
「はい、皇后様……私、小さいのがコンプレックスで……ごめんなさい」
俺は奥義上目遣いからの流れで、2つ目の奥義こぼれ落ちる雫を発動した。
この技は、上目遣いで相手に狙いを定めた後に瞳を閉じ、その目尻から涙をこぼすという連続技である。
俺はこの技を覚えるために、エマさんに目を見開いた状態のまま固定され、乾燥と言う名の災害と死闘を繰り広げた。
「苦労……したのね……」
俺の涙が、皇后様の涙腺を刺激する。
しめしめ、効いてる効いてる……この調子でもういっちょいっとくか。
「ごめんなさい、ごめんなさいっ……」
俺は喉仏を隠しつつ皇后様の肩ですすり泣く。
それにつられた皇后様も、俺の肩を抱き涙を流していた。
やった、やってやった、俺は思わずやり遂げた高揚感から口角が上がりそうになったのを必死に抑える。
「大丈夫! 私にいい手があるわ!!」
皇后様は涙を拭うと、拳を握りしめ、何かを決意したようにその場に立ち上がる。
あれー? なんか、思ってもない方向に向かってるような……。
「エスターさん、お胸を大きくするマッサージを致しましょう」
いやいやいや、大きくなったら困るのよ!
だって、俺、男の子だもん!!
「えっと、でも他の人に見られるのは恥ずかしくて……」
俺はすかさず手を握りしめ口元に当てると、涙目で恥ずかしがる素振りを見せる。
見よ、これが奥義その3、辱めを受ける私だ。
場合によってはこの技は、相手の嗜虐心を煽るために逆効果になる諸刃の剣なのだが、皇后様には有効だろう。
「うーん、困ったわね、どうしようかしら……」
案の定、恥ずかしがる私に対して皇后様はオロオロと戸惑う。
ごめんなさい皇后様、心配してくれるのは有り難いのですが、これでお胸が大きくなったら、俺にとっても死活問題なのです。
「皇后様、それならば大丈夫ですよ、私が施術師から技術を学び、代わりにお嬢様に施術しましょう」
振り返ると、そこにはエマさんが笑顔て佇んでいた。
あれ? エマ師匠、いつの間に帰ってきてたんですか?
気配なく現れるとか、心臓に悪いので本当に辞めてもらいたいです。
あと、これは一体どうこういう事なのかな? という疑問を、笑顔の奥にチラつかせるのはやめてください。
ものすごく怖いです。
「まぁ! それなら、エスターさんも大丈夫ね!」
いや、エスター的には良くても、エステル的には全然大丈夫じゃないよね。
雄っぱいが大きくなって、どこに需要があると思ってんだ!
「えと、その……」
何とかならないかと考えるが、この流れを変えるだけの妙案が思い浮かばない。
「大丈夫! 私も一緒に参加するから頑張りましょう、ね?」
そんな今日イチの弾けるような笑顔で言われたら、俺に拒否できるわけないじゃないですか。
「はい……」
俺は消え入りそうな声で返事をする。
こうして、皇后様とご一緒にお胸のマッサージをする事を約束し、今日は御開きとなった。
何とか正体がバレる事だけは防いだが、男として大事な事を防げなかった気がする。
「はぁ……」
今日は疲れた……もう休もうと、トボトボとベッドに向かう俺の肩を誰かが掴む。
「エスターお嬢様……」
くっそー、やっぱ見逃してくれないのか。
ええ、わかってますよ、わかってましたとも。
「申し訳ございません」
なんですと?
まさか、エマさんが謝るとは思っても見なかったので驚く。
「私が離れたばかりに、こんな事になるなんて……」
うんうん、だから仕方ないよね。
俺のせいでもないし、エマさんのせいでもないよ!
だから、今日はもう休も? ね?
「まさかエスターお嬢様が、お留守番の一つすら大人しくこなす事もできなかったとは……」
あっれー? これ、流れ変わってませんか?
「いやいや、皇后様の来訪なんて断れるわけーー
「仮病を使えばよろしいではないですか、食事の後、少し喉が腫れたので、大事をとって休んでいます、とか言えばいいのですよ」
あー、その手があったかぁ。
「大方、部屋に1人でしたので、羽を伸ばされていて油断していたのでしょう」
あれ? もしかして、この部屋監視されてます?
「その証拠に……ほら、お礼状、まだ認めてないのに寝るつもりなのですか」
エマさんは机の上に置いてあった白紙のお礼状をヒラヒラと見せつける。
ごめんなさい、今の今までお礼状の事を完全に忘れてました。
「まぁ、でも仕方ないですね、私も出て行くときに、お嬢様が微熱があるから面会を拒絶してくださいと、一言、他の侍女に伝えておけば良かっただけですしね」
んー、でもやっぱ、うまく対処できない俺がやっぱり不味かったと思う。
カップを落としたのも、完全に俺の不注意だしね。
「いえ、エマの言うように、私に緩みがあったのは事実ですし……それよりも、マッサージをどうやって乗り切るかを考えましょう」
今、一番の問題はそこだろう。
あの時、エマさんが余計な事を言わなければ、こんな事で悩む必要もなかったのに……ふと、そこで疑問に感じ、言葉を詰まらせる。
どうして、エマさんはあそこで皇后様に助け舟を出したんだろう?
きっと俺には到底思いつかない、深い理由があるのかもしれない。
「えっ? だって、そっちの方が面白そうじゃないですか?」
いつから俺は彼女が自分の味方なんだと錯覚したのだろうか。
まさか、身内の中に敵がいるなど、思ってもいなかった事だ。
「ば、バレたらどうするんですか!?」
俺は声を荒げる。
当然である、何故なら自らと家族の命がかかっているのだから。
緊急時に女性になる薬を渡されたが、これを使用した場合、胸が膨らんでしまうので明らかに辻褄が合わない事になる。
よって、この方法はマッサージ時には使えないのだ。
「あぁ、それなら多分、皇后様なら大丈夫ですよ」
え? 多分? その根拠は?
「勘ですけどね」
勘て!
「まぁ最悪、バレそうになったら奥の手もありますし、手段も選びませんのでご安心くださいませ」
え? 手段? 奥の手? 何それ、ちょっと怖い……。
「そんな事より、お礼状を先に認めましょう、でないと、寝れませんよ?」
寝れないじゃなくて、寝させないってことね。
これ以上、追求する事を怖れた俺は、エマさんに大人しく従う事にした。
お読みいただきありがとうございます。
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本日、お礼の2話投稿を考えていましたが、なろうさんのサーバー自体に不具合が出ているようなので、様子見して、いけそうなら夜に投稿します。
微妙そうなら月曜を2話投稿にします。
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