第11話 いくら現実逃避しても、現実は簡単に追ってくる。
チクチク、チクチク。
メリヤスで編んだ手袋の上に刺繍を入れる。
編み物や刺繍はちょっとした時間を埋めるのにとってもいいです。
なぜならこの時間だけは、余計な事を考えなくてすみますから……。
「できた!」
私は完成した手袋を見て満足げな表情を見せる。
うーん、我ながらいい出来ですね。
「どなたかにプレゼントされるのですか?」
私の作業が終わったのを見計らって、侍女の1人がテーブルの上のティーカップに紅茶を注ぐ。
彼女の名前はオリアナ・キャリントン。
キャリントン男爵家のご令嬢で、ウィンチェスター侯爵に無理やり押し付け……紹介されました。
男爵家の令嬢だと、彼女のように身分の高い女性の侍女になる人は珍しい事ではないです。
「いいえ、貴族学校で与えられた課題授業の一つですわ」
これは裁縫の授業で与えられた課題です。
ちなみにこの授業は女性陣だけではなく、男性陣も同様の課題を与えられている。
貴族である彼らは軍服のほつれなども自分で直さないといけないので、そのための訓練でもあるとか。
「へぇ、それにしてもドラゴンの刺繍なんてなかなか珍しいですね」
この手袋の刺繍のモチーフはレヨンドールです。
少しデザインが男の子っぽかったでしょうか?
でも、パッと思いついたのが……ていうか無意識で刺繍していたらこれだったんですよね。
「それにサイズも……ああ、そう言う事ですか」
どう言う事? 私が首をかしげると、誰かが扉をノックしました。
「失礼します」
私の侍女の1人、アマリアが部屋に入ってくる。
「オリアナさん、今しがたケイト様がこられたので交代の時間です」
「わかりました、では、アマリアさん、後をお願いしますね」
あぁ、そういえばオリアナは今晩、用があったので途中からケイトと交代するんでしたね。
ちなみにそのせいもあって、今日のアマリアはいつもより勤務時間が長くなってしまいました。
なので後日、丸一日お休みを与えようと思っています。
本人は働きたがっていましたが、無理が祟って倒れては意味がありません。
自らの侍女の健康をちゃんと管理するのも主人の勤めの一つですしね。
「今日もありがとうオリアナ、また明日」
「はい、エスター様、それではまた明日参らせて頂きます」
私は窓の外に視線を向ける。
夕食後に始めて、もうこんな時間になりましたか……。
「アマリア、そろそろ就寝します」
「わかりました、準備を整えますね」
アマリアが就寝の準備を整えてくれている間、私は裁縫道具を片付ける。
本当はこれも侍女の仕事なのですが、裁縫道具は私の仕事道具でもありますので、これだけは自分で片付けるようにしているのです。
「準備ができました」
「ありがとうアマリア」
私はベッドの中に入ると、明日のことを考える。
寝る時に明日の予定を思い出し、計画を立てるのも私の日課の一つです。
これをやる事によって、朝一番からスムーズに事が運ぶんですよね。
さてと、明日は最初に……。
◇
それから小1時間。
「……眠れません」
これは食後に、紅茶をガブガブ飲み過ぎたせいかもしれませんね。
ふと視線を横にやると、うつらうつらとしたアマリアがぐぅと寝息を立てています。
ふふ、本当は仕事の最中に寝るのはいけないことなのですけど……起こしたらかわいそうかな?
私はアマリアを起こさないようにそっとベッドから出ると、ブランケットを肩にかけて隣の部屋に出る。
「エスター様、どうかなさいましたか?」
隣の部屋に行くと、すぐにレオーネとケイトが駆け寄ってきました。
「目が冴えちゃって……」
私は申し訳なさそうに微笑む。
「そうですか、姫様が眠くなるように、ホットミルクでもご用意致しましょうか?」
そういえばお母様も眠れない時は良くホットミルクを入れてくれたな……。
ケイトはキッチンの方に向かおうと体の向きを変える。
「いえ、どうせなら少し調べたい事があるので、蔵書室の方に行こうと思います」
皇城にある蔵書室には色々な書物が置かれています。
ここにはあまり他ではみない蔵書があるので、時間がある時は良く利用させてもらっている。
「わかりました、それと通路は冷えますから、しっかりとあったかくしてくださいよ」
良く心得ておりますとも……。
先日、風邪を引いた時も、多くの人に迷惑をかけてしまいました。
「それでしたら、先程縫ったばかりの手袋を持っていきましょう」
せっかくですから提出前に使い心地を確認しておきましょう。
私は裁縫も好きだけど、作ったものをちゃんと使うのも好きなのです。
「そうですね、それがようござんしょ」
私は先程片付けた裁縫箱の中から手袋を取り出す。
ふふん、やはり何度見てもいい出来ですね。
このレヨンドールの刺繍もとてもチャーミングです。
次に私は、履き心地を確かめるべく手袋を履く。
「むむっ」
……失敗しました。
明らかに私が使うにはブカブカです。
ま、まぁ、いいでしょう。
よくある事です。
「では蔵書室まで私がお伴します」
「よろしくね、レオーネ」
私はレオーネを伴い皇宮を抜け、蔵書室のある皇城へと向かう。
夜だと言うのに流石は皇宮や皇城でしょうか。
通路を照らす光は明るく、すれ違う騎士達や侍女達は音もなく静かに巡回している。
私はすれ違う人たちと軽く会釈をかわしつつ、目的地である蔵書室へとたどり着いた。
「えぇっと……あっ、これですね」
蔵書室に居た司書の人は、希望を伝えるとすぐに本を探してくれた。
こんなに遅くまで、本当にご苦労様です。
私は労いの言葉をかける。
「部屋で読みたいのだけど、大丈夫かしら?」
「そちらの本でしたら問題ありませんよ。では、こちらにサインをお願いします」
私は貸本表に本の題名と自らの名前を記載する。
「たしかに賜りました」
目的の本を借り終えた私が蔵書室を出ようと振り向くと、ガラス扉で区切られた空間が目に入る。
「綺麗ね……」
蔵書室に併設されたガラス張りの温室が、天井から差し込む月の光に照らされて、幻想的な様相を見せる。
そういえば皇宮の蔵書室には、図鑑代わりに薬草のお勉強をするために温室が整備されていましたね。
私はその美しさに惹きつけられるように、ふらふらとガラス扉の方に進む。
「よろしければ、中をご覧になられますか?」
扉の前に立った騎士の方が私に声をかける。
騎士さんはヘンリーお兄様と同じ近衛騎士の制服を着ていますが、その立ち居振る舞いと装飾品からして上級貴族の出の方でしょう。
「いいのですか?」
「もちろんですとも、エスター様であれば構いませんよ。ただし護衛の方はここでお待ちいただく事になります」
これは中で育ててる薬草類を、皇族の方々が使うからでしょうね。
故に許可された人間以外は、ここを通る事ができないようにしているとか。
「少しでしたら構いませんよ。ここなら密室ですし、エスター様にも1人になりたい時はあるでしょう? 私はここで待っていますから」
「ありがとうレオーネ」
私はレオーネに感謝を述べ、扉の奥の温室へと足を踏み入れる。
こう言っては失礼ですが、ワイルドな見た目のレオーネですが、実は護衛騎士の中では誰よりも気遣いができるのです。
「奥に行けばこちらからは見えませんので、どうぞごゆっくり」
扉を開けてくれた騎士さんはそう言うと、自分の立ち位置へと戻る。
私は騎士さんの言うようにずんずんと奥の方に進んでいく。
「うわぁ……」
温室の中には珍しい花を咲かせた植物がたくさんありました。
その花達に誘われるように、私はどんどんと奥へと進んでいく。
これは昼間に来て、もっとちゃんと見たほうがいいかもしれませんね。
「綺麗」
1番奥に辿り着くと、天井のガラス窓の枠に巻きついた蔦からこぼれ落ちるように花が咲いていた。
確かこの花はとても特殊で、花びらが二重に重ねられているのです。
通常時は1枚だけが花開いた状態なのですが、満月の夜だけは2枚目の花びらが開いて、私たちにいつもとは違う顔を見せてくれる。
ああ……まるで私みたいな花。
私は手を伸ばし、その花びらに手を触れる。
ねぇ、あなたの本当の顔はどちらなのかしら?
私は肩にかけたブランケットの裾をギュッと握りしめる。
ふふ、なんちゃって……少し思いつめ過ぎてるかもしれませんね。
「さてと……レオーネを待たすのもかわいそうだし、そろそろ帰りましょうか」
私は温室の入り口へと引き返すために振り向く……その時でした。
予想だにしていなかった人物が、温室に設置されたベンチに座っていたのです。
「なっ……なんでこんな所にウィルが!!」
私はキョロキョロと周囲を見渡す。
……当たり前ですが、どうやら他には誰もいないようですね。
では、どうしてこんな所にウィルがいるのでしょう?
私はおそるおそるウィルの方を見る。
「……寝てる?」
なるほど、そういう事ですか。
ウィルだって1人になりたい時だってあるはずです。
故に護衛をまいてここに逃げ込んだまでは良かったけど、連日の公務で疲れていてそのまま寝てしまったと……。
「全くもう……」
ほっと胸を撫で下ろした私は、ウィルの方に近づく。
こうやってまじまじとウィルの顔を見るのも久しぶりですね。
「ねぇ……わかってる? ウィルは次の皇帝陛下なんだよ」
私は自分の気持ちを自覚してから、公務以外でのウィルとの接触を避けてきました。
その方が私にとっても、ウィルにとっても幸せだと思ったからです。
彼が本当に愛を育まなければいけない相手は、少なくとも私ではないのですから……。
「それなのに、護衛を置き去りにしてこんなところで……」
いや、それを言うのなら、レオーネを置いてここに来てる私も同罪ですね。
それにしても……こんな事で簡単に出会ってしまうなんて、本当に避けてるこっちが馬鹿みたいじゃないですか。
私は無意識でウィルの方に手を伸ばすが、頬に触れる直前でなんとか踏みとどまり引っ込めた。
あぁ、そっか……やっぱり私、ウィルの事好きなんだね。
改めて自覚させられる恋心にため息を吐いた。
「はぁ……ウィルは本当に呑気なんだから……」
私はその場にしゃがみこみ、ウィルの寝顔を覗き込む。
ねぇ、ウィルは気がついてる? 貴方が私の本当の正体を知ったらどう思うのだろう?
貴方なら受け入れてくれるのかな? ううん、普通ならこんなのやっぱり受け入れられないよね。
もし私が本当にエスターで、エスターがエステルだったら、私はこうまで悩まなかったのかな?
こじれてこじれて……しがらみだらけで、もうがんじがらめの私にこの状況はちょっと難しすぎるよ。
「そんなのだから私の本当の気持ちだって……」
そこまで言いかけて我にかえった私は、ブンブンと首を振る。
……なし! 今のはナシです!!
恥ずかしくなった私は、その場を立ち去ろうとしましたが直前で踏みとどまりました。
「って、流石にこのままじゃ不味いよね?」
いくらなんでもウィルをこのままにしておくわけにはいきません。
前回、ピクニックの時は風邪なんかひいた事がないと言っていましたが、これで本当に風邪をひいたらただのバカですからね。
私はソファで寝こけるウィルの体に、自分のブランケットをかける。
「もう……こんなに手を冷やして」
私はふと手に持っていた手袋に目を落とす。
いや……いやいやいや、これは裁縫の課題で作った奴だし……。
どうせならプロが作ったもっとちゃんとした奴とか、そっちの方がウィルだって喜ぶはず。
まぁウィルなら、この手袋の刺繍のレヨンドールとかは喜んでくれそうだけど……ってちっがーう! これは違うくて!!
私は心の中で自分に向かって言い訳を並べ立てる。
別にウィルの事を考えて刺繍してたんじゃなくて……無心で、そう何も考えずに縫ってたからこうなったわけで……あーもう!
「き、聞いてないだろうけど……良かったら使っていいからね」
私は恥ずかしさから顔を背けつつ、ウィルの手の上にそっと手袋を置く。
本物のエスターが見つかるまで距離を置くなら、本当はこういう事をすべきではないのかもしれないけど……。
でも、今の婚約者は私なんだから……これくらいはいいよね。
「……いつも、お疲れ様……それと、おやすみなさい」
私はそう呟くと、駆け足で部屋を後にした。
もう! もう! これで課題の提出に間に合わなかったから全部ウィルのせいですからね!
その後、私は睡眠時間を削って新たに手袋を製作し、期限内に何とか課題の提出を終わらせる事ができた。
ウィルにあげた手袋の方は……ヘンリーお兄様のどうでもいい報告によると、どうやら気に入って毎日使っているとか。
ま、まぁ、せっかくあげたのですから、使って貰えたようで何よりです。
だからこっちの反応を見るようにニヤニヤしないでくれますか? ヘンリーお兄様。
別に嬉しいとか……そういうんじゃないんだからね!
お読み頂きありがとうございます。
ブクマ、評価、感想等ありがとうございました。
今回も前回に引き続きラブ回です。
逆にストーリーの方は進んでなくてすみません……。
余談ですが、エステルは勘違いしているけど、温室の外に居た騎士はウィルの護衛騎士の1人です。
この人はヘンリーやウィルフレッドとは違ってあまり表立ってウィルを護衛する人ではないので、今回エステルと会うのが初めてであったために気がつきませんでした。
つまり何が言いたいのかと言うとですね、あの騎士は中にウィルが居るのを知っていて、エステルを温室に招き入れたのですよ。
そう間違いなく確信犯という奴です。
以上、余談終わり。




