第9話 チャンスにはいつだってリスクが伴うものだ。
「流石はサマセット公爵家と言うべきかい?」
ラフィーア先生は、手に持ったパイプの先を窓の外に向ける。
この窓に使われているガラスは、魔法が用いられた特殊なガラスだ。
内側からは普通に外の景色が見えるけど、外からは中の様子を覗く事はできない。
「庶民じゃ門を潜る事さえも許されない、こんな特別な場所に予約なしで入れるんだから」
ここは先程の場所からほど近い、全室個室の高級レストラン。
表向きはレストランとなってるが、一部の個室は貴族達が秘密の話し合いをするために、年間賃料を払って通年借りている状態である。
何故、僕たちがこの店にいるかと言うと、さすがに往来の真ん中で話し込む内容でもないので、ちょうど戻ってきた兄貴と一緒にこちらの店へと移動したからだ。
「あの……ラフィーア先生はどうしてここに?」
「いつもの事さ、放蕩の旅の途中で、今はこの帝国の知り合いの病院で世話になっているだけの事」
ラフィーア先生は、基本的に一箇所にとどまる事はなく、色々な国を転々としている。
どこかの病院や診療所や学校に籍をおいているわけでもなく、国に仕えているわけでもない。
「ああ、心配しなくとも、坊やの秘密を誰かに話したりなんてしないよ、そういった政のお遊戯に私は興味がないからねぇ」
これは本当の事だろう。
過去に何度もラフィーア先生がスカウトされて噂を聞いているが、その全てを断っているというのも有名な話だ。
「ただ、それでも坊やが気になると言うのなら……取引といこうじゃないか」
僕は兄貴と顔を見合わせる。
「坊やはこの私に借りがあるはずだよね?」
ラフィーア先生には、エスターの診断書を作成して貰った礼がある。
本来であれば、この診断書は別のものを手配していたのだが、間に割り込んできたのがウィンチェスター侯爵だ。
エスターの僕がその場にいたならばまだしも、カーライル伯爵はその申し出を断れる立場ではない。
ウィンチェスター侯爵といいエスターといい、僕の思考を先読みして手を打ってくる。
エスターの敵ではないという言い回しも気になるし、ウィンチェスター侯爵には注意しないといけない。
そして目の前にいる彼女は、そのウィンチェスター侯爵のつながりでエスターの診断書を作成している。
僕は警戒心を強めた。
「なに、この取引は坊やにもメリットがある事さ」
パイプを口に含んだラフィーア先生は笑みをこぼす。
「私を皇城の聖堂へと連れてってくれないかい?」
聖堂は婚約の儀の時に、エスターが身体が清めた場所だ。
よりにもよって聖堂か……。
僕は頭を抱える。
聖堂があるのは皇城内だが、あそこの管轄はトレイス正教会だから少しややこしい。
「この話、坊やには無理でも、お嬢ちゃんの立場なら可能だろう?」
ラフィーア先生の言うようにエステルにその権限はないが、エスターの立場を使えばおそらく可能だろう。
政治には興味がないと言っていたが、興味はないだけで、誰が必要な権力を持っているのかよく知っていらっしゃる。
「……たしかに可能かもしれません、しかしそのためには条件が」
僕の言葉をラフィーア先生が遮る。
「ああ、わかってるさ、お嬢ちゃんにはまだ専用の侍従医がついてないだろ? この私をその立場に推薦すればいい」
上級貴族には、それぞれの家に専用の侍従医がいる。
基本的に2名で、皇都と領地のそれぞれに1名ずつ用意するのが普通だ。
僕の事は元々、公爵領のサマセット公爵家の侍従医が担当してくれていたが、皇都に来た今は、事情を知っている皇都担当のサマセット公爵家の侍従医が担当している。
さらに皇族になると1人につき1人、専用の侍従医がつく。
今やウィル、皇太子殿下の婚約者になったエスターももちろんその立場にあり、専用の侍従医を持つ事が許されている。
彼女がウインチェスター侯爵と繋がりがあるとはいえ、そこを差し引いても有り余るほどの利益があるだろう。
「推薦人はウィンチェスター侯爵でもマールバラ公爵でも好きなのを使いな、なんなら坊やの父親でもいいんだよ、みんな私には恩があるはずだからねぇ」
エスターに仕えている侍従達にも、それぞれ推薦人がついている。
推薦人というのはいわゆる後見人も兼務しており、彼ら彼女達に何かがあれば、その者が責任を取るということだ。
身内のアルジャーノンはウィル、アマリアは爺様、レオーネは父様が推薦人を務めている。
またティベリアはマールバラ公爵、ラタはベッドフォード公爵、モニカはウェストミンスター公爵、ケイトは皇后様がそれぞれの推薦人だ。
「わかりました、しかしマールバラ公爵とウィンチェスター侯爵は、すでに推薦人枠を使い切っています」
ウィチェンスター侯爵が推薦したのはオリアナ・キャリントンという名前のキャリントン男爵家のご令嬢で、侍女の1人として名を連ねている。
推薦人は基本的に1人が1人までなので、すでに私の侍従になった人の推薦人の名前は使えない。
また推薦人になれるのは、貴族家当主や先代当主、皇族など一定の立場がある人物だけだ。
すでにエスターの内側にはラトランド公爵、リッチモンド公爵の紐付きの侍従も連ねており、推薦人として使える人は限られている。
「ラフィーア先生には、エスター本人の推薦人枠をつかいましょう」
幸いにもエスター本人の推薦人枠がまだ残っている。
今回のような予想外の事態を想定し、もしもの時のためにとっておいたのが功を奏したようだ。
「貴重な推薦人枠なんだろう、いいのかい?」
「かまいません」
たしかにこの推薦枠は貴重だけど、機を伺いすぎて好機を逃す方がもったいない。
彼女をお抱えの侍従医にできるのであれば、エスターの立場で彼女を政治的に利用する事も可能になる。
それに何より、家族やウィルに何かあっても、この人が手元にいる事実ほど心強いものはないだろう。
たとえウィンチェスター侯爵の紐付きだとしても、そのリスクを背負う価値はあるはずだ。
「しかしそれには理由を伺わないといけません、どうして聖堂に行く必要があるのでしょうか?」
とてもじゃないが、この人が信心深いとは思えない。
この取引は魅力的だが、彼女の目的はちゃんと確認する必要がある。
「聖堂の奥に清めの浴場があっただろう?」
ええ、よく覚えていますとも。
婚約の儀の時、エスターが神の御祝福とやらを賜った場所の事だ。
あの件については父様に相談したけど、そういう事も稀にあるから気にするなと言われたっけ。
「あそこの清めの水、いわゆる聖水に興味があるのさ」
全ての穢れを落とすと言われている清めの聖水。
確かに医療従事者であるラフィーア先生であれば、興味のある事柄かもしれない。
「うーん、聖堂に行く事は可能かもしれませんが、聖水のある浴場にいけるかどうかは保証しかねますよ?」
基本的に聖堂の浴場に立入れるのは、巫女が神事をする時だけだ。
あとは皇城内部にあるので皇族や、エスターの様に皇族に嫁ぐ者が儀式として利用する時くらいだろう。
婚約の儀、結婚の儀、皇族がこの世に生を受けた時……他には、その……子供を授かる行為の前にも用いられると聞いている。
「他の場所ではダメなんですよね?」
ちなみに皇城以外の聖堂は、貴族の女性達が利用している。
こちらであれば、幾らかのお布施を包めばどうとでもなりそうなんだけど……。
「他の聖堂に流れているのは、皇城の聖堂と違ってただの水だしねぇ」
そうなんだよね。
確か皇城の聖堂にある浴場に流れている水は、本家の源泉から持ってきた水を循環させている。
普通そんな事をすればすぐに水は汚れてしまうが、全く水が汚れていないのは、やはり清めの水の効果なのだろう。
「はっきり言って難しいかもしれません、努力はしますが……」
「構わないさ、ダメならダメで皇宮や皇城には面白い書物もあるだろうしね」
なるほど、確かにダメならダメで、ラフィーア先生にメリットがない事もないのか。
その取引条件が叶わなかった場合、ラフィーア先生はそちらをお願いをするという事だ。
「わかりました、ラフィーア先生がそれでいいのでしたら、エスターに断る理由はありません」
「それじゃあ、これにて取引成立だね」
ラフィーア先生はパイプを置くと席から立ち上がった。
レオーネほどではないが、ラフィーア先生は女性にしては大柄な体格である。
もちろん僕なんかより背が高い。
僕はちらりと兄貴の方を見た。
父様や、2人の兄貴は身長が高いのにどうして俺だけ……。
いや、今はそんなどうでもいい事を考えている場合ではない。
「はい、こちらこそよろしくお願いします、ラフィーア先生」
席から立ち上がった僕は、ラフィーア先生と握手を交わそうと手を伸ばす。
しかし席から急に立ち上がったせいだろうか、頭がくらりときて思わずよろけてしまった。
「大丈夫かエステル?」
すかさず兄貴が僕の背中を支える。
「さっき、体力を使ったせいかもしれないね、長々と引き止めて悪かったね、風邪をひかないように帰ったら大人しく休んだ方がいいね」
ラフィーア先生は僕のおでこに手を当て、体温を確認する。
そういえば、さっき川の中を泳いじゃったもんなぁ……。
2人の提案で、今日のところはこれで御開きとなり僕は大人しく帰宅の途に着く。
この翌日、僕は期待を裏切る事なく、久しぶりに風邪を引いてしまった。
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次回は看病編になります。




