第5話 あれ? もしかして私の周りは敵だらけ?
「おはようございます、エスター様」
まだ小鳥の囀りさえも聞こえない夜明け前。
いつもの起床時間よりやや早く、侍女の1人がベージュのポニーテールを可愛く揺らして私に呼びかける。
「……おーい、朝ですよー」
いつまでたっても呼びかけに応じない私に困ったのか、侍女はそばかすの入った目元を指で掻く。
その仕草は可愛らしく、見る人に愛嬌を感じさせるでしょう。
「う〜ん、あともう少し……むにゃむにゃ」
彼女であればまだもう少し大丈夫であろうと、私は布団にしがみつき狸寝入りを決め込む。
私もいつもであればそんな子供じみた真似はしないのですが、今朝は少し気だるく、ベッドから起き上がるのが億劫なのです。
あのコンサート以降、立て続けに公務をこなしているかもしれませんね。
やはりここは、もうしばらくお布団の中で……。
「もう少しも何もありません! さっさと起きてください姫様!!」
その声と共に私のお布団は簡単にペイっと剥がされ、その勢いで私は顔面から床に転がり落ちる。
「ふぎゃっ!」
私は涙目になりつつも、床にぶつけた鼻を手でさする。
「おはようございます姫様、朝でございますよ」
私の布団を剥がし姫様と呼ぶこの女性の名前はケイト・アトキンソン。
ケイトはもともと皇帝陛下やウィルの乳母を勤められていた方ですが、皇后様からの紹介で私の侍女を勤めて頂く事になりました。
彼女は私の侍従としてではなく、未来の皇后の筆頭侍女となるエマの教育係でもあります。
「おはようございます、エスター様」
そして私を起こそうとした彼女の名前はアマリア・オルコット。
元々はサマセット公爵家の皇都本宅で勤務していました。
アマリアは私に仕える侍女の中でも最も若く年も近いです。
「おはようケイト、おはようアマリア、今日もよろしくお願いします」
ちなみに2人とも私の秘密の事情をしっています。
皇后様やお父様からは、侍女には私の事情を知っている者を雇用した方がいいと提案を受けました。
侍女はエマを含めたこの3人以外に、もう1人を足した計4人になります。
できれば全員、身内で固めたかったのですが、ウェンチェスター侯爵に貸しがあるせいで、彼の派閥の者を1人加える事になりました。
これに加え上級侍女が2人、また侍女とは別に、外での活動のために男性の侍従を1人雇っています。
護衛騎士と含めると計11人の大所帯になりました。
「ほらほら、今日はいつもより早いんですよ、ボサッとしている暇はありませんからね!」
そういえば今日は学校に行く予定があって、いつもより早く起きなければいけないんでした。
「それでは朝の湯浴みをお供させていただきます」
「ちょ、ちょっと待って、お風呂は、お風呂は1人で入れるから!」
普通に湯浴みに同行しようとするアマリアを手で制す。
年が近い女性に体を洗ってもらうなど、そんな恥ずかしい事できるわけないじゃないですかっ!
「姫様、アマリアどうしました?」
「エスター様の湯浴みについていこうとしたら、その……」
アマリアは少し天然というか……それがどう言う事なのか気がついていません。
普通に仕事の一環として、お養母様にやってるのと同じように捉えているのでしょう。
でもそうじゃないんですよ! お願いだから気がついて!!
全てを察したケイトは手をポンと叩く。
「なるほど、でしたら私がお供しましょうか? エステル坊っちゃま」
からかうケイトの言葉に意味にようやく気がついたのか、顔を赤らめたアマリアは少し俯く。
何故、私が拒否していたのか、その理由を理解して頂けたようで何よりです。
みんな最近、ふつーに私の性別忘れちゃってませんか? 泣きますよ!?
私がホッとしたのも束の間、アマリアは決意のこもった瞳でこちらに顔を振り上げる。
「いいえケイト様、これも侍女の仕事、私がお供させていただきます!」
「うえっ、ちょっ!」
何を勘違いしたのか、アマリアのその表情からも錯乱具合が伺えます。
アマリアは私の手を引き、浴場の方にぐいぐいと引っ張る。
「けっ、結構です! 今日もこれからも、湯浴みは1人で十分ですから!!」
身の危険を感じた私は、慌てて手を振りほどき、1人浴室に駆け込み鍵を閉める。
湯浴みに関しては、なし崩し的にエマにだけは仕方なく許していますが、これ以上はダメです。
みんなもう一度言うけど、私がエステルだって事忘れたらダメなんですからね!!
◇
「それでは、自己紹介をどうぞ」
「はい」
隣にいる女性に促され、私は一息ついてから自己紹介を始める。
「本日より皇都の貴族学校に転入しますサマセット公爵家のエスター・ボーフォートです、皆さまよろしくお願いします」
ここは皇都にある貴族学校です。
婚約者候補であった時は、ちょうど夏休みの時期だったので問題ありませんでしたが、夏休み期間が終わった今はそうはいきません。
これ以上のボロを出さないためにも、いっそ結婚のためという理由で学校を早期卒業してはどうかと、私はお父様に進言しました。
しかしお父様はウィルから、エスターは皇都の貴族学校で、年の近い御令嬢と交友を深めた方がいいと進言されたようです。
その結果、私は皇都の貴族学校へと転入する事になりました。
ちなみにエステルの方は転入手続きの後、忙しくなったお父様の手伝いをしているという理由で授業が免除されています。
「それじゃあ、エスターさんの席はそこになります」
「はい」
私は先生に指定された席に座る。
教室の後方では護衛騎士であるアルお兄様とレオーネが、周囲に目を光らせています。
褐色の肌にブルーの入った白髪ボサボサのショートヘア、右目には眼帯をつけたレオーネは、女性にしては大柄な体格であり、整った顔立ちと相まって精悍な印象を周囲に与える。
戦場で戦っていた故かその身にまとう野性味に、思わず姉御と呼びそうになったのは内緒です。
「エスターさん、この問題を解いてもらえるかしら?」
「はい」
他の事を考えていたのがバレたのか、先生に解答を指名されました。
私は黒板に求められた問いの答えを説き解く。
「チッ……正解です」
先生、舌打ち聞こえてますよ?
この先生、私が授業を聞いてないからと明らかに難しい問題をだしてきました。
まぁ元はと言えば聞いてなかった私が悪いので、そんな事言いませんけどね。
その後は特に当てられる事もなく、順調に授業は進んでいきました。
「あっ……」
一限目の授業が終わる時の挨拶で、隣の席の子が消しゴムを私の足元に飛ばしてしまいました。
ふふっ、こういう時の対処はすでに考案済みです。
私は足元の消しゴムを拾い上げると、貴族令嬢らしい慎ましやかな笑顔でその子に消しゴムを差し出しました。
「あっ、えっと、ありがとうございます」
立ち上がりぺこりとお辞儀したその子は、そそくさと自分の席へと着席する。
ふぅ、なんとかやり過ごしました。
私が何故こうまで警戒しているかというと、公務や他の仕事がある時は学校を欠席できますが、それでもそれとなりの日数は授業に出席する事になります。
故に毎回、女性になる薬を使い続けるわけにはいきません。
そんな事をすれば直ぐに薬を使いきり、もうエステルの体に戻る事ができなくなってしまいます。
それだけはなんとしても避けなければなりません!!
私は危険を承知の上で女装した姿で学校に通うことに決めました。
だからこそ下手に行動を起こしたり喋ったりして、エステルだという事がバレる可能性を引き上げるわけにはいけないのです。
私はエマ達と話し合って、学校内では極力喋らずやり過ごそうという事になりました。
友達を作れと言ったウィルには申し訳ないですが、私にそのような余裕はありません。
そもそも、お父様がウィルの提案を断り、適当な理由をつけて学校に通わさなければ……はっ!
ま、まさかお父様は、私に薬を飲み切らせて女性化させようとしたのでは……そ、そんな事ないですよね?
以前、エステルがエスターなら良かったのに、って言ってたのは冗談ですよね!?
後日、私がお父様に問い詰めると、口笛を吹きながら明後日の方向に顔を逸らしました。
ぐぬぬ、口ではそう言ってても味方だと思ってのに……私をエスターに仕立てるのはいい加減諦めてくださいよ。
ちなみにその時後ろで、その手があったか! と手をポンと叩いたヘンリーお兄様とは、1ヶ月は口をきかないと決めました。
お読みいただきありがとうございます。
ブクマ、評価、感想等ありがとうございました。
アマリアとケイト、レオーネが初登場です。
怪我は大方回復しましたが、書きだめで完全に完成しきった部分を消化し終わったので、週一のスローペースが続きます、すみません。
そして短編も半分くらいで止まっていますが、こちらは本編を最優先させます。
その代わり、本作とは関係ない短編の書きだめを1ー2本放出しますので、ご興味がある方はどうぞ。




