第4話 本物になれない私達は。
確か今日の曲目は季節の調べだったはずです。
レヴァーヴが主体となる協奏曲の一つで、定番の楽曲とも言えるでしょう。
「エスター、弾けるのか!?」
「はい、問題ありません」
ヘンリーお兄様が驚かれるのも無理はありません。
家族でも私がレヴァーヴを弾けることを知っているのは、エスターとお爺様の2人だけです。
貴族令嬢は花嫁修行の一環として音楽の家庭教師をつけられますが、男子であれば基本的に家督を継ぐ可能性のある次男までしか習いません。
ただし、ウェストミンスター公爵のように音楽を嗜む家系であれば、そう言った事に関係なく全員が学習させられと聞きました。
エスターも貴族の慣習にならい家庭教師をつけましたが、彼女は天才すぎるが故に、一度習えば簡単に弾くことができてしまうのです。
一度の授業で弾けるようになった彼女は、興味を無くし次の授業から出なくなりました。
音楽の教師は基本的に苦学生やパトロンを探している音楽家などが多く、早めに授業を切り上げられるとお給金がもらえません。
たった1回の授業ではお金になるはずもなく、借金を背負っていた当時の教師に足に縋りつかれたため、見兼ねた私はお爺様に頼み、エスターの代わりに音楽を習う事になりました。
「ちょっとまってくれないか、モニカお嬢様はともかく、素人に毛が生えた程度ではこちらが困る」
指揮者と思わしき中年の男性が前に出る。
貴族に対しての物言いを注意しようとしたティベリアを私は手で制す。
今はそこで押し問答をしている場合ではありません。
「しかしこのままではどうしようもないだろ!」
「だからといって下手くそを弾かせるわけにはいかない、俺たちはプロだ!」
焦る楽団員は言い争う。
この流れはいけませんね。
私は立て掛けてあったレヴァーヴに手をかける。
こういうのは実力を見せた方が手っ取り早いでしょう。
私はレヴァーヴを肩に乗せ、軽く弾いて見せました。
「これは驚いた、お嬢さん、貴女の先生は?」
「ニコロ・カノーネ先生です」
借金まみれだったカノーネ先生ですが、現在レヴァーヴの奏者で彼以上の方はいません。
ただ、その悪魔的な演奏のせいで狂信者が多く、トレイス正教会から異端審問が開かれたほどです。
もちろん嫌疑不十分で事なきを得ましたが、この件がさらに先生の信奉者を増やす事になりました。
「ちょっと待てくれ、カノーネに弟子がいたなんて聞いてないぞ!?」
「当然です、その頃の先生はただの一介の学生でしたから、公にしているわけではありません……それに当時の先生は借金取りからも逃げてましたしね」
私の返しに指揮者もため息を吐く。
女好き、博打好で有名なカノーネ先生にとっては、もはや日常茶飯事といってもいいでしょう。
私も皇宮に来る前に、エステルの姿で一度街中で再会しましたが、笑顔で手を振りながら走ってきたかと思いきや、ちょっとだけ、ちょっとだけでいいからとお金を貸してくれとせびられました。
久し振りにあった教え子に、挨拶よりも先に金をたかる清々しいほどのクズっぷりに、思わず笑顔が引きつったのを覚えています。
ちなみにエスターと違って、エステルのレヴァーヴの才能は凡才だとカノーネ先生には評されました。
故にエスターに対しては敵意剥き出しのカノーネ先生も、好敵手になり得ない私にはとても優しかったです。
「お嬢さん、先程は無礼だった……貴女には独奏パートをお願いしたい」
「はい、お任せください」
これでレヴァーヴの2人はどうにかなりましたが、問題はセローとバスローネです。
私やモニカのようにレヴァーヴを嗜んでいる貴族は多くても、セローとバスローネの奏者を見つけるのはなかなか難しいのではないでしょうか。
「よし、ならばセローは私が弾こう」
振り返るとウィルが自信満々の表情で親指で自らを誇示していました。
「殿下……セローなんて弾けましたっけ?」
ヘンリーお兄様はウィルに疑問を投げかける。
「あぁ、過去に一度だけ習った、楽器なら一通り触った事あるから大丈夫だろう」
「「いやいやいや」」
一度習ったから弾けるとか、ウィルはさっきの話を聞いていなかったのでしょうか。
胡乱な目をした周囲を気にかける事もなく、ウィルは立て掛けてあったセローを軽く弾いて見せた。
「へっ!?」
驚くみなの横で、ヘンリーお兄様はまたいつもの事かと呟く。
そういえば忘れていましたが、ウィルはエスターやお父様のように天才肌でしたね。
「これで残りはバスローネだけですね……」
バスローネはセローよりも奏者を見つけるのが難しいです。
皇都の貴族学校では音楽の授業がありますが、バスローネを選択する人はよっぽどの変わり者……失礼、少ないのではないでしょうか。
「では、バスローネは私が弾きましょう」
「えっ!?」
想定外の人物の声に後ろから話かけられ、思わず素がでそうになりました……あぶないあぶない。
「これは驚いたな、ラトランドどうしてお前がここにいる?」
「殿下、私も招待客の1人ですから」
振り返ると、ラトランド公爵は手に持った招待状をこちらに見せる。
「所用がありまして先ほど到着したのですが、外の様子が少し騒がしく、何かあったのかと此方を訪ねた次第でございます」
激務故か、ラトランド公爵はいつもげっそりとした表情をしています。
しかしその身の丈は、高身長に分類されるウィル達3人組やアルお兄様よりも大きく、この場にいる誰よりも背が高い。
それに加えて、筒状の縦に長細い帽子や痩せた体を隠すための重厚な法衣のせいで、とてつもない威圧感に周囲はピリピリとしています。
ご令嬢の中には、その瞳に睨まれただけで腰が砕ける方もおられるとか……。
その上、舌打ちなどされた日には泡を吹いて気絶した方までもいると聞きました。
「そういえばラトランドはバスローネの名奏者だったな、あてにさせてもらうぞ」
「はい、おっちょこちょいな殿下がミスされても、私がカバーいたしますのでご安心ください」
そういえばラトランド公爵は、ウィルの教育係の1人でしたね。
お堅い印象の噂話ばかり聞く方ですが、このように砕けた感じのラトランド公爵が見られるのは、とっても珍しいのではないでしょうか。
「ほぅ、俺の心配よりも、俺の演奏で自らの演奏が霞まないように気をつけた方が良いぞ」
「ふっ……殿下、これは協奏曲なのです、目立っていいのは独奏を担当するエスター嬢だけですよ、婚約者の前だからと格好をつけたいのでしょうが、殿下もまだまだお子様ですね」
その言葉とは裏腹にお互いとってもいい笑顔をしています。
あれぇー? さっきまで仲良いのかなって思ってたのに、この2人って仲悪いんでしたっけ?
それとなくヘンリーお兄様に視線で確認を取ると、この2人はいつもこんな感じだと、両手を上げ首を横に振る仕草を見せる。
「ウィリアム皇太子殿下、ラトランド公爵、エスター様、ご協力感謝いたします、すぐに準備の方を整えますので今しばしお待ちください」
モニカはお辞儀をすると、楽団員と共に演奏の準備に取り掛かりました。
私も演奏に向けて少し準備をしないといけませんね。
「エマ、演奏までに急いで髪をセットし直します」
エマは私が指示するよりも早く、いつの間にやら髪を整えるための道具を取ってきていました。
今の私の髪は肩にかかるかかからないかの長さですが、演奏に集中するために少しアレンジを変えます。
「殿下、我らも着替えましょう」
「あぁ、そうだな」
ウィルとラトランド公爵も、普通の黒のスーツに着替えるために別室にむかいました。
ソリストを務める私はこの衣装でも問題ありませんが、2人は目立たない様に周りと同じ者を着用しなければなりません。
指揮者の方が私に独奏パート、ソリストを指定したのも、男性陣と違って着替える余裕がない事を配慮したのもあると思います。
主催としてこういう事態を想定して黒のドレスを着用し、演奏しやすいヘアスタイルにしていたモニカは流石と言わざるをえません。
「ありがとう、これでいいわ」
私はエマに礼を述べ椅子から立ちあがると、先ほどの指揮者の方が駆け寄ってきました。
「悪いが音を合わせてる時間はない、基本に近い形で指揮を振りたいが問題ないか?」
「はい、それで問題はありませんが、それでは少し構成が物足りなくありませんか?」
私たちは周囲の状況に視線を送る。
ウィルやラトランド公爵、モニカ、それに私が手伝ったとしてもそれは演奏を行える最低人数です。
レヴァーヴなど弦楽の人数が減れば、原曲の通りだと音の厚みが足りずに、少し見劣りるのではないでしょうか。
「……カノーネ先生が再構築したものであれば、この人数でもいい演奏ができるかもしれません」
カノーネ先生が再構築した季節の調べは原曲の4分の1だけを残し、その他を全て作り直すという大胆なものです。
普通であればそんな事をしたら多くは受け入れられないのですが、カノーネ先生はその圧倒的なセンスで周囲を評価をねじ伏せました。
それほどまでに先生の演奏は完璧で、私もその名演に心が震えたのを覚えています。
「私たちはそれでも問題ないが……ただそうなると、お嬢さんの負担が大きいのでは?」
貴族の中にはもちろんカノーネ先生の演奏を聞いた者も多くいます。
なにせカノーネ先生の演奏が聴けるなら、家財道具を売り払ってでも、借金をしてでもコンサートのチケットを買い求めたという実話までありますからね。
「問題ありません、私は凡才ですが、先生の演奏は完全に記憶していますから、過去の演奏をそのまま再現するだけなら可能です」
「お嬢さん……それは凡才とは」
「凡才ですよ、私には譜面を自らの解釈で読み解き、表現する才能はありませんから」
カノーネ先生が私を凡才と評した理由がこれです。
さっきの演奏も、カノーネ先生の完全模倣にしかすぎません。
私が先生から学んだのは演奏を再現するための技術がほとんどです。
あとは先生の演奏を見て、その全てを盗みました。
「そういうわけなので私の方では皆様に合わせる事は困難ですので、こちらに合わせて貰えると助かります」
「今回のソリストはお嬢さんだ、あとは此方がうまく合わせるから気にしなくていい、これでも一応プロだからな」
「感謝いたします」
私が指揮者の方と話していると、ノーマルのスーツに着替えたウィルとラトランド公爵が部屋の中に入ってきました。
ウィルは会場にいた背格好に近い従業員からスーツを借りたそうです。
身長が高いラトランド公爵は、こういう時に他の人から借りたり用意するのが難しいため、常に予備のスーツを持ち歩いていると聞きました。
私やウィルも長距離や長時間、会食がある場合は予備の衣服を用意するのですが、今回のように会食もなく短時間、皇都内の用事であれば予備の衣服は持ち歩きません。
まぁ殿方と違って、私の場合は衣服を持ってきていてもそう簡単に着替えられないのですけどね。
「エスター様」
振り返るとモニカが手にレヴァーヴのケースを持って立っていました。
「これをお使いください」
私はレヴァーヴの入ったケースを開く。
「これは……もしかしてカノーネ先生が使ってた物では?」
どういう事なのでしょうか。
これは先生が愛用していたレヴァーヴ、通称バルトロメオです。
「先生が借金の代わりに当劇場に置いておいた物でございます、今回は是非これをご使用ください」
楽器を良く見れば、これはバルトロメオを精巧に複製したものです。
そういえば点検の時のために、先生はバルトロメオを完璧に模造したバルトロメオレプリカを用意していました。
その違いはある一点を除けば製作者と先生にしかわかりませんが、私のような者でもその一点、裏の製作者の記名のおかげで見分けがつきます。
先生は女たらしですが、その女性たちより大切にしたのがバルトロメオでした。
そういえば先生が女性に振られる時は、だいたいバルトロメオが原因だったと思います。
私と楽器どっちが大事なのよ!
あの時の修羅場に巻き込まれた経験は、今でも忘れられません……。
私が過去に思いを馳せていると、手を叩く音で現実に引き戻されました。
「さぁ、そろそろ時間だ」
会場にいた者達の視線が指揮者に集まる。
「ぶっつけ本番だがそんな事はお客さんには関係ない、やるからにはいい演奏をしよう、行くぞ!」
「「「おぉっ!!」」」
円陣を組んだ私たちは気合を入れる。
レプリカとはいえ、バルトロメオががいるのは心強い。
これでより完璧に、先生の演奏を再現できます。
お互いに模造品なら模造品らしく意地を見せましょうか。
私はバルトロメオレプリカに口づけをし、勝負の舞台上へと向かった。
お読みいただきありがとうございます。
すみません、前回予告したウィルとのいちゃつきはどこかに飛びました。
代わりになぜかラトランド公爵とウィルがいちゃついてます。
あれ、どこの話と勘違いしてたんだろう、ほんとごめんなさい。
なお楽器はレヴァーヴはヴァイオリン、バスローネはコントラバス、セローはチェロに近いものだと思えばイメージしやすいです。
以下元ネタです。
季節の調べ→ヴィヴァルディの四季
カノーネ先生→パガニーニ
バルトロメオ→ガルネリ
演奏構成はマックス・リヒター版の25%のヴィヴァルディを参考にしています。
電子音の再現は、主要人物に関係ないために本編では語りませんが、魔法を用いた楽器によるものです。
ヴィヴァルディの四季を覆すような演奏といえばこれしかありません。
ジュリアーノ・カルミニョーラ版と少し悩みましたが、そのレベルのイメージで聞いていただけると幸いです。
ちなみにヘンリー、ウィルフレッド、ティベリアも音楽を習っているので演奏できますが、演奏会でプロに混じるレベルではありません。
あと一応、エステルの完璧模倣は伏線です。
カノーネはエステルの事を凡才と評していますが、覚えてくる事をそっくり再現できるだけの技術はあるので、演奏技術は普通にプロと同等レベルです。
そして最後に、私事ではありますが、先週左手を負傷したために、指の曲げ伸ばしが困難なために執筆が遅れております。
右手一本だとどうしても遅くって……、今回の話も書き溜めを放出しています。
しばらくは週一連載になります、ごめんなさい。
最後にブクマ、評価、感想等ありがとうございます。
次話の演奏回は他者視点になるために4.5話になりますが、本編扱いになります。よろしくお願いします。




