第3話 無間地獄の中、さらなる恐怖が舞い降りる。
小鳥のさえずる音が朝を告げる。
うっすらと目を開けると、カーテンの隙間から漏れる朝の光が、暗闇の中に佇むエマさんを照らす。
「おはようございます、エスターお嬢様」
今までの私であれば、ここで驚き、ベッドから飛び上がった事でしょう。
しかし、それはもはや過去なのです。
「おはようございます、エマ、本日もよろしくお願いいたします」
私は、起こしてくれたエマさんに微笑みを返し労います。
「では、他のメイド達がくる前に、湯浴みをして着替えを済ませましょう」
皇宮に来て数日、エマ先生の教育のおかげもあり、私がエステルである事は誰にもばれてはいません。
湯浴みや着替えなどは全てエマさんが対応し、就寝時に側に仕えるのもエマさんです。
それにしても、ここに来て新たな疑問が増えました。
エマさんっていつ寝てるんでしょうか?
「どうかなさいましたか?」
私の思考を読み取ったのか、エマさんと目が合います。
私とした事がいけませんね、あまり他人を詮索するのはレディに有るまじき行為です。
なによりこれ以上の詮索は、自らの命を危険に晒す事になりかねません。
藪をつついて蛇がでるなら可愛らしいものですが、ドラゴンが出てはどうしようもないですから。
先程、目があっただけで、蛇に睨まれたカエルのような顔になりかけた私には荷が重すぎます。
「エマに頼りっぱなしで、少し申し訳なく思っただけです」
訳 せめて、湯浴みや着替えの時くらい1人にしてください、思春期の男の子なので恥ずかしいです。
「まぁ、エスターお嬢様をお世話するのは私のお役目にて御座います、お気になさらないでくださいませ」
訳 湯浴み中も、着替え中も、もちろん、就寝中も片時も目を離さず監視してますよ。
「ふふふふふ」
「ほほほほほ」
さて、朝から下らない冗談を言ってる場合ではありません。
皇后様との朝の食事に向けて、気合を入れ直します。
ここにきてから、数日、食事は皇后様とご一緒する事が日課となりました。
しかし、皇后様は怖……とても物静かなお方で、会話がほとんどございません。
まぁ、会話がないのであれば、それはそれでバレる心配もないので、その点ではよいのですが、さすがにずっとこうでは息苦しくて仕方がないです。
「今日はなんとか皇后様と会話できれば良いのですが」
私のつぶやきにエマさんも頷きます。
エマさんは、湯浴みを終えた私を手早く着替えさえ髪をセットすると、仕上げのメイクに取りかかりました。
エステルとエスターは双子で顔が似てますが、男女の個体差なのか、微妙に差異があります。
メイクが無くてもばれないレベルですが、ここは慎重に行った方がよいでしょう。
なにせ此方は、私だけではなく家族やエマさんの命もかかっているので必死です。
「参りましょう」
完璧なエスターへと仕上がった私は、エマさんを伴い戦場に向かいます。
ようやく、私の真の実力を見せる時が来たようですね。
1ヶ月以上に及ぶ地獄のトレーニングを、今こそ披露してみましょう。
◇
ごめんなさい、もう心が折れそうです。
なんとか勇気を振り絞り会話を投げかけてみましたが、朝食はおろか昼食さえも、その凍てつく視線により返り討ちに会い、逃げるように自室へと戻りました。
「やっぱり私には無理なのでしょうか?」
皇后様は、養母様や母様とはご学友で親友だったと聞いていたので、まさかこのような状況に陥るとは思ってもみませんでした。
「うーん、皇后様の視線には少し違和感があるんですよね」
どうやらエマさんは、私程度では感じられない何をか感じ取った模様です。
私のような若輩者と違って、年の功という奴でしょうか?
そういえば、エマさんは見た目だけなら若く見えますが、私が初めて見た10年以上まえから全く姿が変わってないような……。
「エスターお嬢様?」
ヒエッ……エマさんの殺気に思わず身震いします。
喉元にナイフを突きつけられたような感覚に、首が繋がっているか思わず確認してしまいました。
この人、やっぱり心が読めるんじゃ……。
私の心の疑問に、エマさんは笑顔を返されます。
もう、追求しません、ごめんなさい。
「え、えぇっと、違和感というか、気になった点があれば教えていただきたいのですが?」
何かヒントの一つでも得られるであれば、それに越した事はありません。
藁をも掴むとはこの事でしょう。
「そうですね……まず、本当に皇后様がエスターお嬢様を嫌ってるのであれば、毎回、ご一緒に食事などなさる必要はございませんし、嫌味の一つでも言って来るか、嫌がらせをしてくるはずなんですよ」
確かにエマさんの言う通り、ここに来てから皇后様や他の者達に嫌がらせされた事はありませんし、何かを言われたことはありません。
食事に関しても、皇后様が望めば一緒に取る必要はなく、別々に取ったりしても良いわけです。
「あとは食事ですね、初日から必ず一品、公爵領の伝統料理が提供されております、これは、領地を離れたエスター様が寂しくされないようにという配慮のように思います」
そういえば、そうですね。
初日の夕食で提供されたジビエは、公爵領で取れるべキャスが使われてました。
先程の朝食も、ビシソワーズに使用された葱は帝国で広く使用されている物ではなく、公爵領で取れる品種を扱い、味付けもこちらに近かったように思います。
「本当にエスターお嬢様の事がお嫌いであれば、このような待遇はありえないと考えています」
私はテーブルに置かれた紅茶に視線を落とす。
そういえばこの桃の香りの紅茶も、会話の際に私が美味しいと言ってから部屋に常備されるようになりました。
「確かに、これでは嫌われているというより、寧ろ好かれているような気さえします」
ますます、わけがわからなくなりました。
それならば、なぜあの様な態度なのでしょうか?
正直、目が会うたびに、股間がキュッと締め上げられるほどの視線に貫かれるのは辛いです。
私が皇后様の事を考えていると、来客が来たのでエマさんが対応のために手前の部屋へと移動しました。
皇宮で来客の場合は、基本的に他の侍女が手前の部屋で取り次ぎ、エマさんに判断を委ねます。
案件によっては、私が対応する事があるので気は抜けません。
「失礼します、エスター様に皇后様から贈り物でございます」
噂をしていればなんとやら……でしょうか、皇后様付きの侍女が来たので部屋の中に通します。
皇后様の侍女は、見事に咲きほこるピンクのバラの花束を抱えてきました。
「まぁ、これはエスターですね」
エマさんの言うエスターというのは私の事ではない。
この薔薇の名称の事で、エスターが生まれた時に、品種改良でできたバラにお祝いで名付けされた事が由来となっております。
私は届けてくれた侍女を労い、皇后さまに感謝を伝えるように言伝をお願いいたしました。
「やはり、嫌われてはないようですね……」
エスターの花束は侍女達により手早く生けられ部屋を彩ります。
「エマさん、返礼品の手配の方お願いできますでしょうか?」
贈答品があった場合は言付けだけを先に伝え、後にお礼状と共に返礼品が送り、返礼品を受け取った側は言付けではなく、その場でお礼状を認めて返す事が一般的なマナーの流れとなります。
「それでは、このあと公爵邸の方に行く用事があるので、その時に見繕っておきますよ」
私は公爵邸には戻れませんが、エマさんは別です。
最初は警備の問題から反対されたようですが、公爵家の正確な定期連絡のために必要だと、お父様が皇宮側を強請……説得し認めさせました。
「わかりました、それではエマさんが不在の間は部屋でお礼状を認めますわ」
エマさんが不在の間は下手に出歩くべきではないでしょう。
「それがよろしいかと、他の侍女たちには、書状を認めるのに集中されたいので部屋に入らないように、と伝えておきます」
流石はエマ先生、気が利いています。
「そうですね、では、よろしくお願いいたします」
エマさんは、侍女に手早く指示を出し部屋からでていきました。
つまり、今この瞬間、部屋の中には私……そう、俺しかいないのである。
「はぁーっ」
俺は足を開き、ソファーにだらーっともたれかかる。
ここ数日、本当に疲れた。
部屋の中にはエマさんもいるから、どこに居てもまったく気が休まらない。
故にこういう時間帯はとても重要だ。
本当は直ぐにでもお礼状を認めなければならないのだが、ちょっとくらいサボっても罰はあたらないはず……。
そう油断し、完全にだらけきっていた俺は、突然のノックに驚く。
「ど、どうかした……しましたか?」
ふぅ、なんとか誤魔化せた。
危ない、危ない……。
「ご来客でございます」
よりにもよってエマさんが居ない時に、一体誰なんだ全く。
俺……私は、気持ちを落ち着けるために紅茶で喉を潤す。
「皇后様がお見えになりました」
ぶっ、思わず口に含んだ紅茶を吹き出しそうになる。
皇后様が直接乗り込んで来るとか、私、何か粗相しちゃいました?
お読みいただきありがとうございました。
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作中の小ネタ
べキャスは山シギの事で、日本でも一部のお店では実際に食す事ができます。
ビシソワーズはジャガイモの冷製スープの事で、ネギが違うと言うのはポロネギに当たります。