第26.5話? 婚約前夜のウィリアム。
すみません、今回、過去最高に長いです。
疲れた体に鞭を打ち、俺は目的の部屋へと駆け足で歩く。
ベッドフォード公爵襲撃事件からはじまり、エスターの誘拐事件、そして機関車爆破事件。
それら全てを解決し事後処理が終わった今、あとは明日の婚約の儀に備えるだけであった。
「これは、いったいどういこう事ですか!?」
俺は勢いよく小会議場の扉を開く。
席の中央には、俺の父親である皇帝陛下。
そして左右の席には何人かの上級貴族家当主達が着席していた。
周囲には子爵以下の下級貴族達が立席している。
「ウィリアム……まずはそこに座りなさい、私もここに来たばかりだ」
頭を抱えた父上は、俺に対面の席に着席するように促す。
俺は一旦、落ち着くために軽く息を吐き、言われた通りに着席すると父上はラトランド公爵へと顔を向ける。
「ラトランド公爵、深夜にも関わらず、此度の招集の理由を聞こうか」
出席した者たちの顔ぶれを見て、嫌な予感が確信に変わる。
この場にサマセットや、ベッドフォードがいないのは意図的だろう。
臨時議会は必ずしも全員が参加する必要はない。
召集した時点から、決められた時間内に召集に応じる事が出来る者達で行われる。
臨時議会は常時であれば議員の過半数、戦争時であれば議員の3分の1以上が集まらなければ、国家運営の根幹に関わる様な問題は議題にはできない。
しかしそれ以下の人数でも、国王の裁量内の案件であれば議題にあげることが可能である。
「まずは深夜にも関わらず、皇帝陛下、それに皇太子殿下にお越し頂けた事を深く感謝いたします」
司法大臣を務めるラトランドは規律に厳しく、財務大臣のリッチモンドと並び融通が効かない事でも有名だ。
貴方の提案には整合性が欠けています……何度この言葉を前に、俺の提案は却下された事だろうか。
だからこそエスターの手助けで、平民議会設立の案件が通った時には驚いたな。
エスターの事も、最初は親の紹介した相手などと思っていたが、彼女は今までの社交界で出会ったどの女性とも違った。
媚びへつらう事もなく、かといって可愛げのない事もない。
時折見せる照れた顔もかわいいが、物事を深く思案している時に見せる大人びた顔には思わず私も色気を感じてしまう。
そういえば彼女は気づいていないかもしれないが、下劣な男たちに向けるゴミ虫を見るような蔑んだ視線、あれは逆効果だ。
この女を手に入れたらどうなるのかと、劣情を掻き立てた男は多いだろう。
まぁそういう不埒な輩には、俺とヘンリーとフレッドが全力で殺気を飛ばして牽制したがな。
おっと、少し話が脱線してしまったが、おそらく今回の議題は、そのエスターに関わる事だろう。
「議題は明日の婚約の儀にも関わる事でしたので、急ぎ臨時議会を開かせていただきました」
ラトランドは立場的には中立だが、エスターの父親であるサマセットと対立している事はない。
そしてこの国がちゃんとやれているのは、宰相のサマセット、財務のリッチモンド、司法のラトランドがしっかりしているからだ。
「オークニー伯爵、前に」
オークニー……確か、誘拐事件の時につっかかってきた者の父親か。
ラトランドに紹介されたオークニーは席を立ち、父上にこうべを垂れる。
「議題は皇太子殿下の婚約者であるサマセット公爵家エスター嬢の事です」
もったいぶる様に周囲を見渡したオークニーは、わざとらしく両手を広げる。
「今回の件で、多くの下級貴族からの不安な声が私の元へと届けられております」
オークニーの言葉の真意を、父上が尋ねる。
「不安な声?」
「はい、拐かされたエスター様は穢れておるのではないのかと……」
ざわつく周囲の様子を伺うと、周りの反応は様々であった。
議題を知らされていなかった者達は、お互いに顔を見合せていた。
にやついた表情を見せる者は、オークニー同様、今回仕掛けた側の派閥だろう。
くだらない貴族同士の派閥争いのために、エスターが利用される事や、息子同様、オークニーの下衆な勘ぐりには怒りを覚えるが、今は感情を落ち着かせる。
「皇太子殿下の婚約者、つまりは将来の皇后陛下であり、我ら臣民の国母となられるお方が、もしも……もしもですよ! 誰とも知れぬ血筋の子供を産むという事があってはならぬはずです!!」
彼らの狙いはエスターを婚約者から除外して、自分たちの身内から将来の皇后を出そうという魂胆だろう。
この国の派閥は、ベッドフォードを中心とした皇族を支持する貴族主義派と、サマセットを中心とした国家を基盤とする帝国主義派閥の2つが二大派閥とされている。
その上で中立である者もそれなりに多く、トレイス正教会の意向に従う教会主義派閥も少なくはない。
オークニーの様な者は、その中でも貴族主義派からさらに分裂してできた新貴族主義派閥と呼ばれる者達だ。
新貴族主義と貴族主義は名称こそ似通ってはいるが全くの別物で、皇族を頂点として貴族達がいると考えている貴族主義と違って、新貴族主義は、俺たち貴族が皇族を支えていると考えているのである。
「貴殿の言い分は理解した、ラトランドお主はどう考える?」
父上はラトランドに話を振る。
「司法の観点から申し上げれば、婚約自体には問題がありませんが、子供ができた場合はいくつかの項目に抵触する可能性が高いでしょう」
皇族は配偶者を除き、皇位継承権が付与される子息には、皇族の血が流れている事が前提条件とされている。
以前の皇帝が未亡人と再婚した時には、前の夫との子息を正教会に預け出家させた事例もあるそうだ。
それならまだいい方だが、後々の諍いの種にならぬ様に、罪のない幼い子供の命を奪ったいう話も聞いた事がある。
「そして不在の大法官に代わって発言させて頂くと、戒律の問題から、トレイス正教会から婚約が認められない可能性があります」
司法行政権を執り行う司法省の頂点が司法大臣であるのに対し、大法官は皇族に対する仕来りや法規を管理している。
元々は大法官が全てを管理していたが、皇族を他の者と同一に扱うのはどうか、と問題になった。
その結果、2つの役職に別れ、序列としては大法官の方が司法大臣より上だが、実際に司法に携わるのは司法大臣の仕事になる。
少しややこしいが、司法に抵触すれば皇族の案件でも司法大臣として申し上げる事が可能だ。
逆に司法外に抵触する場合は大法官が申し上げる事となるが、このように大法官が不在の場合、司法大臣が代理で申しあげる事となっている。
「ふむ……それではお主たちの憂いを晴らすために、今より彼女を診断し、状況を検めるという事ではどうか?」
「勿論でございます、そのために此方も、今動くことのできる医師や巫女を複数、隣の部屋にて待機させております」
なるほど、こいつの狙いは最初からそこか。
貴族の1人が挙手し発言する。
「オークニー伯爵、診断には皇族専属の従医を使うべきだ」
「それでは安心できませんな、ここは公正を期するために、皇族とは離れた立場の者を使っていただきたく思います」
この場にベッドフォード公爵が居れば、オークニーの首を絞め上げ声を荒げたであろう。
貴族派の者達からは不敬だと野次が飛ぶ。
「公正を期すると言うならば、其方が用意した者に診断させるのも認められぬ!」
「いいでしょう、それならば婚約を延期し、後ほど改めて診断を行いましょう」
どっちの展開にしろ、このままではオークニーの思う壺だろう。
俺は挙手し席から立ち上がると、みなの視線が此方に集まる。
「オークニー、お前達の言いたい事はよくわかった」
「おおっ、流石は殿下です」
俺は改めて周囲の者達に自らの意思を示す。
「しかし私には、エスター以外の女性と添い遂げるつもりはないし、婚約の儀を延期するつもりもない、皆にはこの発言の意味を深く考えてほしい」
脅しとも取れる俺の発言に、貴族達の表情がピリつく。
「殿下! なぜそこまでエスター嬢に拘られるのですか!?」
自分でもどうかしているのだろうと思う。
だがもはやこれは理屈などではない。
俺の本能が彼女以外とはあり得ないと言っている。
攫われたと聞いた時は、ずっと心が落ち着かなかった。
そして彼女を見つけた時、あの振り向きざまの笑顔と、私をウィルと呼んだあの声に、私は完全に堕とされてしまったのだろう。
飛び降りた彼女を受け止めた瞬間、あぁ、俺もただの1人の男なのだと知ることができた。
「くどい! たとえ彼女の身に何があったとしても、私のこの愛は揺るがぬ」
俺の覚悟を前に、周囲の貴族はお互い顔を見合わせる。
父上は前のめりになると、こちらの真意を問いただす。
「ウィリアム……その発言の意味がわかっているのか?」
「ええ、もちろんです皇帝陛下、愛する女性1人を守れぬ男が、一体誰を守れるというのでしょうか?」
この場で俺が取れる行動はいくつかあるが、そのどれもが苦し紛れでしかないのは俺が一番わかっている。
まず考えられるのは、自らが皇籍を離脱する事をちらつかせて、父上と貴族派に法や戒律の改正を促す事だろう。
今の皇位継承権を保持しているのは俺1人、皇族断絶の道を辿るか、俺の意向を汲み取るか、その選択を迫る。
「皇帝陛下、私の覚悟はすでに決まっております、いかなる事があろうとも、彼女の全てを、この身でもって受け止める事を誓います」
俺は耳につけたイヤリング、小さな龍笛に軽く触れた。
これはレヨンドールを呼び出すための道具であり、エスターも同じ物を持っている。
「彼女を婚約者に選んで頂いた事には感謝していますが、事態が進展しないのであれば、私もさらに一歩踏み込まなければなりません」
抽象的な発言に留めているものの、これ以上の発言や行動をとればもはや後には引けないだろう。
この手はできれば使いたくないが、今この場で俺自らが内乱を起こし、父上から政権を簒奪する事も1つの手だ。
またオークニーを含め、新貴族派をここで粛清し無理やりだまらせる方法もある。
だが、どちらの方法も武を持って解決に当たれば、反発する者も出てくるだろうし、後々、自らの首を絞めるだけだろう。
そして何より、個人的にはどちらの手段にしろ、好ましい展開だとは思ってはいない。
だからこそ実際に行動するのではなく、それをちらつかせ交渉のテーブルに引きずり込むのが俺の目的だ。
こちらがそれくらい本気であると思わせるためにも、まずは相手に此方の真剣度を悟ってもらわなければならない。
先ほどの仕草で、聡い者であれば私が既に空中にレヨンドールを待機させている事は気がついたはずだ。
一触即発の雰囲気の中、1人の貴族が声を上げる。
「一言よろしいでしょうか?」
全員の視線が発言の主、カーライル伯爵に集まる。
「エスター様の案件について、その問題はすでに解決済である事をご報告申し上げます」
「は!?」
オークニーは素っ頓狂な声を上げる。
「ここにエスター様の診断書があります」
カーライルの提示した診断書には、今日の日付が記載され、彼女に穢れがない事が示されていた。
「これをもって彼女が純潔であると、私はこの場で証言いたします」
予期していなかった事態に、オークニーは一瞬怯む。
「そ……そんな診断書はみとめ……」
「オークニー伯爵、不用意な発言の前に記名者の名前をご確認される事をお勧めいたしますよ」
診断した女医の名前は、ラフィーア・イスハーク。
他国の医者だが、彼女ほど有名な医者もいないだろう。
戦地で生まれた彼女が、医者であった父親の元で頭角を表すのにそう時間はかからなかった。
未だ20代後半と聞くが、ほぼ全ての医療従事者が現時点で最高の医者は誰かと尋ねると、大半の者は彼女の名前を出す。
またラフィーアとは別に、エスターの身体を検めた皇宮侍女の診断と、2人の診断を認可したウィンチェスター侯爵とマールバラ公爵のサイン。
そしてトレイス正教会本部の巫女が診断したとしてジョヴァンニ・ロッシ司教枢機卿と、我が国の大法官であるウェストミンスター公爵のサインが入っている。
「えっ……あっ……ぅ……」
オークニーだけではない、周りの者たちの顔も青ざめていく。
ただでさえサマセットとベッドフォードという二大派閥に喧嘩を売る行為なのに、大法官は式典では宰相であるサマセットよりも位が高く、ウィンチェスターやマールバラも敵には回したくない男だ。
ましてやジョヴァンニ枢機卿は、トレイス正教会の序列第2位と聞く。
その診断に異を唱えるということは、トレイス正教会をそのまま敵に回すという事だ。
それにしてもラフィーアや司教枢機卿がこの国に滞在しているとは初耳だが、偶然にしては出来過ぎだろう。
「ふむ、これならば問題ありませんね、では、ほかに意見のあるものは?」
診断書を確認したラトランドの言葉に、周りの者たちは沈黙をもって返す。
「では、これにて臨時議会を終了する、よろしいですかな、陛下?」
「ああ、構わぬ、それでは皆の者、明日はよろしく頼むぞ」
呆気に取られた貴族を他所に、ラトランドはあっさりと議会を終結させ、部屋から退室する皇帝陛下を見送る。
まさかのあっさりとした幕切れに、陛下が去った後の小会議場はざわついた。
俺の発言すらも宙に浮き、梯子を外された形とたなった新貴族派は呆然としている。
この場からすっと退出したラトランド、リッチモンドはこの展開を予測していたのか、最後まで表情を崩さなかった。
「カーライル!」
俺はラトランド、リッチモンドに続き、部屋から退出し通路を歩くカーライルを呼び止める。
「先程は助かった」
「いえいえ、私はお使いを頼まれてだけですので……」
飄々としたカーライルに対し、俺は怪訝な表情を見せる。
「お使い?」
「ここではなんです、こちらへどうぞ」
俺たちはすぐそばにあった小部屋へと入る。
「こちらをご覧ください」
カーライルは薔薇の押し花がついた手紙を俺に手渡す。
中を開くと、そこには見覚えのある字でただ一言。
『あの時の返礼品を頂きたく思います』
送り主の名前はないが、この薔薇の押し花は間違いなく彼女のものだ。
「なるほど、そういうことか」
エスターは最初からこうなる事がわかっていたという事だ。
あの時のお礼というのは平民議会の件の事だろう。
カーライル伯爵に俺への、ひいては皇族への渡りをつけた事に他ならない。
「そういえば、貴女はただで守られる女性ではなかったな」
エスターを守るつもりが、逆に彼女に守られてしまった事に悔しくもあり嬉しくもあった。
「しかし、よくこの面子からサインを得る事ができたな」
「殿下……それに関しては、恐らくエスター様の与り知らぬ所だと思います」
カーライルの目つきが鋭くなる。
「ウィンチェスター侯爵、マールバラ公爵、ウェストミンスター公爵の助力が得られたのは、恐らくエスター様の想定外だと思われます、私も本来であれば別の者に許可を願い出ようと思いました」
サマセットもそうだが、この3人は最初から最後まで議会場に姿を見せる事もなかった。
本来ならばその時点で気がつかねばならなかったのである。
全てを読み切るサマセットが、この事態を想定していなかったとは考えづらい。
つまりサマセットは、自分の娘であるエスターが対処できると確信を得ていたのだ。
「エスター様に目をつけられた先行投資なのか、それとも殿下や皇帝陛下、サマセット公爵に借りを作りたかったのか図りかねますが十分にご注意ください」
俺はカーライルからの忠告に頷く。
「忠告感謝する、此方の方でも探ってみよう……呼び止めてすまなかったな、もう下がって良いぞ」
「はい、それではまた後ほど、婚約の儀で」
カーライルは拝礼すると、部屋から退室する。
俺は今日のこの一件で自らの至らなさを思い知った。
この展開を最初から予想していれば、もっと上手くやれたはずなのに、結局エスターや他の者達に助けられただけである。
今になって父上の言葉が、俺の心に重くのしかかった。
果たして俺は本当に覚悟ができていたのだろうか?
父上には俺の浅はかな考えなど、見透かされていたのかもしれない。
そして父上もラトランドやリッチモンド同様、こうなる事態を予測できていたのではないか。
そう考えると、自らの至らなさに恥ずかしくなる。
だからこそ、例え恥ずかしい思いをしても泥臭くても、これを糧として俺は成長しなければならないのかもしれない。
「……俺は、エスターを守りたい」
俺は決意を新たに、自らが変わることを自身に誓った。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
今回は長くてすみません。
本当ならこの後、少会議後の通路でのラトランドとリッチモンドの会話を入れる予定でしたが、8000字に迫る勢いなのでやめました。
今回は結構重要なこともでてて、ちゃんと本編でやった方がよかったかなと反省しています。
エステルはこうなる事を予測して、お風呂に入るために自室に戻った際に、カーライルに向けて手紙を送っています。
本編では語られていませんが、鈍感なエステルにとって予想外だった事はもう一つあって、それはウィリアムの行動でした。
エステルはウィリアムにここまで愛されていると気がついていないので、自分のためにウィルがそこまで踏み込むとは考えていません。
ちなみにラトランド司法大臣やリッチモンド財務大臣は、部屋に入った時点でサマセットがいない事を確認した時点で、これが茶番である事と、自らがいいように利用された事に気がついています。
サマセットはエスターが対応する事も、マールバラ、ウィンチェスター、ウェストミンスターが動くことも想定しています。
故にラトランドは心の中で二度ほど舌打ちしているのですが、ポーカーフェイスのためウィリアムは気がつきませんでした。
なお後ほど本編でも触れると思いますが、ウィリアムの幼少期の教育係はその3人でした。
さらにいうと、ラトランド司法大臣の先生はウェストミンスター大法官です。
ここから先は大臣達やその子供も話に絡んでいきますが、その分、登場人物が多いのでかなり不安です。
極力、久しぶりに登場したキャラクターには前説をいれるようにしておくつもりなのでご了承くださいませ。
最後に、ブクマ、評価、感想、誤字修正などありがとうございました。
また現在、本編執筆中のため、来週の幕間は更新できるかどうか怪しいです。
本当は幼少期やろうと思ってたんですが、此方の事情により半分書いた後でボツになったので、代わりの話を用意するのは難しいかなと……。
それでは、来月あたりには再開できるように頑張りますので、次回更新までしばしお待ちください。
追記
金曜日9月13日から第2部スタート予定にしています。




