第21話 何かを失って初めて、人は自らの無力さを知る。
「はぁ……」
鏡に映る自身の姿を見て、思わずため息が漏れました。
婚約の儀を明後日に控えるせいか、気持ちが少し億劫になります。
晩餐会の時にお爺様からのお手紙を頂いたものの、エスターはまだ見つかってないと書かれてしました。
本当に私の姉は、どこに行ったのでしょうか?
今の私には、無事である事を祈る事しかできません。
「エマ、確か今日は平民議会設立に向けた視察の日でしたね」
「はい、議会場の建設予定地への視察が、お昼からのご予定に組み込まれております」
議会となる場所は、1から作られる事が決まりました。
議会としてそのまま使える建物はなかったらしく、古い建物を改装や改築する事で転用できないかと試算したそうです。
その結果、費用対効果を考え、別の用途で使う予定にした更地に、新しく建てた方が良いという事になりました。
新しく建築する事に関して利点があるとすれば、改装や改築より長く運用する事ができ、将来的な修繕費を抑える事ができます。
また、工事のために多くの人員を必要とするために新たな雇用を生み出し、建築に使われる製品の質や職人達の技術の向上、技術の継承問題を解決する等、多くの利点があるでしょう。
特に技術の継承問題では、大きな橋の建築など高度な建築技術を要するもののために、定期的に立て替えたり新築して、国家レベルで職人の質を維持する必要があります。
災害で橋が壊れたけど、修復できる職人が足りません、いませんでは国は成り立ないでしょう。
国内で工事ができない場合は、他国の仕事を受注しますが、その場合、技術の流出は免れません。
こういった表面に見えない部分を含めて、我々のような者達は広く勉強し、物事を長期的に深く考える必要があります。
「出席者は聞いてますか?」
「ベッドフォード公爵とカーライル伯爵、バーナード男爵夫人ルーシー様は参加されると伺っております、他にも……」
エマさんは次々と貴族の名前をあげる。
ベッドフォード公爵とカーライル伯爵以外の参加者達は、私やルーシー様のように出資者に名を連ねる者たちです。
何故か晩餐会の後、出資する人が増えたとか……。
「なるほど、わかりました」
どうやらウィリアムは他の案件での執務のために、今回は欠席するようです。
またウィンチェスター侯爵も、急用の案件が入ったために今回の会合には参加しないようですね。
ウィリアムはともかく、私の秘密を握っているウィンチェスター侯爵とは、あまり会いたくなかったので助かりました。
◇
騎士達による護衛の元、視察に訪れる貴族達の馬車が列を連ねる。
「ここが市議会の場所になります」
目的地に到着し、馬車から降りると目の前には何もない更地が広がっていました。
ここはもともと貴族の1人が所持していた土地で、カーライル伯爵と組んで新たな商売を始める予定にしてたようです。
川に面したこの区画では、大きな公園を挟んだすぐ反対側に行政機関があり、すぐ隣には川を移動するための小型の船着場や橋があるので、とても利便性に優れているといえるでしょう。
この区画では現在、私達の視察のために、誰も入れないように騎士たちが通行規制しているせいか、いつも多くの人がいるであろう公園からは人の気配がしませんでした。
「いいところですね、少し歩けば商業店舗が立ち並ぶ区画もありますし、緑が多いのも個人的にはいいと思います!」
はしゃぐルーシー様の隣で、私は皇城のある方向に視線を向ける。
皇城からこの建物の間には大きな建物1つありません。
皇城から平民議会を見下ろすこの立地に決まったのは、貴族派閥のベッドフォード公爵の意向が感じられます。
明確な力関係、貴族の管理下に平民がいるという事を遠からず揶揄しているのでしょう。
「君はこの立地に不満か?」
振り向くと私の隣にはベッドフォード公爵が立っていました。
ルーシー様はいつの間にやら私の側から離れ、他の出資者達と話し込んでいるようです。
「いいえ、川を隔てた向こう側には宿泊所もありますし、立地的にこれ以上の場所はなかなかないでしょう」
私が笑みを返すと、ベッドフォード公爵は更地の方に視線を戻す。
「エスター嬢は昔、ここに何があったか知っておるか?」
確か更地になる前は倉庫だったと聞いてますが、その前に何の建物が建っていたかは存じておりません。
私はベッドフォード公爵の質問に、首を横に降ります。
「ここはその昔、処刑場があってな……水磔で多くの者達が命を落とした場所である」
水磔というのは、水責めによる処刑の一つ。
過去には教会が、異端者の信条を強制的に転向させるために用いたといわれています。
その凄惨さを想像すると、背筋が震えました。
「お主は殿下に加担し、貴族制度に対して一石を投じた」
帝国は大きくなりすぎました。
このままいけば、いつの時代か平民達はいずれ自ら議会を立ち上げるでしょう。
だからこそ私たち貴族が主導で立ち上げる事に意味があります。
「もし私を抱き込むのであれば、教会にも一石を投じるつもりで来い、それが私からの返答だ」
ベッドフォード公爵は私にしか聞こえないようにそう呟くと、この場から離れていった。
教会と公爵の間に何かある? そんな情報は入ってきてません。
むしろ公爵は、敬虔な信者として有名であり、そんな噂すらなかったはずです。
思わぬ貴重な情報に、手袋の下の掌が汗ばむ。
「どうかされましたか? 体調が優れないのであればそこに座ると良いですよ」
よりによってこのタイミングで話しかけてきますか。
私は直ぐに表情を取り繕い、話しかけてきた者に微笑みを返す。
「お気遣いありがとうございます、カーライル伯爵」
穏やか、人畜無害、優しそう……カーライル伯爵に対する第1印象を人に聞くと、大抵の人はこう答えるでしょう。
だからこそ伯爵はその見た目と、物腰の柔らかさを武器に、自らの商会を拡大すると共に財を築きあげました。
「これはこれは、サマセット公爵家のエスター様でしたか……出資者として、この場所にはご満足いただけましたか?」
「ええ、ここに議会が建てば、対岸の再開発も進むので良いのではないでしょうか?」
その再開発にカーライル伯爵が噛んでるいるのは知っています。
さて、カーライル伯爵はどういう対応を見せるでしょうか?
「ええ、いくつかの話が私の方の商会にも入って来ております」
素直に答えるとは結構意外でした。
普通なら、そんな事ありませんよ、と形式的にはぐらかす者は多い。
「そういえばサマセット公爵も、幾つか対岸に良い土地をもっていましたね、どうですか? 今度よろしければお話をしに伺っても?」
なるほど……そう来ましたか。
私を通してお父様に話を繋ごうとは、この人、なかなか図々しいかもしれません。
「そういう事でしたら、直接、本人の方にお伺いを立てた方が早いと思われます……私も直ぐに、連絡がつく状態ではありませんので」
これ以上の面倒ごとを抱えるのはごめんですね。
私がやんわりとお断りすると、カーライル伯爵は表情を変えず言葉を返す。
「わかりました、エスター様に伺ったら、直接話してみてはと言われたので、と伝えておきますね」
カーライル伯爵に、お父様に会うための口実を作ってしまいましたね。
おそらく最初からこれが狙いだったのでしょう。
まぁ、私が下手に話を繋ぐより、お父様に振った方が賢明なので、判断としては間違ってないはずです。
「おっと、そろそろ時間ですね……では、またの機会にお会い出来るのを楽しみにしていますよ」
カーライル伯爵が離れると、遠くに控えていたエマさんがいつのまにか側にいました。
「お疲れ様です、馬車の方にお戻りください」
周りを見ると数人の貴族は、既に馬車へと乗り込んでいました。
私も慌てて馬車へと戻ると、ここに来た時と同じ様に、貴族達の馬車が1列となって貴族街のある方に向かいます。
皇宮も貴族街の中にあるために、私の乗った馬車も列に加わり帰路につきました。
今回も何かあってはいけないと、女性の体になっていましたが、特に何も起こらずほっと胸をなでおろします。
しかし出発して直ぐ、川に掛かる橋を渡り出すと大きな爆発音と共に馬車が振動しました。
「何事ですか!」
瞬時に私の上に覆いかぶさったエマさんは声を荒げる。
「わかりません、橋の前後が爆発して……な、何をする!」
会話を交わしていた騎士の声が途切れる。
一体、外では何が起こっているのでしょう?
混乱の最中、馬車の扉が開かれると同時に護衛の騎士の1人が現れました。
「一体、何が……」
私が問いかけるよりも早く、エマさんは持っていたナイフで騎士の首を搔き切る。
「エ、エマ!?」
「……失礼、地面に先ほど話していた騎士が転がっています、状況から察するにコレは襲撃者かと」
外からは争うような声や、金属がぶつかり合う音がします。
エマさんはすかさず馬車の外に出て、周囲を確認する。
「どうやら護衛の中に、数人の襲撃者が潜んでいた……もしくは帝国に対する反逆を起こしたのかもしれませんね」
私はそろりと馬車から顔を出すと、既に前後の橋は崩れ落ち、橋の上では至る所で戦闘が始まっていました。
その様子を見たエマさんがポツリと呟く。
「……愚かですね、帝国貴族に喧嘩を売るなど……それに、運もない」
エマさんが視線を向けた先を追うと、橋の中央でベッドフォード公爵が襲撃者達を次々となぎ倒していた。
さすがは軍部に長くいただけの事はあります。
エマさんが言う、運がない、とは公爵が居た事でしょう。
「これなら、すぐに鎮圧できそうですね」
そう思った矢先、突如としてベッドフォード公爵が膝をつく。
「エマ!」
私が叫ぶより早く、エマさんは公爵を守る騎士達の加勢に向かう。
ベッドフォード公爵に一体何が起こったのでしょう?
ここでじっとしていれば安全かもしれませんが、事態は一刻を争うかもしれません。
迷っている暇はないと、私もベッドフォード公爵の元へと走り出した。
すると次の瞬間、水飛沫の音と共に、数人の新手が橋の手すりの上に降り立つ。
突如として川の方から現れた敵の増援に、味方の護衛達は後手に回った。
ベッドフォード公爵の近くに現れた新手の襲撃者は、対応に遅れた騎士を斬りふせ、無防備な公爵へと迫る。
突然の新手に、エマさんも他の護衛の騎士も交戦中で間に合いません。
「覚悟!」
襲撃者は持っていた武器を振り上げる。
「させません!」
走り出していたお陰で間に合った私は咄嗟に、武器を持った男の腕に飛びつく。
「邪魔をするな!」
身長差から相手の腕にぶら下がった状態の私は、男の筋力に簡単に振り回される。
それでも、なんとか男の腕にしがみつく。
「ええい! 大人しくしろ!」
武器を持っていない方の男の拳が、私の鳩尾に入る。
薄れ行く意識の中で、ああ、やってしまったと、自らの至らなさを後悔します。
これでは後で、エマさんに叱られちゃいますね。
でも、時間は稼ぎましたよ。
「くそっ」
こちらの状況に気がついた騎士達は、ベッドフォード公爵の周りを守るように囲む。
エマさんは男に向けてナイフをを投擲しようとしたが、男はすかさず私を盾にして未然に防ぐ。
「ちっ、ここまでか!」
男はそのままの状態で、反対側の手すりへと移動する。
ぼやけた視界では皆の表情はよくわかりませんが、この場で私が言うことはただ一つ。
「エ……マ、みなを……頼みます……ね……」
私は声を振り絞り、最後の言葉を紡ぎ意識を手放した。
◇
戦場に、甲高い笛の音が響く。
「監視役の合図だ! 竜騎士がくるぞ!! 急げ!!」
「しかし、ベッドフォードが!」
仲間割れか、2人の男が言い争う。
「時間だ! 俺たちは撤退する!」
「女を抱えた奴は、俺の後に続け!!」
男達のうち数人が橋から飛び降ると、川の中から浮上してきた水龍の背中に着地する。
「くそったれ、俺達はベッドフォードをやるぞ!」
残った者達は捨て身の覚悟で、ベッドフォード公爵の元へと駆け出した。
「公爵を守れ! 逃げる者を下手に攻撃するな! エスター様に当たる!!」
直ぐ様、エステルの元へとエマは駆け出したかったが、主人の最後の命令が彼女の本能に理性の枷を強いる。
エマは最速で、最小の動きで、迫り来る敵を冷静にさばく。
数人の敵を屠り、残った人数でこの場の防衛が対処可能だと判断すると、迷わず一直線にエステルの元へと駆け出した。
間に合わせてみせる!
エマは、自らの主人を肩に担いで橋から飛び降りようとしていた男の1人に手を伸ばす。
しかしその手は、男が抱えたエステルに触れる事はできず空を切った。
「エスターさまぁぁぁあああああ!!」
手すりから身を乗り出したエマの叫び声だけが空に響く。
お読みいただき有難うございます。
ここ数話は試験的に、文章量を減らしておりました。
やはり読み応えが物足りず、ストーリーがあまり進まなかったので、今回は久し振りに多目です。
ご満足頂ければ幸いです。
ストーリー的には、ここから一気に区切りとなる婚約の儀まで走り抜けます。
予定としては10万字をちょっと超えるくらいで、今月中にそこまで終わらせたいと淡い希望を抱いています。
水磔に関しては、あえて詳しい説明を省いておりますので、ご了承ください。
最後に、ブクマ、評価、感想、ありがとうございました。
誤字修正もめちゃくちゃ助かっております。