銀の犬
「ねえ、あなたの飼い主さんは何処?」
紗良は公園のベンチに座ると銀の犬の体を撫でながら尋ねた。
犬は黙って紗良の話を聞いている。
「なんて、犬がしゃべる訳無いか。」
紗良はにっこり笑った。
「さっきは助けてくれてありがとう。あなたは私のナイトだね。」
そう言うと、紗良は犬の首に両腕を回して抱きしめた。
犬の体からは何とも言えない良い匂いがしている。
「あなた犬なのに、素敵な香りがするね・・・。この香り、すごく落ち着く。」
紗良は犬の体に顔をうずめて、気が付いた。
「あれ、そう言えば首輪が無い。どうして?」
犬はキョトンとした顔で首を傾げている。
「まさか、どこかのペットショップから逃げ出してきちゃったのかな・・・?どうしよう。
このまま置いて帰る訳にもいかないし、うちのマンションはペット禁止だし・・。」
紗良は考えた。
そして、
「そうだ!おじいちゃんの家に連れて行こう。ここから歩いて行けない距離じゃないし。どっちみち預かってもらっているキャンピングカーのメンテナンスもしないとならないしね。」
紗良はベンチから立ち上がると
「さ、行こう。」
銀の犬に手招きをした。
それからおよそ40分後・・・
紗良と銀の犬は1軒の大きな日本庭園ある屋敷の玄関の前に立っていた。
「ただいま~。」
紗良が玄関のドアを開けると、奥の廊下からバタバタとこちらへ向かって駆けてくる足音が聞こえた。
「おお~っ!紗良。良く帰ってきてくれた。全く・・・車で迎えに行くと言ってるのに、こんな夜更けに若い娘が歩いて帰ってくるなんて・・・。」
強面の白髪交じりの初老の男が紗良を抱きしめて言った。
「大丈夫だって言ったじゃない。ステージ衣装を着こなす為のスタイルを維持するにはウォーキングはとても良いし、何よりこの犬のお散歩もする事が出来たから。」
紗良は足元の犬を見て言った。
「おお、この犬が電話で話していた・・・成程。確かに見事な毛並みの犬だ。血統書付きかもしれん。」
祖父は犬を撫でながら言った。
「でしょう?首輪をしていないから、どこかペットショップから逃げて来たのかと思うんだけど・・とりあえず明日、この犬を見つけた周辺のペットショップを探して問い合わせしてみようかと思って。
おじいちゃん、私の部屋はまだある?」
「ああ、勿論だとも。いつでもお前が帰ってきても大丈夫なように部屋はあのままにしてあるぞ。」
祖父はニコニコしながら言った。
「ありがとう、おじいちゃん。あ、この犬・・もし飼い主が居なかった場合、ここで飼っても良い?」
紗良は遠慮がちに質問した。
何となくこの犬とは別れがたい気持ちが紗良にはあったからである。
(なんでだろう・・・さっき会ったばかりなのに、この犬と離れちゃいけない気がするなんて・・)
「ああ、いいとも。紗良の好きなようにすると良い。」
祖父は紗良に甘い。
小さい頃からずっと一緒に暮らしていたので、当然である。
「それじゃ、この犬をお風呂場で綺麗に洗ってあげないと。折角こんなに綺麗な毛並みなんだもの。ちゃんとお手入れしないとね。」
紗良は犬の足を綺麗に拭いてあげると、バスルームへ向かった。
犬は突然のシャワーに初めはびっくりしたようだったが、次第に気持ち良くなったのか、目を閉じて大人しく紗良に身体を洗ってもらっている。
「ねえ、気持ちいいでしょう?今よりも、もっと綺麗になるわよ?」
紗良は嬉しそうに犬に言った。
やがて体を綺麗に洗うと、紗良はバスタオルで念入りに犬の体を拭いてあげた。
「やっぱりドライヤーもかけてあげないとね。」
紗良はドライヤーを持ってくると、コンセントをさしてスイッチを入れた。
その途端、今まで大人しかった犬が驚いて逃げ出そうとした。
紗良は慌てて犬の体を抑え込むと言った。
「大丈夫だってば!濡れた体を乾かしてあげるだけなんだから!」
すると犬は紗良の言葉が通じたのか、大人しくなった。
そこで紗良は念入りにドライヤーをかけ始めた。
「おかしいな・・・?ペットショップではドライヤーかけないのかな?犬を一度も飼ったことが無いから良く分からないけど・・。」
やがて、すっかり体を乾かしてもらった犬の体はより一層美しい毛並みになっていた。
「本当に、綺麗な毛並み・・・。」
紗良は犬の体を撫でて抱きしめた。
犬は嬉しそうに尻尾を振っている。
(これが、あの時と本当に同じ犬なのかな?今はこんなに大人しいのに・・・あの時はまるで恐ろしい獣のように見えたのに。)
紗良は公園での出来事を思い出し、ぞっとした。
「おじいちゃん、私お風呂に入ってくる間この犬の事見ていてくれる?」
紗良は部屋にいた祖父に声をかけた。
「ああ、いいよ。ほれ、ワンコ、こっちにおいで。」
祖父は手招きをすると自室に犬を連れて行った。
それから数十分後、お風呂から上がった紗良はショートパンツとタンクトップに着替えると
「おじいちゃん、いる?」
祖父の部屋を覗いたが、そこには紗良が連れて来た犬の姿だけであった。
部屋に入ってきた紗良を見上げると、犬は一瞬何故か顔を背けた。
「おお、紗良。実は困った事があるのだが。」
そこへ祖父が戻ってきた。
「どうしたの、おじいちゃん。困ってる事って?」
「いやあ・・・この犬には何を食べさせれば良いのだ?」
祖父は頭をかきながら言った。
「どうも腹をすかしている様なのだが、ドッグフードも無いしなあ。」
「あ。そういえば・・・犬なんて飼った事無いから・・。」
紗良は困ってしまった。
「とりあえず、家にある物を食べさせてみようかな?」
紗良は言うと冷蔵庫を開けた。
「ああ、そう言えばお手伝いの陽子さんが色々作り置きをしていってくれた食べ物があったぞ。」
祖父はダイニングの椅子に腰かけると言った。
紗良は冷蔵庫から生ハムと温野菜のサラダ・ジャガイモのポタージュ・ビーフジャーキーに手作りのビスケットをそれぞれ取り分けると、銀の犬の前に置いた。
「全部人の食べ物だけど、食べれるかなあ?」
銀の犬はトレーに乗せられた食事の匂いを嗅ぐと、静かに食べ始めた。
「おお、食べているぞ!」
祖父が驚きの声をあげた。
「本当、何だか喜んでいるみたい。どう、美味しい?」
紗良が尋ねると犬は尻尾を振った。
「とりあえず、我々と同じ食事で良さそうだな?」
祖父の問いかけに紗良はうなずいた。
銀の犬は全ての食事を食べ終えると欠伸をした。
「何だか眠そうだね。私の部屋に行こうか?」
紗良は銀の犬の頭を撫でた。
「そうだな、紗良。お前も疲れているだろう?もう寝たほうが良いぞ。」
祖父は紗良に言った。
「うん、それじゃお休みさない。おじいちゃん。」
「ああ、お休み。紗良。」
自室に戻ると紗良はベッドに寝そべった。
「このベッドに寝るのも久しぶりだな・・。」
銀の犬は紗良の部屋を物珍しそうにキョロキョロと見渡している。
「あなたも今夜はここで寝るのよ。」
紗良は言うと、部屋の明かりを消した。
「お休みなさい・・・。」
紗良は独り言を言うと、そのまま目を閉じた。
銀の犬はそんな紗良の様子をじっと見つめていた・・。