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「錆びた鍵盤」

ここ最近の生活は、かなり充実している。

部活も本格的になってきたし、家族も仲が良いし、東とはお互い信頼出来るいい友達になれた。

だが一つだけ、つっかかることがある。

東の過去でトラックに轢かれそうになったあの時……


あの時の俺は、一体“誰”なんだ?


「おい信仁、おきろよ。」

目を覚ますと、兄さんが部屋のドアに寄りかかっていた。

昨晩、考え事をしているうちにすっかり眠ってしまったらしい。

「あぁ、おはよう。」

「ん。俺はもう行くぞ。」

「うん。いってらっしゃい。」

兄さんはスタスタと行ってしまった。下の階からいつも聞こえてくるテレビの音も、父さんが料理を作っている音も聞こえないので、みんなもう家を出たのだろう。

リビングに下りると、案の定誰もいなかった。机の上には父さんの作った朝飯がきちんとラップをかけた状態で置いてあって、心配性の父さんらしい置き手紙が置いてあった。

『チンしてちゃんと食べろよ!あと、学校遅れるなよ!絶対だぞ!』

その文面が父さんの震え声で脳内再生された。ふと目線を逸らすと、たまたまカウンターに飾られた家族写真が目に映った。

まだ兄さんも俺も幼くて、母さんと父さんも若々しい。

大丈夫だ。この写真に写っているのは紛れもなく俺じゃないか。他の誰でもない、俺。川村信仁だ。

悩みをかき消すようにそう頭の中で唱え続けた。


とはいえ、学校で一日生活していても、俺の頭の中はずっと泥が詰まっているように、考えようにも全く頭がまわらず、胸の内はかなりモヤモヤしていた。

「新川先輩に聞いてみようかな」とも考えたけど、なんかこう……

とりあえずやめとこうと思った。


そのまま時間はなんとなく過ぎて、気づけば放課後だった。

「はぁ……」

自然とため息が出ることも多かった。今日は部活に出ずに帰ろうかな……と帰りの支度をし始めた時に限って、面倒な奴が絡んできた。

東だ。

「ミス冴嶋!ミス冴嶋!」

(は?)

「ミス冴嶋の後悔を解消するのだ!」

「あぁ、俺今日あんま調子でないから帰るわ……」

「ダメでぇ〜す。ミス冴嶋と僕が仲良くなるために君にも協力してもらいマ〜ス。」

お前、華蓮ちゃんという可愛い彼女がいながら……!

「知らねぇよ!俺はもう帰るぞ。」

「あぁ〜んシンズィ〜ン。」

爽やかな好青年の印象をぶち壊すように、東は俺にすがった。ズボンの縫い目を掴みながら、だらしなく鼻をズルズルすすっている。

「あぁ!きたねぇ!」

イケメンから出る鼻水は綺麗だとか、そんな理屈はない。どんなに顔が良くても、そう、例えアイドルのように整った顔立ちでも、鼻水は鼻水だし、もっと言えば小便は小便で大便は大便だ。屁も俺たち凡人と何らたがわずこきまくるだろう。

よって俺のズボンについたこのきたねぇ鼻水もただのきたねぇ鼻水である。模範生徒の鼻水を浴びれば頭が良くなるなんてこともない。人間の薄ら汚い排出物でしかないのだ。

「シンズィイイィン!」

「あぁ!もうわかったようるせぇなあ!」

しがみつく東を振り払って、先に屋上に向かった。屋上にはもっと面倒な人がいるのだから気が引ける。

「まつんだシンズィー!」

泣き叫ぶ声を他所に、階段を駆け上がっていつものとおり扉を開けた。早いとこ済ませて、今日は帰って寝よう。

「うぉぉ!?」

「あっ。」

驚いた。扉を開けた途端、どういう訳かいつもは上にいる新川先輩とぶつかった。俺の胸板と新川先輩の華奢な腕がぶつかったわけなので、やましいことは一切ない。安心だ。あたりどころが悪かったら何を言われるかわかったんもんじゃない。

「ごめんごめん。」

全然気にしていない様子でサラッとしている先輩の横に、見覚えのある女の子が立っていた。

「あぁっと────」

言葉が詰まった。

俺の記念すべき一度目の自殺を未遂にしたその人。

整った顔立ちのうちの、くっきりとした二重と長いまつげ、その大きな黒い瞳に見つめられて、なんて言葉をかければいいのか分からなくなった。テストで難しい問題がでて、一瞬怯むあの感覚とよく似ていた。

「……なに?」

よく男子からチヤホヤされているし、顔立ちもクールビューティというよりかは、かわいらしい方だったので、まさかそんなに尖った調子の冷淡な言葉が出るとは思わず、また怯んでしまった。

「えっと、冴嶋さんだよね?」

冴嶋響歌。クラスの、いや、学年の男子を虜にする美貌の持ち主で、すごいのは見た目だけでなく、その細く白い指捌きから繰り出される美しいピアノの音色が世界的に評価されているルックスもスペックも最上級の美女だ。

「あなたは?」

予想はしていたが、俺のことはまるで認知されていないらしい。

「川村信仁。一応、同じクラスなんだけど……」

「そうだったっけ。」

目線を逸らして全く興味無さそうにする彼女と、これ以上会話を続けたくなかった。無論、あっちがまさにそのつもりだろうが、なんというかこのどんよりした気まずい空気に耐えきれなかった。

そんなことは知る由もなく、新川先輩は相も変わらず「ほえ?」みたいな顔をしている。学年が違うので仕方ないが、この空気感も察せないのは正直ポンコツすぎる。

あの日俺の二度目の自殺を止めた時のような洞察力はどこにいったんだ。

「よくわかんないけど、きょうかちゃん。続き聞かせてよ。続きって言っても、ピアノ習ってて〜しかまだ聞いてないけど。しんじ君タイミング悪すぎ。」

「あぁ、はいはい……」

怒ってんだか冗談で言ってんだかよく分からないが、脳天気な先輩に、どうしようもないことを指摘されて少しばかりムカっときた。

さっきからこの妙な空気感に圧迫されて、心做しか頭が痛み始めた気がする。早く帰って休みたいところではあるが、多分この流れだと今日冴嶋さんの過去に行く気がする。たのむからそこまで重くない過去であってほしいが……

「ごめんね。続き話してくれる?」

気を取り直すように先輩が話を戻した。

「はい。ピアノは両親の意思で小さい頃からやっていました。それにも色々と迷惑な理由があって……」

「それってつまり、やらされてたってことか?」

「…………」

うわっ。なんだよ。だってつまりそういうことだろ?なんでそんなに邪魔が入ったような目で見てくるんだよ。

「しんじ君、ちょっと静かに聞いてて。彼女、ちょっと“重い”かも。」

「えぇ……」

新川先輩から耳打ちが入った。ちょっと重いって……今まで俺や東の過去が先輩的にどれくらいの規模だったかは分からないが、普段からほのぼのしてる先輩が“重い”というほど、彼女の過去は酷いものなのだろうか。

いつもの俺ならどうにかしたいと思うだろうが、相手がかなり俺を毛嫌いしているようだし、おまけに体調が優れないし、今回は色々と根気がいりそうだ。仕方ないがもうやるしか無さそうだな……

「な?シンズィー。僕が言ったとおりだろう。彼女を連れてきて正解だ。彼女を絶対に助けてあげようね。」

東も先輩とは逆方向の耳に小声で話しかけてきた。そうか。お前が連れてきたのか。お前は人助けのつもりでやっているんだろうが……ここまで来てくれたということは、少なくともお前は嫌われてないのか?だとしたら正直羨ましいなぁ……これが長年女子と関わりを持たなかった報いか……

「んで?ピアノやってて?」

また新川先輩が気を取り直して言った。

「あ、はい……冴嶋家は、代々、音楽において凄まじい才能を持つ家系なんです。冴嶋家に生まれた人間は、必ず音楽をやることになっているんです。私もそうして、ピアノを“やらされて”。でも親のことは好きだったし、やらされてる形とはいえ、ピアノを弾いてる時は楽しかったし、褒められたくてコンクールとかでもがんばって賞をとったりして……今は結構有名になって、親がネットに投稿した動画の再生回数もどんどん伸びて、嫌ってわけじゃないんですけど……」

「ふーん。それがきょうかちゃんの過去に、どう関係してるの?教えてくれる?」

新川先輩が人の過去を聞く時、普段よりも声の調子が随分落ち着いて、別人のように優しくなる。能天気で何を言い出すか分からないある意味狂気に満ち溢れた先輩とは、似て異なる雰囲気だ。

「私、姉がいたんです。」

「……“いた”の?」

先輩の雰囲気が急に変わって、一気に鋭くなった。

「はい……」

周りの空気がまた一段と重くなった。どうやら冴嶋さんのお姉さんが、今回の鍵となる人物になりそうだ。

「三つ違いの姉でした。私とは違って、昔から好奇心旺盛で、周りの人をまとめるリーダーシップみたいなのもあって、とにかく私と真逆の性格でした。」

「へぇ……意外だね。」

東が考え込むような素振りをして話に入ってきた。

「うん。今まで誰にも話したことなかったから。」

!?

俺が口を挟むと冷たい目で睨んでくるくせに……東はやっぱり女子ウケがいいのか……?

「ピアノを始めたのも、実は姉が先なんです。姉も私と同じように親から、家の云々で殆ど無理矢理やらされていたのに、最初から積極的にピアノを習って、中学二年生までは『世界でも評価されるぐらい有名になるんだ!』とかいって意気込んでました。」

「でも……」

「でも?」

「姉は私よりずっと練習もしてたのに、いつも私の方が評価されて……最初は褒めてくれたんですけど、だんだん姉は私を妬むようになって……夜遅くまで毎日毎日ピアノと向き合ってばかりで、勉強も友達も放ったらかしになって、でも、それでも周りからは評価されなくて…………中学三年生になって、みんな受験勉強を始めてるのに、姉だけはずっとずっと、私も父も母も顧みずに、毎日毎日毎日毎日────!」

「──!!落ち着いてきょうかちゃん!」

東の時と同じだ。冴嶋さんは頭をかかえて崩れ落ちた。腹の奥底から湧き上がる感情を堪えるようにして、下を向いて唸っている。

「ゆっくり、ゆっくりで大丈夫だよ。」

先輩は優しい口調で、今にも狂いだしそうな冴嶋さんの手を握ってなだめた。

東と俺はただ目の前でもがき苦しむ冴嶋さんに対して何をしてあげたらいいか分からず、震えて立っていることしか出来なかった。

「それから……姉…は……姉は、中学三年生の冬休みのある日、置き手紙を残してどこかへ行ってしまいました。『大丈夫だから』としか書いてないし、当時は訳が分かりませんでした。ただその言葉は、その文字は、ものすごく重たく感じて……両親も私も、姉を探すのに必死でした。」

中学三年の冬休み……俺と一緒だ。冴嶋さんの身にもこの時期に、後々後悔するようなことが起こったのか……?

「でも姉は……手紙を残して家を出てから二日後に帰ってきました。……見違える程、変わり果てた姿で……」

「それはどういうこと?」

片腕をもう片方の手で押さえつけて、声を一層低くして先輩が問いかけた。真剣モードに入ったらしい。

「所謂不良ってやつです。黒くて綺麗だった長い髪は、ボサボサの傷んだ金髪になっていて、耳にも派手なピアスを開けて、あれほど気を使っていた爪もボロボロに傷ついていました。何も言わずに玄関のドアを開けて、やさぐれた雰囲気で帰ってきた姉を、両親が駆け寄って強く抱き締めていたのを覚えています。」

「……無理矢理ピアノをやらせた責任とか感じていたのかな?」

深刻な表情をした東が、冴嶋さんの両親の心情を察するように言った。

「多分……私は立ち尽くすことしか出来なくて、あんな人をお姉ちゃんだって認めたくなくてね。……つらかった。」

「じゃあ、お姉さんがその……不良になる前の過去に戻ればいいのか?」

と、俺。

「言ったでしょ、お姉さんが“いた”って。──まだ続きがあるんだよね?きょうかちゃん。」

……と、先輩。

「…はい。姉は帰ってきてすぐに、また出かけてしまいました。姉がドアを開けて出ていくと、外には柄の悪い人達が何人もいて……さっきまで姉を抱き締めていた両親も振り払われて、その場で泣き崩れていました。」

「結局姉はそこから学校にも通わず、外で夜遅くまで遊び続けて、高校にも進学せずに、家に帰ってくることも殆どなくなりました。これで私の姉───冴嶋遥歌さえしまはるかの一生は、終わりです……」

「……急だね。何があったの?」

先輩も俺も東も衝撃を受けた。姉の転落人生。そこからの突然すぎる死。不良で仲間もいた冴嶋さんの姉が、話を聞く限り自殺するような人とは思えなかった。もし俺のこの考えが的中しているのなら……

事故?

「姉は、酷く傷ついた状態で発見されました。私の家からそう遠くない河川敷の辺りで、遺体で発見されました。」

この時、俺の中でまた一つ、考えが浮かんだ。

「ちょっといいか?」

「……なに?」

相変わらず鋭い視線で俺を睨みつける……

「……その、不良だったんだろ?なら、“仲間以外”の不良の恨みをかって、酷い目にあわされたなんてことはないか?」

俺がそう考えを述べると、周りは黙り込んだ。

せめて『それは違う』とかなんとか言ってほしいんだが……!

「そんな映画みたいなこと……ないか。忘れてくれ。」

結局決まりが悪くなって、誤魔化してしまった……

「いや、あるかも。」

気まずい空気を切り裂いたのは、新川先輩の発言だった。

「え?」

「何があったか分からない以上、あらゆる可能性を視野に入れなきゃダメだよ。事実だと思い込んでいたことが、虚実だったなんてこともあるんだし、過去に戻った時点で、常に何かを疑わないと。」

俺は目を見開いて驚いた。

まさか新川先輩の口からこんなにも深い言葉が出てくるとは思わず、自分の発言を拾ってもらえた安心感とか、そういう感情は既に失せていた。

“事実だと思い込んでいたことが、虚実だった”

それは俺の過去にもあったケースだ。全くの他人が母さんを殺したと、それが事実だと思い込んでいたが、本当の事実は兄さんが犯人というオチだった。そう、過去に戻った時点で、常に何かを疑わなければならないのだ。

「でも、警察の人は事故死だって……両親もそう思っていて、私もそれを辛かったけど受け入れていたんです。事故だからどうしようもないって……!」

冴嶋さんは事故ではなく、“他殺”の可能性を信じたくないのか、必死に俺たちに訴えた。その目は涙ぐんでいて、目の縁は赤くなっていた。

「その後だって、両親も酷く落ち込んだ感じで話し込んでて……」

力ない、か細い声で付け加えた。

家の伝統を守り、半ば強引にピアノをやらせた両親。

負い目を感じていたのか、それとも……

「ねぇ、きょうかちゃんは、あずまくんに紹介されてここまで来てくれたんだよね?」

「え……」

「なんて言われて来たの?」

「どんな悩みも聞いてくれる人がいるって……東君がいうから信じて来たんですけど……」

なるほど東。お前なかなかやるな……

そう思って東の方を見ると、それに気づいた東が俺に親指を立てる。

「あなたの悩みはそれだけ?」

「……私、もう一度、もう一度!お姉ちゃんとピアノを弾きたい!お姉ちゃんがいるからピアノ頑張れたのに……大好きなお姉ちゃんと、ピアノ……弾きたい、弾きたい……よ……」

冴嶋さんの思いが爆発した。

妹の才能に嫉妬して、落ちていった姉と、それでも大好きな姉と、もう一度ピアノを弾きたいという願いが、あるいは弾きたかったという後悔が、爆発した。

「きょうかちゃん。私を見て。」

「…………」

冴嶋さんはとめどない涙で濡れた顔を、黙って上げた。

「あなたの思い、私達には痛いほどわかるの。ここにいる人みんな、あなたの味方。だからね?」

そこまで言うと新川先輩は俺に目配りをした。先輩も、冴嶋さんの過去が俺と若干似ていることを察して、俺が一番彼女の気持ちを理解できると踏んでいるのかもしれない。

「俺達が、君を絶対救ってみせる。」

目を背けたくなるような恥ずかしいセリフだ。俺も冴嶋さんの過去に激しく感情移入してしまって、いつの間にか頭痛は吹き飛んだ。

「どういうこと……?適当なこと言わないでよ!あなたに何がわかるの!?あなたは失ったことある!?大切で大好きな人、かけがえのない時間を失ったことあるの!?」

「あるよ!!そのせいで俺だって前まで、毎日吐き気が止まらないような、自分も他人もぶっ殺したくなるような日々を送ってきた!でもなぁ!!」

俺はつい熱くなって、その勢いで冴嶋さんの肩を思いっきり掴んだ。

「今の俺達ならその病気のような思いもかき消せる!取り返しのつかないことも取り返せるんだよ!」

「はぁ!?何言ってるの!?あなたの言ってること、全部綺麗事じゃない!馬鹿にしないでよ!」

「だから……」

そう、だから。

「だから現実にするんだろ!そうやっていつまでも過去を引きずって“昔は良かった”なんてな!その時点でお前は負けてるんだよ!」

そう言うと、冴嶋さんは俺を睨んでからまた泣き出してしまった。昔の自分を見ているようで、本気になってしまった。

「あちゃー。」

「言い過ぎだよシンズィー……」

「あ……ごめん……でも、俺達ならできるんだ。過去に……あの時に戻るんだよ、冴嶋さん。」

「…………え?」

「結局私が言うんだ。しんじ君に格好つけさせてあげようと思ったのに。ばか。」

だからごめんって……

女子に対する接し方は未だにダメダメだ。

「きょうかちゃん。改めまして……」

「私達、後悔解消部!あなたの後悔、消しちゃいます!」

「後悔を……消す?」

すごい。この反応まで俺と同じだ。不謹慎だが、妙な親近感を感じる。

「お姉さんが中学三年生ってことは、きょうかちゃんは三つ違いだから小学六年生だ!かっわい〜!」

何故かは分からないが新川先輩がときめいている。

「ってことは、四年前だね。今までで一番古い過去じゃないか?」

と、東。

確かに、俺が今年の冬。東が去年の夏。冴嶋さんは一気に四年前の冬だ。

いやいや待て待て。そう考えると冴嶋さんは四年間も過去に苦しんでいたのか?数ヶ月しかない俺とは大違いじゃないか。

なのにさっきはあんなに偉そうに……恥ずかしくなってきたぞ。

「よーし。それじゃあ……いっくよー!」

新川先輩が、胸のポケットからあの錆び付いた懐中時計を取り出して、優しい口付けをすると、いつものとおり、辺り一面に強烈な青白い光が広がった。

人の過去に戻るのはこれで二度目。自分を含めて三回目。慣れてきたものだが今回はやはり“重い”。謎も多いしみんなで協力してどうにかできるといいが……

いやどうにかしなくちゃな。冴嶋さんには偉そうに、絶対助けると言ってしまった。態度で示せば、冴嶋さんも分かってくれるはずだ。きっとな。


────四年前、冬

「ここは……」

冴嶋さんは一番遅く目覚めた。

冴嶋さんは初めてだから目覚めが遅いのも頷けるが、慣れてきたとか調子に乗っていた俺は三番目だった。

目覚める時、誰かに馬乗りされていたので、新川先輩だったらどうしようと思っていたら、東だった時の感情は何とも形容しがたいものだった。

「あ、おきたね。おはよう。」

新川先輩は冴嶋さんの方についていた。まぁ女子同士だし、その方が都合はいいか。

「さむっ……」

「うん。四年前の“冬”ですから。寒いよ〜きょうかちゃん。あんまり寒かったら男子組の制服剥ぎ取って羽織ってもいいからね。」

「いや良くないんだが?」

「遠慮しておきます……」

東の方を一度見てから、俺の方を見て、心底嫌そうな顔をして冴嶋さんはそう言った。東はいいけど俺は駄目ってことですか。

「あの……本当に戻ってきたんですか?」

「んーしんじ君の時は街中にタイムリープしたからすぐわかったんだけど、ここは普通の住宅街っぽいし、すぐに分かりそうにないなぁ……」

「あ、あの人に聞いてみればいいじゃないですか。」

たまたま道を通りかかった若い女性がいたので、そう提案した。

「あのお姉さんね。すみませ〜ん。」

「はい……なんですか?」

急に真冬に半袖の女子高生に声をかけられて、少し困惑しているようであった。

「今って西暦何年何月何日でしたっけ〜?頭悪いから忘れちゃって。てへっ。」

うわ。本当に馬鹿みたいだ。まず格好がそれを物語っているし、口調から最後のてへっ。まで。普段の先輩と大差ないように見えるが、先輩は馬鹿な女子高生を見事に演じている。すごい演技力だ。

「え……2014年2月14日ですけど……」

「あ、ありがとございま〜す!」

女性は不思議そうにその場をあとにした。だが俺はかなり驚いていた。日付が俺の過去と全く一緒だったからだ。ここまでくると少し怖いな……

「ワァオ!すごいね!」

東!気づいたのかこのミラクルに!お前、やっぱり鋭い……

「バレンタインデーじゃないか!」

「チッ。」

「な!なんで舌打ちをするんだいシンズィー!?」

期待した俺が馬鹿だったよ……

「あの……」

「なんだいミス冴嶋。」

「いや、これからどうするのかなって……私全然ついていけてなくて……」

俺達の馬鹿馬鹿しいやり取りについていけなくなったんだろう。かわいそうに。

「んー。明るさ的に時間はちょうどお昼時かなぁ。とりあえず、きょうかちゃんのお家教えてくれる?」

「え……っと、ここどこかよく分からないんですけど……」

「あれ!お家の近くじゃなかった?」

「多分……」

なんだと。それは厄介なことになったぞ。俺の時は家の近くですぐ家までたどり着くことが出来たが、まず家にすらたどり着けないんじゃ2004年2月14日の冴嶋家今現在の状況が全くわからない。早くも詰みかよ……

「困ったな……」

「心配には及ばないさシンズィー。われらがミス新川には時計というチートがあるじゃないか。ですよね?」

「むぅ……時計じゃなくて私がすごいってあれほど……まぁ家を特定するぐらい朝飯前ですよ朝飯前。ちょちょいのちょいです。」

いじけながらも先輩は、銀色に輝く時計を取り出し、おもむろに冴嶋さんの頭にそっと当てた。

「はい。お家のこと強くイメージしてみて。」

「え?は、はい……」

冴嶋さんが先輩の指示通り静かに目を閉じると、アスファルトの道にじんわりと、過去に戻る時と同じ色彩の光が広がった。

その光は、何かを指し示しているようだった。

「よしっと……この光は私達にしか見えない特殊なもの。これを辿っていけば冴嶋家に着くはず!ななせちゃんすごい!天才!」

自分がというか、時計が起こした奇跡に一人で感動している。それしてそれを自分が成し遂げたかのように……新川先輩は子どもっぽいのか、この人は本当に変わっている。何も分からない冴嶋さんを置いて、完全に自分に酔っている。

それが不思議と憎めないのが、不可解なところだった。

「いこ!はやくロリきょうかちゃんに会いたいなぁ〜!」

「ロリっ……そんな言い方しないでください!」

「ぐへへぐへへ。」

「東君まで……!」

新川先輩はともかく、おまえは彼女がいるんだからもう少し自重しろ。


さて、俺達はその光が敷いてある道に沿って歩き出してから、かれこれ十分ぐらいたった。さっきから東と新川先輩のくだらない話が続いて、冴嶋さんが置いてかれるという空気が続いている。

そこで俺は、そのしょうもない流れを断ち切るために、一つ最初から気になっていたことを質問してみた。

「新川先輩。」

「お、やっぱりしんじ君もベットより布団派だよね!わかってるじゃーん。」

「そうじゃなぁい……」

なんてどうでもいい話をしていたんだお前達は。

「その時計って、いつどこで手に入れたっていうか……いつから持ってるんですか?」

「あ、これ?」

そうだよそれだよ。過去に戻ったり人の傷を治したりする機能付きの懐中時計なんてどこに売ってるんだよ。

「んー、きょうかちゃんの過去から無事帰ってきたら教えてあげる!君たちが知るにはまだ早いのだ!ふっはっはっはっは〜!」

「ふざけてないで教えてくださいよ先輩!」

「シンズィー……」

「ま、おいおいね。」

なんでだよ……今知られたら困る理由でもあるのか?なんでそんなに、一瞬悲しい顔をしたんだ。何を隠しているんだ、先輩。

「あ、コンビニ!」

新川先輩が無理矢理気まずくなった空気を変えるように、急にいつもの明るい声を上げた。

「寄ってかない?」

後ろで手を組んで、上目遣いでにっこりとわらう先輩を見て、俺は余計に、先輩が何を考えているのか分からなくなった。

いや、もともとよく分からない人ではあるんだけど……

「まぁ、喉も乾いたし……いきますか。」

「そうこなくっちゃあ!行ってみたかったんだよね!」

え?

「新川先輩、コンビニ行ったことないんですか?」

「うん!私、実は結構お金持ちだから。お嬢様はコンビニなんて行かないんですぅ〜。」

うっぜぇ……さっきまであざとい上目遣いが急に馬鹿にするような目付きになりやがって。

「うわぁ、あれ、ああいうのには関わりたくないね。」

東が蔑む目線を送った先には、コンビニの駐輪場でたむろする何人かの不良がいた。

男もいれば女もいて、どいつも髪色を派手に染めて身体のいたるところに装飾品を付けている。見た目も明らかに未成年だが、タバコを片手に大声で騒ぎちらしている。

「そういえば……あの人たちなら、冴嶋さんのお姉さんのこと何か知ってるんじゃないのか?」

「………………」

無視かよ……冴嶋さんのお姉さんは、道を踏み外した。今がその前か後かは分からないが、後だったとしたらあいつらだって鍵を握る重要な人物になりうる。なにか聞くのも気が引けるが、そんなこと考えてる場合じゃないと思って提案したんだがな……

「すみませーん!」

「あ、先輩!」

俺達が躊躇ってる暇もなく、先輩はすぐさま声をかけ、スタスタと不良達の方へ行ってしまった。俺達もしょうがなく後についた。

「あぁ?……なに?」

「冴嶋遥歌さんって知ってますか!」

「……おまえら、冴嶋の仲間?いつぞやは世話になったなァ!!」

不良の一人が立ち上がるなり、目付きをギラリと変えて、急に先輩へ殴りかかってきた。

「先輩!!」

「誰だおまえ……」

脅威的な瞬発力で東がその一撃を受け止めた。普段話していると忘れてしまうが、そういえばこいつは模範生徒。特に運動全分野においてこいつは非の打ち所のない化け物だった。

「女の子に暴力はいけないなぁ……まぁ最も、こんな非力な暴力じゃ、彼女には適わなかっただろうけどね!」

そう言ってみせると、東は不良の手を払い、そのまま腹に拳を当てた。

「……はぁ?なんだそれ?殴ったつもりか?」

「人を相手にする時は、こうするといい。」

すると不良は軽く吹き飛び、大きく後退した。

「うわぁッ!?」

何が起こったかも分からず驚いた不良は、そのまま尻もちをついた。

「さすがあずま君。でもそれ危ないよ。あんま使っちゃダメ。」

「なに。正当防衛ですよ。」

あぁ、これは確か……“寸勁”か。俺も詳しいことは分からないが、自分の体重を相手に一気に放つみたいな……こいつ、格闘技じみたことまでやってのけるのかよ……

「さあ、吐き給え。冴嶋遥歌について知ってること全てね。」

東がやたらかっこよく見える。関わりたくないとか言ってたくせに。やる時はやるんだな……平和主義の俺からすればちょっとやりすぎにも見えたが。

「チッ……冴嶋遥歌はやべぇ!関わろうとしてんなら……やめとけ。つい最近まで全く名前も知られてなかったが、隣町のグルを一人で全員ボコボコにしやがった、イカれたクソ女だ!そいつらの中には俺の昔のダチもいた……あいつなりにバイトも初めて人生やり直そうとした矢先に……クソッ!!死ね!死んじまえ!!」

話を聞く限り自分のことではないのに、物凄い恨み節だった。

最近まで名前も知られてなかった、一人で全員ボコボコにした、この証言から冴嶋さんの話と一致する所もあり、冴嶋遥歌という存在がどういう影響をもたらしているのかも把握出来た。

「……ないで……」

「アァ!?」

「そんな事言わないで!あんた達が馬鹿にしていい人じゃない!」

冴嶋さん……お姉さんがどうなってしまっても、冴嶋さんの大好きなお姉さんであることには変わりない。そこまで怒るのも、無理はない。むしろそれが当然の反応だ……

「いや!そんなことぁねぇ!冴嶋さえいなければ、あいつは今頃真っ当な人生を送っていたはずだ!冴嶋が壊したんだよ!全部な!」

しかし、不良の方も憤慨する理由はあった。大切な友達を、やり直してまともな人生を歩もうとしていた友達を、傷つけられてしまったのだから。

「そうかい。気の毒だったね。だが……」

「絶対に殺そうなんて考えるなよ……?君たちが仮に凶器を持ってかかってきたとしても、僕は全員ねじ伏せることが出来る……覚えておくといい。」

「おい、東……」

しかし東は容赦しなかった。今まで見たこともないような目付きで不良たちに念を押した。背筋も凍るような殺気だった。

「クッ……そんなことするかよ……俺は言ったぞ!お前達こそどうなっても知らないからなァ!」

「忠告ありがとね〜!バイバ〜イ!」

先輩は友達になれたとでも思ってるのか……?


「さてと、みんな慣れてきたみたいだね。」

「え?何がですか?」

「もう寒くないでしょ。ななせちゃんのおかげですね〜。」

そういえば、真冬に半袖で投入されて凍え死ぬかと思ったけど今は丁度いい……これも時計の力か?

「しんじ君が前めちゃくちゃ震えてたので優しいななせちゃんが考えてあげました!」

「あぁ、俺の過去の時……」

「ふふっ、まぁそれはそれとして、きょうかちゃん。酷いこと聞いちゃったね。」

先輩は話を切り替えた。

まぁ俺の兄も、実は母親を殺した犯人だった訳だが、他人から馬鹿にされたりあまりに酷いことを言われれば、ヤケになって言い返してしまうかもしれない……そう。大切な家族だから。どんな罪を犯したとしても、家族だから……

「女の子にクソだの死ねだの、なってないねぇ。やれやれ。」

「お姉ちゃん……」

冴嶋さんは下を向いて、涙をポロポロ流していた。拳を強く握りしめ、歯を食いしばっていた。

「でもあいつら、“そんなことしない”って……冴嶋さんのお姉さんを殺した人がいるなら、あいつらじゃないんじゃないですか?」

「さぁ、どうだか。信用出来ないね。あんな奴らの言うことは。」

東はさっきから苛立っている。どんな形であれ、そこまで関わりを持たない他人のためにこんなにも本気になれるとは、正直驚いた。

「……ほらほら!みんな今のでつかれたでしょ!ジュース買おジュース!私は人生初コンビニですから、ちゃんとリードしてくださいよ!」

また直ぐに明るい空気に持ってこようとしている。コンビニに入ったことがないというのも、嘘に思えてくる。なんというか、先輩は物凄い無理をしているような気がする……

「あ……」

「あちゃー。降ってきたねぇ〜」

俺のもやもやした気持ちを加速させるように、雨がパラパラ降ってきた。それに合わせて何となく、みんな黙ってしまって、少し暗い雰囲気になった。

「ほら!入ろうよみんな!はい、新川七彩、人生初コンビニインしまーす!きょうかちゃんもほらほら!」

「きゃっ!」

「子どもみたいだな……シンズィー、僕達も入ろう。」

「あ、あぁ……」

後悔解消部のみんなと依頼人。みんなで過去に戻ってみんなで一人の人生を取り戻す……そんな有り得ない体験も、くだらないみんなとの会話も、ある日突然終わりを迎えてしまいそうな気が、何となく、それこそこの雨雲のように、ジメジメと、モヤモヤと、広がっていた。

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