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冥府より 咲き乱れるは 愚者の花

 所謂、異世界転生……という物をご存じだろうか。ニートが些細な事で外に出ては、トラックに撥ねられて気が付いたら異世界に転生していた、というやつだ。その手の物の小説はいくつか読んだこともあった。だから異世界転生についてはよく知っている。


 しかし、自分が異世界に転生するとはだれが想像できただろうか……


 自分の場合は、おそらく、トラックに撥ねられたりはしなかった。あの巨大生物が現れて……それからはどんな死に方をしたかは覚えてない。

 自分が死んだ後は、暗闇が支配していた。一体ここは何処だろう。天国? それとも地獄? 何日、何週、何月、何年経ったかは覚えていない。が、とにかく長い時が過ぎた。酷く退屈な時間だった。こんな苦痛を味わうのであれば、恐らくここは地獄なのだろうなとも思った。腕や足がないから動かすことが出来ない、口や鼻がないから呼吸ができないし、臭いをかぐことも言葉を発することも出来ないし、耳がないからなにも聞こえない。

 唯一できる事と言えば、それは考える事だった。考える事だけしか許されなかった。体を持っていないのに、思考はあるというのも少しおかしな話だとは思うのだが、それ以外に何もできなかった。まるで脳みそだけで生きているかのようだ。

 しかし、考え事をしても、結局返ってくるのは虚しい静寂、そして人々が喰い殺されていく記憶だけだ。どれだけ心の中で涙を流したことだろう。年中無休であの惨劇が蘇る。焼かれ、犯され、喰い殺され、死んでゆく。

 考えるのが嫌になって、心の涙も枯れて、やがて自分は考えるのをやめて無心になる事を選んだ。考えることをしなければ、あの惨劇を思い出すことも出来ない。無であり続ければ、この無限の苦しみから解放されると、そう思った。

 それから、長い時が経った。何時からそうなったのだろうか、耳が聞こえるようになったのだ。自分の心臓の音だろうか、ドクン、ドクンと耳に入ってくる。時々、人の声も聞こえたりした。その辺で意識がハッキリし、気が付いたころには、腕や足、口や胴体が存在していた。手で顔を触ってみた結果、目も一応あるようだが、辺りが暗いのか、まだ目が齎す恩恵を得られない。

 一体何時、何故自分に体が与えられたのか解らないが、その得体の知れない腕や足を使って、辺りを触れてみる。何だろうか、とても奇妙な感触であった。前世でもあまり感じたことがない。プニョプニョして、しかしどこか触ったことがあるような……

 それからまた長い時間が過ぎていった。その時、一筋の光が差し込み、自分を照らし出した。今までの長い時間の中、光など出てきた例がなかった。故にその光が気になって仕方がない。自分は、その光に手を伸ばす。これは本能だろうか。どうしてか、この暗闇の中で地面があるわけでもないのに、進むことが出来ている。遠近法というやつなのだろうか、光も徐々に大きくなっていく。

 その光はやがて、自分を包み込み……


 自分が赤子であることに気が付くのには、少し時間が掛かった。

 そして、異世界に転生したことに気が付くのには、更に長い年月が掛かった。


 確かに自分は第二の人生を欲したが……違う。そうじゃない。


 初めこそ、この異世界転生したという真実に酷く混乱した。前の世界で人生をやり直すということはできないのか、また『雨宮匠』という男の人生をやり直す事ができないのか、なぜ異世界転生でなければならないのか、今でも文句が絶えない。しかし、定番のはずの神様がいない。起きてしまった事はどう足掻いてもどうにもならない。今となっては、もう半ば諦めている。受け止めるしかないのだ。それに、現実離れしているとはいえ、怪物共が人類に総攻撃を開始したなどという時点で現実離れも糞もない。だから、異世界転生してもなにも驚く必要はないのだ。

 今はそうやって、強引に自分を納得させている。


 母親の腹の中から出てきてから七年の時が過ぎた。太陽の照りだす昼の中、現在とある木造建築の屋敷、瓦が魚の鱗の様に美しく並んでいる屋根、『雨宮匠あめみやたくみ』改め、『霧島紅蓮丸(きりしまぐれんまる)』という名前を親に与えられた自分は、その屋敷の中でその世界においては比較的充実した時間を過ごしていた。

 所で、異世界転生と言ったらフランス王国をベースとした中世ヨーロッパがオーソドックスだが、自分が名付けられた名前からして、ヨーロッパではないことは火を見るよりも明らかだ。

 生まれて七年の間に、城から城下町を見下ろした時のことだ。まず目についたのは、現代人の目から見て明らかに多すぎる木造建築、そして着物姿の町人、そして何より決定づけたのは、腰の帯に刀を差している侍だ。

 もう分かっただろう。此処は、中世の日本だ。

 しかし少し待ってほしい。昔の日本ということは、これは異世界転生ではなくタイムスリップではないだろうか。それは誰もが考えるだろうし、自分もそう考えた。

 否、これは決してタイムスリップなどではない。それを決定づける根拠も幾つかある。


「紅蓮丸」

 廊下を歩いている所で、突如後ろから声を掛けられる。それは、とても渋い声だった。

「……父上?」

 先ほど述べた異世界転生であるという根拠、その一つが、今自分の目の前にいる、この世界における自分の父親、『霧島鷹宗(きりしまたかむね)』である。黒の羽織袴はおりはかまを着込み、中年であると言わんばかりに唇の上に髭を生やしている。袖から見える腕は、前世で見たオークと差し支えない程の筋肉を備えており、それだけで強い威厳を感じさせた。

 それにしても、何故この男がその根拠となるか。彼が『征夷大将軍せいいたいしょうぐん』だからだ、と言えば分かるだろうか。

 まず一つ考えてほしいことがある。征夷大将軍と言えば、歴史の教科書でも載せられている有名な役職の一つだ。時代によって色々な人物が務めているが、中でも徳川家康か徳川吉宗辺りが有名だろうか。さて、この征夷大将軍だが、飛鳥時代後期から江戸時代まで遡っても、霧島という性を持った将軍は絶対にいないはずだ。つまり、彼は史実では確認されていない征夷大将軍なのだ。これは一体どういうことか、そこから行き着いた先が、異世界転生説だ。

 しかし、この男は普段城で業務を行っているはず。どうしたのだろうか。

「何か御用でしょうか?」

「ああ、少し岩鉄とお前達に話があってな。顔を見にきた」

 話、とは少し気になったが、とりあえず後回しにする。

「左様にございますか。確か、庭で姉上が剣術の稽古をしており、あちらの部屋で椿つばきと姉様が将棋を打っております。顔を見せてきてはどうでしょうか?」

「ああ、椿とあおいはそっちか。それともみじの事だが、さっき庭で偶然会ってな、話を聞いてみたら、お前を探しておったみたいだぞ」

 それを聞いた紅蓮丸は、少し顔を顰める。

「姉上は、何か言ってましたか?」

「紅蓮丸と手合わせしたいそうだ」

「またですか」

「またなのか」

「またです。口を開けば手合わせですよ。正直、やってらんないです本当に」

 紅蓮丸は「はあ……」とため息をつきながら、庭のある方角へと歩み寄った。

「あーあ、あの馬鹿娘はなんで男児に生まれてこなかったかな……あ、そうそう、話を聞くついでにワシも手合わせを申し込まれてな、少し小突いてやったら眠りについて、暫くは起きんぞ」

 それを聞いたと同時に、足が躓きかける。

「あ、そうですか……」

 そういう事は速く言ってほしかったのと同時に、今日は付き合わなくていいという事実は、紅蓮丸に安堵を与えた。

「あ、そういえば父上、時叡は――」

 紅蓮丸の発言を、鷹宗は手のひらで制した。

「侍女から話は聞いてる。岩鉄の奴、気晴らしに狩りに行っとるのだろう。仕方ないからお前達にはすでに話しておく。紅蓮丸、ちょっと付いてこい」

「姉上は眠りについているということですが、起こしてきますか?」

「いや、いい。あの馬鹿娘にはもう伝えてある。行くぞ」

 そう言って鷹宗は歩みだす。紅蓮丸も鷹宗の言葉に従い、その姿を追いかけた。


「む、これは……終わったと見ていいのか?」

 将棋の盤に目をやったのは、普段この場にいるはずがない人物故に、その部屋にいた二人は一瞬だけ目を見開いたが、すぐに顔を戻し、正座のまま体を鷹宗の方に向かせる。

 一人は将軍家二女にして紅蓮丸の姉、『霧島葵きりしまあおい』という。うなじあたりまでで留めてあるショートカットと、ツリ目が特徴的で、少し目つきが悪いと感じる。目つきが悪い人ほど勘違いされているだけで本当は優しい、ということもなく、他人を寄せ付けない雰囲気もあわせもつ。自分はこの世界に転生して七年になるが、彼女の笑顔というものは見たことがなかった。

 もう一人は、将軍家三女にして紅蓮丸の妹、『霧島椿きりしまつばき』という。髪は胸辺りまで伸びているロングヘアー、タレ目が目立つ顔立ち、姉の葵とは対照的に、少し引っ込み思案で臆病なところがある。その所為か、二人の姉、そして自分に対しても少し苦手意識があるように見える。今でも、少し体がそわそわしている。

 しかし二人共、将軍家の子だけあって、正座する姿が凄く綺麗だ。どれだけ作法の教育がなされているかが伺える。とても六歳と八歳の貫禄とは思えない。葵は水色、椿は白の着物を着込んでおり、双方美しい以上に相応しい言葉が見つからない。

「父上、何故此処に……」

 当然聞いてくるだろう事を聞いてきた葵と、それは私も気になっていたと言いたげな顔をしている椿に、鷹宗に代わって紅蓮丸が事情を説明した。


「……」

 それにしても、前にも見たことあったが、この世界地図にほ本当に驚いた。今自分は、第二の世界を見つめている。測量技術が足りないとか、伊能忠敬の様な測量士がいないことを加味しても、地形を完全に把握できていないからこのような世界地図になったとは考えにくい。

 何がそんなに驚きって、北アメリカ大陸と南アメリカ大陸がごっそり無くなっているのだ。この事実は、本当に異世界に来てしまったのだなとしみじみ感じさせる。後は、技術不足の可能性も否定できないことはないが、これはユーラシア大陸と言っていいのだろうか、形がいくらか違う。菱形の様な形とは打って変わって、全体的に平行四辺形に見えないこともないという感じだ。おまけに一回り小さい。そして南側に百二十度程の角度の地域付近に、島国がある。此処が、自分の居る国。そして、北西側にユーラシアを覆いかぶさるような形状をしており、一回り小さい大陸がある。イギリスを凄くでかくして大陸にしたようなものか。そして、それよりも小さい大陸が二つ、ユーラシアの真下に隣接していた。オーストラリアが二つあるような認識でいいかもしれない。

 大陸の名前だが、ユーラシアをバルス大陸、イギリスっぽい大陸をロムスカ大陸、二つのオーストラリア? を、西側がパロ大陸、東側がウル大陸と命名されている。自分の国はバルス大陸に属しているそうだ。

 鷹宗は人差し指を地図に当て、自国の九州地方を差した。

「一ヵ月ほど前の事だ。薩摩に南蛮人が漂流してきた。損傷の激しい船と一緒にな。薩摩国の金剛氏の話では、わしらが貿易している相手国とは違う国らしい。ただ、信仰している宗教は同じクレド教だそうだ。その国というのがここ」

 薩摩といえば、島津氏と記憶している紅蓮丸にとって、少し違和感を感じずにはいられないが、その思考も無視されて話が進む。鷹宗は、州の北部を指しだした。

「メイトリクス王国。わしらが貿易しているベネット王国とは過去に、クレド教に関してひと悶着あったらしい。で、そのメイトリクス王国だが、事の発端は南蛮人が自国についての説明をしている時だ。金剛氏が、ここまで広い領土をどうしたら広げられるのだろうかと、ふと疑問視した。そしたらメイトリクス王国の漂流者共はなんて言ったと思う? まず、先兵の宣教師を送り込んでクレド教を布教する。その国で獲得した信者を味方につけるためだ。そしてその国の土地を測量して徹底的に調べ上げる。内密にな。そして、獲得した信者に、破壊工作を唆して内側から国の守りを崩す。そこに武力をもってこれを制すことによって、確実な勝利を手にする」

 葵は話を遮って質問した。

「宣教師と言えば大和にもいますが、まさか……」

「ああ、そのまさかだ。そのあと、急遽ベネット王国から派遣されて大和に在住している宣教師を、徹底的に取り調べた。そしたら案の定だ。測量した記録を記した本が見つかった。それも、簡単に見つからんよう暗号化して、聖書に見せかけていた物だ。まったく、調べる方も骨が折れた」

 領土の広げ方、測量、布教、これらの要素から考えられる結論は……

「……戦争が、起こるのですか?」

 紅蓮丸はそう問うが、鷹宗は首を横に振った。

「可能性があるというだけだ。奴らの魂胆はわし等にばれちまったわけだから、急遽進軍を中止するやもしれん。で、わしからは以上だ。聞きたいことがあれば今言っておけ」

 先に口を開いたのは葵だった。

「仮にも攻められるとして、南蛮は何処に攻め入られるのですか? 進軍先に防塁を敷くことが出来れば……」

「もう手は打ってある」

 鷹宗は無言でバルス大陸の南側を指さした。

「ここら辺に、奴らの植民地がある。前に来た時もここから補給を貰ってわし等の所までたどり着いたのだろう。進軍先としてはこの海路が予想される。その時になったら金剛共の出番だ。アイツらにはもう防塁を敷くように言っておいてある」

 情景を理解した葵は、「分かりました」と相槌を打つ。

 今度は、紅蓮丸が口を開いた。

「メイトリクス王国とベネット王国の宣教師はどうするのですか?」

「これから臣下と話し合う。とは言っても、メイトリクスの連中は、船を直して帰ってもらうのが無難だろう。布教しないというのであれば、奴らと貿易を結んでもいい。問題はベネットの連中……奴らはとりあえず未定としか言えん。これから話し合うからな……他にはないか?」

 皆、無言を貫くだけである。

「……話したいことは以上だ。わしは帰る。岩鉄にも伝えておいてくれ」

 そう言って鷹宗は立ち上がり、戸を開ける。

「後一、二刻もすれば戻ってくると思いますが……」

「この件でわしはかなり忙しくなる。岩鉄にはお前達から伝えておいてくれ。じゃあの」

 戸が閉まり、徐々に小さくなっていく鷹宗の足音。それさえ無くなった後は、何とも言えぬ静寂が訪れる。


 その静寂が嫌なのか、椿が口を開きだした。

「……なんだか、実感が沸きませんね。一番年上の姉上も、生まれた時には乱世が終わっていましたから。南蛮との戦争……大丈夫なのでしょうか? 姉様と兄上はどう思いますか?」

 しかし、返ってきたのは淡々とした静寂のみであった。何とも言えない、というのがこの現状だ。


 紅蓮丸は早々にあの部屋を出ていった。彼もまた、あの空気が苦手である。

 今ではない。ある意味それはとても怖いことではなかろうか。

「戦争ねえ……」

 異世界であろうとも何処であろうとも、人間とはとても恐ろしく呑気だ。尻に火が付かないと、いっさら水を用意したりしないのだ。普通、今までフィクションの中の存在でしかなかった魔物や化け物などの類が、全力で自分達を殺しにかかるなど誰も想像できない。仕方ないと言う人も多いのではないのだろうか。しかしそれで、全人類が死滅したなどとなったら、それを仕方ないで済ませられるかは難しいところであろう。

 本当に争いあっている場合なのだろうか。それとも、多少は許容するべきなのだろうか。コンピューターという代物を見れば、戦争と人類の発展には何の関係もないなどという暴論はねじ伏せられることだろう。この二つの関係性は、切っても切れない腐れ縁の様な物だ。それに、戦争とは、ある一定水準の域を超えればあとはもう歯止めが利かない。たとえ自分がどう思おうと、人間が滅ぼうともそんな事関係ない。

 戦争とは、起こっても仕方がないのである。納得する人もいるかもしれない。しかし、それもまた一つの暴論である。本来ならば止められるはずの戦争を、止められないとみて続行した例など一体いくつあるか。

 最適解たる国を作るため、一体何が最適解なのだろうか。何百年、何千年と思考が繰り返されてきたが、未だに答えが出てこなかった。

 いや、自分の理想は少し違う。たとえ強い国であろうと、怪物共相手に消耗戦になれば、間違いなく人間側が補給を切らして負ける。怪物共は、人間の普通の食い物を食べる上に、人肉をも食料とする。それだけでも厄介なのに、無尽蔵に湧いてくる骸骨ときた。せめてその骸骨が湧いてくるカラクリを解明しない限り、勝ち目はない。とどのつまり、今の自分達は怪物共に対して情報がなさすぎるのだ。

 前世でも、怪物はいた。ならば、異世界に怪物が居ても何もおかしくはない。寧ろ、異世界と言ったらファンタジー、ファンタジーと言ったら怪物、可能性としてはずっと高いことだろう。

 怪物共から人を守り通し、皆殺しにして前世の雪辱を晴らしたい。日本とは似て、異なる国、『大和皇国やまとこうこうく』。この国をもって……


「……」

 紅蓮丸の目に庭が飛び込んでくるその時だった。何だろうか、何処からか気配を感じる。攻撃的な視線……しかし殺意ではない。紅蓮丸は構わず歩行を続けた……瞬間――

「――ッ!」

「つーーーーーかーーーーーまーーーーーえーーーーーたあああああああぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああ!!!!!!!???????」

 何かが障子を突き破って、紅蓮丸にぶつかりかける。紅蓮丸は咄嗟の判断で体を屈め、回避行動にでた。何かは紅蓮丸のいる位置から通り過ぎては屋敷の庭めがけて飛んで行き、ズゾゾゾゾと嫌な音を立てて停止する。

 よく見れば、その何かは人の形をしていた。蜜柑色の着物を着ており、髪は胸まで伸びている。しかし寝ぐせだろうか、椿と違って髪が非常にボサボサだ。両手には木刀を一本ずつ持っており、着物も着崩れて、晒が少し見えている。おまけに頭にたん瘤らしき物まである。

「なんで避けるんだー!」

「んな理不尽な! ……というか姉上寝てたんじゃないですか?」

 将軍家長女、『霧島椛きりしまもみじ』。ご覧の通り、気品が全く感じられない。挙句の果てにはさっきの奇行と来た。これが将軍家の長女と言って、一体誰が信じるのだろうか。教育係の立派な頭痛の種である。

「アタシがあの程度の一撃で倒れると思っていたのか? そんなことより紅蓮丸、アタシと一回手合わせしよーぜ!」

「嫌です」

「んなこと言わずにさ、軽~くやろうぜ? 十刻ぐらい」

「十刻ぶっ通しの手合わせが軽くと?」

「いいだろ別に。お前だって毎日武芸訓練最低でもそんぐらいやってんじゃねえか。手合わせしても同じだろ?」

「いやいや、嫌ですよ。手合わせだけが訓練じゃないでしょうに。大体、何故に俺の時間が姉上の判断で潰されねばならぬのですか」

「前までは付き合ってくれたくせに!」

「無視したら木刀でぶっ叩いてくるからでしょうが」

 紅蓮丸がそう言った瞬間、椛は右手にある木刀を紅蓮丸にめがけて投げ飛ばす。

「ッ!――」

 紅蓮丸は、咄嗟の判断で飛んできた木刀を右手で鷲掴み。暫く右手がヒリヒリと悲鳴を上げ、木刀と顔面の距離が紙一重の危機一髪。たまらず紅蓮丸は不満を漏らした。

「何するんですか姉上」

「つまりこうすれば付き合ってくれるのか! じゃ今日もそうする! 毎日する!」

 とんでもないことを言い出した。今自分の顔を鏡に映せば、自分の引きつっている表情が見られることだろう。仮にも将来上に立つ身分として、何事も暴力で解決するというスタンスはどうなのだろうか。

「木刀持ったな! んじゃ行くぞ!」

「クッソ……結局こうなるのか!」

 紅蓮丸は急ぎで木刀を構え、突進してくる椛を受け止める。二本の木刀が勢いよく衝突し、鍔迫り合いの形になる。

「どうだ? やる気になったか?」

「やるにしても、せめて庭でやりませんか姉上ッ!」

 椛の押し込みを抑え込んだ状態の中で紅蓮丸は、一瞬だけの僅かな力の緩みを感じ、それを逃さず、その隙を突いて腹に膝蹴りを入れ込む。

「がッ――」

「フッ!――」

 怯み、仰け反る椛に、さらに紅蓮丸の全力のストレート蹴りを畳みかける。椛は後方に吹き飛び、転がりながら庭まで吹き飛んでいく。

「ッ、つ~~前よりいい蹴りするじゃねえか」

 受け身を取って威力を殺し、即立ち上がった椛は、それをものともしないと笑みを零し、改めて正眼の構えを取る。どさくさに紛れて、地面の上に置いてある下駄を、転がっている最中に拾い上げてはいつの間にか履いていた。

「……伊達に鍛えちゃいませんよ」

 紅蓮丸も、廊下を出て下駄を履き、椛と同じく正眼の構えを取る。

「南蛮が攻めてくるかもしれないって?」

「!」

「父上から話は聞いてる。で、お前はどう思うんだよ。今回の事」

「……こうしちゃいられないってことで俺と手合わせを願いに来たと?」

「あー、まあそれもあるんだが……」

 満面の笑みを浮かべながら、椛は言い放った。

「もしも攻めてきたら、アタシ初の初陣なんだよ。楽しみでしょうがねえんだ」

 紅蓮丸の背筋が一瞬凍てついた。無邪気とは、何とも恐ろしいことか。とても十一歳の少女が放ってよい言葉ではない。

「姉上、あなたはそんなに戦がしたいので?」

「……アタシ、この前土壇場に行って、死体を切らせてもらったんだ。でもよ、なんだか満たされないんだ。これじゃないってさ」

 死体を切る許可は下りたのかという疑問はあったが、取り合えずスルーした。椛の方から打ち込んできたからだ。紅蓮丸が一撃を防ぎ、椛は更に連続で打ち込んではそれを防がれる。紅蓮丸が椛の木刀を弾き、隙を突いて反撃に出る。一撃を打ち込み、椛は木刀で受け止め、また鍔迫り合いの形になる。しかし、椛の体制が崩れる気配が毛頭ない。

「紅蓮丸、まだお前が生まれて間もない頃、父上の屋敷に曲者が入り込んだことがあったんだ。霧島家が幕府に就くことに納得がいかない連中が、暗殺用に送り込んだ甲賀の忍びだったよ。その時アタシは偶然その場に居合わせてたんだけどな、怖かったよ。忍びは息を吸うかのように、遭遇した父上の配下を殺しながら進んでいったんだ。体の震えが止まらなくて、ただ我武者羅に父上の服にしがみついているだけだった。でも当の父上は、相手が相当の手練れであるはずなのにも拘わらす、落ち着いた様子で複数の忍びを一瞬で切り伏せて見せたんだ。こんな風に!」

 椛は一気に力強く押し込んで紅蓮丸のガードを崩し、ノーガードになったその隙を逃さず、重い一撃を胸に叩き込んだ。

「ガハッ!」

 たまらず紅蓮丸は転倒。気が付いた時には、喉元に木刀の先端が突き付けられていた。

「曲者が皆殺しにされたと分かっても、まだ震えが止まらなかった。周りが血だらけで、兎に角泣いて、でも、父上が強く抱きしめてくれたんだ。震えが止まったのはその時だったよ。それで、大丈夫、大丈夫って言って、安心させてくれた。父上がいれば、大丈夫だって改めて思い知らされた。あの感動は多分、もう二度と味わえないと思う。なあ、紅蓮丸。強さって、一体何だと思う? 道場で暴れても、死体を切っても、父上みたいに強くなった気が全然しない。全く答えが出てこないんだ」

「……戦場いくさばに出れば、答えが見えてくるかもしれないと?」

「憧れてるんだよ、父上に。アタシさ、父上の様に強くなりたい。お前は、どう思う? アタシも父上の様に強くなれるかな?」

 年相応の笑顔を向ける椛に対して、紅蓮丸はただ目を逸らし、「さあ」と返すだけだった。


「何の音だ?」

 屋敷の入り口に鷹宗と、屋敷に務めている侍女がいた。戸が破れたり、かと思えば今度は木刀同士がかち合う音が聞こえてきて、鷹宗は疑問に思う。

「もう日常茶飯事にございますよ」

「あの馬鹿娘もう起き上がったのか? 当分は起きないと思ったんだがな」

「ちょっとは手こずったのではありませんか?」

 侍女は鷹宗の赤くなっている右手の甲を見やる。

「……はん、まだまだだ」

「今からでも、治療の用意でも致しますか? それでは臣下も何かと気を使われることでしょう」

「……否、よい。このままでよい」

「……さようにございますか」

 侍女は、歩み始める鷹宗のその姿に何かを感じたのか、優しい笑顔が浮かんだ。

「……乱世の頃から嫌な奴だよお前は」

 歩みながら放ったその悪態に対して、侍女はさっきの笑顔だけ(・・)を崩さず、そのまま表情を大きく歪めた。

伊賀の忍び(わたくし)にとっては、褒め言葉にございます」

自分で書いておきながら、話が急すぎたのではと思ったりする。

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