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血に埋もれ 彷徨う魂 廻り行く

 キリスト教で言う、最後の審判というものを知っているだろうか。自分はそこまでキリスト教に詳しいわけではないから、少し語弊があるかもしれないが、その日になると、善人は天国に上り、悪人は地獄に落ちる。それでだいたいあっているはずだ。

 自分は、最初はそれかと思った。だが近所にある教会の神父の様子を見て、その考えは真っ向から否定された。大体、ラッパの音が聞こえなかった時点で、その説が間違いであることは察するべきだった。

 いや、そもそも、なぜ自分は最後の審判の話を持ち込んだのか。少なくとも、一般的にでるようなネタではない。一体なぜ?

 それは……

 

「げ、食パンが腐ってる……」

 俺の名は雨宮匠あめみやたくみ)、三十歳。今は訳あって引きこもりをしている。

「食べられない所は取り除いて食べましょう」

 俺の隣に居るこの女の子は、広崎春香(ひろさきはるか)という。今年で十一歳になる俺の姉の娘だ。これも訳あって今は俺と共に暮らしている。

「すまん。苦労を掛けるな」

「いえ、食べられるだけ有難いです」

 この程度の物しか食べさせてやれない匠の申し訳ない気持ちを気に留めず、春香は食パンの腐った部分を取り除く作業を行う。一人一枚、合計二枚の食パンは、変色した部分は姿を消し、顔とパンの耳を残すのみとなった。変色している部位も、そこまで広がっているわけではない。故に、時間もそう多くは取らせなかった。

「はい、匠さん」

「ああ、ありがとう」

 綿のように白く、柔らかい小麦粉だった物は、触れる指を優しく包み込む。この優しい触感は、『ああ、今生きているんだなあ』と思わせた。口に運べば、また一興。ふわふわとした食パンは、これまたこの軟らかさが口の中を優しく包み込んだ。味こそしないものの、パンの命が自分の命と合わさり、一つになるのを感じる。

 気が付けば、手にある食パンが消えていた。美味くはなかったものの、また一日命を繋ぎとめることができた事に、感謝するばかりだ。

「ごちそうさん」

 そう言って匠は、向こうで、ある準備に取り掛かる。

「あ、匠さん……また行くんですか?」

 春香は匠に問いかける……が、肝心の匠は後ろを振り向かない。一応彼は、春香は今不安気な表情を作っている事は知っている。

「大丈夫だ。この生活を始めてかれこれ一年間、何とかやり遂げて見せた。流石に無傷というわけにはいかなかったがな。だが、今まで何度外に出たか。数えるのも面倒くさくなって、覚えてない。それほど外に出向いた。それで五体満足なら、今回も大丈夫だ」

 よし、と、匠は準備を終わらせるや、春香に顔を合わせる。

「春香、今は生きよう。生きれるまで生きよう。な?」

「……はい」

 表面上では、安堵しているように見える。それが本当の安堵か、もしくはやせ我慢か、それを確かめる術は今の匠にはないが、今は時間が惜しい。

「じゃ、待っていてくれよ」

「あ、あとできればですけど、蛇はちょっと……」

「ああ、わーってる」

 そう言って匠は、春香を残して外に駆け出して行った。

 ……所で、引きこもり生活にも拘わらず、己がある行動に移すたびに、女子小学生が心配してくれている。そして女子小学生との同居。もしかしたら、このシチュエーションを羨ましがる人がいるのではないのだろうか。


 その人たちは、この光景を見てまだそれが言えるだろうか。


 二千三十九年一月一日、皆元旦だの正月だの騒いでいた日、ある男が奇妙なことを言い出した。

『あっちで骸骨が人を殺しまわっているんです! 助けてください!』

 その声が聞こえたのは、交番だったという。当然と言えば当然だが、交番で待機していた警官はこう言った。

『いい年して警察を揶揄うな!』

 骸骨が人を殺しまわっている? そもそも骸骨という物は、自分の意志で動いたりしない。これで真剣に対応してくれと言われても、どう真剣に対応しろというのだ。

 警官はその男を追い出そうとするが、男は引き下がらない。どころか、その警官を引っ張って、ある場所に向かわせようとする。

 この時、その警官は、これで本当に悪戯だったら、公務執行妨害で豚箱にぶち込んでやる。そんな事を考えていた。

 しかしその警官も、不幸だろうと同情するしかない。

 男について行ってみれば、その先に、道路が赤く輝いていたのである。

 この赤は人間の血だろうか。しかしそれだけではない。その道路全体が鉄臭い上に、蝿の好みそうな死臭までする。見れば、人間の腕や足、臓器や生首などがあっちこっちに転がっているではないか。

 その人肉の殆どが、齧られたり引き裂かれたかのような跡があるのも、また奇妙である。

これだけでとんでもないショッキングな光景だが、男と警官がそれにも増して、その目から離れなかった光景がある。

 男は、骸骨が人を殺しまわっている所を目撃したと言うが、肝心の警官はぶっちゃけ、冗談か何かだとしか思えなかった。まあ、無理もない話だと思う。

 しかし、その骸骨が本当に存在し、しかも自分の意志で動いていたのである。しかも自分の目の前に。

 もはや実物を見てしまったら、話はだいぶ変わってくる。

 何をしているのだろうか。骸骨は、落ちている人肉を口の中に放り込んでは、肋骨の隙間をすり抜けて人肉が落ちる。落ちた人肉を、また骸骨は口の中に放り込む。食事をしているのだろうか? まるで工場で作業しているロボットのようだ。もしくは、カルト教団の儀式か何かなのだろうか。

 理解に苦しむこの状況、自分の手に負えないと判断した警官は、すぐさま応援要請を送り込んだ。

 それが、その警官と男の最後だったらしい。


 この突拍子のない光景、実は日本各地で次々と目撃情報が出ている。自衛隊が突入したのは、死人が百を超えたあたりだったか。

 さらに言えば、相手は骸骨だけではない。身長百二十センチにも満たない凶暴な小人、体が消化液で構成されている液体状の生物、口から炎を吐く巨大な爬虫類生物までいるときた。だが比較的骸骨が多かった気がする。

 彼らのことは、ここでは怪物と称しておこう。

 無論、自衛隊は勝てなかったのかというと、そうではない。寧ろその怪物相手にかなり有利に立ち回れていたのである。碌な遠距離攻撃方法を持たなかった殆どの怪物共は、近代兵器を相手になすすべなし。奴らは劣勢に追い込まれていた。

 我々人類は、そう錯覚していた。

 その怪物共は、有象無象に増えていく。いや、殺せば殺すほど増えていく、これも違う。自衛隊が殺した数だけ、怪物はさらに増援を送り込み、戦う怪物の数が減らないようにしている、と言った方が正しいか。その怪物共はまるで、切っても切ってもまた生えてくる人間の爪のようだ。

 自衛隊は、戦いを続けていく内に、奴らに心底恐怖し、不安に駆られた。

 あの化け物共は、一体何匹いるんだ? どれぐらい殺せば、殲滅が可能となる?

 もしかしたら、人類は負けるかもしれない。何時しかそんな不謹慎極まりない説が漂い始めた。

 そして、その自衛隊の不安は、補給が途絶えたことで確信に変わった。

 銃の弾は不足し、戦車は置物に変えられる。攻撃手段が徐々に失われていくこの状況下で、怪物共はこれをチャンスだと言わんばかりに反撃、猛突進する。人類側に、更に大量の血が見え始めたのはそこからだ。

 そこから先は、奴らのやりたい放題。ある者は食い殺され、ある者は焼き殺され、またある者は、人間の原型を留めていなかった。

 学校の体育館に避難していた市民の血に塗れた阿鼻叫喚は、目を逸らすか、目を瞑る者が殆どだった。

 そう、この現世に舞い降りた地獄は、いわゆる『最後の審判』というやつではないか。

 我々人類は、皆一掃されなければならないほどに重い罪を犯したのか。我々は皆、悪人だというのか。

 冗談じゃない。腹が異常に膨れている女性の変死体を見て、イエスだかヤハウェだかを本気で呪い殺したくなった。あの日以上に、神に対して殺意を露にしたことはない。

 ……まあ、先ほど供述した通り、先ほどの説は多分違うとは思うのだが。

 だが、そんな事もお構いなしに、怪物共は進撃をやめることはなかった。処か、日が進むにつれて、怪物の猛攻は激しくなってくる錯覚さえ覚える。

 あれからもうどれぐらいの時間が経っただろうか。ある者は、銃剣を持って大日本帝国陸軍の真似をしだし、またある者は市民を見捨てて隠れ潜み、海外からの救出を待っている。

今となってはもう、日本政府も防衛省もありはしない。町も人も活気もありはしない。

 二千三十九年、人類は怪物共に敗北したのである。


 見よ。これが今の日本だ。

 あたり一面を死臭と蝿が覆いつくし、マスクをするか、布で口を覆うかしないと、臭すぎる上に疫病も危惧されるので、まともに歩けたものではない。

 道路は相変わらず、紅色が眩しい。道を歩けば、人肉を口に放り込めばずれ落ち、またその繰り返しを行う、今となってはすっかりお馴染みの骸骨。これも相変わらず、意味のなさげな行為が不気味に見えてしょうがない。

 車も、真面な物は一台もない。そこらで見かけるものなんて全部廃車だ。

 一瞬の油断も許さない、荒れ果てたこの土地を、あの先進的な国である日本と言って一体誰が信じようか。

 今生き残っている人間は、あとどれぐらいだろうか。気になりはするものの、現在進行形でしぶとく生き残っている匠も、流石にこれを調べる術はない。


 二千三十九年五月六日現在、自衛官になって十年になる匠は、市民を守れなかった後悔を抱きながら生きている途中、姉から託された春香を守りつつ、海外からの救援を待つ日々を、かれこれ三カ月は続けている。

 それまで食べ物は、コンビニなどの売品や、時々見かける動物、本当に食べ物に困ったときには、人肉や怪物を焼いて食べて生き延びてきた。人肉や怪物って美味しいの? という質問に対しては、ノーコメントを貫かせていただこう。

 ……一応言っておくが、春香にはそんなもの食べさせてはいない。一番酷くて蛇ぐらいだ。(当然本人はお気に召さなかった。切羽詰まった状況故に食べてくれたが)

 それでも食べ物は無限ではない。勝手に盗っていく売り物は徐々に無くなるし、動物だって早々いるものじゃない。故に、決まった場所で簡単な壕を掘り、怪物をやり過ごし、その地域の食べ物が無くなってきた際には、できるだけ怪物が少なく、遠くの場所に移動し、また壕を掘って食べ物を取ってきての繰り返しである。

 そして今まさに、匠は食べ物を取りに行く最中である。タオルで顔を覆い、九ミリを手に、バッグを背負い、隠密行動を徹底して、怪物相手に見つかるなどと言うヘマをせずにやり過ごす。

 この生活を続けて三カ月は経つが、匠は未だに慣れを知らない。意識しなくても、心臓の音が耳を乱暴に叩く。

 辺りを見回せば、目に飛び込んでくるのは、俺たちが弱肉強食の王者だと言わんばかりに、道路を闊歩している怪物共。廃車や盛り上がったコンクリートなどの遮蔽物を盾に身を隠してはいるものの、突き進んだ矢先に見つからないだろうか。意外な所に怪物がおり、ソイツに姿を見られないだろうか。匠を包み込む不安要素が、汗と鼓動音に変換される。自分からしてみれば、綱渡りをしているのと大して変わらない。

 おまけに昼だというのに、曇りで太陽の光を拝めない。天気も最悪だ。

「……?」

 匠は、ふと異変に気付く。ここら一帯は、死臭のせいで臭いのは当然なのだが、その他にしょっぱい下呂の様な臭いが、突如として匠の鼻を劈いた。

 死臭と合わさって、酷い臭いだ。気をしっかり持っていないと、うっかり吐いてしまう。

 だが、危惧すべきは臭いではない。そもそも考えてほしい。普通……と言っていいのかは分からないが、屍が積もるだけではこんな酷い臭いはするわけがない。異常なのだ。こんな異常が発生するということは……

「――ッ!」

 足音。

 匠は咄嗟にビルの角に身を隠し、ポケットの中に入れておいた手鏡をバックミラーの様に使用して、壁越しにいる何か、壊されて巨大な入口になりはてている穴から出てきたものを確認する。

「……!」

 ミノタウロス。二足歩行で歩く牛、捻じれた角、ボディービルダーも真っ青な強靭な筋肉、LEDのように輝いている赤い瞳、故に外見がまんまソレなので、自分はそう呼んでいる。

 咄嗟に隠れて正解だった。今自分が隠れている建物から出てきたミノタウロスは、あの超高身長故に当然なのだが、かなり足が速い。少なくとも、鬼ごっこで勝てる気はしないほどには。

 十五メートルはあろうあの筋肉質な体からは、想像に容易い重量感。そこからひしひしと感じる力強さは、足音からもハッキリと分かる。

 幸い、手鏡を使って姿を確認しているこちらには、気付いた様子はない。

 匠はこれを機に、建物の中に怪物がこれ以上いないことを手鏡で確認し次第、迅速に建物の中に侵入する。今回やるべきことは速やかにやるべきなのだろうが、こんな事態になったからにはやるべき事がある。

「やっぱりか……」

 辺りを臭わせた下呂の様な臭いの正体、それが今匠の目の前に転がっている。

 それを形容するとしたら、屍の山、と言ったところだろうか。全長約三メートルはありそうなそれは、骸骨、とは言っても外にいる連中とは違って動きはしない。これは全員、恐らくミノタウロスに喰われ、中にある消化液によって溶かされた元人間。つまりこれは全部、ミノタウロスの糞だ。

 なんともお粗末な消化器官だろうか。こんなに酷い糞は、世界中探してもないだろう。

 この屍の山、消化液のせいか、ベトベトしている。それが原因なのかは分からないが、その骸骨から、負の感情が見え隠れしていた。

 『自衛隊のくせに、どうして俺達の事をちゃんと守ってくれなかったんだ』『痛い、痛いよ』『あんたらがしっかりしないから、私たちはこんな目にあっているんだ』『どうしてくれるんだ』

 聞こえるはずがないとは分かっていても、すぐさま脳裏にこんな言葉が浮かび上がる。山の中にある頭蓋骨を見れば見るほど、次第に幻聴の様なものも聞こえてくるようになる。

 恐らく抱かれているだろうそんな嘆きを前に、匠は指を組んで目を閉じた。

「……守れなくて、本当に悪かった」

 ここまで悲惨な死に方、匠としても納得がいかない。せめて、彼らの安息を祈る位のことをしないと、匠の気が収まらない。

 黙想すること十秒、匠の頭に犇めく嘆きが収まる。

 やるべき事はやった。匠は、怪物共の死角になった瞬間を狙って建物を出ては、遮蔽物に身を隠しながら目的地に向かった。


「……着いたか」

 歩いて徒歩五分、されどたどり着くのは容易ではない。が、それを乗り越えてたどり着いて見せた。

 コンビニエンスストア。かれこれ三カ月は経った現在、真面に手が付けられていないコンビニの食料など、並大抵のものは腐ってしまっている。特に弁当など酷いありさまだ。辺り一面、カビが充満しており、指一本とて触れたくない。腐りかけが一番うまいなどと言っている場合ではない。

 故に、狙いはスナック菓子やカロリーメイトなど、なるべく保存がきいているもの。多少栄養が偏るだろうが、なに、救援が来るまでの辛抱だ。

さて、ここまでは順調だったのだが……

「……チッ」

 窓を少し覗いてみれば、骸骨が店内をうろついていた。二体ほど。今度は人肉を喰うではなく、まるでスニーキングゲームの兵士みたく徘徊しているようだ。

「クソ、面倒だな」

 悪態ついてもしょうがないと見るや、側にあった鉄パイプを持って、コンビニの裏口から侵入する。

 やはり店の中も酷い有様だ。ペットボトルを収納している巨大冷蔵庫? の様な所は、ガラスが破壊され、中にあるペットボトルも何十本も駄目になっている。ジュースが零れたのだろうか、オレンジ色や紫色、カビが床を侵食していた。

 雑誌のコーナーも散らかり放題だ。週刊誌、月刊誌、単行本、エロ本、ジャンルを問わず床に跪く様は、ゴミと何ら変わらない。一目見れば、『UMAが町中に出現!? 生物の謎に迫る!』という、怪物が襲来する前ならだれも見向きもしなさそうな、胡散臭いタイトルの雑誌がデカデカと書いてある。テロリストも裸足で逃げ出すほどの死人が出ているというのに、何とものんきなことだ。そう思わずにはいられない。

 食品も同じ有様だ。ここ位は無事でいてほしかったと切実に願ったりはしない。どうせこうなっていることは分かりきっている。空しくなるだけだ。

 骸骨にこちらの存在が気づかれていないことを確認すると、匠は商品棚を背に、骸骨と距離を保つ。

 怪物を相手にここまで接近したことは、今回が初めてではないものの、緊張感が体の動きを蝕んでいくのは相変わらずだ。早く戻りたい。早く戻りたい。荒々しい心音が、何度も自分にそう訴えかける。深呼吸しようという考えすら浮かばず、意識を抑えるのと、骸骨に集中するので精一杯。これ以上何か面倒事が飛び込んできたら、流石に無事に帰れるかわからない。

 途中、ふと匠の目に、商品棚に配置されている単三電池が飛び込む。匠は、その単三電池を掴んでは、レジのある方に放り投げた。

 無骨な金属音がコンビニ中に響き渡り、骸骨二体もそれにつられて行っては、徘徊をやめてレジに歩みだした。

 さ、ここからが本番だ。

 匠は、骸骨が音の正体に気を取られている間に、骸骨の背後に回り込んでは徐々に接近していく。

 手を伸ばせば、骸骨に触れることができる距離まで詰めた。その瞬間――

「あばよクソ野郎」

 匠は鉄パイプを振りかぶり、憎悪も何もかもすべて吐き出すかのように、骸骨の頭に思いっきり叩き付け、頭を粉砕する。

 その衝撃によって鳴り響いた金属音や破砕音、飛び散っていく骸骨の破片。それにさも驚いたかのようにこちらを振り向くもう一体の骸骨。

「カラ カラ カ、ケ、タ、ケタケタケタケタケタケタケタ!」

 骸骨は、仲間がやられたことよりも、目の前に人間がいる事に注目し、すぐさま匠に向かって全身ダイブで襲い掛かる。それに対して匠は、商品棚を素早く動かし、身を守る盾として使い、骸骨の攻撃を防ぐ。

 勢い余って商品棚に激突した骸骨は、並んであった数々の商品達と一緒に、その反動で床に倒れこむ。すぐさま起き上がろうとするも、もう遅い。その隙を逃さなかった匠は、倒れている骸骨に突撃し、鉄パイプで頭をかち割った。


 足元で倒れている二体の骸骨、コンビニの辺りを見回したが、新たに出てきた怪物はいない。

 終わった。

 ここで一息つきたい所ではあるが、大分派手にやったのだ。また新たな怪物が乱入しないとも限らない。早く要件を済ませなければ。

 そう思い、持参しておいたバッグの中に次々と食品を入れ込み、明日を生きるための糧を入手したのだった。


 コンビニから盗ってきたスナック菓子、カロリーメイトなどをバッグにしまっては、また先ほどの隠密行動というわけだが、誰が言ったかは知らないが、行きは良い良い帰りは怖いとはよく言ったものである。バッグの中に荷物が閉まっている関係上、最初に出発した時よりも音が出てしまうのだ。特にスナック菓子の騒音がとてもうっとおしい。途中で骸骨に見つかりかけて肝を冷やしたりもした。

 しかし、これでようやく任務完了だ。全長一、二メートルの板。その板はカモフラージュで、その下に穴がある。そこに自分たちの掘った壕がある。それが肉眼でも確認できる距離にまでたどり着いた。

 早く入って安全を確保しよう。そう思っていた時・・・


「きゃあああああああ!」

「!?」


 悲鳴。

「いやあああああああ! 離して! 誰か、誰か助けてッ!」

 甲高い声がこの赤い大地を震わせた。これだけ高い声が出せるのなら、恐らく声の主は女性だろう。しかし声は板の下からではない。となると、まさかまだ生きている人がいるという事か。他にも自衛官がいたのか、それとも自力でしぶとく生き延びてきた一般人だろうか……

「……ッ」

 匠はそこで、動きが止まってしまう。自衛官としては、助けに行くのが当たり前なのだろうが、ここで匠の心の中に、甘い誘惑が囁き始める。

 どうせ助からない。このまま無視を決めて、早く壕の中に入ろう。春香ちゃんも待っているし、お前もいち早く安全を確保しなきゃだろ? 大丈夫。みんなお前を責めることはできない。現在進行形で生き残っている春香でもだ。

 何を言っている。もしかしたら助かるかもしれない命を、そんな事で見捨てていいはずがない。

 もしかしたらなんて馬鹿を言っちゃいけない。リスクを考えるべきだ。もしもそんな事をしてお前が死んでしまったらどうする? 春香ちゃんは、こんな過酷な世界でも一人で生きていけると思っているのか? 流石にそんな楽観的に物事を見るお前じゃないはずだ。仮にも、お前が生き残り、声の主も救出できたとしよう。これからももっと食費がかさんでしまう。それはつまり、お前が死地に出向く回数が増えることと同義であり、そこでお前が死ぬ可能性と比例してしまうわけだ。お前に三人分養うことができるのか?

 ……

 汗水が滴り、顎から滴が垂れる。息も荒くなってきた。口を覆うタオルは、汗と吐息で水浸しになる。囁く声は、利を見れば明らかに正論だ。

 いや駄目だろう。何度も自分にそう言い聞かせても、囁く声のせいで後ろを振り向く気になれない。体もいうことを聞かず、前に踏み出そうとしている。

 いずれ……そうだ。たかが一人のために何をムキになっている。そう妥協しようとした。


『―人――い―の――うい―――』


「――ッ!?」

 突然頭の中で声がフラッシュバックする。自分と板の距離が二メートルを達したところで、ハッとする。

 足を止め、考え込むこと数秒間……

「………………クソッ!」

 匠はバッグを下してはすぐさま踵を返し、声の元に駆け付ける。

「すまん、春香。俺、自衛官で、人を助けて人を守るのが仕事だから……すぐに帰ってくるから、たのむ、それまで待っていてくれ……」


「確か、この辺りのはずなんだが……」

 まさかここに踏み入れと言うのではないだろうなと、その思いを抱きながら、匠はその学校を見上げていた。

 その看板は風化していたり、血が被っていたりして一部読めなくなってはいるものの、辛うじて『○▼県◆ 都□△連第一×校』と読める。

 一層派手に漂う死臭、校門から覗く鮮血は、まるで地獄の入り口を体現しているかのようだ。耳を澄ませてみれば、『プェプェウェィン』『キュキュゥィ』と、得体のしれない鳴き声も聞こえてくる。絶対に何かいる。恐らく、怪物と鉢合わせになる可能性も高いだろう。

 もう此処にいるだけで、何故こんなところまで来てしまったんだと後悔しそうになる。顔を激しく横に振り、自分の体に鞭打って、自分の思想を押し殺し、突入を決意する。


 さっきから聞こえてくるこの鳴き声だが、その正体が分かった。

 見た目で判断するならば、ゴブリンやコボルトといった類の怪物だろう。妙に長く発達した鼻や耳、小さい体に黄緑色の肌、下半身にはお粗末な素材で作られた布が巻かれている。顔に垂れて入る汚らしい舌は、口の中に戻す気配がない。なるほど、実際目の当たりにしてみれば、これ以上に醜い生物はいないかもしれない。体がアンバランスでとても気味が悪い。

 だがどういう関係を持っているのか、この学校には、ゴブリンやコボルトと共に、オークと思われる怪物までいるではないか。

 黄緑色の肌というのはゴブリンと一緒だが、その二メートルはあろう長身に、まるで岩の様な筋肉、オレンジ色の髪、口からは犬場の様な歯が左右に出っ張っている。かなりゴツい。いわゆる、女騎士も、こんなのに強姦されたらたまったものではないだろう。

 そんな怪物どもなどを、柱や靴箱、本棚などに隠れてやり過ごし、本当にどうしょうもない時は、組手で首を絞めて倒していくなどをして先に進んでいく。

 行きついた先は、エレベーターであった。当然ながら、電気など通っているわけがない。ネオン灯も灯っていないボタンを押しても、恐らく意味はないだろう。おまけに扉は半壊しており、中から血塗れのエレベーターがむき出しになっていた。匠は、このポンコツが動かないこと、それを理解しているうえでここに来た。

 半壊した扉に、人間一人が入るには少しきつい穴、匠は強引に入り込むや、天井を見上げては、その天井をアッパーで破壊。すぐさま天井裏に入り込む。

 そしてすぐに目に飛び込んできたのは、恐らくこのエレベーターを支えていたであろうロープだ。匠はそのロープを掴んでは、チンパンジーの様に上り始める。途中で破壊音を嗅ぎつけてきたゴブリンやコボルト、オークが声を荒げているが、なるべく気に留めず、いち早く頂上を目指していった。どうやら奴らは追いかけてこないらしい。天井に起こっている異変に気付いていないようで助かった。

 しかし、その途中、ドゴオン!! と、爆発音に近いような音がした……気がする。

「……?」

 気のせいだろうか、少し地面も揺れた気がした。砂埃も落下する。しかしそんなこと気にも留めず、匠は上り続けた。

 昇り詰める事一、二分間、ようやく一番上の四階に到達した。何故四階と疑問を投げかける人もいるだろうが、これまでの調べでは、オーク、特に強い個体は、どういうわけか高所に好んで住むらしい。さっき見かけたオークは恐らく、結構位の低い個体なのだろう。今までオークの拠点は、山の上や、ビルの上ということが多かった。そしてさっきの悲鳴の発信地が此処だとしたら、オークの性質上、女性とオークは一緒にいる可能性は高い。

 だが、ここ四階、どういう事だろうか、静寂が支配していた。怪物の気配も感じられない。探す場所が違うのか……それとも……

「――ッ!」

一瞬、嫌な仮説が過ぎるも、それをかき消すかのように、辺りを急いで捜索し始めた。


「――ッ! 遅かったか!」

 椅子や机が滅茶苦茶に荒らされているものの、恐らく視聴覚室だと思われる。その場所には、肝心の救出対象の女性は見つかった。それは良いものの……匠の嫌な予感は見事に的中してしまい、その悲惨な光景を目の当たりにして、目を見開いた。

 その女性を中心に、血の水溜りが出来上がっているのがまず目につく。下半身を覆っていたジーンズが左右に裂けており、丁度性器が丸見になっていた。その性器自体も、異常と言えるほどに大きく裂けていた。血の水溜りも、ここから出てきている。

 強姦されたのだ。なんと酷い死因なのだろう。思わず匠は目を逸らしてしまう。

「……すまない……躊躇せず救助に出ていれば、助かったかもしれない命かもしれなかったのに……本当に、すまない……」

 後悔の念に駆られながら、指を組んで黙想。すること数秒間、黙想をやめ、匠はふと、破壊された窓から外を見上げてみる。

 見上げてみれば、見えてくるのは人間の死体と怪物の羅列、紅蓮に侵食された町。無茶苦茶になり果てたコンクリートや建造物。破壊と、死と、理不尽が謳歌する世界。何時になったら、この生活を脱することができるんだ。

 そもそも、なぜ自分たちは、こんな理不尽な目に合わなくてはならないのだろうか。この生活を続けてから、そんな事をずっと考えている。

 この醜い世界を一望していると……


 また匠の表情は、驚愕に塗り替えられた。

 見れば、今此処にいるはずがなく、居るべきではない人物が、骸骨共の大行列に追われていた。

「春香!? 何で此処に――クソッ!」

 何故此処にいるのか。すぐさまその疑問が脳裏によぎったが、今はそんなことどうでもいい。春香がなるべく逃げ続け、無事でいてくれるのを祈りつつ、春香との合流を最優先にする。

 匠はすぐさま、その視聴覚室から飛び出した。

 瞬間――

「――ッ!?」

 突如、巨大な腕に横っ腹を掴まれる。何事かと思えば、どこに隠れていたのだろうか、匠の目の前に、オークが今まさに匠を握り潰そうとしている。それもただのオークではない。匠は今まで、民間人を守る関係上、オークと一線を交えたことが多々あった。だがそれの殆どが、コイツの様に四メートルを超えるなどということはなかった。

 馬鹿な。こんな巨大な姿をした怪物の存在に、なぜ今まで気付けなかったんだ。

 その圧倒的な威圧感を漂わせる巨大な体、それは筋肉お化けとも比喩できる。匠の身長百七十九センチの体を持ち上げることなど造作もないだろう。その巨大さ故に、黄緑色の肌が余計に気味が悪い。

「パァスフォオオオンシュフォン!」

 聞くだけで嫌悪感が沸き立つこの鳴き声、その嫌悪感は、オークの嫌らしいニヤつきによってさらに倍増されていく。

「!」

 オークがとうとう、匠を握り潰しに来た。

 匠の肺が圧迫され、空気が吸い取られていく。呼吸をしようにも、肺には空気を入れるスペースがない。肋骨はズキズキと痛みが蝕み、激痛という形となって悲鳴を上げだした。

「うあああッ! あああああああああ!」

 悲鳴と共に、絞りカスの空気が吐き出される。何処かの骨も、ミシミシと嫌な音を立てだした。反射的に匠は、なけなしの威力を込めた蹴りで腕を放させようとさせるも、鋼の様な筋肉は微動だにしない。拳も同様、ドン、ドン、と空しい音がなっては、骨の軋む音と己の悲鳴に搔き消されるだけである。九ミリに手を伸ばすも、オークの腕が邪魔で取り出せない。

 激痛に藻掻いている匠とは対照的に、オークは俺の勝ちだと言わんばかりに大口を開けだす。

 オークを含め、怪物の多くは肉食。相手が人間だろうと何だろうと、見境なく喰らいつくその姿はまさしくケダモノ。今まさに匠は、そのケダモノの胃袋に放り込まれようとしている。

「――ッ!」

 悪足掻きと一瞬で理解できる、左腕を盾にして身を守る防御。肉食獣のような鋭い牙は、匠の左腕を鮮血に染め上げだ。

「ああああああああッ! うわああッ、あああッ!」

 更に追加された激痛、その鋭利な八重歯は、匠の左腕に食い込み、左腕の肉を裂き、骨まで噛み砕かんとしている。左腕からは、滝の様にどくどくと血が滴れ、また一つ鮮血の床が形成される。

「――なんでだよッ……お前らはッ、どうしてそうも、人間を見下しやがる!」

 やり場のない怒り、悲しみ、憎しみの連鎖は、相手には一切届かない。

「チクショオ……そこを、どけッ!」

 顔からは、悲しみと憎しみの涙が、左手からは理不尽を司る鮮血が流れ落ちる。そして、右手からは……

「悪趣味野郎にッ……付き合ってる場合じゃねえんだよっ!!!」

 怒りと憎しみが込められ、オークの目玉を貫いた。


「はあっ、はあっ、はあっ……」

 私の名は、広崎春香と言います。訳あって、現在多数の怪物達に追われています。一応、比較的安全の地はあるのですが、これも訳あって抜け出してきました。

 抜け出してきたのはいいんですが、匠さんのようには上手く隠れることができず、骸骨に見つかってしまい、死にもの狂いで逃げ回っています。

「はあっ、はあっ、匠さん……今どこにいるんですか!」

 壕の近くにバッグが置いてあったことから、匠はもうすでにコンビニから帰ってきた事が分かる。にも拘らず、今なお肝心の匠の姿が見えない。念のため、様子を見る目的もあってそのコンビニにも寄ってみたが、そこにも姿が見えなかった。怪物たちに見つかったのはその後だ。

 そこから先は、ただ我武者羅に逃げ回るだけだった。後ろからくる威圧感が鞭となり、もっと速く走れと、さもないと骸骨に喰われるのみだと焦らせる。火事場の馬鹿力とでもいうのだろうか、春香はお世辞にも足は速くはなかったのだが、逃走を初めてかれこれ一、二分は経過しているものの、未だに骸骨の大群は、春香に追いつかない。

 それでも、五体満足というわけにはいかなかった。走ることに専念するあまり、尖った岩や錆びた鉄パイプが肉に引っ掛かり無理矢理突き進んだわけで、結果的に切り傷となって、走る気力を削ぎ落していった。

 さらに、痛みだけでなく、当然ながら疲労も蓄積されていった。膝に重りがのしかかったかのような感覚に襲われる。左足がつって思うように動かない。

 今まで根性で何とかしてきた現状が……

「はあっ、はあっ、あっ!」

 瓦礫に躓くという形になって崩れ去った。

 その隙を、骸骨が見逃すはずもなく、すぐさま一体の骸骨が春香の体を取り押さえた。全身でのしかかられたかのような形で、春香は身動きが全く取れない。

 春香は心底恐怖した。目の前の、己の死という現実を目の当たりにされ、剰え怪物の糧となる。今まで頑張って生きてきたのに、この仕打ちは何なのだろうか。

「や、やめて……」

 骸骨が大口を開ける。今まさに、肩を噛み千切られようとしていた。

「嫌あああああ!! やめてえええええええ!!」

 瞬間――


 春香の体を取り押さえていた骸骨が、何者かによって蹴り飛ばされていた。

「!?」

 確かに、春香は死を拒絶していたが、本当に拒むことが出来るとは予想していなかった。数秒間唖然とするも、冷静に考えてみたら、この過酷あふれる世界で春香のことを助けてくれる存在など一人しかいない。

「ハアッ、ハアッ、ハアッ、クソッ!」

「匠さん!」

 匠は振り向きざまに、追撃してくる骸骨を拳銃で撃ち倒しながら「話は後だ! 乗れ!」と身体を低くして春香に指示した。春香自身も無意識だった。すぐさま立ち上がり、匠の肩を掴んでおんぶの体制を取る。

「振り落とされるなよ!」

 そう言って匠は踵を返し、春香を抱えながら走り去る。骸骨も後を追うが、追いつけそうな気配はしない。訓練で手に入れた身体、そして拳銃による射撃がこの結果を現している。

 とは言っても、匠とて骸骨達をそう簡単に振り払えそうになかった。

「ハアッ、ハアッ、……ッ!」

「――匠さん! その左腕……」

 なんですぐさま気付かなかったのか、ギリギリのところで助けに来た匠の左腕は、いくつもの風穴を開けて、大量の血を今なお零していた。もう少しのところで骨が見えそうになったところで、その痛々しい怪我に、春香は思わず目を逸らした。

「ああ……こりゃもう使い物にならないかもな……切断も覚悟しなきゃ……ッ――!」

 それは、匠と春香の耳に明確に聞こえた。ズン、ズン、と重苦しく、耳を劈く巨大な音は、まるで太鼓のようだった。

 匠は、この重量感漂う音……正しくは、この足音を聞いたことがあった。

 幻聴であってくれ。

 匠が心の片隅に唱えた一つの願い。この世界では希望的な願いなど大抵叶わない。故にまったくと言っていいほど祈ることなどしなかった匠も、今回ばかりは少し祈った。

 その祈りも、後ろから聞こえてきた『爆発音』によって跡形もなく吹き飛んで行った。

 匠は走りながらも後ろを向き、その爆発音の正体を確かめる。

 二本足で歩く牛、捻じれた角、ボディービルダーも真っ青な強靭な筋肉、LEDのように輝いている赤い瞳、匠は、その姿を見たことがあった。


 ミノタウロス


「ブゥルエルウェエエエフォルルル!!」

 ミノタウロスの咆哮は、匠達の体を震え上がらせ、耳を貫こうとしていた。

「嘘だろおい……クソッ、なんであんなのが来やがる!」

「嫌あ!もう嫌ああああっ!」

 匠は不満を漏らし、春香は目の前の厳しい現実に泣き出した。

 そういえばと匠は不思議に思っていた。さっきまで戦っていたオークの事だ。目玉を潰すという行為にまで出たのに、一向に追いかけてくる気配がなかったが何故だろうと。ミノタウロスが右手に持っている物に、その答えはあった。ミノタウロスが掴んでいるそれは、さっきまで戦っていたオークの下半身だ。よく見たら、ミノタウロスの口が血で塗れている。これ以上は想像したくない。それにしても、突進でもしたのだろうか、一軒の家が跡形もなく吹き飛んでいた。爆発の正体は恐らくこれだろう。本当に最悪な事態になったのは言うまでもない。赤い瞳がこちらを凝視している。

 その視線に背筋が凍った匠は、咄嗟に二軒の住宅の隙間に入り込む。ミノタウロスはそこらにいる骸骨を物ともせず踏みつけながらその隙間に潜ろうとし、その強大な力を前になすすべもなく住宅は倒壊していく。

 これでミノタウロスの脅威が拭えるとは思わなかったが、それどころか時間稼ぎにすらなっている気がしない。家を吹き飛ばしたのだからそりゃそうだとも思えるが、こんなものが咄嗟に思い付いた最善の策だというのだから、もはや万策尽きている。

 その隙間を潜り抜けた先に見えた二つの住宅の隙間に瞬く間に入り込む。匠達を追いかけるミノタウロスもそれに続く。狭く、通り辛いその隙間を強引に突き進み、両者の距離は段々縮まっていった。

「冗談じゃねえ!何か、何か手はないのか!」

ない物強請りしても、ない物はなかった。そうこうしている間にも、ミノタウロスとの距離は縮まっていくばかり。

 二軒の住宅の隙間を潜り抜けた瞬間――

「!?」

 突如として、地震が匠を襲い掛かった。走っている足は、地震でバランスを崩しそうになり、心臓が凍てつくかのような錯覚にみまわれた。

「ついてねえ!こんな時に地震かよッ!」

「……ちがう」

 震えあがる春香が、突然怯えながらに呟いた。

「匠さん!今すぐこの場から離れてください!はやく逃げてっ!」

 ミノタウロスに追われているというのに、今更何を言い出すのか。今すぐできるのならそうしたい所だが、それができないから今苦労しているのだろうに。

 そう思った匠は、後悔した。春香が言っていたのはミノタウロスなどではない。

 また『爆発音』がしたのだ。最初はミノタウロスなのだろうかと思って、ふと後ろを向いてみた。

 まず驚くべき光景が二つ。一つは、高さ十五メートルはあろうミノタウロスの巨体が上空に打ち上げられていたこと。そしてもう一つが……そのミノタウロスの巨体を軽く凌駕する巨大な柱が立っていたことだ。

 何事かと思って匠は、一旦足を止めた。

 よく見れば、その柱は動いている。重力に従って落ちてくるミノタウロスに噛みついて、大量の血飛沫を振らせていく。柱が出ている穴は、次々と柱を放出していき、徐々に柱の正体が露になっていく。

 それは、大きさと足を加味しなければ、蚯蚓に見えなくもない。あの目立つ太いアレこそ存在しないが、縦長で肌色の生物という点では蚯蚓に似ている。

 だが、大きさはどうだろうか。ミノタウロスの巨体を軽々と打ち上げたその身体は、まるで東京スカイツリーの様な大きさである。顔面を覗いてみれば、その巨大な口は、十五メートルはあろうミノタウロスの体を丸ごと飲み込んでしまった。

 その巨大生物には、足もついているのだが、これが不気味極まりない。その足は、あろうことか人間の腕の形をしていたのだ。しかも何十本も。これは蚯蚓というより、蜈蚣と言った方がいいのかもしれない。

 思い出した。例外として、現代兵器をもってしても対処が困難な個体がいるという話を。

 思い出した。学校に潜入した時に、地震が発生していたことを。あの時は気のせいかと思ったが、そうか、コイツが原因だったのか。

「春香お前はもしかして……コイツから逃げてたのか」

 二人は圧倒されている。春香はこちらを見てはいるが、言葉が出てこない。

「ごめん……春香…………」

 二人は涙を流した。二人の生きるという努力が、この絶望で全て崩れ去っていった。

「春香は、前に言ってたよな……ピアニストになりたいって……」

 匠は全てを諦めたかのような表情で言い放った。

「ごめん……その願い、叶えられそうにない」

 どうして……こんなことになった。

 怪物なんか俺が纏めて倒してやると言っていた日が懐かしい。

 ……もしも、もしも第二の人生を歩めるのなら、人々を怪物から守れるだろうか……

 彼らの物語はこれで終わりを告げた。


























「あなた」

 その女性は、疲労感こそ目に見えるものの、それ以上にこみ上げてきた笑みを浮かべていた。

「ご覧ください。立派な男児ですよ」

 おぎゃあ、おぎゃあ、と繰り返し泣きわめく赤子。その男性は、満面の笑みを浮かべていた。

「おお……やはり、赤子は何度見ても良いものだ。無邪気とは、何とも美しい……」

 自然と涙まで零れていく。それにつられ、女性も涙を零す。ああ、こんな元気な息子を産めてよかったと本気で思えた。

 新たな物語はここで始まりだした。

あーなんかファイアーエムブレムみたいな世界観書きてえ

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