彼のためのチョコ
世は2月13日。
明日がバレンタインと言うこともあり、街では少しはしゃいでいる女の子たちの姿がちらほら見られる。
そんな中に混じり、『彼女』は夜の街を歩いていた。
手に持ったカバンを楽しげに揺らし、顔は上機嫌。
その軽やかな足取りは、気を抜けばスキップになってしまいそうなほどに軽快である。
「明日はどんなチョコをあげようかな……」
どうやら彼女にもチョコを渡したい相手がいるようだ。
持っているカバンの中には、いくつか手作りチョコの材料らしきものが見られる。
そんな彼女の前に、三人の人影が現れた。
「ねぇねぇ君、何か楽しそうだね!」
「お兄さんたちはすっごい暇なんだよね。よかったら今からカラオケでも行かない?」
「え?」
突然男が三人彼女の行く手を阻んだ。
男たちは慣れた様子で彼女を取り囲み、逃げ場を減らす。
「退屈はさせねぇぜ?」
「絶対楽しいよ?」
「あの……ごめんなさい。急いでるんです」
そう言って彼女が男たちの間からこの場を去ろうとする。
すると、男の一人が彼女の腕を掴んだ。
「逃げんなよ。ちょっと来い」
「きゃっ」
「おいおい乱暴はよせよー」
「こんな上物逃せるかよ!」
彼女はとても美人であった。
それが彼らに眼をつけられた原因らしい。
暴れようとする腕を取り押さえられ、そのまま引きずられていく。
夜の街は人通りが少ない。
彼らはいつも通りの手口で、彼女を路地裏へと引っ張りこむ。
「ほら、楽しもうぜ?」
彼女の腕を掴んでいた男は、懐から注射器のようなものを取り出した。
中身は入っている。
それが危険な薬品であることは、誰の眼からも明らかであった。
「あんまり多く入れすぎるなよ? すぐ廃人になるぜ」
「わーってるよ!」
男は注射器のキャップを外し、押さえ込んでいた彼女の腕に近づける。
その柔らかい肉に針が刺さりそうになった――――その瞬間。
「いでっ!」
彼女の口を押さえていた男が、悲鳴を上げた。
見ると、その手に彼女の歯が食い込んでいる。
「くそ! やりやがった!」
男が彼女の口から手を放す。
すると、路地裏に気味の悪い笑い声が響き始めた。
出処は、彼女である。
「ふふふふ……」
「お、おい……クスリはもう打ったのか?」
「いや……まだ」
そう言って彼女を見た男たちは、気づいた。
彼女の手には、いつ取り出したかも知れない包丁が二本。
それからは赤い液体が滴っている。
彼らは気づいてしまった。
その液体が、血であると。
そして、自分たちの手首から先が、地面に落ちていることに。
「う、うわっ――――」
「き~めた!」
「ぐぺっ」
叫ぼうとした男の首が、瞬く間に掻っ切られる。
血を吹き出しながら倒れた男は、言葉も紡げず、やがて痙攣し始めた。
痙攣は徐々に収まっていき、止まる。
それは、彼の生命活動が停止した証しであった。
「ひっ」
「な、何だよこれ!」
男たちは後ずさり、逃げようとする。
しかし、走ろうとするとそのまま地面に倒れこんでしまった。
そこでようやく違和感に気づく。
――――足がない。
「あ、足! 俺の!」
「これのこと?」
彼女は、地面に落ちていた肉の入った靴を彼らの方へ蹴る。
二人の男の前には、自分の足首から先についていたはずの物体が転がった。
「私、決めちゃった」
そう言って、彼女は男たちに近づく。
二本のナイフから、赤黒い血を滴らせて……。
「明日彼にあげるチョコの材料は、あなたたちの血で決まり!」
「あっ――――」
二人の男の意識は、そこで暗転した。
この路地裏で動くものは、彼女以外にいない。
三つの命が、一分としない内に儚く散ってしまった。
しかし、彼女は大して気にした様子もなく、カバンに入っていた瓶に彼らの血を集め始める。
その量に満足したのか、彼女は瓶をカバンに戻して、その場から離れるべく路地裏の外へ顔を向けた。
「な、なにこれ……」
「あ」
そこには、一人の女性が立ち尽くしていた。
女性は彼女と目が合うと、顔面を蒼白させて逃げ出す。
「……えへへ、今年は奮発しちゃおうかな」
その様子を見送った彼女は、楽しそうに口角を釣り上げた。
◆◆◆
『昨夜のニュースです。昨夜未明、男性三人と女性一人の遺体が発見されました。遺体は損傷が激しく、毎年バレンタインの前日に起こる殺人事件の犯人の手口と思われ――――』
「……」
自分の家でコーヒーを啜る彼女は、目の前のテレビの電源を落とした。
そのまま立ち上がると、近くの扉を開けて中に入る。
「おはよう、たーくん。今年のチョコは気に入ってくれた?」
部屋の中には、ベッドに横たわる男の姿があった。
いや、それはもう人間の男とは呼べない。
ミイラ化した身体は異臭を放ち、彼の周りには赤黒い血がぶち撒けられたように広がっている。
「まだまだあるからね~」
ベッドの近くにあったホースを手に取ると、彼女はそれを彼の口の中に突っ込む。
そして、ミキサーに血とチョコを入れてかき混ぜ、それをホースを使って彼の身体に流し込んだ。
当然飲み込むわけがなく、その液体は吹き出して辺りに散らばる。
「もう、お行儀悪いよ? ふふふふふ……」
バレンタインの殺人鬼。
それは、愛する者の死で狂ってしまった女が、彼を生き返らせるために血を集めている、哀れで残酷で狂気にまみれた姿であった。