声色3
家に帰る途中、私の兄から1通のメールが届いた。自分は合鍵で今私の家にいて、話があるから出来るだけすぐ戻ってきてほしいということだ。ご丁寧に私の部屋で撮った自撮りも送られてきた。
私が家に帰ると兄はまるで自分の家のようにくつろいでいた。私は着替えなどを済ませ、ノートと、ペンを持って兄さんの前に向かい合って座る。
『兄さん、用件は』
「あー兄ちゃんな、これから3ヵ月くらい留学してくるから、その間母さんの友達の家に居てほしいんや。覚えてるやろ?よく野菜くれた家」
『そりゃ覚えてるけどさ。ていうか留学ってどこに』
「ドイツ」
『わお』
「びっくりだろ。まあ手続きやら何やらは全部やっておいたから何も心配する事ないよ」
『そっか、じゃあ気をつけて。お土産よろしく』
「はいはい」
兄は関西の大学に進学したため、少し方言がうつっている。兄の進学先の大学では、兄の学年になると特別な理由がない限り数ヶ月留学しなければならない決まりになっているようだ。それは私も聞いていたし、ちょっとした覚悟なんかは決めたつもりだったので、比較的すんなりと受け入れることが出来た。
次の日、私は電車に乗って母さんのお友達の家に、泊まりに行く時のセットと5冊組のノートを持って向かった。電車で30分くらいの所にある、元々私と兄が小さい頃住んでいた街に母さんのお友達は住んでいた。
電車が駅に着き、私がホームに降りると1人の女性が立っていた。
『こんにちは、今日からお世話になります。よろしくお願いします』
「あらー大きくなったねえ。大丈夫、お兄ちゃんから全部聞いているから。あ、覚えてると思うけど私は沙田春海。春海さんって呼んでね!また、はるみんでも可!」
『水澤美遙です。昔みたいに美遙ちゃんって呼んでくれると嬉しいです。じゃあ私はみはるんで!』
私の生きてきた中で、多分一番印象深い自己紹介だったと思う。いくら春海さんに乗ったとはいえ、自分でも「みはるん」は無いわと心の中でツッコんだ。
駅から車で3分くらいの所に春海さんの家はあった。昔から大きな家だなあと思っていたが、私が昨日まで住んでいたアパートの一室と比べものにはならないくらい大きい事が分かった。
「秋也ー!しゅうー!!」
春海さんは鍵でドアを開けると、大声で恐らく2階にいる人を呼んだ。家の奥で、階段を下りる音がする。その足音は徐々に近づいてきて、足音の主は玄関で姿を現した。
「何?母さん」
「あ、秋也!ほら、美遙ちゃん。言ってあったよね?今日からうちで過ごす事。」
『水澤美遙です。よろしくお願いします』
ノートを胸の前に出した時、何かが心に引っかかった。そう昔ではない記憶。
「あれ、昨日の…」
そう言われた瞬間、私は引っかかっていた何かの記憶を完全に思い出した。
『もしかして、沙田秋水先生?』