講義
首都エクシードから少し離れた場所には、鬱蒼とした森が広がっている。
『ライールの樹海』と呼ばれるその森は、かつてはその自然を感じる為に訪れる人も多い観光地だったが、今では多数のオメガが闊歩する場所へと成り下がってしまった。
もちろん今ではその場所を訪れる者など居なくなってしまったのだが、そんなオメガの巣窟を歩く一人の人物が居た。平然と歩き続けるその顔には、何故か黒い仮面を被っている。
オオカミオメガや鳥型のバードオメガ、蜘蛛に似た姿のスパイダーオメガなど、その場に居るオメガ達がその人物に気付いて様子を伺っているが、その人物は構う事なく森を歩き続ける。
「グギャオォォ!」
すると仮面の人物の左右の茂みから二匹のオオカミオメガが同時に飛び出し、仮面の人物を襲う。完璧に仮面の人物を捉えたオオカミオメガの攻撃。
だが、その攻撃は仮面の人物をすり抜けて二匹のオオカミオメガは互いに頭をぶつけた。
「ギャオン…!」
何が起きたか理解してない二匹のオオカミオメガが、今度は仮面の人物の背後から襲いかかり、前方の木の枝の上からはスパイダーオメガが仮面の人物へ向かって太い糸を発射する。
だが、またしても飛びかかったオオカミオメガの体は仮面の人物の体をすり抜けて、同じくすり抜けたスパイダーオメガの太い糸に絡まり地面に落ちた。もがくオオカミオメガだが、その太く粘着力のある糸からは逃れられない。スパイダーオメガは仮面の人物には興味を無くしたようで、オオカミオメガの方へと移動していく。その間も仮面の人物は、変わらない速度で歩き続けた。
それから少し歩いて行くと仮面の人物の前に小さな教会のような建物が現れ、それを確認するとその建物の方へと歩いて行く。
そして建物の前まで来た時、その上空から突然「キュイィーン」という鳴き声と共に、普通の鳥より一回り大きいバードオメガが突進してきた。
バードオメガの攻撃の瞬間に、仮面の人物の体が少し光ったと思うと、またもその攻撃は仮面の人物の体をすり抜け、バードオメガの体は地面に接触しその上を滑っていった。だが今までと違い、地面に落ちたバードオメガの頭部は切断されて消えていた。
パチパチパチ。
拍手の音が聞こえたと思うと、建物の影から別の白い仮面の人物が姿を見せる。
「相変わらず素晴らしい動きですね。攻撃を瞬時にかわし、瞬時に元に戻る…… 私にはすり抜けている様にしか見えませんよ」
その声は仮面の影響か、機械のような声色になっている。
「またご謙遜を……。俺の動きなど、あなたに比べれば赤子同然です。しかし、てっきり中に居るかと思いましたが……」
「ちょっと昔のように自然を感じて歩きたくなってね。……まぁ、無駄足になりましたが。では、中に入りましょうか」
「はい」
二人の仮面の人物は建物の中へと入って行く。その中も教会のような内装をしていて、神秘的な雰囲気を出している。
「この場所はいつ来ても良いですね。オメガが現れる前のままだ。昔はよくこの森に来ては、ここで遊んでましたよ」
「そうですか」
並べられている長椅子の最前列の長椅子に白い仮面の人物が座ると、黒い仮面の人物もその隣に座る。
「それで、どうでしたか?」
「はい。エボルヴに居たドラゴンオメガは、今年入ってきた訓練生によって倒されました」
「そうですか……。倒されましたか……」
「はい」
「……契約は?」
「結んだようです。ただ、倒した者とではなく、そこに居合わせた者と…… ですが」
「ほう…。倒した者とではなく、そこに居合わせた者と? ……それは珍しいですね」
「はい。倒した者には、ドラゴンオメガと契約出来る程のキャパシティが無かった為かと思われますが……」
「なるほど。普通なら考えられない事ですが…… ドラゴンオメガは特別ですからね。自由ではなく契約を選んだ……。まぁ、我々には都合の良い事ですね」
「はい。しかし、契約を結んだ者はキャパシティは素晴らしいですが、力はまだまだ一般的な人達と変わらないレベルです」
「ふむ……」
白い仮面の人物は立ち上がり、目の前の壁の真ん中に埋め込まれている女神像の前まで近づく。
そして、その女神像の顔を見上げながら言った。
「ドラゴンオメガと契約をしたのなら、次第に力も付いて来るでしょう。そして、その時が来れば我々の目的が達成される事になる……」
そこまで言うと、女神像を見上げていた白い仮面の人物は黒い仮面の人物の方へ振り向く。
「世界の崩壊…… がね」
「はい」
その言葉に黒い仮面の人物も立ち上がり、手を自分の胸に当てて姿勢を正した。
「ところで、その契約した者の名前は何と言うのですか?」
「シュウリア・ストレイヴです」
▽
「ハーックショイ!!」
誰かが噂をしているのだろうか?
自分でもビックリするくらい大きなクシャミが口から出てきた。そんな俺に講義室にいる訓練生達の視線が集まり、何処からひそひそ話も聞こえてくる。
「アイツだよ。シュウリア・ストレイヴ。ドラゴンオメガと戦っていた奴」
「ああ、あのヘッポコか~」
「そういえば、あの人、案内の時にトイレ行くって叫んでなかった?」
「言ってた言ってた!」
「てか、あの変な生き物なんなんだ?」
「あの時のドラゴンオメガらしいぜ?」
「ウッソー! 可愛いじゃん~」
うーむ……。
流石に色々目立つ事をしちゃったからか、俺の認知度もなかなかのようだ。……ヘッポコとして。
「はいはい! 皆静かにしなさい! シュウリアもクシャミするなら、もう少し抑えてやってくれないかしら?」
「は、はい! …すいません」
俺が恐縮すると、クスクスという小さな笑い声が色んな所から聞こえてきた。
しかし、こういうのも学生生活に戻ったみたいで懐かしいな。当時はつまらないと思っていたけど、社会人を経験した後だと楽しく感じる。
「ちゃんと話を聞いているのかしら? ニヤニヤしたシュウリア君?」
アンナ教官が満面の笑みで語りかけてくる。その笑顔が余計に怖い。
「は、はい。聞いています!」
「まったく……。他の皆も笑ってないで、ちゃんと聞くように!」
これ以上目立つのは得策ではないと思い気を引き締めていると、前の席で俺を睨み付けている少女がいた。
ルティア・アーヴィングだ!
マズイと思って姿勢をピシッとすると、ルティアはフン…… という感じて顔を逸らす。
なんか目を付けられているなぁ…。
「……どうしたの?」
隣に座っているユユハが首を傾げて聞いてくる。因みにユユハが隣に居るのは、俺とユユハの間の机の上でつまらなさそうにしているフォウルのご指命だ。契約の条件として、俺は基本的にユユハの側に居なくてはならない……。まぁ、俺は構わないし、ユユハも構わないみたいだから今のところ問題はないんだけど。
「いや、なんでもないよ。ほら、ちゃんと話を聞かないとアンナ教官に怒られるぞ?」
「……うん」
「えー、今日皆に教えたいのは、何故アーヴィングの傭兵はこんなに強くなったか? という事です。えーっと、じゃあクライヴ! 何故だか分かる?」
「え!? 俺!? ……んー、訓練したからじゃないのか?」
クライヴが頭をポリポリ掻きながら答える。まあ、それはそうだよな。
「うん、それは勿論そうなんだけど、そんなのは他の傭兵もしてるでしょ?」
「ああ、それもそうだな~」
「まぁ、これが分かる人は居ないと思うから答えを言うわね。何故アーヴィングの傭兵はこんなに強くなったか? それは、アーヴィングの傭兵にはオメガと契約する技術があるからです」
「契約……」
訓練生達は「オメガと契約ってなんだ?」「聞いたことないよね」といった感じだけど、俺はその言葉を知っていた。ただ、その意味が人間とオメガが互いに力を与える事だというのはフォウルから聞いていたけど、イマイチ分かっていないんだよな……。
教室内がザワついていたが、アンナ教官がコホンと咳払いすると、訓練生達は静かになった。
「契約というのは、キャパシティ内にオメガを取り込む…… つまり、ストックする事でそのオメガから力を貰うというものです。キャパとストックの事を知らないって人は後で私に聞いてね。まぁ、ここにいる人達は皆知ってると思うけど、例外もいるかもしれないしね」
そう言って俺の方をチラッとみるアンナ教官。
ハハ…… 例外って俺の事か?
てか、キャパシティとストックはそんなにポピュラーなのか?
「基本的にどのオメガとも契約を結ぶ事が出来るけど、そこら辺にいる弱いオメガと契約した場合は、もちろん与えられる力も弱いです。だからより強いオメガと契約するのが一般的な考えだけど、ひとつ問題があります。それは何でしょうか? ……ナイマン君!」
「あっ、え、あ……、僕っすか?」
前の席に座っていた男子訓練生が突然の指命に慌てふためきながら立ち上がる。
「え、えーっと、つ、強いオメガは倒すのが辛い! っす!」
「外れ♪」
「あぅ……」
何故かビシッと敬礼しながら答える男子訓練生に、アンナ教官はサラッと不正解を突き付ける。敬礼男子はそのままゆっくりと席に崩れ落ちた。
「強いオメガと契約をする時に出てくる問題…… それはそのオメガをストックする事が出来るキャパシティの容量があるかどうかです。例えば武器とかの物質をキャパシティにストックする時はその物質の質量と必要容量は比例するけど、オメガの場合は質量もそうですが、それよりもその強さで必要容量が大きくなります。小さい体でも強いオメガだと、ストックする為のキャパシティの容量が大きく必要って事ね」
ふーん、そうなんだ。
アレ? 待てよ?
そう言えば俺、ストックのやり方知らないんだった……。フォウルは勝手に入ってきてるだけだし、あんなの出来るようになるのか?
「だから大きくて、しかも強いオメガと契約するには凄い容量のキャパシティが必要となるので、そんなオメガとの契約は中々難しいと思います。……まあ、若干一名それをした人がこの中にいますが」
教室内がまたザワつき始める。多分俺の事なんだと思うけど、皆分かっていないらしい。フォウルを連れてはいるけど、それはペットか何かで契約してるとは思ってないようだ。まあ、わざわざ言うのも面倒そうだから言わないでおこう。
そう思っていたのに……。
「ハイハイ! それシュウリアの事だろ?」
近くにいたクライヴが余計な事をしでかしてくれた!
「ええー!?」
「うそー!?」
「マジ!?」
そんな声が多数の視線と共に俺に送られてくる。ルティアもそうだとは思っていなかったようで、驚いている顔をしていた。
「本当…… フォウルと契約してる」
隣のユユハもフォウルを抱き上げてよく分からない援護射撃をしてくる。
しかし、フォウルの奴…… ユユハには文句を言わないらしい。
「そう。シュウリアはあの生き物…… ドラゴンオメガと契約出来るほどのキャパシティを持っているのよ。ドラゴンオメガをストックする為にどれくらいのキャパが必要か想像できないと思うけど、想像できないくらい凄いキャパが必要って事よ」
アンナ教官がそう言うと、さっきとは俺をみる目を変える訓練生達。これはこれでやりづらい気もする。
「話が逸れたけど続けるわね。良い?」
アンナ教官の言葉に訓練生達は前を見る。
「契約で注意する事は、オメガも私達から力を貰っているって事よ。と言ってもそれは健康的に過ごしていればそんなに気にならないことだけどね。ちゃんと食べて、体力付けて、ちゃんと寝る! そういう生活をしてれば問題はないわ。それを怠れば体がすんごーくダルくなるからね」
そっか。オメガも力を貰っているんだもんな……。
ん? てことはフォウルも?
「なあフォウル、お前も俺から力を貰っているのか?」
「貰ってはいる。だが、お前は領域は大きいが力は底が見えているからな。だから我はこのような姿をして、極力お前の中に入らないようにしているのだ。そうする事によってお前への負担も少なくなるからな」
「え? そうなの?」
てっきりユユハと一緒に居たいから外に出ていると思っていたけど、俺の力を考えてそうしていたのか……。
俺は少しだけフォウルとの距離が縮まった気がした。
「でもキャパシティが大きくてストックも出来るってだけじゃ契約は出来ないのよ」
「え? どういう事ですか?」
訓練生の一人がアンナ教官に聞く。
「キャパシティは、大きさは人それぞれだけど誰でも持っているものだし、ストックも訓練すれば出来るようになる。あなた達みたいにね。でも契約はアーヴィング特有の技術なのよ。だからこそアーヴィングカンパニーは大きくなったんだから」
そうか…… 俺はストックとか出来ないけど、ユユハもオーリもクライヴもシエルも皆はその技術を持っている。アーヴィング以外の傭兵や強者もその技術は持っているだろう。もし、キャパシティとストックだけで契約出来るなら、とっくにしてる気がするもんな。
「オメガと契約するの為に必要なもうひとつの技術は…… コレよ!」
アンナ教官がそう言うと左手を広げて俺達の方へ突き出した。その掌には何かの模様が刻まれていて、アンナ教官が力を入れるとそれは赤く輝きだす。
「オーリ、この印が見える?」
「はい。なにかΩのような記号の中に、丸い点がある印でしょうか?」
「その通り。これこそオメガと契約する為のキーなの。ドラゴンオメガの印とオメガの目と同じ赤い輝き。オメガと戦う前にこの印を示し、オメガを倒す事でオメガと契約出来るようになるわ。ただし、契約を望む者が一人で戦い勝たなくてはいけないの」
「ドラゴンオメガの印……?」
そうか! どこかで見たと思ったらフォウルの額にある印と同じなのか!
俺はフォウルの顔を見てみると、確かにその額の印はアンナ教官の掌の印と同じ形をしていた。
「アーヴィングカンパニーの傭兵になると左手の掌に特殊な装置でこの印が刻まれるの。そして、この印はその人が死んだり、傭兵を辞めたり、考えたくないけどアーヴィングを裏切ったりすると消されてしまうわ。もちろんアーヴィングカンパニーの最高機密だから、関係者以外のには決して口外しないようにね」
「はい!」
しかし、あんな印があるなんてな……。
最高機密か。これはうっかり口を滑らせないように気を付けないとな。
「最高機密だからな、他の人とかに言っちゃダメだぞクライヴ?」
「テメー! シュウリア! 何で俺だけに言うんだよ!」
しかし、そんな契約の仕方とかどうやって知ったんだろう?
たまたま…… な訳はないよな。
「因みに、オメガという名前の由来はこの印なのよ。オーリも言ってたけどΩという記号に似てるでしょ?」
「へぇ~」
「これでオメガとの契約については多少分かったと思うけど、もうひとつ教える事があるの。それはオメガドライブという力よ」
「……オメガドライブ?」
「オメガと契約しただけでも強くなれるけど、本当の力はこのオメガドライブという力よ」
「それはどういう力なんでしょうか?」
「簡単に言えばオメガの力をより強く使えるようになるって感じね。実際やってみないと分からないと思うけど、その力は凄いってものじゃないわ」
「オメガドライブか…… それがどのようなモノか試してみたい気はするな」
隣に座っているシエルが珍しく興味ありげに呟いた。
「さすがのシエルも興味津々って感じだな」
「う、うるさいな」
ちょっと照れるシエルにちょっかいを出してると、アンナ教官は話を続けた。
「でも、オメガドライブは諸刃の剣よ。凄い力を得る反面、消費する力も凄いから注意してね。ここぞと言う時以外は使わない方がいいわ。下手したら死ぬかもしれないからね」
「し、死ぬって、そんなにスゲーのかよ? 大丈夫か?」
「やり方は…… まぁ、契約すれば自然に分かると思うわ。とりあえず甘く見ない事! いいわね?」
「はい!」
「それじゃあ…… まだちょっと時間があるわね。何か聞きたい事はあるかしら?」
「ハイ!」
真っ先に元気よく手を挙げたのは、一番前に座っているルティアだった。その雰囲気は真面目な優等生な感じがしてくる。
「はい、ルティア」
「強いオメガと契約するには大きなキャパシティが必要との事ですが、キャパシティを大きくするにはどうすればいいのでしょうか?」
「キャパシティを大きく…… か。それは中々難しいのよね。これといった効果的な方法はいまのところ無いのよ」
「そうですか……」
「訓練していけば少しずつ大きくはなるわ。ある人が言うにはキャパシティとはその人の器のような物。その人の器が大きければ、キャパシティも大きくなる。寛容な心、広い心、全てを受け入れられる心…… そういうのが関係してるらしいんだけどね」
「その人の…… 器」
「強さとは戦闘レベルだけじゃないって事よ。だからキャパシティを大きくしたければ、そういう心を育んでいけばいいと思うわ。簡単じゃないとも思うけどね」
「はい! ありがとうございます!」
キャパシティとはその人の器のような物…… か。俺のキャパシティは大きいみたいだけど、俺の器が大きいかと聞かれるとそうじゃない気もするんだけど……。
「という事は、シュウリアは器の大きな人ってことですね!」
後ろに座っているオーリが笑顔でそう言って来て、少し照れくさくなる。
「器の大きさねぇ~」
クライヴが頭の後ろで手を組み、何かを考えるように背もたれにもたれる。するとシエルがクライヴの方を見てニヤリと笑った。
「そうだとしたらお前のキャパシティは小さいだろうな」
「なんだとテメー! そりゃこっちのセリフだスカし野郎!」
「クライヴ! 静かにしなさい! ……それとも、可愛い名前で呼ばれたいのかしら?」
「ンな!?」
可愛い名前というのは ……まさかクーちゃんか?
「どうなのかしら?」
「くそぉ……。分かったよ! 静かにしてますよ!」
「はい、それで結構よ。それじゃ、良い時間になったから休憩にしましょう。休憩後は各自訓練をすること! いいわね?」
「はい!」
「それでは解散」
そうして、初めての講義は終了した。
色々分かったような、分からないような話だったけど、少しでも前に進めるように頑張ろうと改めて決意する。
因みにこのあと、クーちゃんの名付け親である俺がクライヴから散々文句を言われたのは言うまでもない……。