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第八話

 最初の小競り合いが起こってから二か月。軍事力でほぼ同等のグラフィス、ドラグール両国は互いに反感を強め、小競り合いを繰り返していた。そして一向に決着の付かないこの状況を打破するため、両軍は主力を集めての一大決戦の準備を進める。

 そしてその準備がようやく整い、実際に両軍の主力が対峙。戦争における捕虜の処遇、民間人への攻撃についてといった最低限の規定を定める会議が開かれ、(この世界におけるこのような会議は、開戦直前に軍が対峙した状態で行われる)その後にはいよいよ開戦か、

 そう思われたその時、ブレイズ、アカバ、両国でも名を知られた二人の将軍が重要な情報を持ち帰り、両国がこの情報について話し合う必要があると報告する。 

 本来、一将官に軍全体や国が動かされるなどありえないことだ。しかし軍内部のみならず政治家の中にも二人に信頼を寄せる者は少なからずいたし、両国ともこの二人のもたらす情報の重要性は高いと判断していた。

 そこで両国は会議の最初に、アカバ、ブレイズ両将軍に、この情報について報告する時間を与えることを決定する。それはこの会議で二人が戦争回避に持ち込むことに失敗すれば、両国の開戦は確実なものとなる事を意味していた。


 太陽が赤く輝き、遠く地平線の彼方へと沈もうとする頃。森林の中央付近に広がる平野。そこで後の歴史を変えるかもしれない会議が開かれようとしている。

 陣幕が張られ、その中にグラフィス、ドラグール両国の代表が十名ずつ対峙する。彼ら全員は名の知れた政治家か将官で、アカバ、ブレイズからは重要な情報がもたらされるとのみ知らされており、その詳しい内容は初めて聞かされる状態だ。

 それに対しアカバとブレイズは、そのどちらの集団にも属さず、味方であるはずの両集団に挑む。だが二人はあくまで軍人であり、このような政治的戦場は全く畑違い。極めて不利な状況に、台本も資料の一つも用意できないまま、ほとんどアドリブに近い状態で挑まねばならないことに、歴戦の二人も頬に汗を伝わせる。それでも二人には確かな勝算があった。だから二人は挑む、これを天下分け目の戦いと心に刻んで。


 やがて会議は始まる。そしてアカバはそれと同時に、

「先ず単刀直入に言います。この戦争の発端となったグラフィス、ドラグール両国の関係が悪化するような事件の数々。その大部分は、両国に戦争をさせることを望む、ある国によって裏から糸を引かれ、起こされたものです」

 そう言い放つ。この言葉が、彼らの天下分け目の戦いの開戦の狼煙となった。

 アカバの一見突拍子もないように聞こえる言葉に、場は一瞬にして騒然となる。両国の代表者は、それぞれにアカバの発した言葉に意味を探り、隣の者と言葉を交わす。が、アカバ達の耳に入ってくるのは、アカバ達の言葉に否定的なものが大半を占めているようだった。そんな中で一人のグラフィス軍将校が立ち上がり、

「いきなり何を言うのか。それらの事件については、すでに両国が十分な調査を行い、それぞれの結論に達している。それに一将官が口をはさむ余地はない。それでもと言うなら、先ず十分な説明と証拠を上げるべきではないか」

 そう正論で二人を非難する。その言葉に、他の両国代表者たちも頷く。だが勿論二人は全く動じていなかった。そしてアカバの言葉を引き継ぎ、ブレイズが、

「今から詳細を報告します」

 そう押しつぶすような、低く、威圧感のある声で言う。そうして張りつめた静寂の中でブレイズは報告を始める。

 それから彼の語った内容を要約するとざっとこのようなものである。

 事件を起こした者達は、ある国から莫大な資金、武器、人的援助を、彼ら自身が気づかないほど遠まわしに、時間をかけて受けていた。それらで増強された彼らは、国家ですら手を出しにくい裏の業界を介し、国家の重要人物に雇われる、または誘導される形で事件を起こした。

 事件の他にも、両国の関係が悪化するような噂を流したり、兵器が売れないと困る軍需産業をたきつけたりと、その国の活動は広範囲にわたった。そしてそのすべてが何年もの時間をかけて入念に、尻尾を掴まれないよういくつもの勢力を間に挟む形で遠まわしに行われていた。そのため気づくことができなかった。

 ブレイズはそう一気に語り、そこでようやく一息ついて周りの者達を見回した。周りの者達はそれぞれ思考し、考え深に頷く。中には思考が追いついてない者もいたのか、しばらく沈黙は続いた。だがそんな中で、一人の竜人が立ち上がり、

「なるほど、確かに信ぴょう性は高そうだし、現実的に不可能ではないだろう。だがそのことと、実際にそれが行われたかは別問題。何か証拠はあるのか?」

 そう問いかける。それにアカバはしっかりと頷くと、

「事件の内いくつかは、すでにその国の者が関係していたことを示す証言を得られています。その国が抱き込んだ身内のものも調べれば出てくるでしょう。しかしそれだけでは決定的な証拠とまでは言えませんし、それ以上のものを見つけるのは我々二人の権限では難しく、また時間も足りませんでした」

 そう、内容の割には自信の感じられる強い口調で答える。その言葉に、周りの者達からは落胆の声が次々と上がった。その程度では証拠としては完全に不足なのだ。

 だがそんな中、彼は続けて、

「しかし、そのある国から逃亡し、我々にこの情報をリークした証人ならいます」

 そう、衝撃の一言を言い放つ。それと同時、思考が停止した場の者達により一瞬の沈黙が生まれ、だが次の瞬間、陣内は一気に騒然となった。

「証人だと!?」

 竜人が他の者達を代表して驚愕を示す。その言葉にアカバは、淡々としながらも力強い声で、

「はい。そもそも今回の事件の真相は全て、ある一人の人物からもたらされたもの。我々が行ったのはその情報の裏をとること。それに事件を起こした者達に追われるその人物を保護すること。ただそれだけだったのです」

 そう、隠された真実を告げる。この時、会議の流れは、最初の好戦的雰囲気から完全に打って変わり、二人のものとなっていた。

「その証人は今?」

 竜人が緊張した声で問いかける。それにブレイズは毅然とした態度で、

「すぐ外に控えています。呼んでもよろしいでしょうか?」

 そう問い返す。その言葉に、両国の最有力者が頷くと、それを確認したアカバはその人を呼ぶため一旦陣の外へ出る。

 陣の中の者達の騒ぎは収まらない。突然の状況変化に、他の仲間に意見を求める。そうして他の仲間と意見を合わせることで、不安を払拭しようとする。しかしそれができない。それぐらい誰もの意思が揺らいでいた。

 そんな中にアカバと、もう一つの人影が入ってくる。騒いでいた者達も、入ってきた人影に視線を送り、その人の姿を見た瞬間から、誰もが驚愕に口論をやめ、その人の姿を見つめた。

 そこにいたのはまだ年端もいかない、一人の美しい少女。その姿に、それまで騒然としていた陣内がうそのように沈黙する。それは突然の少女の登場に意表突かれたというだけではない。少女の纏う年齢不相応の雰囲気に、両国の代表者たちですら、誰もが尋常でない気配を感じ取ったからだ。

 歴戦の勇士であるアカバとブレイズでさえ緊張を隠せないその場所を、少女は陣の奥まで颯爽と歩み、両国の代表者たちにを正面に見据え、堂々対峙する。

 待ちに待った決戦の舞台。少女はそれを正面に見据え、一瞬、ふと目を閉じる。そうして思い浮かべるこれまでの日々。その最後に彼女は、少年の姿を思い浮かべた。

 次の一瞬、少女が瞳を開くと同時放たれる畏怖に近い圧力に、周りの者達全てが圧倒される。だが彼らは気づかなかった。少女が同時にはらんだ弱さ、儚さ、矛盾した二つをぎりぎりで保つ健気な心、それを支える少年の存在に。

 そして少女は、彼女のことを紹介しようとするアカバを手で制し、

「心ある皆様、どうか聞いてください」

 つむぎだす、

「真実を」

 己の伝えるべきことの全てを、言の葉に込めて。

「ある時、人と竜の大国に挟まれた場所に小さな国があり、そこに一人の王様がいました。王様は普段は優しい人で、森で見つけた身寄りのない子供を、自分の娘として育てたりしました。ですが、ある目的を持っていて、その目的なためなら、どんなことでもするという人でもありました。

 王様は目的を果たすためには、大きな力を手に入れる必要があると考えました。そしてある大国の協力を取り付け、その国からの援助で軍備を増強し、城を改修し、ある計画の準備を進めました。それは人と竜、二つの国の間に戦争を起こさせる計画でした。

 計画は実行されました。そして思いのほかうまくいきました。人と竜の国は真実を知らないまま、互いを憎み合いました。王様のやることはすべてうまくいき、後は大きな戦争が始まるのを待つだけという所まで来ていました

 でも、それを快く思わないものがいました。それは他ならぬ、王様が森で救った娘でした。娘は王様が戦争を起こす原因を作り、たくさんの命を死に追いやるのが耐えられませんでした。だから娘は城を抜け出しました。人と竜の国に真実を伝えるために。そして今、その娘はここに立っています」

 そう一気に口にすると、そこでいったん言葉を止める。そして息を吸い込むと、真実を告げるのだった。

「私はテル王国王女、哀。事件を指導した者の正体は、テル王国国王。そしてテルを支援したのは、西の海を隔てた先にある超大国、聖エメリア共和国」

 つむがれた言の葉が陣を駆け抜け、誰もたどり着くことのできなかった真実が、全員の目を覚まさせる。

 長い沈黙が辺りを包む。その沈黙は全員を現実に呼び戻すのに必要な時間だったのだろう。やがてグラフィスの政治を司るものが、沈黙を破るように、

「大将。今の話の信ぴょう性と現状、これからの展望を、軍事的知見から見てどう思うか聞きたい」

 そう問いかける。その頬には一筋の汗が伝っていた。一方その問いかけに、現グラフィス陸軍の実質的トップである大将も、やはり緊張を隠せない様子で、

「話の筋は通っています。諜報部を総動員すれば真偽ははっきりするでしょう」

 そう言い、ですが、と続け、

「問題は調査の結果を待てないほど差し迫っているといえます。この場にいる全員が承知の事と思いますが、共和国の国力、軍事力はグラフィス、ドラグール両国を合わせたそれをはるかに上回っております。それが前の大戦以来攻めてこなかったのは、かの国が他国と交戦中で、両国攻略にさける戦力を抽出できなかったからに他なりません。

 しかし近頃噂になっている共和国軍の南方からの引き上げ話。敵の厳重な防諜網によりまだ裏は取れておりませんが、これが真実だった場合、共和国はグラフィス、ドラグールが連合を組み、全力で防衛戦を展開して、ようやく食い止められるかどうかという程の戦力を展開することが可能です。

 さらにテル王国が敵についた場合、テルは小国で兵力こそ少ないですが、国内に有力な山城と港を有しています。この城にこもられた場合、攻略には大きな労力が必要。加えて城のふもとには港があるため、共和国軍の援軍が来た場合、容易に上陸される危険があります。

 共和国という超大国が相手の戦争。それを海岸近くに敵側の山城と港という重要拠点を抱えたまま迎えるのは、あまりに危険。何にしても、早急に動く必要があるといえます」

 そう、何の躊躇もためらいも挟まずに断言した。その言葉に、周りの者達が低く唸る。だが反論はもう出ない。それはグラフィスとドラグールの戦争を回避できたことを意味していた。だが本来の目的がほぼ達成され、喜ぶべき状況にもかかわらず、わずかに不穏なものを感じたブレイズは加えて、

「短期間での城攻めはリスクが大きすぎます。テル国境中心に敵の目にも見える形で、城や砦など強固な防衛網を構築すれば、海を越えての大遠征となる敵は進行を躊躇するはず。それならば戦争そのものを回避することも不可能ではないはずです」

 そう話の流れを修正しようとする。だが、

「これは歴戦のブレイズ将軍らしくもない。そのような消極策では勝てる戦も勝てませんぞ。ここは共和国の援軍が来る前に城を落とし、テル王国を滅ぼしてしまうべきです」

 そうドラグール側の一人が言う。その言葉に、話の流れを理解した哀達はここにきて危機を覚える。彼女の目的はあくまで戦争そのものの回避。そしてそれは先ほどブレイズの言った策で達成されるはずだった。だがこのままではグラフィス対ドラグールという戦争の構図が、グラフィス、ドラグール連合対、テル、共和国連合という構図に変わるだけであることを意味していた。

「真の敵は共和国、テルなど簡単につぶせる。山城だけがやっかいだが、相応の損害を許容するなら、力攻めで何とでもなる。幼竜が敵の援軍で巨竜になる前に、落すべきだ」

 そうグラフィス側の一人が同調すると、さらにほかの者達も呼応していく。その展開に、アカバは流れを変えようと、

「お待ちください、テルは小国とは言え一万弱の兵力を有しています。その全てが城にこもったなら、力攻めでの攻略にどれほどの損害が出るか分かりません。加えて敵は城を改修し万全の態勢で待ち受けています。共和国の援軍がいつ来てもおかしくない状況でその策は」

 危険すぎます。そう続けようとして、だがグラフィス側の一人が、

「何を言う!」

 それを遮る。その男は以前からアカバを異端と軽視してきた者の一人であり、同時にグラフィス軍に兵器を納入する会社を傘下に持っていた。

「テルの兵など、我ら二国の連合軍の大軍を前に恐れをなし、降伏するか大半が城をおいて逃げ出すかに決まっている。共和国は海を渡って大軍を移動させる必要があるのだ、到着までどう考えても数か月はかかる。

 何より、我々二国はテルに踊らされ、多くの命を失ったのだ、貴様はその者達の無念を晴らそうとは思わんのか!」

 そう吠える。アカバはその言葉の裏に、そろそろ大きな戦争が起こってもらわないと会社が儲からないので困る、という本音を見、歯ぎしりする。だが場の者達は大部分がその男の言葉に同調し、ごく一部、アカバと親しいものや、そうでなくても事態の本質を見抜き、合理的な判断を下せるもの以外、全てがテルに侵攻すべしと主張する。その状況に、

「待ってください」

 哀は必死に、

「戦争が起これば、たくさんの人や竜が死んでしまいます。だから」

 そう訴えようとし、だが一人が、

「黙れ、小娘」

 先ほどまで彼女の存在に圧倒されていたのも忘れてそれを遮り、

「現実を知らん小娘の出る幕などない、引っ込んでいろ」

 そう抑え込む。目がさめたばかりの者達は、また迷走を始める。だが一度こうなってしまうと後は数が物を言う多数決となる。アカバ達はあくまで合理的、理性的に戦争回避を説いたが、その流れを変えることは出来なかった。

 数時間の議論の後、歴史が変わる条約が締結される。だがそれは哀達の思惑を超え、新たな混沌へ舵を切る結果を生んだに過ぎなかった。




 太陽が地平線に沈み始め、真っ赤な光が世界を夕焼けに染め上げる世界。そんな中を今、数万の人間の兵士と、数千頭の竜の軍が行軍する。彼らの向かう先に見えるのは、海岸近くにある小山に築かれた山城。城の城壁にはテルの国旗のほかに、共和国の旗まで掲げられ、守備する兵士の中にも、共和国軍の装備を身に着けた者が多数いた。

 もはやテルは共和国と結んでいる事を隠そうともしていない。グラフィス、ドラグール連合軍はこの城を包囲しにかかる。戦争が始まるのは時間の問題だろう。哀はそんな光景を悲しげに見つめる。だが彼女にもう打つ手は残されていない。あとはブレイズやアカバ、他の軍人たちの仕事だ。

 ただ最後に一つ、やらなければならないことはある。それは単純に、自分のわがままのけじめをつけること。やるべきことを終えた時には、最初からこうすると決めていた。そして自分はそれをすることをためらわないだろうと思っていた。だが幸か不幸か、今の彼女の中には、それをためらわせる何かがあった。

 離れたくない。

 その思いが、彼女を引き留めようとする。だが彼女は首を静かに横に振ると、もう決めたことと足を前に踏み出す。 

 彼女が後ろを振り返ることは無かった。




 どこか遠く彼方から爆音と衝撃が響き渡り、緑の意識を現実へと引き戻す。痛む体、襲い掛かる強烈な眠気。緑がそれらを振り払い目蓋を開けたのはほどなくの事。開いた瞳に映し出されるのは、外からの光に照らされる木製の天井。

 あれからどうなった?哀は?

 緑は、並みの者なら悲鳴を上げずにはいられないほどの痛みの中で、ゆっくりと上体を起こす。そこは木造の小さな建物の中だった。中には自分が横になっているベッドのほかに、小さな机といすがあるのみ。光は一つずつしかない入口と、木製の格子が縦に入った窓から入ってきていた。

 緑はそれから自分の体を見る。その体はぼろぼろで、全身に白い包帯が巻かれていた。だが今の緑にとって、そんなことはあまり重要ではなかった。あれからどうなったのか、哀はどうしたのか、それを知るため、彼はベッドから足を下す。足が床を捉えると同時、全身にさらに激しい痛みが走る。その痛みに彼は表情をゆがませながら、次の動作でふらふらと立ち上がる。

 ひさびさの動作にバランスを崩す体。緑は直ぐに体勢を立て直し、痛む体を引きずるように歩を進める。緑の目的はとりあえず外に出、誰かと会い、今の状況を尋ねること。だがその前に緑はもう一度建物の中を見回し、そこで気づく。室内に置かれた小さな机の上に、手紙が置かれていることに。

 緑へ

 書かれたその文字に、緑はそれが哀から送られたものだと気付くと、直ぐに机に向かい、何をするより先に、その手紙を読み始めるのだった。


 あなたがこの手紙を読んでいるとき、私はあなたの前にはいないでしょう。もしかしたらこの世にもいないかもしれません。

 あれから何があったのか、詳しい事はアカバ将軍かブレイズ将軍から聞いて下さい。

 一つの戦争が回避されても、また別の戦争が始まろうとしています。私はそれが始まる前に、けじめをつけなければなりません。自分のわがままで傷つけてしまった人たちに。

 だから私は、私のいるべき場所に戻ります。

 本当はずっと、あなたのそばにいたいとも思った。でもそれではだめ。だから、決意が揺らがないうちに、あなたが目を覚まさないうちに行きます。

 最後に、私の人生が終わる前に、私の願いをかなえてくれたあなたへ、

 ありがとう。

              哀より 

 

 どこか遠くから、爆音と衝撃、何万という数の生き物がぶつかり合う騒音が響いてくる。それは普段の緑なら真っ先に確かめに行くだろう程のもの。だが今の緑にとって、それは外から聞こえる雑音以上の意味を持たなかった。手紙を読み終えた緑は、手紙を握りしめ、全身を震わせる。

「まだ終わってない」

 彼は手紙を机に叩きつけると、痛む体を押して建物の外に飛び出す。その彼の目に先ず入るのは、数キロ先の海岸近くにある山城を舞台に繰り広げられる戦争の光景。

 空想ではない現実の竜が宙を舞い、図鑑か、博物館の骨格しか見たことの無い恐竜の兵が、人間の兵と共にふもとから城に向かって一気に駆け上がる。一方で城方は、城壁近くまで彼らを引き付ける。

 次の瞬間、何百という銃声が一斉に辺りに響き渡る。直後、ばたばたと地面に倒れる攻め側の兵士達。それでも攻め側は諦めず、こちらも鉄砲と弓で反撃し、城壁に突進を続ける。

 数の上では攻め側が城方を数倍は上回っている。だが城方は深い堀と城壁の守りを駆使し、全く攻め方の大軍を寄せ付けない。空の飛竜達はと言えば、地上部隊を支援しようと肉薄するが、城からの鉄砲の射撃に阻まれ、大半が打撃を与える前に落される。戦いの勝敗は、多少の用兵の知識を持つ緑からすれば、世界が違う事を加味しても明らかだった。

 緑はその光景を、歯を食いしばりながら眺めることしかできない。

 そんな時、緑のどこか近くの茂みから矢が放たれると、それは緑の一メートル以上左を抜け、その先にあった建物の壁に突き刺さる。緑が突き刺さった矢を見ると、そこには文がくくりつけられていた。緑はそれから矢の放たれたらしい茂みを見る。だがそこに人影は確認出来なかった。

 緑はしばらく茂みを見ていたが、やがて視線を突き刺さった矢に戻すと、それに歩み寄り、文を手に取って読み始める。その内容はこれ以上の言葉はいらないほど、核心をついたものだった。


 本当の意味で哀を救いたいと思うのならば、三日後、地図に示された場所から、城を一人で訪れよ。


 手紙にはその文章のほかに、城内と城の外の枯れ井戸をつなぐ抜け穴のありかが地図で描かれていた。緑は自分の置かれた状況を直ぐに理解し、文から視線を上げると、左右の拳を固く握りしめ、唇を強くかみしめる。その時、

「緑君」

 誰かが自分の名前を呼ぶ。緑が声のかけられた方に視線を送ると、そこには白銀の鎧を身にまとった人間と、背中に二枚の翼をもった、人間と竜を掛け合わせたような外見をもつ者がいた。彼らは小走りで緑に駆け寄る。

「あなた方は?」

 緑は二人が敵ではないことを言葉や雰囲気で察しつつ尋ねる。そんな緑に、二人は彼の前まで来て足を止めると、

「私はグラフィス軍少将、アカバ。こっちはドラグール軍少将、ブレイズ。

 君のことは哀さんから聞いている。本当は順を追って説明するべきなのは分かっているのだが、それを承知で、先ず落ちついて聞いてほしい。哀さんが数日前からいないんだ。彼女には多数の警護の兵を付けていたのに、その誰もが彼女がいなくなっていることに気付かなかった。君は彼女の行方を知らないか、心当たりはないか?」

 そう問いかける。その言葉に、緑は哀からのものと、先ほどの手紙を見せるべきか考え、だが、

「知っていることはいくつかあります。でもそれを今直ぐ言っても問題解決にはならないとおもいます。それなら順を追って話をする方が、お互いが信頼を得る近道になると思います」

 そう言葉を選びながら答える。アカバとブレイズはその言葉に込められた意味を察し、自分が彼の立場ならと考え頷きを返す。すると緑は、自分が別の世界のニホンという国から、この世界にやってきて経験したこと、その全てを話始めた。

 初対面の二人相手にここまで話をしていいだろうか?

 緑は話ながら一瞬そう思う。それでも彼はこの二人の事を、なんとなく信頼できる気がしたし、信じることにした。それはこの二人の事を信じ、行動した哀を信じるということでもあった。

 長く、途方もない話だった。緑は信じてもらえるかどうかなど何も考えず、ただ事実だけを語った。その話に、二人は途中、言葉を挟まなかった。やがて話を終えると、今度は二人が話しを始める。哀のおかげでドラグールとグラフィスの戦争は回避された事。代わりにグラフィス、ドラグール連合対、テル、共和国連合という、いくつもの国を巻き込んだ新たな戦争へと発展してしまった事。その戦いに反対したアカバとブレイズの部隊は後方に配置された状態で、今回の戦闘に至った事。

「兵を引き上げ国境で守りを固めようとしても、今からでは恐らく間に合わない。そうなればテルと共和国の連合軍はグラフィス、ドラグール領に逆進行、戦火はさらに拡大することとなる。となると戦火の拡大を防ぐには、一刻も早くこの城と港を奪取し、共和国軍の上陸地点を奪うしかない。と、不本意ではあるが、俺もアカバも思っているし、他に方法を思いつかない。だが戦況はここからでも一目瞭然だ。このままではあの城は落とせない」

 そうブレイズは話を締めくくる。話を聞いた緑は、視線を落とし、何も答えない。

 しばらくの沈黙が辺りを包む。

 だがやがて、彼は無言のまま、哀からの手紙と先ほどの矢文を二人に差し出す。二人は読んでいいのかと目で緑に確認し、彼が頷くのを見て読み始める。内容は決して長くないため、その隅々まで確認し、内容を熟考しても、先ほどまで彼らがしていた途方もなく長い話と比べれば、さほどの時間はかからない。

 やがて二人は手紙を読み終え、緑を見る。と、彼は様々な感情がないまぜになった表情で、

「哀は、本当に、馬鹿ですよ。馬鹿で、間抜けで、わがままで、自分が言ってることと、やってることが矛盾してる事に、気づいてないのか、無視してるのか。哀は、本当に……」

 空を見上げると、流れゆく灰色の雲に向かって、

「馬鹿……哀」

 そう小さな、震える声で、呟いた。

 その瞳から何かがあふれ、頬を伝い、地面に零れ落ちる。ブレイズもアカバも、何も言わず、ただ黙っていた。やがて緑は目をこすると、二人の方を見て、

「ブレイズ将軍。アカバ将軍」

 それが二人の立場を考えればどれだけ無茶な頼みか分かっていて、その上で彼は言う。

「行かせてください」

 二人を見る彼の表情に曇りはなく、瞳にもう光るものはない。二人はそんな彼を見、一度互いを見つめ、共に頷くことでその意志が共通していることを確認する。そして先ずアカバが言う。

「俺にも、協力させてくれ」

 かけられた言葉は緑の心に、一陣の風となって寄り添う。その予想外の言葉に彼は一瞬、その意味を理解できず頭の中が真っ白になる。そうして思考が追いつかないでいる彼に、ブレイズが続けて、

「俺も、共に」

 そう告げる。その言葉は暖かな陽光となって、緑の心を照らし暖める。緑はそんな二人の言葉に何か答えようとし、だが言葉に詰まってなにも言えない。そうしていると、アカバは続けて、

「たぶん俺だけじゃない。手伝いたいと思っている奴はたくさんいる。その全員に手伝わせてほしい。君を一人で行かせたくない」

 そう告げ、ブレイズがそれに頷く。そんな二人に、緑は何も答えることができないまま、目を伏せ、情けない表情で頷く。それを見た二人は、今まで力の及ばなかった自分を打ち砕く決意を秘め、拳を前へ突き出す。緑はそんな二人の突き出された拳を見、次に自分の拳を見つめ、それから二人に視線を送る。返される二人の頷き。緑はその意味を知り、もう一度自分の拳を見つめると、二人と同じように拳を前に突き出す。合わせられた三人の拳。そのそれぞれに込められた思いは別々でも、目指すところは同じ。

「共に行こう」

 今度は二人ではない。多くの思いを一つにして、戦いは始まろうとしていた。

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