そして私は命乞いをする
少女の唇を衝いた言葉は、とても信じられるものではなかった。
「私が吸血鬼になる、とはどういうことですか」
私は首の痛みも忘れ、目じりの涙を払いながら問い質した。
「吸血鬼の唾液を体内に取り込んだ人間は、その眷属になるの」
心の余裕がなくなりつつある私は、目を逸らしてボソボソと呟く少女に、苛立ちすら感じてしまった。
「……免れる方法は?」
「血を全て抜いて死ねば、吸血鬼にはならない。私は最初からその心算だった」
要は殺す気でいた、只の餌として見ていた、ということだろう。
彼女のその発言は、何となくわかっていた気がした。簡単な解決方法があるのなら、これ程深刻そうな顔、ましてや襲う前に涙など浮かべなかっただろう。
しかし、そこに活路が見えた。この少女は吸血鬼かも知れないが、血も涙もない化物という訳ではないらしい、ということだ。
情に訴えれば……いや、今更その必要もなく、少女は私を殺したりしないはずだ。
彼女は餌とみなしていた私と意思疎通をしてしまった。痛みに震える私に対し、それとなく謝罪の言葉も口にした。少しは情が移っているはずだ。
最悪でも殺されることはない、はずだが、未だ首筋からは血が流れ続ける。直接手を下されることが無くても、もしかすると出血死もあり得る。
「吸血鬼になるとしたら、猶予はどれほど?」
絞り出すような声しか出なくなってしまった。しかし、それでも知っておかなければならない。
「一時間以内。変化が終わってしまったら、血を抜いたくらいでは死ねない体になる」
死ぬか、変わるか、という選択はもはや無用であった。得体のしれない化物になってでも、死ぬよりはマシだと考えた。
あとは一時間耐えれば、死ぬことは無い。私は、吸血鬼として、どのような生活をすることになるのか考え、不安になり、そして普通の生活に諦めを付けようと、文字通り血の気の引いた頭を働かせることにした。
それでも尚、思考の邪魔をする雑多な感情が湧きあがった。「どうして私が」「何故こんなことに」「この餓鬼のせいで」今更、問うても、考えても、責めても、何の解決にならないだろう。しかし、それらを鎮めるのは難しすぎる。
幾らか時間が過ぎた。ふと少女を見ると、その虚ろな目には私の姿が映っていた。しかし、その視線は私を貫きさえすれど、私を見ているようには思えない。
「ゴメンなさい。責任は、取る。ちゃんと殺してあげる」
彼女は再び犬歯を露わにした。一度目と明らかに違うのは、瞳に涙は見られず、乾き、充血していることだ。私の予想はことごとく外れる運命にある様だった。
体が重い。声はもう出るか分からない。しかし私は口を開いた。
「待って……下さい。私は、生きる。貴方の眷属でも何でも良い、生きさせてくれ」
限界に近づいた喉から放たれた、掠れた命乞いは少女に届いたかすら分からなかった。思い瞼を何とか開き、見据えた先には驚いたような少女の顔。その目ははっきりと私を見ていた。
「こんな、状況で……死ねるか……ってこと、です」
「後悔、しない?真面な死に方は、できないよ」
真っ直ぐな眼差しが印象に残った。
「こんな、死に方だって……まともじゃない、でしょ」
「それも、そうね」
雲の切れ間から月が顔を出したのだろう。急に月光が強く差し込んだ。その光に照らされる女の子の表情は、笑顔だった。
微かに残った力で、右手を噛まれた首筋まで持っていく。傷は、ふさがっていた。