Merry Christmas!
その日、おれは、電車に乗っていた。とある野外イベントに向かう途中であった。
「このひと痴漢です!」
そう言われて手を掴まれた時、もう完全にキョトンとしてしまった。
おれは座席に座りっぱなしで、手もダウンのポケットに入れていて、足だって上品に揃えていたくらいだ。その上、手を掴まれるまで目を閉じっぱなしであり、前に立っているのが女性か男性かも判別しようがなかったほどだ。そもそも車両内はとても空いていて、自分と彼女のほかには七人くらいの男女が居るくらいだ。
せめてもの救いは、大して屈強そうな男が居らず、次の駅に着いたらすぐに逃亡すれば何とかなるであろうということくらいだったが。
「痴漢です! 痴漢! 痴漢でぇす!」
しかし、女の大きな声に引き寄せられるかのように、車両内に居た人々が集まってきてしまった。
車両内の一角に、人口が密集する。
スーツを着たメガネの男の一人が、逃亡を阻止するためか、無言でおれの隣に座った。
クリスマスイブに相応しいサンタコスをした女がもう片方の空席に座り、こう言った。
「おにいさん、せっかく格好いいのに、どうしてそういうことしちゃうの?」
どうしてもこうしても、やってないというのに。
「女の敵! くたばれ!」
毛皮のコートを着た女が罵倒してきた。俺の腕を掴み続けているのが、今回おれによる痴漢被害を受けたと言い張っているこの女である。苦虫を噛み潰したような顔である。本当にゴミを見るような視線なのだが、どうして罪も無いおれに向かってそんな顔ができるのか、本当に謎である。演技上手すぎてやばい。
つまり、そうだな。おれは今、身に覚えのないことで糾弾されようとしているという状況にある。
こういった場合、どうすれば良いのか。
聞いた話では、下手に応戦してしまうと自分の首を絞める事態になるという。痴漢容疑をかけられた時は、身に覚えのない場合に限り逃亡が最優先であるとの話だ。
そうと決まれば話は早い。ちょうど列車は目的地の駅に辿り着いたところだ。
おれは全力で立ち上がる!
そしてまとわりつくサンタ女の腕を振り払い、毛皮女の腕もチョップで叩き落とし、逃亡を阻止しようと飛び掛るスーツ男の突進を華麗にかわし、排気音と共に開いた扉から外へッ――!
しかし「待った」がかかった。
なんと、サンタ女は一人ではなかったのである。
サンタコスプレをした女は、驚くべきことに三人組であった。
「いかせはしない!」
「あなたはポリスメンに突き出してやる!」
二人のサンタ娘は甲高い声で叫び、全開となった扉の前で通せんぼした。ただ立ち塞がったわけではない。二人の身体は斜めになって交差している。
二人のサンタがX字を描く!
つまりクロスしているわけで。
おれは思わず立ち止まって、低い声でこう言った。
「クッ、これはもしや、『サンタ☆クロス』という技ではないのか?」
小賢しい!
実に小賢しいぞ!
「さすがですね、おにいさん。よくぞこの技名を言い当てました!」
「どうです、完璧なブロックでしょう!」
二人の女の子は、体勢的にキツイのか、身体をぷるぷると震わせながら勝ち誇った。
「だが、そうだな、そうくるなら、こちらは別の手を打つまでだ!」
おれがそう言った直後、今度はスーツの男が背後からこう言った。
「注意しろ! そいつはマジシャンだ、大量のハトを出すかもしれん! あるいはトランプを使った何かをしてくる場合も考えられる!」
なんだと。何故おれがマジシャンだと知っているのだ。つまり、これは仕組まれた罠。この車内に居る連中の多くが共犯である可能性が高い。
遠巻きに事態を静観していた中年男性までもが、おれを痴漢に仕立てようとしているということか。
いや、しかし、何故だ。
何故おれに痴漢冤罪を押し付ける必要があるのだ。
謎だ。
だがまぁ、とにかく、逃げないといけない。
おれは、ブロックされている扉を避けて、別の扉からホームへ出ようと走り出した。その行動を阻止しようと動いたのは、事態を遠巻きに見ていた四十代ほどの白髪まじりの男である。
また邪魔が入った。心底うざったい。逃げて、降りて、イベントをこなさねばならないのに。
「またれよ、魔術師の青年よ。ここはひとつ、私のために涙をのんでくれんか」
「何が目的なんだ! ていうかあんた誰だ! 何のためにこんなことをする!」
すると、スーツ姿の男がメガネをクイクイ持ち上げながら、説明口調で、
「ふふ、それについては、わたしに説明させてくださ――」
残念ながら、説明を聞いている暇はない。どうせこいつ、長ったらしい説明するつもりだ。説明を聞いていたら、降車しそびれる。それがこいつの狙いに違いない。
「せいやッ!」
おれは床を蹴って、背中で男を撫でるようにクルリと回転して避けた。まるで往年の名サッカー選手が相手をかわす時のように。踊るように。
「やるな小僧。さすが魔術師。完敗だ」
白髪まじりの男はあっさり敗北を認めたものの、スーツ姿のメガネ男の方はまだ諦めていないようだった。
「まだだッ!」
負け惜しみだと思ったね。
おれはもう完全に逃げ切ったと思って、一度背後を振り返ってざまあみろって顔を見せてやったんだ。しかし、ふと前に顔を向けたら――。
集団。
厚着した屈強の男どもの集団である。
ズドドドドと、怒涛の如く乗車してきたではないか!
飲み込まれた!
ホームに出かかった体が車内に戻された。
このままでは、出演予定のイベントに行けない。もしも行けなかったら、ギャラがもらえないし、約束を破って穴を開けようものなら、もう二度と仕事の依頼なんか来なくなってしまうんじゃないか。
そうなったら、おれのマジシャンとしての人生は……終わるッ!
「うおおおおおおおおおおおおお!」
掻き分ける。
筋肉の壁、その継ぎ目を掻き分ける。
集団といっても、一人ひとりは分かれているのだから、何とか間を縫って進むことはできるのだ。
掻き分けて、掻き分けて、一生分の全力を出して掻き分けた。
抜けたッ!
扉から出た。
久々に酸素を吸った気がしたのだが、その時にはもう、おれは罠にかかっていた。
からめとられていた。
がんじがらめ、体中しばられ、身動きがとれない。
「な、なんだ、これは」
響く発車メロディ。
扉が閉まる排気音。
引きずられる体。
冷気あふれる暗い世界から、暖房の効いた車内へ。
身体を直接掴まれたわけではない。しかし、気付かぬうちに、おれは網にからめとられたお魚さん状態になっていた。
からまっている。コードが。全身に。
LED電球が等間隔にくっついている電飾コードであった。
「クッ、何だコレは、何なんだ!」
「ふははは、屈強な男たちにイルミネーションコードを持たせておいたのさ! さぁ魔術師よ、貴様のご自慢の脱出イリュージョンマジックでも見せてみたまえよ! ふははははは!」
人口密度が急激に上昇した車両内に、メガネの高笑いが響く。
マジシャンといっても万能ではない。当たり前だが、本当の魔法使いでは無いからだ。
そして、メガネは笑いを止めると、メガネを持ち上げてから、こう言った。
「魔術師よ、貴様を痴漢容疑で現行犯逮捕する!」
――痴漢容疑。
そういえばそうだった。そんな嫌疑をかけられていたのだった。
サンタコスの三人娘は口々におれを責め立てる。
「逃げようとするなんてね。いい度胸だね!」
「それでも本当に大人かい!」
「そんな悪い子のとこに、サンタのおじさんは来ませんよ!」
どうしよう。どうすればいいんだ。逃げなくてはならないが、それはもう無理だ。身体はガチガチに縛られているし、屈強な男達がハァハァ言いながら目を光らせてもいる。
サンタ娘三人組は膝をつくおれを女の敵とばかりににらみつけ、被害者面している毛皮コートの女は相変わらずゴミを見るような視線を向けている。
「お前達、何のために、おれをこんな目に……」
すると、スーツでメガネの男は言ったのだ。
「今日は、何の日か。それがわかれば、貴様が痴漢になった理由もわかるというもの」
「クリスマス……イヴ、か……」
連中がやりたかったこと。それは、クリスマスの阻止である。つまりあのメガネ野郎もサンタ三人娘も、誰も彼も、みんな恋人が居ないって話で、要するに、ひがんでたんだよな。
奴らは、おれが出演するはずだった野外マジックイベントを潰すことを計画した。
全世界でクリスマスを中止に追い込むことは難しいであろうから、イベント一つを全力でポシャらせにかかったらしい。
手始めに司会の女の子が着るはずだったサンタのコスチュームを盗み出した。予備を含めて盗んだから三人分。次に大勢の人間を動員して会場のイルミネーションコードを根こそぎ取り払った。最後に、出演者でありマジシャンでもあったおれが会場に行くのを阻止した。おれを捕まえる際にコードも役に立ったというのだから作戦立案者のメガネは、かなりのキレ者なのではないかと思う。
結果を言ってしまえば、イベントは中止となった。計画的犯行であった。
クリスマスというものに恨みや憎しみを持つ人間が居るという話は、小耳に挟んだことがある。おれも、恋人が居ないからその気持ちは三割くらいは理解できる。
でも、でもな、やっぱり、無実のおれをこんな状況に追い込むなんて、正気の沙汰じゃあない。とても許すことのできないことだ。他人を不幸に陥れる計画に巻き込まれて、夢も希望も失うなんてな、もう本当に、笑えない。
薄暗い取調べ室で、おれは尋問されていた。
「ちがう、おれは、やってない。本当にやってないんです。信じてください刑事さん」
「そうは言ってもね、あなたはマジシャンだ。ポケットから手を出さずに女性の臀部に触れることができるのではないですか」
「いや、そんなの――」
「あなたなら、可能だった。違いますか?」
「そ、そんなの、違う! できないし、やってな――」
「正直に言え!」
「おれは嘘なんか――」
「マジシャンは人の目を欺くのが仕事。今までも、繰り返してきたんじゃないですか? たとえば、手がポケットに入っていると見せかけて、実は撫で回していたとか。たとえばあなたが触っていたところで、捕まりそうになったら自分の手と別の人の手をすりかえるとか」
「そ――」
「今のうちに白状すれば、罪も軽くて済む」
「いや、刑事さん、おれは――」
「それとも何かな、他にもマジシャンらしくトリックを利用して事件を起こして来たのかな? たとえば、窃盗や、殺人とか」
「そんな、やってないです! 絶対に無いです!」
「だが、痴漢はやっちまったんだろう?」
「やってな――」
「素直になれよ。そんなんじゃ、サンタさんは来ないぞ。いいのか? ん?」
「クリスマスなんて、なくなればいいのに!」
どうせなら、全世界で中止にして欲しかった。こんな中途半端に、おれが捕まって終わるとかいう結末じゃなしにさ。
「やったんだろ? な? 折角のクリスマスなのに、恋人がいなくて、さびしくて、つい。な?」
刑事は時計をチラチラ見ながら、さっさと白状しろオーラを垂れ流し続けている。きっと彼女とか嫁とか家族とかと会う予定があるのだろう。
本当はやってない。でも、首を縦に振らないと、事態は好転しないと思ったんだ。本当に追い詰められてしまった。認めざるをえなかった。頷いた。
「メリークリスマスだ、マジシャンくん」
「はい、メリークリスマスです」
だいぶ久しぶりに、泣いた。
ああもう、どうして、おれがこんな目に遭って、イベントを潰すとかいう、えらいことやらかした連中が全くお咎め無しなのか。
この世界は、おかしい。
刑事が、涙をこぼすおれを放置して、急いで部屋を出て行った。
せめて仕事に真面目で優しいあの刑事さんには、幸せに過ごしてほしいと思った。
おれの分まで、ね。
【おわり】