第48話 備える食料を、腐らせない
第48話です。
第47話では、外縁休耕地を扱いました。
播種直後の種を守るために、《種守り環》を作った澪たち。
しかし、乾眠鼠や小型鳥類が来た先には、何年も作付けされていない外縁休耕地がありました。
そこには、未回収の落ち穂、古い藁束、鼠の巣穴、灰斑虫の越冬卵、白穂枯れの残渣が残っていました。
作付けしない畑だから安全なのではありません。
休ませることと、放置することは違う。
澪たちは、《休み畑環》を作り、落ち穂回収帯、鼠道保全帯、鳥見台、草被せ帯を整えました。
しかし、その休耕地の奥で、さらに古いものが見つかります。
《旧飢饉備蓄穴》
飢饉に備えるためのはずだった食料の穴。
けれど、長く忘れられていたその中には、古い穀物残渣、発酵熱、虫、鼠、白穂枯れの反応がありました。
備えたはずの食料が、腐敗と病の温床になりかけている。
今回の条件は、
《備える食料を、腐らせない》
第四部・中流農耕帯編の区切りとなる回です。
旧飢饉備蓄穴は、休み畑のさらに奥にあった。
低い石の縁。
半分土に埋まった丸い蓋。
周囲には乾いた草が伸び、古い藁束が風に揺れている。
一見すると、ただの古井戸にも見える。
けれど、蓋の隙間から漏れる空気は、井戸のものではなかった。
ぬるい。
重い。
甘く、酸っぱく、古い穀物が長い時間をかけて崩れた匂い。
神代澪は、その空気を吸い込まないよう、一歩下がった。
「……これは、開けたら駄目なやつに見える」
ライカが鼻を押さえる。
「見えるじゃなくて、匂いがもう駄目。麦わら、畜舎、池、全部混ぜて寝かせたみたいな匂い」
「例えが具体的すぎる」
「最近、経験値が増えたから」
「嬉しくない経験値だね」
調律核が赤く点滅している。
《旧飢饉備蓄穴:到達》
《内部温度:高》
《酸素濃度:低》
《発酵ガス:蓄積》
《古い穀物残渣:大量》
《虫類反応:高》
《乾眠鼠群:集中》
《白穂枯れ反応:中》
《急開放時、粉塵・胞子・虫類・鼠群拡散リスク:高》
《推奨対応:封鎖》
澪は眉を寄せた。
「推奨が封鎖」
ミルカが石蓋を見ながら言う。
「今すぐ完全に開けるのは危険。でも、封鎖しっぱなしも危険だね。熱とガスが中で溜まってる」
「閉じても駄目。開けても駄目」
ライカが肩を落とす。
「もう、この流れにも慣れてきた」
レイムは石蓋を見つめていた。
「飢饉備蓄穴……。昔、飢えた年に備えて、村の外へ穀物を隠しておいた場所だと聞いたことがある」
オルグも厳しい顔で頷く。
「王都穀物局が整備される前の古い制度だ。共同種倉とは別に、非常時の食料を穴に保管していた」
ティナが小さく聞く。
「中に、まだ食べられるものがあるんでしょうか」
その言葉に、周囲の農民たちがざわめいた。
食べられるもの。
その一言は重い。
種麦を守っても、食料不安は消えていない。
白麦の収穫はまだ先。
旧作物の試験も、発芽すらこれから。
もし、この穴に食べられる備蓄が残っているなら。
そう思ってしまうのは、当然だった。
下畑の少年リクが、不安そうに石蓋を見ている。
「お腹が空いた時のための穴なんでしょ」
「本来は、そうだと思う」
澪は答えた。
「でも、今の中身を食べていいかは別です」
上畑の若者が前へ出た。
「開けて確かめればいい」
「一気に開けるのは危険です」
「でも、中に食えるものがあるかもしれないだろ!」
その声には、焦りがあった。
昨日、火を使いかけた若者の一人だ。
彼はもう火種を持っていない。
だが、今度は石蓋へ手を伸ばそうとしている。
アオイが静かに間へ入った。
「今は触れないでください」
「邪魔するな!」
「邪魔ではありません。守っています」
「何をだ!」
アオイは一瞬考えた。
そして答えた。
「あなたたちと、畑です」
若者は言葉を失った。
澪は石蓋を見た。
備蓄穴は、希望に見える。
だからこそ危険だ。
人は、希望に見えるものを前にすると、急いで開けたくなる。
だが、腐った備蓄は救いではない。
病と虫と鼠をまき散らす穴になる。
「開けます」
澪は言った。
「でも、一気には開けません。備蓄穴にも、息をさせます」
セラフィナが記録板を開く。
「作業名を設定します。《備蓄息抜き》」
ライカが小さく頷く。
「分かりやすい。今回はちょっと怖いけど」
「怖い作業ほど、名前が必要です」
セラフィナは真顔で答えた。
***
まず探したのは、蓋ではなく、周囲の石組みだった。
これまでの経験上、昔の仕組みにはたいてい小さな入口や息抜きがある。
一気に開けるためではなく、少しずつ確認するための穴。
水車にも、泉にも、麦わら返し床にも、中央貯水池にもあった。
なら、飢饉備蓄穴にもあるはずだった。
ミルカが石縁の周囲を叩きながら歩く。
「ここ、音が違う」
石の一部が、他より軽く響いた。
泥を払うと、小さな石栓が見つかった。
さらに、その横には古い文字が刻まれている。
ティナがゆっくり読み上げた。
《飢えに備えるなら、眠らせるな》
《穴の息を閉じるな》
《古きは食べ、傷みは土へ》
《種は別に眠らせよ》
《三年で回せ》
レイムが息を呑んだ。
「三年で回せ……」
オルグが低く言う。
「備蓄は、永久保存ではない。古くなる前に使い、入れ替える仕組みだったのか」
「今は、その回す手順が失われていた」
澪は言った。
備えることは、閉じ込めることではない。
ずっと眠らせることでもない。
食べる。
入れ替える。
種を分ける。
傷んだものは土へ戻す。
その循環が止まった結果が、今の備蓄穴だった。
「石栓を少しだけ開けます」
ミルカが言う。
ルシェリアがその前に立った。
「出てくる空気を上へ逃がします。人の顔の高さへ流さないでください」
フィリアが湿った布を用意する。
「粉や胞子があれば、ここで受けます」
アオイは石蓋の前に盾を構える。
ただし、蓋を押さえるためではない。
もし鼠や虫が飛び出した時、畑側へ向かわせないための壁だ。
ライカは休み畑側に立ち、鼠道と外縁狩場の方を見ている。
「逃げるなら、外縁へ誘導する」
ベルドが草束を持ってきた。
「鼠道、もう一本作れるぞ」
「お願いします」
澪は調律核を見た。
「準備、いいですか」
全員が頷いた。
ミルカが石栓を、ほんの少し回す。
しゅう、と細い音がした。
ぬるい空気が吹き出す。
ルシェリアの風が、それを上へ細く逃がす。
フィリアの湿布に、灰色の粉が少し付いた。
調律核が更新される。
《息抜き孔:微開放》
《内部圧:低下開始》
《発酵ガス:微量排出》
《粉塵捕捉:成功》
《虫類移動:未発生》
「まずは成功」
ミルカが言った。
「でも、中の熱はまだ高い」
《内部温度:高》
《穀物残渣熱核:存在》
《急冷時、結露・腐敗拡大リスク》
《急換気時、粉塵拡散リスク》
「急に冷やしても駄目なんだ」
ライカが言う。
「熱も、空気も、ゆっくり」
澪は頷いた。
「備蓄穴にも、段階開放」
今度は試し口を探す。
石縁の反対側に、もう一つ小さな蓋があった。
これは中身を少量取り出して確認するための口らしい。
古い木の板で塞がれていたが、腐って半分崩れている。
ミルカが慎重に板を外す。
中から、古い穀物が少しだけこぼれた。
茶色く変色した粒。
割れた麦。
虫の殻。
湿った粉。
澪はそれを皿へ受けた。
調律核が反応する。
《備蓄試料:取得》
《食用適性:不可》
《種子生存率:極低》
《白穂枯れ反応:中》
《虫卵混入:高》
《返し床材料適性:条件付き》
農民たちの顔が曇った。
「食えないのか……」
若者が呟く。
澪は正直に答えた。
「この層は、食べられません」
「この層は?」
オルグが聞く。
「はい。全部を同じ扱いにはしません。層を分けます」
ミルカが頷いた。
「上層、中層、下層。それと、別に種筒があるかもしれない」
「種筒?」
「さっきの文字。《種は別に眠らせよ》ってあった」
フィリアが試し口の奥へ意識を向ける。
「奥に、土器のようなものがあります。穀物の山とは違う、硬い器」
「探す価値はあります」
澪は言った。
「ただし、穀物の山を崩さずに」
ライカが小声で言う。
「また崩したら終わるやつ」
「うん。絶対に崩したくないやつ」
***
備蓄穴の中身は、やはり層になっていた。
一番上の層は、乾いた粉と虫の殻。
見た目は軽いが、白穂枯れの反応がある。
これは赤域。
動かす時は湿布で受け、飛ばさない。
中間層は、半分熱を持った古い穀物と藁。
食用にはできない。
だが、虫反応を落とし、熱を抜けば、麦わら返し床の黄層へ少量ずつ混ぜられる可能性がある。
これは黄域。
最下層は、湿った塊。
腐敗が進み、ガスも出ている。
これは赤域よりさらに危険な赤核。
すぐには動かさない。
そして、穴の側壁に埋め込まれるように、土器の筒が並んでいた。
ミルカが目を細める。
「やっぱり種筒だ」
オルグが身を乗り出す。
「飢饉後にまくための種か」
レイムが頷く。
「食べる備蓄と、次に植える備蓄を分けていたのか」
澪はそっと土器の一つを取り出した。
蓋には、古い蜜蝋のようなものが塗られている。
封は一部傷んでいたが、完全には壊れていない。
調律核が青く反応した。
《飢饉種筒:確認》
《内容:石粟/深根麦/赤莢豆/畔豆》
《種子生存率:低〜中》
《虫卵反応:低》
《白穂枯れ反応:なし》
ティナが思わず声を上げる。
「生きてる種があるんですか」
「全部ではないけど、あります」
澪は答えた。
農民たちの間に、かすかな希望が広がる。
だが、澪はすぐに言った。
「ただし、これも一気にまきません。発芽試験をして、保全して、増やすための種です」
「今すぐ食べるものではない」
オルグが確認するように言う。
「はい。食べるために開けたら、未来の種を失います」
リクが土器の筒を見つめた。
「お腹が空いた時の穴なのに、食べちゃいけない種もあるんだ」
フィリアが優しく答える。
「今の空腹を助ける種と、次の空腹を防ぐ種があります」
リクは難しい顔をした。
「どっちも大事」
「はい」
その時、備蓄穴の奥で、低い音がした。
ご、と。
土の下で、何かが動いたような音。
ライカの耳が跳ねる。
「中、崩れる」
ミルカが顔色を変える。
「熱核が沈んだ!」
調律核が一気に赤く染まる。
《穀物残渣熱核:移動》
《内部空洞:崩落予測》
《発酵ガス急排出リスク》
《虫類・鼠群拡散リスク:高》
《種筒破損リスク:中》
「種筒を戻す!」
澪が叫ぶ。
「待って!」
ミルカが止めた。
「戻すより先に、横支え! 穴の壁が動いてる!」
アオイが盾を構えた。
「支えます!」
「蓋じゃない! 側壁!」
アオイは石縁の内側へ盾を斜めに差し込み、崩れかけた土壁を受ける。
ベルドが木板を持ってきた。
「これを使え!」
「板を縦に! 空気道を潰さない!」
ミルカが叫ぶ。
ルシェリアは息抜き孔から出る空気を上へ逃がす。
「ガスが増えます。顔を近づけないでください!」
フィリアは湿布を追加し、粉を受ける。
「熱い空気が来ます」
試し口から、むわりと熱が出た。
虫の羽音。
鼠の爪音。
中で一気に動きが始まる。
ライカが外縁側へ走った。
「鼠道、開ける! 畑側は塞いで!」
セラフィナが光の線を地面に走らせる。
「畑側侵入禁止線を設定。鼠誘導班、外縁へ。種筒保全班、後方へ。赤粉処理班、湿布準備」
農民たちが動く。
昨日まで火をつけようとしていた若者も、今は湿った布を持って走っている。
「こっちでいいか!」
「赤粉用です。顔を近づけないでください」
「分かった!」
ミルカは歯を食いしばりながら、側壁の下へ枝束を詰める。
「完全に止めない。熱の逃げ道は残す」
「難しいことばかりだな!」
ベルドが言う。
「簡単にすると爆ぜる!」
「それは嫌だ!」
「じゃあ丁寧に!」
穀物残渣の熱核が、さらに沈む。
試し口から熱い粉が噴き出しかけた。
アオイが盾の角度を変え、直接こちらへ来ないように逸らす。
ルシェリアの風が粉を上へ逃がさず、湿布側へ落とす。
「飛ばしません!」
フィリアがネレイアの水を霧状に落とす。
濡らしすぎない。
粉を眠らせる程度に。
その一瞬、澪は調律核に表示された流れを見た。
熱核の下。
空洞。
その横に、まだ開いていない小さな穴。
古い排熱孔。
「ミルカ、右下に穴があります!」
「見えた!」
「そこを開ければ、熱が抜ける?」
「たぶん! でも、虫も出る!」
「出る場所を作ります。虫受け布!」
セラフィナが叫ぶ。
「虫受け布、右下排熱孔へ!」
ライカが叫ぶ。
「鳥見台を外縁に追加! 虫が出たら鳥に食べてもらう!」
オルグが思わず言う。
「備蓄穴の防疫に鳥まで使うのか」
澪は答えた。
「使えるものは使います!」
「合理的だ!」
この状況で検査官から合理的と言われても、あまり嬉しくはない。
だが、悪くはない。
ミルカが排熱孔の泥を削る。
小さな穴が開く。
そこから、熱い空気が細く吹き出した。
虫も少し出た。
だが、湿った布に落ちる。
外へ逃げたものは、休み畑の鳥見台へ向かう小鳥たちに見つかった。
調律核の赤が、ゆっくり黄色へ変わる。
《古排熱孔:微開放》
《熱核圧:低下》
《発酵ガス急排出:回避》
《粉塵飛散:抑制》
《虫類拡散:捕捉》
《鼠群:外縁側へ誘導》
《種筒破損:回避》
澪は、ようやく息を吸った。
「……間に合った」
ライカが汗を拭う。
「備蓄穴、怖すぎ」
「飢えに備える穴が、爆発寸前っていうのは、なかなか重い」
「ほんとそれ」
***
夕方までに、旧飢饉備蓄穴の一次処理が終わった。
完全に中を空にしたわけではない。
むしろ、空にしなかった。
一気に動かせば、熱も粉も虫も鼠も散る。
だから、まずは息を抜く。
熱を逃がす。
種筒を保全する。
食べられない穀物残渣を区分する。
穴の役割を、もう一度分け直す。
赤域。
食用不可、病反応あり、虫卵あり。
飛ばさず、流さず、湿布で隔離。
黄域。
熱と虫反応を見ながら、麦わら返し床へ少量ずつ混ぜる候補。
青域。
種筒。
発芽試験へ回し、すぐ食べず、すぐ広げず、増やすために保全する。
そして、備蓄穴そのものは、封鎖ではなく、管理穴へ変える。
息抜き孔。
排熱孔。
試し口。
虫受け布。
鼠道。
鳥見台。
記録板。
それらが備蓄穴の周りに置かれた。
オルグが記録を読み上げる。
「備蓄穴管理規約案。第一、全面開放禁止。第二、三日ごとの息抜き確認。第三、熱核温度確認。第四、赤域穀物残渣隔離。第五、黄域は返し床へ少量試験。第六、種筒は食用禁止、発芽試験後に保全区へ。第七、備蓄は三年以内に入れ替え」
レイムが深く頷く。
「これは、水守と穀物局、両方で管理する必要がある」
「三村もだ」
ベルドが言う。
「穴の中で腐らせたら、結局こっちの畑と水路に戻ってくる」
上畑の女も言った。
「備蓄は、隠して終わりじゃないんだな」
下畑の男が、石蓋を見つめる。
「休ませる畑も、備える穴も、見回らないと荒れる」
ティナが記録板を見ながら言う。
「子どもたちにも教えた方がいいですね。どこに何があって、開け方を間違えると危ないって」
リクがすぐに頷いた。
「俺、覚える」
セラフィナが静かに言う。
「教育記録項目を追加します」
オルグが少しだけ遠い目をした。
「もう好きに追加してくれ」
「承知しました」
ライカが澪に小声で言う。
「オルグ、だいぶ慣れたね」
「慣らされてるとも言う」
「セラフィナ強い」
「本当に」
調律核が青く明滅する。
《旧飢饉備蓄穴:一次安定》
《発酵熱:低下傾向》
《粉塵・胞子飛散:抑制》
《虫類拡散:抑制》
《鼠群:外縁側へ誘導》
《赤域穀物残渣:隔離》
《黄域返し床候補:確保》
《飢饉種筒:保全》
《中流農耕帯調律ルート:第八条件達成》
《条件名:備える食料を、腐らせない》
その表示を見た瞬間、澪の胸から力が抜けた。
第八条件。
達成。
これで、ようやく中流農耕帯の大きな連鎖が一つ閉じる。
もちろん、すべてが終わったわけではない。
畑はこれから芽を出す。
水路も毎日見る必要がある。
麦わら返し床も、畜舎戻し路も、中央貯水池も、休み畑も、備蓄穴も、すべて管理が続く。
でも、壊れかけた循環は、少なくとも「続けられる形」になった。
続けられる形。
それは、エターナルを呼ばない世界にとって、一番重要な言葉なのかもしれない。
その時、調律核がさらに光った。
《中流農耕帯調律ルート:主要条件達成》
《水が戻ると、争いも流れてくる:対応》
《焼かない虫止め帯:成立》
《種倉には、白麦だけが眠っていなかった:確認》
《単一の白を、畑に広げすぎない:暫定作付け図成立》
《燃やさず、腐らせず、土へ返す:麦わら返し床再稼働》
《食べた後のものを、川へ捨てない:畜舎戻し路成立》
《溜めた水にも、息をさせる:中央貯水池呼吸路成立》
《種を流さず、土に預ける:下畑種預け床成立》
《種を食べるものにも、境界を作る:種守り環成立》
《休ませる畑を、荒らさない:休み畑環成立》
《備える食料を、腐らせない:備蓄息抜き成立》
《中流農耕帯局所臨界:回避》
《食料供給網リスク:局所低下》
《エターナル出現予測:再計算》
周囲の空気が、少しだけ変わった。
畑の風が、柔らかくなる。
中央貯水池の水面が、夕日を受けて光る。
下畑の種預け床では、小さな土の盛り上がりが静かに湿っている。
まだ芽は出ていない。
でも、そこには未来が置かれている。
フィリアが目を閉じた。
「土が、待っています」
アオイが静かに頷く。
「守るものが、増えましたね」
ライカが伸びをする。
「増えすぎだけどね」
ミルカが笑った。
「でも、壊れてるものより、管理するものが増える方がいい」
ルシェリアも珍しく微笑んだ。
「同感です」
レイムは、農民たちを見回した。
「これからは、水門だけではない。種倉、畑、畜舎、返し床、池、休み畑、備蓄穴。全部を、三村で見る」
上畑の女が頷く。
「面倒だな」
下畑の男も頷く。
「面倒だ」
ベルドが笑う。
「でも、水路へ流して怒鳴り合うよりはましだ」
リクが言った。
「火も使わない」
若者たちが気まずそうに咳払いをした。
それを見て、澪は少しだけ笑った。
中流農耕帯は、完璧になったわけではない。
でも、少なくとも、何かを燃やす前に考える人たちになり始めている。
それは、大きい。
本当に大きい。
***
けれど、調律核はそこで終わらなかった。
青い表示の後に、次の赤い文字が浮かぶ。
《広域食料供給網:再計算》
《中流農耕帯:局所臨界回避》
《作付け多様化計画:成立》
《備蓄管理再開:成立》
《穀物供給予測:長期改善》
《ただし、短期供給不足:継続》
澪は眉をひそめた。
「短期供給不足……」
オルグも表示を見て、表情を硬くする。
「当然だ。畑を救っても、収穫はすぐには来ない」
レイムが低く言う。
「今ある食料は、限られている」
調律核は、さらに続ける。
《下流交易都市ヘックス:異常検出》
《穀物流通:滞留》
《倉庫在庫:偏在》
《食料価格:急騰》
《難民流入:増加》
《河川輸送:水位変動により混乱》
《市場暴動予測:七十二時間以内》
ライカの耳が伏せられた。
「畑を守っても、今度は町?」
「食料は、作れば終わりじゃない」
澪は呟いた。
「届かないと、食べられない」
オルグの顔がはっきり変わった。
「下流交易都市……。王都へ向かう穀物の中継地だ」
ティナが不安そうに聞く。
「そこが止まると、どうなるんですか」
オルグは答えた。
「食料がある場所と、食料が必要な場所が分かれる。倉庫にあるのに届かない。川に積まれているのに市場へ出ない。値が上がり、買えない者が増える」
澪は調律核を見つめた。
作る場所。
守る場所。
蓄える場所。
その次は、届ける場所。
食料供給網は、畑だけでは終わらない。
水と同じだ。
流れなければ、偏る。
偏れば、争いになる。
そして、人の不安が虚無を呼ぶ。
調律核に、最後の一文が表示された。
《次期調律対象》
《下流交易都市ヘックス》
《条件候補:食料は、倉にあるだけでは人を救わない》
澪はゆっくり息を吐いた。
中流農耕帯の夕日は、静かだった。
けれど、その下流では、すでに別の危機が動き始めている。
「行きましょう」
澪は言った。
「今度は、食料を届ける流れを見に」
第四部は終わる。
だが、食料の問題は、川を下って次の場所へ続いていた。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
第48話では、旧飢饉備蓄穴を扱いました。
第47話のラストで見つかった《旧飢饉備蓄穴》は、飢饉に備えるための古い備蓄施設でした。
しかし、長く忘れられていたため、内部には古い穀物残渣、発酵熱、虫、鼠、白穂枯れの反応が溜まっていました。
食料を備えるための場所が、腐敗と病の温床になりかけていたのです。
今回の条件は、
《備える食料を、腐らせない》
でした。
備蓄穴は、希望に見えます。
中に食料があるかもしれない。
飢えをしのげるかもしれない。
そう思えば、すぐに開けたくなります。
しかし、腐った備蓄を一気に開ければ、粉塵、胞子、虫、鼠、発酵ガスが広がり、畑や休み畑を汚染する危険があります。
そこで澪たちは、備蓄穴を一気に開けず、《備蓄息抜き》として段階的に処理しました。
息抜き孔を微開放して、内部の圧とガスを少しずつ抜く。
試し口から少量を取り出し、食用不可の上層、返し床候補の中間層、危険な熱核、保全すべき種筒を分ける。
排熱孔を開け、発酵熱を逃がし、虫や鼠を捕捉・誘導する。
赤域は隔離。
黄域は返し床へ少量試験。
青域の種筒は、発芽試験へ回し、食用にはしない。
これにより、旧飢饉備蓄穴は一次安定しました。
今回のテーマは、「備蓄は、眠らせるものではなく、回すもの」です。
古い文字には、
《飢えに備えるなら、眠らせるな》
《穴の息を閉じるな》
《古きは食べ、傷みは土へ》
《種は別に眠らせよ》
《三年で回せ》
と刻まれていました。
備蓄とは、ただ穴に入れて忘れるものではありません。
古くなる前に食べる。
新しいものと入れ替える。
傷んだものは土へ返す。
種は食料と分けて守る。
その循環があって初めて、備蓄は備えになります。
閉じ込めたまま忘れれば、備えは腐敗に変わります。
そして今回で、第四部・中流農耕帯編の主要条件が達成されました。
水利衝突。
灰斑虫。
種麦畑。
共同種倉。
旧作物。
白麦単一依存。
麦わら返し床。
畜舎戻し路。
中央貯水池。
下畑の種預け床。
種守り環。
休み畑環。
旧飢饉備蓄穴。
これらは一見ばらばらの問題に見えます。
けれど、すべて食料供給網の一部でした。
作る。
守る。
戻す。
休ませる。
蓄える。
記録する。
そのどれか一つが壊れると、畑全体、村全体、食料供給全体が揺らぎます。
中流農耕帯の局所臨界は回避され、エターナルの直接介入条件には達しませんでした。
しかし、食料の問題はここで終わりません。
畑を救っても、収穫はすぐには来ません。
今ある食料は限られています。
そして、下流交易都市では、穀物流通の滞留、倉庫在庫の偏在、食料価格の急騰、難民流入、市場暴動の予測が出ました。
次の条件候補は、
《食料は、倉にあるだけでは人を救わない》
です。
第四部では、食料を作る場所を調律しました。
次は、食料を届ける場所へ。
下流交易都市編へ進みます。
原案・構想:マスター
物語構成・本文作成・文体調整:G(ChatGPT)




