助っ人登場。
大会目指して練習する毎日。そこに、助っ人と名コーチがやってくる。
優勝目指して、厳しい練習が始まる。
「ただいま」
玄関が開く音と同時に、親父の声がした。親父の声を聞くのも久しぶりだ。
「おじゃましてます。今日は、送ってくれてありがとうございました」
「一人じゃ迷子になるだろ。大丈夫だったか?」
「ハイ」
笑顔で会話を交わす親父と春美が、家族に見えてくるから不思議だ。
「雪、学校はどうだ。友だちは出来たか?」
「まぁ、ぼちぼちね」
「そうか、それで、渚はどうだ?」
俺は、親父に言うことがある。
「あのさ、父さん、俺のことだけど、何で女子の……」
「ねぇ、お父さん、お兄ちゃん、柔道部に入ったのよ」
妹が割って入ってきた。
「そうか。そりゃ、いい。がんばれよ」
「イヤ、そうじゃなくて……」
俺が話の続きを言おうとすると、親父は着替えに部屋に入ってしまった。
「ダメじゃない、その話は、もう少し、落ち着いてからにしなきゃ」
妹に怒られる。俺は、ふて腐れてリビングでテレビを見ることにした。
部屋着に着替えて戻ってきた親父は、冷蔵庫からビールを出して、勝手に飲み始めた。
「お父さん、ご飯は?」
「軽く食ってきた」
「それじゃ、なんか作るわね」
「あたしもお手伝いします」
キッチンで、妹と春美がなにかを作り始めた。なんなんだ、この家は。
男の威厳がまるでないじゃないか。
「渚、学校は、なれたか?」
「だから、そのことだけどさ」
そこまで、言いかけたところで、また、妹が間に入ってきた。
「ハイ、おつまみよ」
「ありがとう」
親父は、妹が作った、料理をうまそうに食べ始める。
「あのさ、お父さんに話があるんだけど」
「なんだ、何でも言ってみろ」
「お兄ちゃんのことなんだけど……」
親父の前に座った妹は、俺の女子のことを話した。そして、柔道部のいきさつなども詳しく話して聞かせる。
もちろん、春美や双子の兄弟を影武者にして、大会に出場させることは、ないしょだ。
話を聞き終わった親父は、ビールを一口飲んで、盛大に笑った。
「そりゃ、傑作だな」
「笑い事じゃないぜ。このままじゃ、卒業するまで、女のままなんだぞ」
俺は、やっとの思いで文句を言った。
「悪いと思ってるよ。すまんな、渚」
「そう思ったら、早く男に戻してくれよ」
「そうしたいんだけど、俺も事件で忙しくて、なにかと手続きが面倒だし、時間もかかるから、我慢してくれ」
「それじゃ、卒業まで、女でいろって言うのかよ」
「一年の辛抱だ。それに、今までも、女と間違えられることは、あったじゃないか」
確かに、これまで数え切れないほど、女子に間違えられたことはあった。
あったけど、今回は、学校生活に関することだけに、我慢できない。
しかも、一年間は長すぎる。
「どうにかできないのかよ?」
「すまん、渚。父さんも母さんも、仕事で忙しくて、手が回らないんだ」
親父が、軽く頭を下げる。そこまで言われると、俺もこれ以上強くは言えない。俺は、ため息を着くと同時に、顔をテレビに向けた。
「それで、柔道部の方は、女子の方か」
「そうなのよ」
「仕方ないな。それなら、女子で日本一になればいいじゃないか」
「それが、女子には、龍子さんがいるのよ」
妹が説明する。そこに、春美までが加わる。
「おじさんも独眼龍子って、名前くらいは知ってるでしょ」
「去年の大会で、女子で日本一になった、片目の女子の選手だろ」
「そうなの」
春美が、親父にビールを注ぎながら言った。
「その女子が、学校にいるのか?」
「そういうこと」
「それじゃ、渚も危ないな」
「危なくないよ。女に負けるわけないだろ」
俺は、話を向けられて、言い返した。
「それと、その柔道部には、お兄ちゃんに決勝で負けた、真田正宗って人もいるのよ」
「そうなのか。そりゃ、いいライバルだな」
「ライバルじゃねぇって。向こうは、男子で、俺は女子なんだぞ」
親父が笑いながら言うのが、いちいち腹が立つ。
「しかし、その柔道部が廃部の危機ってのは、残念だな」
「そうなの。だから、今度の全国大会は、なんとしても、勝ちたいのよ」
春美が、親父の空いたグラスに、ビールを注ぐ。女子高生にお酌されて、まんざらでない顔をしている親父を見ると、なんだかイラつく。
「それって、なんとかならないかしら?」
「なんとかって言われても、父さんは、部外者だからな」
「部員をもっと増やして、強くしたいのよ」
「コーチとか、監督とか、顧問の先生に頼めばいいじゃないか」
「それが、全然ダメ。話にならないのよ。部活って言っても、練習は、正宗さんと龍子さんがコーチ兼任でやってるのよ」
妹がため息交じりに話をする。
「お父さんの口利きで、強いコーチとか呼べない?」
「う~ん、そう言ってもなぁ……」
当たり前だが、いくら警察官でも、学校に関する事までは口出しは出来ない。
「確か、前の警察署で、格闘技を教えていた外人がいただろ。なんて言ったかな?」
その外人の名前なら、忘れようがない。何しろ、俺を鍛えた鬼コーチだからだ。
「アルフォンヌだろ」
「そうそう、アル先生だ。その先生なら、今も連絡してるから、話をすれば、やってくれるかもしれないぞ」
「ホント!」
妹と春美が揃って喜んだ。俺は、二度と、会いたくないけど……
通称、アル先生。本名、アルフォンヌ・スタインベック・三世という、フランス人だ。元、フランス代表の柔道の選手で、引退してから、日本人の女性と結婚して、日本で住みながら子供たちや警察などで、柔道や格闘技を教えている、日本語ペラペラの変わった人だった。
このアルフォンヌに鍛えられて、俺は、高校の一年、二年と続けて優勝できたのも事実だ。だけど、ちょっと、変わったところもある。そこが、俺とは相性が合わなかった。
「よし、明日、話をして見る」
「ありがとう、お父さん」
「おじさん、飲んで、飲んで」
妹と春美にそそのかされて、顔をほんのり赤くしながら、デレデレしている親父を見て、これが、鬼警部と極道から恐れられているのかと思うと、信じられない。
結局、この日は、親父は、久しぶりの我が家に緊張がほぐれたのか、ビールを二本も空けて、早々と寝てしまった。
これじゃ、話にならないので、俺も寝ることにした。春美は、妹の部屋で寝ることになった。
また、明日から、どうなることか、先が思いやられる気がして、なかなか眠れなかった。
翌朝、俺が起きてくると、親父は、すでに仕事に行っていなかった。
妹が朝食を作っているところだった。
「おはよう、お兄ちゃん。お父さんは、春美さんを送りながら、もう、出て行ったわよ」
「えっ、春美も帰ったのか?」
「そうよ。だって、ウチは、遠いじゃない」
確かに、俺の女子の制服姿を見られなくて、ホッとした。スカートを履いているところなんて、見られたらなんていわれるか。
「なにしてるの。早く、ご飯食べてよ。学校に遅れるわよ」
妹に急かされて、俺は、朝食を急いで食べた。そして、またしても、屈辱の女子の制服に袖を通した。
この姿を親父と春美に見られなくて、心の底からホッとした。
着替えを済ませて、一階に降りると、いきなりフラッシュが俺に向けて炊かれた。
「な、なに、撮ってんだよ」
「春美さんとお父さんに送ってあげるの」
「な、な、なんだって!」
「夕べ、制服姿を送るって約束したから」
「ふざけんな。絶対、するな」
「もう、送っちゃった」
「なんだと! 今すぐ、消せ。送信、取り消せ」
俺は、妹のスマホを取り上げようと手をかけた。すると、それが、ピロリンと鳴った。
「あっ、返事きたみたい」
そう言って、妹はスマホの画面を見ると、春美からだった。
「すごく似合う、可愛いって」
くっそ…… なんで、俺は、いつもこうなんだ。不幸な星の下に生まれた、
哀れな少年なんだ。
「ほら、学校に行く時間よ。急いで、急いで」
俺は、弁当をかばんに詰めた。
「これも、忘れないで」
妹に渡されたのは、体操着が入った手提げかばんだった。
「なんだこれ?」
「今日は、体育あるんでしょ。体操着に決まってるじゃない」
「体操着って…… まさか、女子のじゃないだろうな」
「なにを言ってるのよ。お兄ちゃんは、学校じゃ、女子なんだから、女子の体操服に決まってるじゃない」
「バカヤロ。そんなの、着れるか。これじゃ、完全にヘンタイじゃないか」
「そんなこと、気にしてたら、女の子なんてやってられないわよ」
俺は、完全に学校に行く気をなくした。
「今日は休む」
「ハイハイ、いいから、行くわよ」
俺の返事を完全に無視して、妹は俺の手を掴んで、外に引きづり出した。
結局、そのまま、俺は、学校に行く羽目になった。
三年の教室に入ると、他のクラスメートたちの視線が気になって仕方がない。
「おはよう、渚ちゃん」
「おはよう」
俺は、女言葉で朝の挨拶を交わす。屈辱だけど、仕方がない。正体がばれて、変質者扱いされるよりましだ。
「今日は、三時間目は、体育だけど、体操服って持ってる?」
隣の木村さんに話しかけられた。
「持ってきたわ。これでしょ」
妹が持たせてくれた体操服の入った袋を見せた。
「渚ちゃんて、体育は得意なの?」
「まぁまぁかな」
もちろん、謙遜だ。柔道で二年連続日本一のこの俺が、体育が苦手なはずがない。
「今日の体育って、何をやるの?」
気になって聞いてみた。
「今月は、バレーボールよ」
「えっ! バレーボール……」
いや、考えてみれば、苦手なものはある。それは、球技だ。
いわゆる、団体競技というのが、俺は、苦手だった。
チームワークとか、みんなで協力するとか、野球、サッカー、バレー、バスケットなどなどそういう種目が苦手なのだ。個人競技のが気にせず相手にだけ集中できる。だから、柔道というのは、俺にとっては、最高の競技なのだ。
それが、よりによって、今日は、バレーボールとは、俺のもっとも苦手な競技じゃないか。やっぱり、見学すればよかったと、後悔したけど、すでに手遅れだ。
一時間目の国語、二時間目の英語と、無事に終わったが、問題の三時間目がやってきた。
バレーの前に、体操着に着替えないといけないわけで、むしろそれのが難関だ。
「渚ちゃん、早く着替えないと、間に合わないよ」
隣の木村さんに手を引かれて、女子更衣室に連行された。
「ちょ、ちょっと待って」
いくらなんでも、いきなり女子更衣室に入ったら、確実にヘンタイ扱いされる。下手すれば、退学だ。しかし、後ろからきた女子に背中を押されて、中に入った。初めて入った更衣室だった。中では、ワイワイ言いながら着替えている。
当然、下着姿の女の子ばかりだ。そして、体操着に着替えているわけだ。
男子としては、どこを見ていいのかわからない。目のやり場に困るとはこのことだ。
「渚ちゃんは、ここが空いてるから、ここを使っていいよ」
「あ、ありがとう」
俺は、木村さんに言われるままに、隅の方のロッカーを開けた。
着替えるにしても、ここで服を脱ぐのか……
それを思うと、なかなか手が進まない。
「おっと、ごめんね」
突然、肩に当たってきた女子に話しかけられた。
「大丈夫よ」
俺は、当たり前のように返した。そのときの女子の顔を見て、あっと思ったが手遅れだった。
「渚く……ちゃん」
「どぅも」
そこにいたのは、片目の龍子だった。お互い、バツが悪い顔をして見合ってしまった。
「ちょっと」
俺は、龍子に肩を掴まれて更衣室の外に連れて行かれた。
「何で、渚く……ちゃんが、ここにいるのよ」
「しょうがないでしょ。あたし、女子だもん」
「そりゃ、そうだけど」
俺は、龍子の耳元でそっと言ってやった。
「俺だって、好きで女やってるんじゃねぇんだよ。しょうがねぇだろ。この格好で、男子更衣室に入れないだろ」
龍子は、諦めて、手を離した。
「このこと、正宗くんには、話さないほうがいいわよ。きっと、怒るから」
「わかってるわ」
堅物の正宗がこのことを知ったら、烈火の如く怒るに決まってる。
絶対に、言えない。
たまたま龍子が先に着替えていたからよかったが、着替えている途中だったらと思うと、背筋が凍る。
俺は、再び、女子更衣室に入って、隅の方で手早く着替えた。
鏡を見て、愕然とする。白い体操服の胸に大きく『早乙女』と書いてある。
しかも、胸がいくらか膨らんでいる。ブラジャーを無理やりつけさせられた上、中にパッドまで入れる念の入れようだ。
やってなければ、胸はペッタンコなので、不自然に見える。妹に感謝だ。
下半身は、男子と同じ白い短パンなのが不幸中の幸いだ。
もしも、これが、ブルマーだったらと思うと、ゾッとする。
俺は、手早く着替えて、急いで校庭に出た。バレーコートに整列していた女子たちの一番後ろに並んだ。
体育の先生の号令で、チーム分けをしてから、バレーコートに入り、試合が始まる。
一組対ニ組という組み分けで、これまた、運悪く、俺のチームの対戦相手に龍子がいた。
龍子は、柔道だけではなく、他のスポーツも万能なのを忘れていた。
まずは、サーブで試合が始まる。もちろん、二組のエースは、龍子だ。
これが、おもしろいようにサーブが決まり、我らが一組は、レシーブが下手すぎて、ボールを拾えない。
コートの向こうで、ドヤ顔の龍子を見るのが、ちょっと悔しい。
それでも、何とか俺たちのサーブの番が来た。俺がサーブを打つことになった。
「がんばって、渚ちゃん」
味方の応援を受けて、俺は、ボールを打った。
しかし、そのボールは、何とかネットを越えたものの、軽く拾われて、トスをあげると龍子のスパイクが決まった。結局、一組のボロ負けだった。
他のチームが試合をしているのを、俺は見るしかなかった。
「ちょっと、渚く……ちゃん、真面目にやらないと、試合にならないじゃない」
龍子が隣にきて文句を言いに来た。
「あたし、球技は苦手なのよ」
「だけど、体育の授業のバレーくらい、できるでしょ」
「だって、女の子だもん。ムキになったら、危ないでしょ」
「まったく…… 渚ちゃんには、二つも目があるのに、バレーの一つも出来ないんじゃ、話にならないわ」
確かに、龍子は片目である。それだけでもハンデがあるのに、柔道以外にも、バレーもかなり上手だ。
やっぱり、負けていられないなと、思い直した俺は、重い腰を上げた。
「もう一度、勝負よ」
「そうこなくちゃ」
俺と龍子は、それぞれのチームに混じって、もう一度試合をした。
龍子の強いサーブを俺は、全力でレシーブした。両手が、火がついたように熱くて痛い。
俺のレシーブをうまくトスしてもらうと、俺は、思い切りジャンプして、そのボールを打った。
俺の弾丸アタックを受けてみろと、心の中で叫びながら打った。
しかし、俺のアタックは、龍子のブロックで簡単に弾き返されてしまった。
足元に転がるボールを見て、ガッカリする俺たちとは逆に、盛り上がる二組。
中でも、龍子は、俺に対してガッツポーズまで作って見せた。
この借りは、放課後、柔道で返してやろうと思った。
ようやく授業が終わり、女子たちが着替えが終わってから、一人こっそり、更衣室に入り、制服に着替えて急いで教室に入った。次の時間は、弁当の時間で昼休みだ。
俺は、周りの女子たちと机を並べて、楽しい食事の時間だ。
今日の弁当は、妹が作ったので、いわゆる女子弁なのだ。見掛けは可愛いが、量的に足りない。
しかも、弁当箱の蓋を開けると、のり弁とから揚げに卵焼きという、いたってシンプルだった。
あんにゃろ、また、手を抜いたな。俺は、心の中で妹を文句を言った。
俺は、隠すように急いで弁当をかっ込んだ。
「ちょっと、渚ちゃん、もっとゆっくり食べないと体に悪いわよ」
隣の木村さんに注意されてしまった。まったく、情けないというか、女子は、窮屈だ。何事も気を配らないといけない。やっぱり、男のが楽だ。
午後の授業も何とか終わって、いよいよ放課後だ。俺の柔道部の初日だ。
俺は、かばんと柔道着を持って、意気揚々と道場に向かった。
「失礼します。今日から、入部する、早乙女です」
そう言うと、すでに来ていた正宗と龍子に、二年生の部員たちが迎えてくれた。
「よろしくお願いします」
俺は、丁寧に挨拶をして、頭を下げる。二年生たちは、男子も女子も明るく迎えてくれた。しかし、正宗と龍子は、二人で何か話すと、俺を紹介してくれた。
「それじゃ、紹介する。柔道部の女子に入ってくれた、渚…… じゃなくて、早乙女渚さんだ。みんな仲良くしてやってくれ」
「ハイ、こちらこそ、よろしくお願いします。早乙女先輩」
先輩なんて、いい響きだ。俺も、先輩と呼ばれる身分になったことがうれしくなった。
「それじゃ、渚ちゃん、こっちにきて」
龍子に呼ばれてついて行くと、道場の隅にある更衣室に案内された。
もちろん、女子のほうだ。
「みんなが着替えてから、入ること。わかってるわよね。変な気を起こしたら、正宗くんがいることを忘れないでよ」
「ハイ、わかってます」
俺は、明るく返事をした。しかし、俺の背中に正宗の鋭い視線が痛いほど突き刺さる。
とりあえず、空いているロッカーを使わせてもらうことにして、制服から柔道着に着替えた。
「早乙女先輩は、黒帯なんですか?」
「それじゃ、主将より強いんですか?」
後輩の二年生の女子で、近藤奈々美ちゃんと沖田真弓ちゃんが話しかけてきた。
俺の黒帯姿を見て感心している。龍子は、茶色の帯なので、見た目で俺より下なのがわかる。
「そうでもないわよ。龍子…… じゃなくて、主将のが強いと思うわ」
俺は、かなり謙遜してみたが、龍子には通じない。実力は、自分でもよくわかっているらしい。
正宗は、男子相手に黙々と練習をしている。厳しい指導は、正宗らしい。
当然、俺は、女子なので、相手は、龍子だ。もっとも、俺の稽古相手ができるのは、龍子くらいだろう。
「それじゃ、まず、実力を確かめさせてもらうわね」
「ハイ、お願いします」
俺は、龍子と組み合った。
「手加減しないでね」
「ハイ」
組み合ったときに、龍子が小さな声で言った。もちろん、手加減するつもりはない。相手は、独眼龍子だ。手加減していたら、こっちのがやられる。
がっちりと組み合えば、相手の実力がわかるのが柔道だ。
襟と袖を掴んで、龍子を押した。しかし、相手も強い。俺の手を振りほどくと、逆に俺の襟を掴んで投げてくる。
俺は、それに注意しながら足払いを狙った。しかし、龍子の動きは思ったよりも早かった。
龍子を甘く見ていた。かなり手強い。高校柔道の女子で日本一になるだけの事はある。
俺と龍子の試合を後輩はもちろん、男子たちも黙って見ている。正宗も興味深々で見ていた。
「うりゃぁ!」
俺は、掛け声と同時に、背負い投げの態勢を取った。そのときだった。
「押忍! 失礼します。こちらに、渚のあにぃは、いますか?」
俺は、龍子と組み合っている最中に、目の横から微かに見えた男二人に、思わず手が止まった。
次の瞬間、俺は、龍子にきれいに投げられて、畳に背中から落ちた。
「ちょっと、どうしたのよ?」
「ご、ごめんなさい」
龍子が倒れた俺を起こしながら言った。
何で、バカ兄弟がいるんだ? 来るなんて一言も聞いてないぞ。
それにしても、間が悪すぎる。
「すみません。こちらに、渚のあにぃがいると聞いてきたんですが……」
間の悪いやつだ。空気を読め。今、来るんじゃない。
てゆーか、聴いてないぞ。
「どちらさんですか?」
正宗が二人の男の前に進み出た。道場破りか何かと勘違いしたらしい。
「お初にお目にかかります。俺は、服部金次、こっちは、弟の銀次と申します。以後、お見知りおきを」
「自分は、柔道部の主将の、真田正宗だ」
「えっ! それじゃ、あなたが、渚あにぃに負けた、正宗さんですか? これは、大変失礼いたしました」
そう言って、深々と頭を下げた。しかし、その言い方に、正宗は、顔を引きつらせた。
言い方がまるでわかってない。やっぱり、こいつらは、バカだ。
「兄ちゃん、この人は、親分て呼ばなきゃダメだよ」
「わかってる。お前は、黙ってろ。それでは、改めて、正宗親分、よろしくお願い申し上げます」
時代錯誤も甚だしい。極道じゃないんだから、高校生に親分はないだろ。
「それで、なんの用だ」
「昨日、雪姉さんから電話をもらって、この学校に来いということで、参りました」
あのバカ、俺に一言も言わなかったじゃないか。来るなら、来ると言え。
俺は、心の中で呟いた。突然の訪問者に、二年生たちも唖然としている。
「どうしたの、正宗くん?」
龍子がどうしたらいいのか、わからない顔をしている正宗を助けに行った。
「この二人が、渚に会いに来たらしい」
「もしかして、キミたちが、双子の……」
「ハイ、服部金次です。こっちが弟の銀次と申します」
「あたしは、女子の主将をしている、伊達龍子よ」
すると、あのバカ兄弟は、まじまじと龍子を見つめると、驚くように、また、深々と頭を下げた。
「もしかして、独眼龍子様で……」
「そ、そうだけど」
「龍子姐さん、失礼しました」
親分とか、姐さんとか、高校生の会話じゃない。
「えっと…… それで、渚く……ちゃんに会いに来たのね?」
「ハイ、それで、渚あにぃは、どちらにおいでですか?」
正宗と龍子は、顔を見合わせて困り果てている。この場で、俺が出て行くのは、かなり問題がある。
「すみませ~ん、遅くなっちゃった」
そこに、今度は、妹が登場してきた。ある意味、天の助けだ。
「あら、金ちゃん、銀ちゃん。もう来てたの、早かったわね」
「ハイ、雪姉さんの御用とあれば、例え火の中、水の中です」
揃いも揃って双子の兄弟は、頭が悪すぎる。いくら双子とはいえ、声が揃っているので、ステレオで聞こえる。
二人で同じことをしゃべるなと、何度も言ったはずだが、全然わかってない。
「紹介するわね。この二人が、昨日言った、代わりの部員の、金ちゃんと銀ちゃんよ」
そこまで言って、やっと、正宗も龍子も事情が飲み込めたようだった。
「あの、雪姉さん、渚のあにぃが……」
不安そうに尋ねると、妹が俺のほうに歩いてきた。どうやって、俺を紹介するつもりだ。
しかし、妹は、俺の襟首を掴むと、双子のバカ兄弟の前に立たせた。
「お待ちかねの、渚あにぃよ」
すると、双子の兄弟は、俺の顔をまじまじと見詰めるとこういった。
「雪姉さん、からかっちゃいけませんよ。渚あにぃは、男ですよ。こんな可愛い女の子じゃありません」
「えーと…… ここじゃ、話にならないから、あっちに行きましょう。すみません、お姉ちゃん、ちょっと借ります」
妹はそう言って、俺の襟首を掴んだまま、道場から出て行った。
「ほら、あんたたちもちょっときなさい」
言われた双子の兄弟は、首をかしげながら後についていく。
「おやおや、金銀兄弟、なにをしてるのだ?」
「あっ、アルフォンヌ先生!」
なんと、今度は、俺の師匠のアルフォンヌ先生までが登場してきた。
この展開をどう収めるつもりだ……
「あらぁ、そこにいるのは、雪ちゃんなのだ。元気そうなのだ」
「アルフォンヌ先生、丁度よかった。いっしょに来てくれませんか?」
「いいのだ。雪ちゃんのお願いなら、どこでも行くのだ」
まったく、調子がいいやつだ。こいつが、元フランス代表なんて、きっと誰も信用しないだろう。
しかも、よりによって、こんなときに来るとは……
どいつもこいつも空気が読めなくて困る。
道場の裏に連れて行かれた俺たちは、そこで、双子の兄弟とアルフォンヌ先生に事の次第を説明した。
「うおぉぉぉ……」
「なんてことだぁ~」
兄の金次が絶叫とともに膝から崩れ落ちた。ついで、弟の銀次が、坊主頭を抱えて地面に突っ伏した。
「俺たちの渚あにぃが、事もあろうか、女になるなんて……」
「兄ちゃん」
「銀次」
二人は、大号泣して抱き合った。いくらなんで大袈裟だろ。気持ちはわかるが、そこまでしなくてもいいと思う。
「うぉぉ~ん、私は、ナギくんをそんな男に育てた覚えはないのだ。悔しいのだ。悲しいのだ」
アルフォンヌも双子の兄弟に負けず、大泣きしている。
とりあえず、三人が落ち着くのを待つしかない。しかし、いつまでたっても、落ち着くような雰囲気にはならずこのままでは、埒があかない。
俺は、頭をかいて、首に巻いていたタオルを三人に差し出していった。
「とりあえず、これで涙を拭け。それと、ちゃんと立て」
俺は、男の地声で怒鳴りつけた。
すると、その声を聞いた三人は、涙と鼻水でぐしょぐしょの顔を上げて、ビックリしていた。
「な、な、渚のあにぃ……」
「兄ちゃん、やっぱり、渚のにいさんだよ」
「いいから、いちいち、泣くな」
「うれしいのだ。ナギくんが帰って来たのだ。私は、うれしいのだ」
俺が叱りつけると、三人は、タオルで涙を拭いて、ついでに鼻をかんだ。
このタオルは、卸したばかりなのに、もう、捨てるしかない。
そして、三人は、俺の前に立つと、背筋を伸ばして、ビシッと姿勢を正した。
「もう一度言うぞ。俺は、事情があって、女になってるけど、中身は男だから、間違えるな」
「押忍」
「押忍じゃなくて、ハイでいいから」
「押忍、じゃない、ハイ」
「もう一度、言うから、しっかり聞け」
「押忍」
「だから、押忍じゃないといってるだろ」
「押忍、じゃなくて、ハイ」
やっと、落ち着いた三人に、妹が話を始めた。三人は、何度も頷きながら、真剣な表情で聞いていた。
この学校の柔道部の影武者になること。そして、次の大会で優勝すること。
双子の兄弟は、納得してくれた。何しろ、この二人は、俺が、引っ越しする前に同じ道場で稽古をしていた仲間だ。
俺には、一度も勝てないが、柔道の実力は、折り紙つきだ。
残念なことに、二人の高校には、柔道部はなかった。そこで、アルフォンヌの道場で稽古をしながら大学を目指していた。柔道の強い大学に進学するつもりなのだ。
「わかったか」
「押忍」
「だから、押忍じゃなくて」
「ハイ!」
「それと、俺が女だということは、秘密だからな。絶対に、誰にも言うなよ」
「押忍、じゃなくて、ハイ!」
「よし、それじゃ、話はそれまでだ。正宗たちに挨拶して、今日は、帰れ」
これで、話は終わりだ。俺は、ホッとした。
「それと、アルフォンヌ先生、柔道部のこと、よろしく頼む」
「任せるのだ。この私が来たからには、必ず優勝させるのだ」
アルフォンヌは、胸を張った。
「それと、お前ら、俺のこと、渚あにぃとか呼ぶなよ」
「それじゃ、なんて言ったらいいんですか?」
そういわれると、俺も困る。早乙女さんとか、渚ちゃんとか言われているが、どう考えてもこいつらにそんな名前で呼ばれたくない。
「渚さんでいいんじゃないかな」
妹が言った。
「そう、それでいいよ」
「では、渚……さん」
なんとなく言いずらそうだ。
アルフォンヌは、確かに強い。指導力もある。
これまでも、たくさんの生徒を育て上げてきたことは、事実だ。
俺は、正宗と龍子にアルフォンヌを紹介した。
アルフォンヌも、二人の事は、聞いて知っている。明日から、厳しく指導するという話になった。
学校の方も、臨時コーチという名目で、話もついて、やっと一段落ついた。




