私たちの”嘘”
教室の窓から差し込む西日が、茜色に染めていた。
放課後の静まり返った教室。
この空間にいるのは、私たちだけだった。
「深雪、はやくー!」
「急かさないで咲希、もう少しだから。」
彼女は深雪。
幼い頃から、どんな時も隣にいた親友。
いつまでもこんな日々が続くって、疑いもしなかった。
――この日までは。
私は深雪が日直日誌を書き終えるのを、ぼんやり眺めながら待っていた。
夕暮れの空気に背中を押されたのか、私の口が勝手に動いた。
「ね、深雪。私、深雪のこと大好き。…私たち、付き合わない?」
なぜ、そう言おうと思ったのかは分からない。
とにかくその時は、ほんの少し彼女をからかいたくなっただけだったんだと思う。
『何言ってんの、もう!』
そんな呆れたような返しを期待していたんだ。
でも――
私は、その軽率さを一生後悔する。
深雪の手からペンが滑り落ちて床を転がった。
カラン。
教室に響いたその音が、心臓の奥に突き刺さる。
「み、深雪?どうしたの?」
深雪の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
次の瞬間、弾かれたように抱きついてくる。
「ほ、本当なの…? 私、嬉しい…っ。ずっと、伝えられないって…諦めてたのに…!」
深雪は嗚咽混じりの声で叫んでいた。
…いや、叫んでいたという表現が正しいかは分からない。
音量はそんなに大きくなかった。
けれど私には、彼女の積年の想いが爆発した、心の叫びのように聞こえたんだ。
違う、と言わなきゃ。
冗談だよと、笑い飛ばさなきゃ。
でも、腕の中で震えて泣く深雪を見た瞬間、喉が凍りついた。
こんな深雪に、「嘘でした」なんて言えるわけがない。
深雪のことは、大好きだ。それは本当。
ただ――親友としてで。
ぐるぐると巡る思考を無理やりねじ伏せる。
私は動揺を悟られないよう、震える手で彼女を抱きしめた。
「本当だから。深雪、大丈夫…ね?落ち着いて。」
「う、うん…」
少しして落ち着いた深雪は、恥ずかしそうに俯きながらも嬉しそうに笑った。
罪悪感で胸が痛むのに、そんな深雪がとんでもなく可愛く見えてしまう自分がいた。
「これからよろしくね、咲希。」
はにかむようなその笑顔を見て、私は戻れない道を歩き出したことを知る。
これが、すべての始まりだったんだ。
――こうして、私たちは恋人になった。
遊園地、お揃いのストラップ、カフェでの将来の話。
寄り添うだけで満たされた静かな時間。
私は恋人になっても、親友だった頃とそんなに関係って変わらないんだななんて、軽く考えていた。
彼女が繋いでくる手の強さも、私を見つめる熱っぽい視線も、すべて「今まで通り」の延長線上に置いてしまっていた。
…でも、深雪は違ったんだ。
二ヶ月ほど経ったある日。
あの日と同じ茜色の西日が差す教室で、私は深雪を待っていた。
「深雪ー?それ終わったら今日は何しよっか?」
「……。」
返事がない。
静けさに、胸の奥がざわつく。
やっと深雪が口を開いた。
「咲希。もう…やめよっか。こんなの。」
「…え?」
私は思わず息を呑んだ。
「咲希はさ、私のこと…友達としか思ってないよね?」
心臓が強く跳ねる。
「深雪…私は、その…」
「嬉しかったんだよ、あの日。本当に。もう死んじゃうんじゃないかなって思ったくらい。」
「でもね。一緒に過ごすうちに、なんとなく分かっちゃった。私の気持ちと咲希の気持ちは…全然違うんだって。」
「私…もうこれ以上、気持ちがすれ違うことに耐えられないの!」
バン!
深雪は思い切り机を叩くと、涙をこぼしながら教室を飛び出した。
「ま、待って…!」
私は反射的に立ち上がった。
けれど、足がすくむ。
…私に、彼女を止める資格なんてあるの?
私の軽率な嘘が招いた事態なのに。
彼女を傷つけたのは私なのに。
ううん、こんなんじゃ駄目だ。
私は頭を振って、迷いを追い払う。
これ以上過ちを重ねないために、ちゃんと目を見て話さなきゃいけない。
それに――
今はもう、嘘じゃない。
始まりは嘘だったかもしれない。
でもこの二ヶ月で、私は本当に深雪を好きになっていた。
彼女の指先の温度も、見上げてくる瞳も、全部愛しくなっていた。
息を切らして深雪の家まで走り、チャイムを鳴らす。
「…はい。」
インターホン越しに、深雪の声がした。
「深雪!私、伝えたいことが!」
「今日は駄目。明日にして。」
「深雪!」
「お願い。」
短い拒絶に、私は言葉を飲み込んだ。
「分かった…また明日。その時は話、聞いてね。」
――長い夜を過ごし、翌日。
私は重い足取りで教室に向かい、深雪に声をかけた。
「深雪、昨日のことなんだけど…」
「あ、咲希!おはよう!」
…あれ?
違和感が、全身を冷やす。
「深雪、昨日…」
「昨日?昨日はなにも無かったよね?」
深雪は微笑んでいる。
完璧な、一分の隙もない笑顔で。
その笑顔を見た瞬間、背筋が凍った。
深雪は全部無かったことにしたのだ。
私の嘘の告白も、二ヶ月の恋人期間も、昨日の涙も。
全部、無かったことに。
逃げ込むみたいに、“親友”へ戻っていた。
焦りが喉を締めつける。
嫌だ、戻りたくない。
「ち、違うの…!私、本当に深雪が好きで…友達としてじゃなくて、その…!」
私は必死に言葉を紡ごうとした。
けれど深雪は、困ったように笑って、私の言葉を遮った。
「何言ってるの、もう!からかわないでよ。」
あ。
それはあの日――
私が深雪に言ってほしかった台詞のようだった。
その瞬間、理解した。
私の“本当”は、もう深雪にとって“嘘”にしか聞こえないんだと。
――放課後。
西日の差す教室で、私は一人、声を殺して泣いた。
「深雪…ごめん…私…」
その日から私は、あの日の夕焼けに閉じ込められたままだ。
物語としてはこれで終わりです。
私としては幼馴染の百合はすべからくハピエンであって欲しいのですが。
どうしてもこれは書いてみたかったのです。
この後ぶつかり合ってぶつかりまくってもう一度結ばれる、きっとそんな展開もあるのでしょう。
ですが、このお話はここで終わりなのです。
ここで終わりだからこそ、このお話なのです。




