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琥珀おじさんとゲンの詩の時間  作者: 真鶴 黎
企画展――琥珀おじさんとゲンの詩の時間――
9/34

ゲンとの日々 ――竜大・琥志朗の来訪――

 竜の兄さんと琥志朗が来てくれた。二人とも元気そうだ。長居はできないらしいがこうして会えて嬉しい。

 (中略)

 ゲンが珍しく人見知りしている。それも、竜の兄さんに。あんなに穏やかで、落ち着いている人を人見知りするなんて。琥志朗に対してはとくに何もなく。ただ、オレと似たような顔があって驚いたのか少し混乱していた。似ているとは言え、オレと琥志朗の顔つきは大分違うと思うが。

 (一九×◎年五月六日)



 竜の兄さんと話した。体調はどうかとしきりに尋ねられた。鷹峰君やコタちゃんから話を聞いたらしい。あの二人、話を盛ったのか、オレがガリガリにやせ細っていると思っていたと兄さんに言われた。思ったより顔色がよくてよかったと竜の兄さんは安堵していた。そう言えば、コタちゃんにもやたらと心配された。元凶は鷹峰君だろう。彼のことを殴り飛ばさないといけないらしい。

 そして、詩を再び作りだしたことについても話した。見せてほしいと言われ、いくつか見せた。うんうんと幼子の話を聞くように目を細めながら読んでくれた。

 いい詩だね、と竜の兄さんは言ってくれた。とても真っ直ぐに。本当に、と訊けば、本当だとも、琥珀はこんなに優しい詩も作れるんだね、と幼子を褒めるように。

 鷹峰君やコタちゃんから作風が大きく変わったと聞いていたこともあって、すんなりと受け入れてくれたようにも思った。

 それでも、どこか勘繰ってしまう。竜の兄さんに限って、偽りで誤魔化そうとはしないと思う。そもそも、嘘をつくなんて滅多にしない人だ。それと同時に、本音を言わないこともしばしばある。言わなければ伝わらないを体現しているところがある。そこを少し疑ってしまう。

 本当に、と再度尋ねれば、本当だよ、と。また本当かと尋ねれば、竜の兄さんは困ったように笑った。

 お前が欲しい言葉は何だい、何が心配なのか、と。

 昔、寝込んでいるときに退屈していないか、本を読み聞かせようか、身体を起こせるなら少し遊ぼうかと言ってくれたときの表情に似ている。

 自分らしい詩とは何だったか、わからない。自然と口から零れて、このまま詩を作っていいのかと尋ねていた。

 詩が嫌いになったのか、そうではない、詩を作ることが怖いか、それはある、作風が変わったことを気にするのか、気にはなる。

 他にもいくつかやり取りをした。竜の兄さんはただただ話を聞いてくれた。

 一段落すると、竜の兄さんはしばらく考えこんだ後、詩をいくつか諳んじた。それは幼い頃に兄さんが読み聞かせてくれた詩とゲンが歌っていたオレの詩だ。ゲンが歌っていた詩は記憶があやふやなのか、どうだったか、と言葉を詰まらせながらも、旋律は口ずさんでいた。

 私は詩について造詣が深いわけではないから、きちんとしたことは言えないが、何か言えるとすれば今の琥珀の詩にやんちゃさや元気なものを足してもいいのではないか、と。

 そんなことを言った。昔の話をしないか、と竜の兄さんは話してくれた。

 竜の兄さんと一緒に遊んだこと、オレが近所の子供を泣かせて一緒に謝ってくれたこと、寝込むオレの看病をしてくれたこと、ちゃんばらをして襖を駄目にして父にこっぴどく叱られたこと、他の兄弟を殴り飛ばして兄さんに叱られたこと。

 そんな幼い頃の昔話。そんなこともあった、と少し面白かった。

 それから、と兄さんはオレが覚えていないようなことも教えてくれた。オレが生まれた日のこと、朝日が射し込む頃の明朝で、眠気眼でオレが生まれるのを待ってくれていたらしい。琥珀は太陽が目覚めるのと同じ刻限に生まれた、あの日の光と産声は今も覚えている、と。後に琥珀色を知ったとき、父の名づけに合点がいったとも教えてくれた。

 寝返りをするようになったことも、四つん這いになって移動するようになったことも、歩くようになったことも、オレの小さい頃のことを本当によく覚えているようだ。

 懐かしい昔の話。他の兄弟のことも覚えているよ、と。

 兄さん自身の子供の頃の話は、と振ると、さて、と肩を竦めた。オレが子供の頃から兄さんは兄さんだった。あまり覚えていないというか、頓着がなさそうだった。

 そうさなあ、と兄さんは何か考え込むとふと言葉を漏らした。


 もしも、叶うのならば教職に就きたかった、と。


 初めて聞いた。竜の兄さんにそんな夢があったなんて。

 でも、すとんと納得できるところがある。子供たちの前に立つ姿が簡単に想像できる。きっと、生徒に慕われるいい先生になれただろう。

 なれただろうけど、なれなかった。兄さんは長男だから、家を継がなければならなかった。夢を抱いても、叶わない。叶うことのない夢に蓋をして、今まで生きてきたのかと初めて知った。

 そんな兄さんはオレのことを支援してくれた。父に反対されてまで押し通そうとした詩人の道をこの人は応援してくれた。大学の費用まで工面してくれた。それなのに、オレは道から外れてしまった。

 申し訳なく思った。


 気づけば、ゲンが顔を覗かせて話を聞いていた。遠目にこちらを見て、兄さんが手招きするも、身体を引っ込めてしまった。嫌われているのか、と兄さんが肩を落としていて気の毒だった。

 おじさん、とゲンの細い声がした。どこか眠たそうな声でもあった。今日はもう休もうと兄さんに促された。

 本当に申し訳ない。

 (一九×◎年五月七日)



 誕生日を祝われるなんて、この歳になるとこっぱずかしい。竜の兄さんからは帽子、琥志朗からはペンと孫たちからの絵をもらった。気恥ずかしいが嬉しかった。

 (中略)

 竜の兄さんと話した。謝ろうとしたら、逆に謝られた。誤解させてしまったか、と兄さんは困ったように笑った。

 竜の兄さんは好き勝手に夢を追い、捨てたオレを恨まなかったのかと訊いた。兄さんは恨みはしていないし、自分のやりたいことを追い求めてくれてよかったと言ってくれた。

 私は弟妹たちに読み聞かせをしたり、一緒に遊んだり、読み書き計算を教えることができて、先生になりきっていた。それで十分だった、と。教師になりたいと思う気持ちは本当だったが、一番身近な子供たちの先生になれただけでも楽しかった、と。

 今は家業を息子に譲って、近所の子供たちに読み書きを教えている、と。確かに、そんな話を聞いたことがあった。

 別に、夢が叶わなかったわけじゃない。叶うまでに時間がかかった、かかった時間に見合う価値もあったから自分はそれでいいのだと。そう考えられるしなやかさが竜の兄さんらしくある。


 竜の兄さんには敵わない。きっと、もう一度人生をやり直しても、この人を超えることはできない。

 (一九×◎年五月八日)



 琥珀が居を移してから初めて対面したときのことはよく覚えています。元気がなさそうだと菅間さんから聞いていましたが、思っていたよりは元気そうでした。琥志朗がいたからというのも大きかったでしょう。顔を合わせるなり、ぱっと表情を明るくさせて出迎えてくれました。

 (中略)

 あの子が詩を見せてくれました。菅間さんたちから聞いていましたが、ガラッと雰囲気が変わったとすぐにわかりました。でも、あれは琥珀の詩でした。床に伏せり、熱にうなされているときの寂しそうな感じを思い出させたものでした。詩人の高岳琥珀というよりも、思うように動くことのできないもどかしさを抱いた少年高岳琥珀の詩のように思えました。

 思うように身体が動けず、ただじっと時間が過ぎるのを待つしかない。そんな時間から解放されたあの子は思い切り走り回っていました。身体全体で外の世界を堪能するように目一杯駆け回っていました。その姿はやんちゃで、時には叱られることもありましたが、それすらも大切な時間だったのではないでしょうか。

 (中略)

 私は文学を享受する側の人間で、琥珀のように言葉を作品として紡ぐ側ではありません。作品の批評を立派にできるような人間ではありません。ただ、兄として、あの子に伝えられることはあると思いました。

 高岳琥珀は私にとって、詩人である以前に弟です。わんぱくで、我が道を突き進むことができる力を持つ弟です。琥珀が幼い頃、一緒に遊んだあの日々は確かにあった。苦しい時間から解放された、ささやかなその時間、あの子はやりたいように好き勝手する、子供らしい子供だったのです。

 (竜大「琥珀のこと」より)



 琥志朗がゲンと一緒に演奏していた。演奏と言っても、茶碗やグラスを叩く即席の楽器での演奏。琥志朗が鳴らすのをゲンが真似る。ゲンが好き勝手鳴らすのに対し、琥志朗が合わせるように鳴らす。そんな小さな演奏会を竜の兄さんと聞いていた。少しは慣れたのか、兄さんに声を掛けるようになった。

 (中略)

 二人が明日帰る。

 (一九×◎年五月九日)



 二人を見送った。今度来るときは家族も一緒にと琥志朗。それは嬉しい。

 (中略)

 琥志朗にあの子は一体何者なのかと問われた。素性がどうとかも気にはなるが、オレにとって良き存在であるのか、と。

 良き存在。そうだと思う。オレを詩の世界へ戻してくれた。まだ悩むことは多くあるが、詩と向き合うきっかけをくれた。

 ならいいけれど、あまり思い詰めないように。詩を作るのも構わないが、身体には十二分に気をつけるように、と。三月のことを家内から聞いたらしい。琥志朗の前で弱い姿を何度も見せたし、そう言われるのも無理はないか。

 (中略)

 ゲンが食事中に茶碗を叩いて遊ぶようになった。それは行儀が悪いと初めの頃に教えたのに。

 (一九×◎年五月十日)



 ゲンに竜の兄さんのことが苦手なのかと訊いた。最終的には話すようにはなったが、あそこまで人見知りするところを初めて見た。竜の兄さんはオレと違って見るからに優しいし、穏やかな人だ。眼力のある鷹峰君に人見知りするなら納得できるが、接しやすいあの人をゲンが人見知りするなんて何かあったのかと思った。

 曰く、何か考えているけどそれがわかりにくいから、と。常に笑っていて、ふんわりとしているのに強そう。

 コタちゃんもふんわりとしているだろうと言えば、コタは弱っちいからとかぬかした。それはコタちゃんに失礼だが、兄さんのことを強そうと感じたとは。体格が特別いいわけでもなく、腕っ節という意味では普通だと思うが、精神的に強い人だと思う。

 兄さんのこと大事? とゲンに訊かれた。それはもちろんと答えれば、そう、と。

 不思議な人だった、おじさんとは大違いとまで言われた。ゲンの方が余程不思議だと思うのだが。

 (一九×◎年五月十一日)



 伯父と一緒に父に会いました。思っていたよりは元気でしたが、疲れのある顔をしていました。

 (中略)

 父が詩を書いていました。昔、夜更けまで詩の世界に没頭していた姿そのままでした。

 詩を読ませてもらいました。以前とは異なり、落ち着いた雰囲気、物言いの堅苦しさが薄れたという印象でした。もしも、この詩を書いたのは誰かと訊かれたら、父のことが頭には浮かばないほどの変容ぶりでした。

 (中略)

 両親の元をある少年が出入りしていました。不思議な雰囲気の子でした。その子は父の詩を口ずさみながら機嫌よく遊んでいました。

 昔の父の詩は彼のような小さな子供が理解するには難しいものでした。しかし、今は違う。彼なりのメロディーで楽しそうに歌っていました。

 あの子は父にとって、よい鏡なのかもしれません。子供という純粋で、無邪気だからこそ、反応がよくわかる。

 (琥志郎の日記より)

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