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琥珀おじさんとゲンの詩の時間  作者: 真鶴 黎
企画展――琥珀おじさんとゲンの詩の時間――
6/34

ゲンとの日々 ――菅間鷹峰の来訪――

 ゲンが金木犀の花を持ってきた。出会ったときのように、書斎の窓を叩いてきた。こちらが窓を開けると、かき集めてきた金木犀の花をぶわっと投げ入れてきた。

 やってくれたな、ゲン。久しぶりにゲンを叱った気がする。

 だけど、いい詩が思い浮かびそうだ。

 (一九×■年十月二日)



 金木犀が教えてくれた。

 外は秋ですよ、と。

 実りの時期ですよ、と。

 (一九×■年十月)

 ※「金木犀」の原案か。



 驚いた。まさか、高岳君から詩を作ることにしたと手紙がくるなんて。桃源郷の件で、ひどく心を痛めて詩の道を閉ざした彼が戻ってくるなんて。誰が想像できたことか!

 (中略)

 送られてきた「銀に咲く花」は以前の彼とは違って、随分と角の取れた詩だ。ただ、ブランクのせいかひどくたどたどしい。「降る雪に頭を垂れる」なんて、安直な言い回しすぎやしないか。

 (中略)

 どんな気持ちの変化があったのか、汲み取ることはできなかったが、再び彼の詩を読めてよかった。寒さを耐え抜いた花が開くように、彼の調子があの頃に戻ると嬉しい。

 (一九×■年十二月十三日 鷹峰の日記より)



 鷹峰君のやつ、言いたい放題言ってきやがった。久しぶりに詩を書いたから率直な意見を聞かせてくれとは確かに伝えたが、こちらを殴りつけるようなことばかり書いてきた。

 でも、彼の言うとおりだ。「銀に咲く花」は捻りが少なく、未熟。タイトルに負けている。何とかしたい。

 とは言え、鷹峰君には腹が立つ。今度会ったらぶん殴ってやる。一発とは言わず、五発ぐらい。

 (中略)

 ゲンに文字を教えることにした。五十音を覚えるのにちょうどいい詩がある。案の定、ゲンは気に入ったのか、何度も読んでとねだってくる。

 (中略)

 やはり、あの方の詩はいい。あの方の詩にあった道を思い返すことができるだろうか。俺が選んだこの道をそうだよと肯定できるだろうか。

 (一九×■年十二月二十七日)



 今年ももう終わる。結局、年内に整えようと思った「銀に咲く花」はまだ納得のできるものに仕上がっていない。

 (中略)

 ゲンは多少文字を読めるようになった。字を書くのはまだまだだが、気長に進めるとしよう。

 (一九×■年十二月三十一日)



 新たな年が始まりを告げた。

 (中略)

 ゲンが早朝から顔を出した。めんめが痛いと言っていた。凍てつく寒さで目が乾燥したらしい。初めての雪に目に何かが刺さったと転げた子狐じゃあるまいに。

 (中略)

 東風に託せよ、銀の花

 眠りの刻はもうしまい


 寒に耐えた(※1)頭を上げよ

 今、その花開くとき


 銀の光の一閃を

 ほうき星の如く飛来させ

 獅子の目(※2)を射よ

 (以下、走り書きの字が続くも、判読不可)

 (一九×▲年一月一日)

  (※1)後に「氷の冠を戴く」に改められる

  (※2)後に「眼」に改められる




 あぬんまあかいな あいうえ□

 うさまにこ□□□ □□いちろ (※)

 (中略)

 ゲンにいつの間にか書かれていた。あい変わらず似た形の字は苦手らしい。気長にいくとしよう。

 (一九×▲年一月六日)

 (※)□は判読不可。続きも判読不可箇所が多数見られるが、五十音の詩を書き写したもの。




 せり なすな ごぢょう よこへろ はとけのち すずな すずしち こねそななくち (ゲン)

 せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ これぞななくさ (こはく)

 

 またゲンに書かれた。今日は七草粥を食べる日だと説明し、何度も七草を復唱した。せっかくなら七草を見せてやるかと思って席を外したらこれだ。正解を下に書いて比較して見せたところ、読み間違いも多々。

 (一九×▲年一月七日)



 日々、主人は楽しく過ごしています。

 また詩を書くことにしたと聞いたとき、本当に驚きました。傷ついて、距離をとったはずの詩とまた向き合う。それは相当な決心をしたことと思います。けれど、詩作に耽るあの横顔は昔と変わりません。

 (中略)

 主人の詩への情熱をあの子が蘇らせてくれたのでしょう。文字を覚えようとするあの子の姿が、主人を突き動かしているみたい。あの子が歌や詩を口ずさむ姿をとくに近くで見ているから。

 短い言葉の連なりは覚えやすく、口ずさみやすい。それはひっそりと咲く花のように、また、枝葉を天へと伸ばす大樹のように。

 そんなことを昔主人が言っていたのを思い出します。叔父も似たようなことを言っていました。

 (中略)

 どうか、主人からまた詩が取り上げられませんように。あの人が思うがままに、怯えることがありませんように。

 (一九×▲年二月十五日 祥の日記より)



 ちょうちょ、ちょうちょ

 どこへ行く

 ひらひら、ひらひら

 どこへ行く


 春一番に飛び起きて

 花より先に


 おはよう(※)


 先が思い浮かばない。

 ゲンが季節外れの桜の花を見せてきたから調子よく書けそうだと思ったのに。どうにも形にならない。

 (一九×▲年三月一日)

 (※)ゲンに書かれたもの



 花より先におはよう(※)

 思っていたより悪くないのではないか。ゲンに書かれたが、少し手を加えてみる。

 (一九×▲年三月二日)

 (※)後に「花より先におひさまへ/おはようの声高らかにご挨拶」に改められる。「早起きちょうちょ」として所収。



 桃の節句。ゲンは男の子だけど、お祝いしましょうね、と家内がはりきっている。ゲンは美味いものが食えると大喜びで手伝っている。

 (中略)

 あんなに稲荷寿司を食うことになるとは思わなかった。 おいしかた(※)

 (一九×▲年三月三日)

 (※)ゲンに書かれたもの

 


 ゲンに持ち運び用の文字書きセットをやった。まだまだ字は間違えるが、文字を書くことが楽しいらしい。文字の練習用のノートや鉛筆はある。最近はそこに見た物や思ったことを書くことが増えてきた。ゲン曰く、覚えている内にすぐに書き留めたいということらしい。それなら、その場でさっと書けるような物を用意してやろうと思った。

 子どもでも持ち運びしやすいよう、小さめの肩掛け鞄。家内が作った。あの子は色々と拾ってきますから、とポケットもいくつか。その中に手帳とペンケース、鉛筆。早速、ゲンと一緒に外へ出た。

 (中略)

 最近はご無沙汰していた稲荷神にもご挨拶した。やはり、あそこは空気が澄んでいて、鈍った身体が軽くなるような気がする。

 (中略)

 桜はまだかな。ゲン曰く、もうちょっととのことらしい。

 (一九×▲年四月二日)



 桜花

 全てを攫ってて(ママ)しまえ


 何も見たくないと光を閉ざした

 この目を


 何も聞きたくないと音から逃げる

 この耳を


 何も言いたくないと噤んだ

 この口を


 全部を全部持って行ってくれ

 そうして眠りにつかせておくれ

 どうか、どうか、安らかな眠りに

 暗くて、静かで、無心の眠りに

 それを願わせてはくれまいか

 (一九×▲年四月十五日)

 (※)後、「黄昏の桜花」として所収。



 鷹峰君が来ることになった。六月と少し先だが、会えるのが楽しみだ。来たら、六発殴らせてもらうことにする。

 (中略)

 この頃、ゲンが俺の詩をよく口ずさむ。「銀に咲く花」のような詩は意味をあまり理解していないようだが、ちょうちょの詩は機嫌よく歌う。平易な言い回しをしているからだと思うが。

 (一九×▲年四月十八日)



 端午の節句を団子の節句と勘違いしたゲン。腹いっぱい団子が食えると思っていたらしい。

 (一九×▲年五月五日)



 鷹峰君が来た。久方ぶりの再会につい七回ほど殴らせてもらった。相も変わらず、はきはきと喋り、しゃかしゃかと動く。元気そうな面が憎らしくて。彼も嬉しそうだった。殴られて喜ぶなんて変な奴だ。

 (中略)

 昔のように詩について語らった。あの頃が懐かしくて、それと同時に、肝が冷えたような気した。

 また、あのときのように誰かを誤った道へ進ませるようなことはあってはならない。そんな詩を書いてはならないと。

 繰り返してはならないと筆を折ったはずが、再び詩を作るようになるなんて。結局のところ、俺は詩を作ることから離れることはできなかったというわけだと思い知らされた。

 鷹峰君にも言われた。思わぬ形ではあったけれど人を突き動かすほどの力を詩に注がずにはいられない性分だったろうと。そうでもしなければ、自分の内に隠し切れず、身を滅ぼしていたのではないか、と。

 彼は本当に容赦ない。だから、二回ほど、蹴らせてもらった。

 (一九×▲年六月十日)



 鷹峰君とゲンが遊んでいた。見慣れない顔であってもゲンは人見知りせず。せっかく会えたのだからとどこから捕まえてきたのか、虫を鷲掴みにして鷹峰君に見せていた。鷹峰君は悲鳴を上げながら俺のところへ駆け込んできた。

 いいぞ、ゲン。もっとやれ。ただし、俺の部屋に虫を投げ入れるな。

 (一九×▲年六月十一日)



 鷹峰君が帰ってしまった。家の中はこんなに静かだったかと思う。

 昔は夜通し話すことは当たり前で、うるさいと思うこともよくあった。

 あと何度、彼と会えるだろうか。

 (一九×▲年六月十二日)



 久しぶりに会った高岳君は元気そうだった。彼の家に滞在中、二十回近く殴られたり、蹴られたりした気がする。本当、そういうところは変わってない。僕が大人しいのをいいことに勝手してくれる。

 そんな彼は記憶にあるよりもやつれていた。僕を小突く力も本当に弱かった。元々身体が丈夫ではないこと、昨年倒れたことを思うと心配ではある。

 しかし、詩を語る彼は昔のままだ。詩の傾向は大きく変わったけれど、根っこにあるものは一緒で安心した。

 誰かの心を揺さぶる詩。昔は突き動かす、背中を思い切り蹴り上げるような作風だったが、今は慈愛の籠った、大人が子どもを見守るような、どこかノスタルジックな作風になった。

 僕は昔の彼の詩が好きだけれど、彼が深い傷を負った姿を間近で見た身からすると簡単には言えない。

 誰かを破滅へと追い込む詩ではなく、誰かを見守るような優しい詩。美しいけれど、数多の深手を負った彼だからこそ、傷つけることを恐れるような弱々しさがある詩。それが寂しくもある。

 (一九×▲年六月 鷹峰の日記より)



 今の高岳君の詩は正直に言って弱い。彼は昔のように寄稿することはない、自分の身近に留めるだけにすると言い切った。だから、昔ほどの勢いがないのだと思う。

 美しい詩。けれど、それは萎んだ花のようで、生気がない。以前の彼なら咲いたのなら最期まで見事に咲き誇ってみせるような気概が見えたのに。

 彼から言葉の弾丸が放たれることはないのかな。僕を彼に引き合わせてくれた胸を貫くようなあの頃の勢いのある詩は。僕はそれが惜しくてたまらない。桃源郷事件が憎らしい。

 (一九×▲年六月 鷹峰の日記より)



 ゲンに詩とは何かと問われた。鷹峰君と話しているところを見て気になったらしい。

 ゲンも知っていると今まで読み聞かせてきた詩を見せ、ゲンと一緒に読んだ。詩は楽しいね、と言った後、改めて尋ねられた。


 おじさん、詩ってなあに? おじさんの大事なものなの? 


 穢れのない無垢な目と声で問いかけた。

 大事なもの。確かにそうだが、生涯をかけて向き合うと決めたはずが、いつしか目を背けるようになった。今、再び詩を作ってはいるが、昔のような熱はない。鷹峰君にいくつか詩を見せたが、あまりいい反応は返ってこなかった。

 評価は気にしていない。けれど、彼のあの反応に悔しいと思う自分がいる。昔ならあれこれと批評してくれたが、見るからに落胆している様子が見てとれた。それでも、いい詩だと彼は言ってくれた。

 悔しい。俺の詩はもっと輝いていたはずなのに。誰かを突き動かしていたはずなのに。それで、奈落の底へ突き落した者が多かった。

 悔しくて、悔しくて(※)

 (一九×▲年六月十三日)

 (※)以下、書き殴りが続く。判読不可。



 菅間さんと会って、元気が出たと思いました。笑い声や張り上げた声、物音までして、遅くまで語り合っていて、昔とちっとも変わっていないのだと思いました。

 だからこそなのでしょうか。菅間さんが帰られてから、主人は無気力になったように見えます。菅間さんは昔と変わらず、物をはっきりとおっしゃる方です。何か、主人に対してお伝えしたと思います。

 あの方は主人の詩をとても大切にしてくださいました。桃源郷のときも、主人や私を助けようと尽力してくださいました。主人が詩から離れると決めたとき、やめないでほしいと懇願されました。主人の詩が世の中から排除されたときも、必死で関係者に掛け合ってくださいました。止められなかった、申し訳ないと頭を深く下げられたあの日は本当に悔しそうにされていました。私たちが故郷へ帰ってからも度々連絡をくださり、気遣ってくださいました。

 誰よりも主人の詩を愛してくださった方。そんな方の耳に主人が再出発したと入れば飛び上がるほどの朗報だったでしょう。

 しかし、主人の詩の形は変わりました。菅間さんが愛した詩とは違う。菅間さんに思うところがないなんてありえない。そのまま言葉にされるでしょう。

 何を言われたのか、私にはわかりません。ただ、菅間さんの言葉は主人が気落ちするぐらい衝撃的なことだったのではないかと思います。

 (一九×▲年六月十三日 祥の日記より)



 ゲンに心配をかけてしまった。具合が悪いのかと問うあの顔。倒れてしまった日のことを思い出しているようだった。

 (一九×▲年六月二十日)



 ゲンに詩とは何かとまた問われた。今はあまり考えたくなくて、前に教えただろうと突っぱねてしまった。大人げない対応をしてしまった。すまない、ゲン。   すまないちがう ゲンおこてない(※)

 (一九×▲年七月六日)

 (※)ゲンに書かれたもの。



 ゲンに詩は嫌いなのかと訊かれた。昨日のことがあって、日記も読まれた。と言っても、最後しかまともに読めなかったようだが。

 詩は嫌いなのか。そんなことはないのだが、今は考えたくないとゲンに伝えた。大事なものなのにどうして、と彼は訊いてきた。飽きたの、とも言ってきた。それも違うと答えれば、どうして、と。


 嫌いなわけじゃない。飽きたとも違う。大事なものであることになのに、どうして教えてくれないの。教えたくないような宝物なの。詩を読み聞かせてくれたとき、あんなに楽しそうにしていたのに、どうして。ボクが歌っていると笑ってくれるのに、ボクが詩を覚えたら頭を撫でてくれるのに。


 ゲンはたくさんのどうしてを投げかけてきた。拙いながら、適切な言葉は何かと考えながら、彼は問い続けてきた。

 答えることができなかった。あまりにも眩しすぎる問いかけだった。

  (一九×▲年七月二十日)

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