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ゲンとの日々 ――曲「銀に咲く花」――

 雪が降る。こうしていると、去年のことを思い出す。

 「銀に咲く花」

 やっとこさ完成させた詩。あの詩は本当に手を入れ直してよかったと思う。ゲンと出掛けて得たひらめきが大きかったから。

 特別な詩だと思う。いや、他の詩も思い入れはあるが、あの詩は別格。不思議なものだ。

 (一九×□年十二月三日)



 琥志朗から手紙が届いた。曲ができた、と。

 (中略)

 三月に来てくれることとなった。家族一緒にだそうだ。楽しみだ。

 (一九×□年十二月十一日)



 今年ももう終わる。

 (中略)

 鷹峰君への返事をまだしていない。年内にはしようと思っていたのだが、どうにも。

 答えは出ている。もう詩は出さない。また断ればいいだけの話だ。

 いいはず。そうすればいい。そうやって自分に言い聞かせるも、断ることができない。

 認められたいと思う自分がいるのだろうか。だが、それ以上に恐怖がある。

 せめて、くたばる前に鷹峰君に返事は出したい。

 (一九×□年十二月三十一日)



 明けましておめでとう。この地の雪も慣れてきた。なんて、思えない。

 (中略)

 ゲンが窓の外をじっと見ながら「銀に咲く花」を諳んじていた。雪が降るようになってからよく口ずさんでいる。初めは意味をわかっていなかったのに、今ではこうして独り言ちている。

 こうして聞いているといい詩だと思える。悩みに悩みぬいたかいがあった。この詩に曲がつくのかと思うと感慨深い。

 (一九×◆年一月一日)



 校長先生(※)と会った。調子はどうですか、寒いですね、なんて世間話をしつつ、小学校のピアノを借りることはできないかと訊いてみた。琥志朗のことを伝えると、先生は快諾してくださった。学校が休みの日なら問題ない、もしも琥志朗の都合が良ければ子供たちにピアノを聞かせてほしいと逆に頼まれてしまった。琥志朗に確認を取る必要はあるが、多分いいと言ってくれるだろう。

 また学校に顔を出そうかな。でも、暖かくなってからだ。

 (一九×◆年一月十八日)

 (※)近所に住んでおり、交流があった。

    琥珀は数回ほど放課後の小学校で児童たちに文字の読み書きや算数を教えていた。



 琥志朗たちが三月に来る。ゲンも楽しみにしているようだ。

 ゲンに小学校へ行くかと訊いた。琥志朗がピアノを弾くと言うと、ピアノって何と訊いてきた。

 そこからか。家内が絵を描いてゲンに見せた。楽器だと答えれば、どんな音がするのか、と。

 弾き方によるしなあ、と思いつつ、全体的に柔らかく、耳馴染のいい音だと思う。

 何に似た音かと問われると難しい。ゲンが知っている楽器というのも限られるし、他に近い音は何かすぐに思い当たらない。うんうん考えていると、なら音探しだ、とゲンが色々なところを叩いたり、声で表現を試みようとしたり。結局、どれもピンとこなかったが、ゲンは楽しそうにはしゃいでいた。

 (一九×◆年一月三十日)



 琥志朗が音楽を勉強したいと言ったとき、驚いた。詩の道を途絶えさせてしまったと思っていたときの言葉だった。今からその道へ進むのはかなり過酷なことだと思った。演奏ではなく、作曲をしたいと言われたものの、それでも心配だった。音楽で食っていくのは非常に大変なことだ。

 反対はしなかったが、それからは本当に大変そうだった。主に生活の面で。本当に死に物狂いであの子は音楽を勉強した。身体を壊すんじゃないかと思ったが、オレとは正反対で身体は丈夫だったから、多少の無理をしてもどうにかなっていた。

 あの頃の琥志朗を見ていたとき、父のことを思い出した。先生のもとで詩を学び、詩の道へ進むと言ってぶん殴られたとき。あの父もこんな風に心配してくれたのだろうかと。オレは先生の支援のおかげで、早々に食っていけたが、琥志朗は苦しい生活が続いていた。音楽の道も険しく、そこにオレの名前までついてくる。親としてやれることも少ない中、あの子は走り続けた。鷹峰君からの紹介のおかげで、細々とではあるが仕事が入ってくるようになり、そして、去年。劇団余情に曲を書いた。本当に頑張ったんだなと思う。このまま、あの子が成功してくれることを祈る。

 (一九×◆年二月五日)



 ゲンが雪だるまをあちらこちらに作っていた。これおじさんね、と言って作られた雪だるま。オレの人相はそこまで凶悪ではない。

 (一九×◆年二月二十四日)



 琥志朗たちが来てくれた。こんなに雪が積もっていることが珍しく、孫たちがはしゃいでいた。ゲンが得意げに教えていて、仲良くやれそうでよかった。

 (中略)

 卯衣さんから琥志朗がぶっ倒れたことを聞いた。曲を書き上げて、手紙を出して、帰ってきたら玄関で倒れたとのこと。何でも、仕上げに入ってから寝食をほとんどしていなかったらしい。それは倒れるに決まっている、何をしているんだ、と言ったら、家内に腕をつねられた。それからというもの、大人の男二人が家内と卯衣さんに詰められた。こんなところまで親子揃わなくていいのにと思った。気がつけば、孫とゲンにも詰め寄られた。確かにオレたちが悪い。悪いが、今回は琥志朗の話だったじゃないか。

 (一九×◆年三月十四日)



 琥志朗が曲を聞かせてくれた。近くの小学校のピアノを借りて、ちょっとしたコンサートみたいだった。

 (中略)

 「銀に咲く花」をあの子は静謐な旋律で表した。降る雪の積もりに積もった一面の銀世界の中、静かに、静かに、雪の花をひとつひとつ拾い集めるように音を奏でた。高音の消え入りそうな旋律が熱で溶けてしまう六花のようだった。卯衣さんの歌もよかった。蝋燭の炎のように揺らめくような危うさがありながらも、ぱっと場を照らす華がある。初音の声としてとても素晴らしかった。卯衣さんの高音は無理がなく、シルクのような滑らかさと光沢があるように思う。

 (中略)

 いい曲だったなあと感慨に耽ていた。書斎の窓から夜の雪を眺め、思い返す。

 あの曲を埋もれさせてしまうのかと、ふと思った。オレはあの日、表に出すなと言った。琥志朗はそれでもいいと言った。

 本当にいいのか。オレが苦しみながら作った詩に相応しい、いや、それ以上の曲を琥志朗は作った。尋常じゃないほどの熱意で作り上げた作品。卯衣さんから話を聞いたが、いつも以上に気合が入っていたとのこと。真剣な眼差しでピアノを弾く横顔からもそれがわかった。緊張感のある面持ちだった。

 オレが自分の身をすり減らして作った詩に琥志朗はそれ以上に身を削って曲を出してきた。その熱意の塊を表に出さずにいるのか。そんなこと、オレがさせてしまうのか思うと苛立つ。

 「銀に咲く花」という曲。「銀に咲く花」という詩。親子で作った作品。大事な大事な作品。

 せめて、琥志朗の名前だけは残してほしい。

 (一九×◆年三月十五日)



 琥志朗たちが帰ってしまった。またね、バイバイと可愛らしく手を振る孫たちにまた会えるだろうかと思う。卯衣さんに本当に身体を大事にしてくださいねと何度も念押しされた。琥志朗からも釘を刺され、家内にも釘を刺された。仕返しに琥志朗に釘を刺そうとしたら、また嫁二人から責められる旦那の図になってしまった。それは初日にやったのに。

 ゲンも見送りに来た。同じ年頃の子と遊ぶことがなかったため、楽しかったのか別れは寂しそうだった。

 (中略)

 琥志朗に曲を表に出す許可を出した。許可というか、出せと言った。あれほどの曲をないものとするのはやはり悪い。親であるオレが子供の曲を潰すなんてあってはならない。

 琥志朗に何度も確認された。本当にいいのか、何があったのか、体調が悪いのか、と。

 オレはあの曲に心を動かされた。ただそれだけのこと。世間に出しても恥ずかしくない曲に仕上げてきた琥志朗を評価してのこと。

 ただ、条件をつけた。オレの名前を伏せること。オレの名を出さず、琥志朗の作品として出せ、と。それはもったいない、と琥志朗は言ったが、オレの名前を出しては駄目だ。琥志朗の名前に傷をつけたくない。

 オレの名前さえ出なければ、琥志朗の曲と名前を残すことができる。琥志朗は不服そうにしていたが、考えさせてほしいと言った。

 琥志朗はオレとは違ってまともだ。慎重に考えて彼なりの結論を出すだろう。間違っても、オレの了承なくオレの名前を出すことはしない。立派な息子だ。

 (一九×◆年三月十八日)



 ゲンが琥志朗が作った曲のとおりに「銀に咲く花」を歌っていた。いいねえ、コジはすごいねえ、としみじみ言う姿は大人びている。

 琥志朗たちがいたときはあまりゆっくりとは話せなかったが、改めて琥志朗が作った曲をどう思うか尋ねた。

 キラッとしていて好き。でも、雪の中にぽつんと一人ぼっちみたいでちょっと寂しい。

 ゲンはそんなことを言った。そして、コジはすごいねえ、優しいねえ、と。

 そうだな。あの子は優しい子だ。


 コジはやさしい子(※)

 (一九×◆年三月十九日)

 (※)ゲンに書かれたもの。



 父に曲を聞いてもらったとき、正直、父の顔を見るのが怖かった。父の思ったとおりの出来じゃなかったらとどこか不安だった。できた当初はこれだ、と思っていたが、父を前にすると緊張した。ピアノを前にして、あんなに手が震えたのはあのときが一番だった。でも、曲にすると啖呵を切ったのは自分。父にあなたの詩はとても素晴らしいものだと思ってほしかった。父がもがきながら作った詩に熱意をぶつけたかった。

 (中略)

 弾き終えて、拍手が鳴った。その中で、一際大きな拍手があって、音を辿れば父の手から鳴っていた。愛おしそうに、目を細めて、安堵した表情の父だった。よかった、と思って父に深々と頭を下げた。

 (中略)

 父から曲を表に出せと言われたとき、嬉しいという気持ちが真っ先に出た。父の詩に相応しい曲にできたのだと達成感があった。それから、不安になる気持ちもあった。最初、曲を作ることすら反対され、曲の発表はしないということで曲を作る許可を得た。それを、父が覆したのはなぜなのか、と。そのときの父の表情は曇り空のように沈んでいたから。

 あの曲を出さないのは非常に惜しい。そう思わせるほどの出来だったと褒められた。親の我儘で子供の情熱を存在しなかったことにしたくないとまで言ってくれた。

 本当にこれ以上ないほどの言葉なのに、父の表情はひどく暗かった。ああ、父はまだ苦しんでいるのだと悟った。

 確かに、今までの曲の中でもいいものにできたと自負がある。父へ贈る曲だったから、いつも以上に力が入ったのだろう。父に聴いてもらい、褒められ、中々得られない幸せを感じられた。だから、父の心を揺さぶることができたのなら、世に出なくとも後悔はないと思っていた。

 けれど、それが父を苦しめているように思った。表に出してもいいという決断自体も悩んだと思う。

 さらに、こんなことを言った。発表するのなら、高岳琥珀の名を出すなと。

 それは絶対に駄目だ。この「銀に咲く花」という曲は父の詩が元で生まれた曲だ。父の名を出さずに、発表なんて絶対にできない。何度も訴えたが、父は譲らなかった。

 曲だけ出すことはできるが、あの曲は詩がないと絶対に駄目だ。あの曲は父の作った詩がなければ成り立たない。「銀に咲く花」という作品は詩と曲バラバラに評価されたくない。

 何度伝えても父は首を縦に振らなかった。その場では決められず、一度持ち帰ることとした。

 悔しかった。父に納得してもらえなかった。「銀に咲く花」という曲は認められたのに、「銀に咲く花」という詩が認められなかったみたいで。本当に、「銀に咲く花」という作品は詩と曲あっての作品なのだから。

 (琥志朗「父の詩へ贈る」より)

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