ゲンとの日々 ――『青空』――
月夜のおしゃべり(※1)
お月様とお話するんだ
今日はちょっと眠たそうな(※2)三日月様
お星様の話を聞きながら
こっくり、こっくり
ああ、やっぱり寝ちゃった三日月様
(中略)
今日は元気いっぱい満月様
お星様は皆静かに満月様の話を聞く
これこれ、それそれ
お話たくさん満月様
(中略)
今日はお忍び新月様
お星様のおしゃべりをそっと聞きながら
うんうん、ふむふむ
しっとり頷く新月様
少しずつ涼しくなってきた。夜に歩くのがちょうどいい。
(一九×□年九月十日)
(※1)「お月様のおしゃべり会」に改題されて所収。
(※2)「眠そうな」に改められる。
ゲンの字が上達してきた。と言っても、子どもの字だなとは思う。まだ書き間違えることもあるし、知らない字もあるし。アルファベットを教えたら、随分と間の抜けた顔をしていた。外国の文字だと教えれば、頭に疑問符を連ねていた。漢字も外国の文字だし、ひらがな、かたかなも漢字を元にしてできた文字。
疑問符をさらに増やした顔が本当に気の抜けた顔で笑ってしまった。
えび □□(※)
ABな。
(一九×□年九月二十日)
(※)ゲンに書かれたもの。「えび」の後には「AB」らしき文字が見られる。
ゲンが腹を壊した。へそを出して寝ているから。
(中略)
ゲンが詩を持ってきた。「お腹痛い」の詩らしい。直球な題がゲンらしい。
腹の調子はよくなったそう。
(一九×□年十月七日)
ゲンが詩を持ってきた。今回は題がまだなかった。思い浮かばなかったらしい。今も足元で頭を抱えている。
(中略)
頭を抱えるどころか、倒立してやがる。そんなことして思いつくなら、オレもしたいところだ。
(一九×□年十月十八日)
ゲンがどんぐりを持ってきた。ひとつひとつ並べてなぜか満足気だ。
(中略)
どんぐり どんぐり どんどんぐり
どんぶりいっぱい どんぐり
どんぶりどんぐり(※)
どうした?
(一九×□年十月二十四日)
(※)ゲンに書かれたもの。
高岳琥珀君
体調はいかがか。坪田君から話は聞いた。坪田君の劇の日、会えなかったことが悔やまれるが、彼から元気そうだ、楽しそうに詩を作っていると聞いて安心した。
それと、琥志朗君の曲。あれはいい曲だった。主人公のなり上がりがあんなに曲に出るなんて、素晴らしかった。主役の努力もさることながら、琥志朗君の曲があの劇に本当に合っていると思ったよ。
さて、今回手紙を寄越したのは君に頼みがあるから。
「うちの雑誌に君の詩を載せたい」
実は、新しく子供向けの雑誌を出すことにした。そこへ君の詩を載せたい。あの子に書くような詩を。
もちろん、君が詩を世に出さないと決めたことは重々承知している。嫌なら断ってもらって構わない。
ただ、これだけははっきりと伝えさせてほしい。今度こそ、君と君の詩を守る。二度も詩人高岳琥珀を失わせはしない。だから、前向きに検討してほしいと思っている。
まだ、雑誌も企画途中だからね。返事は気長に待つよ。とは言っても、一年以内には欲しいかな。第一号に君の詩をぜひとも載せたいんだ。
最後に。間違いなく、君の心をかき乱すことはわかった上でこの手紙を送った。縁を切られる覚悟もしている。どうか、せめて返事だけでも欲しい。待っている。
菅間鷹峰
(一九×□年十一月 鷹峰から琥珀への手紙)
菅間鷹峰君
社長様は変わらず精力的に活動しているようでなによりだ。
本題に入らせてほしい。詩の件、断らせてもらう。とてもありがたい申し出だが、自分の詩を世間に出さないと決めたから。それに、君の会社に傷をつけるわけにはいかない。事件のとき、君がオレを庇ったせいで、会社にも大きな打撃があっただろう。せっかく立て直したのに、また崩すなんて、経営者だけの問題ではないのだから、慎重になるべきだ。
多くの未来を奪った詩人の詩を未来ある子供の目に触れさせるなんて、君は馬鹿か。
鷹峰君の気持ちは確と受け取った。本当にありがとう。雑誌の成功を祈っている。
高岳琥珀
(一九×□年十一月 琥珀から鷹峰への手紙)
鷹峰君が乗り込んで来やがった。開口一番に馬鹿野郎と罵られた。手紙の件でかなり詰められた。
再度、考え直すことにした。あのぼんくらめ。従業員や作家たちは大変だろうな。
それにしても、別件を引き受けてしまった。そちらはそちらでどうしようか。
(一九×□年十一月二十五日)
本当はぶん殴ってやりたかった。僕がどれだけの覚悟を持って彼に持ち出した話だと思っているのか、と。もちろん、彼自信のことを一番考えた。彼の詩を扱うことで、会社に寄せられる影響も考えた。考えに考え抜いた上で出した結論だった。
彼の気持ちが進まないという理由なら納得できた。それなら仕方ないと諦められた。実際、理由として挙げられたとき、理解できたから。
なのに、彼は僕や会社のことを主な理由として断ってきた。それが赦せなかった。巻き込みたくない、傷をつけたくないと。
ふざけるな。詩人高岳琥珀と彼の詩を守る覚悟も準備もできているんだ。僕らを盾にして逃げるようなことを言う彼に失望した。
再度、回答を出すよう要求した。それと宿題だ。雑誌の名前を彼に考えてもらうことにした。そちらは了承してもらった。
「多くの未来を奪った詩人の詩を未来ある子供の目に触れさせるなんて、君は馬鹿か。」
馬鹿を言っているのはそっちの方だ。あの事件において、高岳琥珀は利用された被害者でもある。どん底にいた彼が再び立ち上がった姿は子供にも知ってほしいじゃないか。
(鷹峰の日記より)
詩を世に出すなんて決めたのは傷つけたくないから。傷を負うのは誰だと問われれば詩を読んだ人間や世に出るまでに関わった人間。なら、その根源はと詰めれば自分。結局のところ、オレはオレが傷つくことを恐れているところがあるのだろう。
鷹峰君からの頼みは本当に嬉しかった。ただ、決めたことだから。まあ、再び詩を作っている時点でその決意は破られたわけだが。でも、経営者として、リスクがあることは本当に考えてほしいと思っている。
(一九×□年十一月三十日)
雑誌名をどうしようかとぶらぶら歩いていたら、神社の前でゲンと出会った。ゲンはしゃがんでぼんやりと空を見ていた。青い、青い空が綺麗だった。最近は曇り空で、雪も降るから。
お空には手が届かないねえ、とゲンがぼやいていた。眠そうなゲンを何とか起こし、うちへ向かった。
青空はずっと遠くにあって、果てがなくて、明るい。今のオレの精神状態があまりよくないからかもしれないが、どうも眩しい。けれど、少しずつしゃきっとしてきたゲンの目にはとても透明に映っていた。さっぱりとしていて、明朗。曇りのない清らかな存在だ。子供の目に映る空は美しく、広くて、不思議に見えていそうだ。
『天籟』
鷹峰君たちと作った雑誌。風が物に当たって発する音のように、自然の音。そして、詩文を讃える言葉でもある。それを雑誌の名にした。自然の音が身近にあるように、詩を身近に感じてほしいという願いがあった。
言葉を学び、身近に感じられる。そして、感受性を豊かにできるような雑誌にしたい。
鷹峰君はそう言っていた。未来ある子供たちへ贈る言葉の収集本。
ありきたりだが、これにしようかと思う気持ちが芽生えた。
(一九×□年十二月八日)
菅間鷹峰君
雑誌の名前の案としてひとつ提案がある。
『青空』
ありきたりだと思われるだろうが、理由はある。身近にある大きな存在であること、広がりのある存在で子供たちの未来の可能性を示せる言葉だと思ったから。
『天籟』のこと覚えているだろう。名前を決めるとき、非常にもめた。紆余曲折あって、『天籟』となったが、それでも不満はあった。「天籟」という言葉が身近ではないという意見だ。詩を身近にというコンセプトであったものの、雑誌名が身近な言葉ではなかったこと、そして、詩文を賛美する言葉であることが不満とされた意見だ。
それでも、「天籟」という言葉が持つ「自然に発する音」が詩としてあるべき姿のひとつではないかという意図のもと、採用された。そのことを思い出した。だから、身近にある存在を題にしてはどうかと考えた。
それと、あの子の目に映る青空があまりに美しかった。子供のこれから多くを見ていくこととなる目はあの空の青は穢れのない存在として映すのだと思った。時には雲に覆い隠され、青も光も遮断されてしまうだろう。だが、雲が晴れれば、ぱっと開けた青が映る。雨を嫌う子供が晴れれば外で思い切り遊べる。そういう意味でも、青空は子供にとって好きな天気の理由として挙げられるだろう。
暗闇に光が射す。辛いことがあっても、いずれ報われてほしい。絶対は保障できないが、明るい未来を象徴する存在の青空。果てがなく、広大な存在は多くある未来の道の選択肢を表す。オレにはそんな思いがある。とくにひねりがなく、何も考えていないのではないか、ありきたりな考えではないかと思われるかもしれないが。
納得できないのなら、他を当たってくれ。オレからは『青空』を提案させてほしい。
高岳琥珀
(一九×□年十二月 琥珀から鷹峰への手紙)