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ゲンとの日々 ――向日葵――

 ゲンがセミを鷲掴みにして見せてきた。元気よく鳴くセミの声が家中に響いて、家内がすっ飛んできた。

 セミは外へ帰した。薄い羽で空へ。どこかの樹で鳴くのだろう。

 長い間土の中で過ごして、地上に出たら一瞬の命。その一瞬の間に声を上げて鳴く。ゲンはそれをわかっていないらしい。


 空蝉の命(※)


 その時を迎えたときに

 やっぱり短かったと思うのだろう


 露の置かれた薄い羽

 空気が透けて見えそうなほど

 ステンドグラスのような羽


 (一九×□年七月二十三日)

 (※)後に完成された詩が同題にて所収。




 もくもく雲が連れて来た

 ざあっと降る雨

 ジグザグの雷(※)



 夏バテか、この頃少し怠い。散歩も億劫になってしまった。ゲンはそんなこと関係なく元気いっぱい。引っ張られて外に出たがへばってしまった。

 比較的涼しい地にしては珍しく、最近は暑い。

 (一九×□年八月三日)

 (※)「もくもく雲と夏の日」の一部。



 お医者様とお話しました。先日の主人の検査の結果が思わしくない、と。急を要するほどのことではないそうですが、注意して見ていてほしいとのこと。確かに、最近の主人はどことなく具合が悪そうに見えます。今年は暑くないか、と話したことは記憶に新しい。ただの夏バテではないだろうと思っていたら、やはり。

 寝る暇も惜しんで詩を作る日々が続いています。少し注意をしようかと。

 (一九×□年八月五日 祥の日記より)



 やってしまった。夜更けまで詩を作って、寝坊した。それで、ゲンとの約束をすっぽかしかけた挙句、ふらついて倒れるところだった。

 家内にこれでもかと叱られた。気をつけるようにと言われ、生返事をしてしまったことが家内の逆鱗に触れたから、いつも以上に声を張り上げられた。ぼろぼろと泣きながら訴える家内に本当に申し訳なくなった。

 あそこまで家内が怒ったのは離婚の話(※)をしたとき以来。口も聞いてくれない。ゲンも驚いたのか、おろおろとしていた。

 ああ、やってしまった。夕食後、寝室に籠って返事もしてくれない。今日は書斎で休むとする。

 (一九×□年八月十三日)

 (※)桃源郷事件の際、琥珀は祥と琥志朗への被害を最小限にするため、離婚を切り出す。

    しかし、祥は烈火の如く怒り、「絶対に離婚しません! この大馬鹿者!」と怒鳴り飛ばした。

    琥珀はただ弱々しく、「はい、これからも何卒よろしくお願い申し上げます」と答えたと言う。

    両親のやり取りを見ていた琥志朗は「後にも先にもあんな両親の姿を見たことはなかった。とくに、母があんなに声を張ることができるなんて驚いた」と回想している。



 心配だったから。もう長くないと言われ、この地に越してきて。詩をまた作るようになって、生き生きとしている主人を見られるのがとても嬉しかった。詩が主人の生きがいになっていると思える。だから、元気に詩を作ってほしいと思ってのことでした。

 でも、どうしましょう。いくら何でも言いすぎてしまいました。それも、あの子の前で。どうしよう。明日、どんな顔をすればいいのか。明日、ここから出られるかしら。

 (一九×□年八月十三日 祥の日記)



 まだ薄暗い朝にも関わらず、ゲンに叩き起こされた。窓をガンガンと叩きながら、オレを呼びやがって。

 でも、おかげさまで家内と仲直りできた。ただ、あんなこと二度とごめんだ。


 ゲンのおてがら(※)

 (一九×□年八月十四日)

 (※)ゲンに書かれたもの



 寝室から恐る恐る出ると、ゲンがいました。こっち、と手を引かれて主人の書斎へ。まだ顔を合わせる準備ができていないと足を止めてもお構いなくゲンは書斎の扉を開けてしまいました。

 主人はいませんでした。愛想をつかれて出て行かれた、あの身体で、と思って頭の中が真っ白になりました。ゲンがおじさーんと呼ぶと書斎の窓の下から花が一輪。向日葵の花でした。

 ゲンが窓を開けて入ってきた風に我に返って、窓の下を覗き込みました。(たつ)さんからいただいた帽子を目深に被り、しゃがむ主人がいました。

 背を向けているせいで表情が見えなくて、怖かった。でも、謝りたくて。それなのに言葉が出なくて。どうしよう、どうしようとと(ママ)あたふたしていると向日葵が眼前にありました。よく見ると茎に手紙が結ばれていました。向日葵を受け取って、手紙を読んで。言葉を扱う方なのに、本当に不器用。求婚されたときのことを思い出して、笑ってしまいました。

 向日葵が一層好きになりました。ありがとう、ゲン。


 ゲンのおてがら(※)

 本当にね。

 ゲンえらい(※)

 ええ、とてもおりこうさん。

 ごめんなさい 大じだて(ママ) おじさん言った(※)

 そうね。それなのに、ゲンにつつかれるなんて。ゲンはしっかりさんね。

 ぼく えらい。あっばばー(※)

 (一九×□年八月十四日 祥の日記)

 (※)ゲンに書かれたもの



 心配かけて悪かった。ごめんなさい。身体のこと気をつけるから。

 泣かせるほど不安にさせて本当にごめんなさい。

 これで機嫌を取るつもりはないが、あなたの好きな花を贈らせてくれ。

 あなたには笑っていてほしいから。

 (琥珀からの手紙。一九×□年八月十四日の祥の日記に挟まれていた)







 向日葵とお手紙をいただきました。琥珀さんには一度しか話したことがなかったと思いますが、まさか覚えていてくださったなんて。

 叔父からは獰猛なところがあると聞いていました。詩の雰囲気からして、少し怖い方なのかと思ったこともありました。けれど、何度もお会いして、優しい方なのだと知りました。少し不器用なところはありますが、かけてくださる言葉は本当に綺麗なもの。詩についてお話されるときは本当に、熱心なのだと伝わります。

 そんな方からいただいたお手紙。今までもいただいたことはあります。その中でも、一番素直で不器用なお手紙。大事な大事な宝物。向日葵がまた好きになりました。琥珀さんとよく似ている花だから。

 (祥の日記より)



 祥さん

 あなたとは長くいられないと思う。

 ご存知だと思いますが、僕の身体はひどく脆い。

 不安にさせることも、不自由にさせることも、泣かせてしまうこともたくさんあると思う。

 あなたには笑っていてほしい。

 そう思うのなら、離れるべきだと思います。

 不幸にさせるぐらいなら、そちらの方がずっといい。

 けれど、あなたの笑顔を見ていたいと思う僕がいます。

 次会うとき、改めて伝えさせてください。

 今回はあなたの好きな向日葵に免じて手紙でご容赦ください。

 きちんとお伝えしますから。

 琥珀

 (琥珀から祥への手紙)

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