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ゲンとの日々 ――にらめっこ――

 ゲンが雪だるまを作った。ゲンの掌よりも小さかった雪玉は彼の腰のあたりにまで成長していた。はりきったものだと思っていたら、次は少し小さな雪玉。それをオレに乗せろと言う。腰をやるかと思った。

 ゲンが外で遊んでいる中、オレは部屋で詩を作った。で、ふと外を見たら窓辺に小さな雪だるまが所狭しと並んでいた。どいつもこいつも違った顔をしていた。

 (中略)

 真白の小人

 そっと覗いて

 団欒を見る(※)

 (一九×□年一月十九日)

 (※)「春待つ小人」の案か。



 最近、何だかふわふわする。地に足がついていないみたい。

 「銀に咲く花」を書き上げた達成感かか(ママ)らか、詩作の手が止まらない。調子はいいのだが、どことなく走りすぎてしまっている気がする。気分転換も兼ねてゲンと出掛けていても、詩のことで頭がいっぱいになってしまう。

 少しよくないか。でも、楽しい。

 (一九×□年一月二十七日)



 ゲンに叱られた。最近遊んでくれない、と。

 詩を作ることが楽しくて、構ってやれなかった。家内にも、楽しそうにするのはいいが無理するなと言われた。

 言われてみれば睡眠を削っていることもしばしば。そのせいか、怠い。

 ゲンにノートを取り上げられ、寝ろと。仕方なく横になれば読み聞かせしてあげるとまで言われた。ガキじゃあるまいしと思っていると、ゲンはオレが作った詩を読み上げる。こうして聞いていると、悪くない物も多い。でも、手を加えたくなる詩もある。

 結局、詩のことを考えて休めなかった。ゲンよ、悪手だったな。

 (一九×□年二月十四日)



 風邪をひいた。そこまでひどくはない。

 ほらあ、とゲンが部屋の外で騒いでいる。うつすといけないから、しばらくは会えない。それが不満らしい。

 (中略)

 扉の隙間からゲンが手紙を寄越してきた。

 「かぜひきおじさんの ばか」

 言うようになりやがった。

 (一九×□年二月二十六日)



 扉の隙間からまた手紙。

 「おねんねのときは もうしまい

  おふとんをいただく こおべを上げよ

  今、ぬくぬくを出るとき」

 だと。

 「銀に咲く花」の格が下がるだろうが。

 (一九×□年二月二十七日)



 ゲンが梅を持ってきた。まだ蕾が綻びかけている枝だった。

 (中略)

 まだ寒い日が続くが白い息を吐きながらゲンと出掛けた。

 雪解けの雫がゲンの頭に落ちたとき、あの子は春の欠伸と言った。

 この頃のゲンは詩的な言い回しをするようになった気がする。出会った頃は上手く話せなかった子が随分と成長したものだと思う。

 その分、生意気なことも言うようになったが。

 (一九×□年三月二十日)



 桃の花が咲く頃合いになってきた。毎年、桃の花が咲く頃は嫌な気持ちになる。

 どうしても、あの事件のことを思い出してしまうから。苦しくなる。辛くなる。消えたくなる。重く、じっとりとした生ぬるい液体をべったりとかけられたみたいになる。

 何度拭っても消えることはない。一生。

 今でも詩を作ることに迷いはある。ただ、やっぱり詩を作るのは楽しい。ゲンの教育のためであったのは事実だが、それは建前になっている気がする。

 世に出さず、オレの身近に留めるぐらいが心地いい。このままひっそりと、詩を作ることができたら幸いだ。

 あんな事件は起こさないよう、オレの近くに留める。だから、どうか最期のときまで詩と向き合う時間を赦してほしい。

 (一九×□年三月二十七日)



 ゲンが桃の花を持ってきた。思わず顔を顰めてしまった。家内がそれとなく花を回収してくれたが、ゲンはそれが気に入らなかったらしい。


 このお花はやっぱり嫌い?


 真っ直ぐに尋ねてきた。花は悪くないとだけ答えるのに精いっぱいだった。

 (一九×□年三月二十八日)



 ゲンが桃の花を持ってきてくれました。可愛らしい桃の花でしたが、主人の顔色は一瞬にして悪くなりました。

 ゲンに悪意は一切ありません。主人もわかっていることでしょう。花は悪くないとだけ答え、主人は部屋に籠ってしまいました。

 見るからにゲンが落ち込んでいました。

 事件のことを話すか、迷いました。ゲンの様子からして、あの事件のことをこの子は知らない。主人が詩と距離を置いていた理由も知らないでしょう。

 詳しいことは今は話せない。ただ、桃の花は主人の苦しい記憶に関わるもの。そう伝えるだけに留めました。

 話すには主人と相談した方がいいと思ったから。全てに押し潰されてしまいそうになったあの人の姿を思い出しました。

 (一九×□年三月二十八日 祥の日記より)



 家内と事件のことを話した。ゲンに話すかどうか、と。

 一度だけ、事件のことを匂わせるような話をしたことを伝えた。オレは多くの人を巻き込んでしまった、と。それだけ話した。

 家内は意外そうにしていた。家内はその場にいなかったし、それとなく言っただけのことだったから。

 桃の花のことでゲンに悪いことをした。それについて、謝りたいと思う。だが、事件のことについては整理させてほしい。そう伝え、家内には納得してもらった。

 ふと、あの日のことを思い出した。ゲンが詩とは何かと問いかけてきた日。あのときは逃げてしまった。

 少し進めたと思った。なのに、また足が止まってしまう。怯えて、目を背け。これでは逆戻りだ。

 向き合わなければ、進めないのかもしれない。あの事件も、オレが歩んできた道なのだと、受け入れないといけないかもしれない。

 (一九×□年三月二十九日)



 しばらくぶりにゲンが来た。桃の花ごめんなさい、と。それはこちらが言うことだったのに、先を越された。

 大切な話をしたいと言えば、向こうも聞きたいと。せっかくのいい天気だから外へ、とまで。こんなに気が遣えるような子だったかと思いながら、塞ぎ込んでいたから外へ出た。

 春の薄い空色に目を細めながら、冬の長い眠りから覚めてきた道を進んだ。どこもかしこも淡く色づいてきた世界は優しいようで、目に毒のように思えた。

 ここがいいとゲンが腰を下ろしたのは池のほとり。鏡合わせの空と春の芽吹きが風に揺れていた。

 春の風は暖かいはずだが、水辺ということもあり冷たく感じた。そんなオレの隣でゲンはノートを開いて見せてきた。

 詩が書いてあった。数ページに渡り、推敲され、一番新しいページに完成形が書かれていた。何度も迷った形跡が見て取れた詩の題は「見せたいお花」だった。

 これって詩? とゲンは尋ねてきた。オレは詩だと思った。そう伝えれば、詩は難しいねえと。

 詩は難しい。詩に限らず、言葉は難しい。美しい造形を見せることもあれば、粘着質に歪むこともある。諸刃の剣だ。

 何度もゲンが書いた詩を読んだ。素直な詩だと思った。

 そんなオレの隣で、ゲンは花冠を作っていたらしく、気がつけば頭に載せられていた。

 花冠を戴く頭を上げよ、と言われた。何だかなあと思って笑ってしまった。下ばかり向いて、ゲンのことを今日はちゃんと見ていなかったと思った。

 ゲンは笑っていた。ニコニコといつもどおりに。

 聞いてほしいことがあるとゲンに話した。桃源郷事件のことを。ゲンがどこまで理解できるかはわからない。実際、ゲンは時々頭に疑問符を浮かべながら、どういうことかと尋ねてきた。簡単に説明をしても、やはりわからないと言われることもあった。全てを理解してほしいとまでは思っていなかったから、それでいいと思った。

 話し終えたとき、どっと疲れた。何十時間も話したような気がするぐらい。

 また視線が下がってしまったと思ったらゲンに頭を撫でられた。オレがよくするように、乱暴に。真似っこと呑気に言いながら。

 頑張ってきたんだね、と。頑張っただろうか。詩から離れて逃げたのに。

 それでもって、ゲンは突拍子もないことを言った。何となく、昔何かあったということは知っている、と。コタちゃんから聞いたらしい。事件のことは知らなかったようだが、とても苦しい思いをしたことがある、それで詩を作ることを辞めていた、けれど、また作るようになって嬉しかったとあの子はゲンに話したらしい。


 ゲンはおじさんの詩が好きだよ


 あの日もゲンに言われた。この頃は銀に咲く花が好き、と諳んじてまでみせた。


 おじさんにとって詩は苦しいもの?


 苦しい。苦しくさせるものだった。どれだけ考えても思い浮かばないこともあったし、何より、事件を引き起こした。

 でも、でも、本当はもっと熱をかけて楽しんでいたものだった。浮かぶ情景を言葉で表現する。小説とは違う言葉の連なりで。それが好ましいと思っていたから。

 己の言葉を自在に操り、浮かべる。浮かべるのは情景や心情、空想だっていい。それが誰かの琴線に触れるようなことだったら、声なり思い浮かべるなりして宙に紡いでくれるなら、詩としてこの上ない作品と言えるだろう。


 たくさん苦しんだ。息が詰まるような思いで生み出した詩もある。

 それでも、今は詩を作ることが楽しい。


 兄さんが言っていた。やんちゃになっていいと。その言葉に無意識に自分を押し込んでいたことに気がついた。事件のことで消極的になっていたと。

 消えることはない。生きている限り、ずっと事件のことは忘れない。

 忘れないために自分を出さない詩を作っていたのだろう。筆を折ったオレが再び筆を持つなんてという自嘲があったのだろう。

 だから、拙い詩ばかりになってしまった。鷹峰君もコタちゃんも寂しそうにしていた。彼らにも、詩にも悪いことをしてしまった。


 オレにとって、詩はあってほしいもの。

 なくても生きてこられたが、あってほしい。


 そう何となく思って、口からこぼれていた。

 ゲンもそう思う、と言って抱き着いてきた。


 昔の苦しいと仲直りはできないかもしれないけど、おじさんは詩とにらめっこできる。

 また詩を作ってよ。


 何てことを言うガキだと思ってしまった。

 (一九×□年四月七日)

 


 昨日は感情的になりすぎた。冷静になった頭で考えてみると、案外的を得ているのではと思った。

 足りないと思った部分はオレ自身のこと。銀に咲く花がいい出来になったのは、以前の作風らしい言葉が入っているから。弾丸なんて、本当はいれたくなかったが、いれるとしっくりきたし。

 でも、加減が難しい。オレの近くに留めるとは言え、昔のように作ることはできない。かと言って、恐れすぎても弱い詩になってしまう。

 なるほど、これが仲直りはできないが、にらめっこはできる、か。


 あぷっぷー(※)

 (一九×□年四月八日)

 (※)ゲンに書かれたもの



 いなりさまは ちゃんと知ってるよ

 おじさんのくるしいも かなしいも

 たのしいも うれしいも

 だから、きっと いなりさま たすけてくれる

 ゲンは そうおもう


 ぷっぷー あっぷぷー

 (琥珀の日記に挟まれたメモ)

 ※書かれた頃は不明だが、一九×□年四月八日のページに挟まれていた。



 この頃の主人は表情豊かに詩を作っています。あるときは楽しそうに、あるときは悲しそうに、喜怒哀楽がわかりやすい。

 ゲンにあなたはまた何かしたの、と訊けば、にらめっこ、と言って私を笑わせようとします。そして、主人のところへ行って面白おかしく表情を変えては、主人を笑わせます。最近のあの子はにらめっこがお気に入りみたいです。

 戻ってきたゲンに改めて問うと、昔のこと聞いた、よくわからなかったけど、と。

 主人にも尋ねました。何か心境の変化があったのか、と。主人は複雑な面持ちで、事件のことを話しました。止まっていてはいられない、過去を受け止めて今の自分が作ることができる詩を作るのだと思った、と。

 桃源郷事件のことを背負い、今まで過ごしてきたと思います。辛い思いをしながら、主人は生きてきました。そんな苦しい記憶と改めて向き合った。そのきっかけがゲンだったのでしょう。私にはそう思えます。

 (一九×□年四月末日 祥の日記より)



 にらめっこがゲンの中で流行っているらしい。頬をむにゅむにゅさせたり、バアと舌を出したり。果てにはオレや家内の顔を触って変な顔をさせようとする。ついさっきは、顔のパーツ全てを中心に寄せるような表情をするようになり、何だそれは、と訊くと、おじさんの顔、と元気よく答えやがった。オレはもっと恰好いい顔しているだろう、と返せば、詩とにらめっこしているときのおじさんの顔だもん、と家内に同意を求めやがった。家内は家内で、時々すごい顔をしている、と答える。

 そんなにひどい顔をしていただろうか。こら、ゲン□□□(※)


 人の顔をペタペタ触りやがって。オレはまだしも、家内に変な顔をさせるのは止めてほしい。あの人の顔はそんなことさせるための顔じゃないのだから。

 (一九×□年四月二十五日)

 (※)判読不可。以降、線が続く。ゲンに顔を触られ、意識が逸れてペンが滑ったか。

 

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