第七章:新しいお仕事にはまだ慣れません(5)
「まあ……魔物をぱぱっとやっつけて、帰ればいいわけですよね?」
「……そうだが。だが、イリヤは聖女だと思われている。すぐに魔物が増えても、体裁が悪い」
「そう言われましても……魔物を倒す魔法なら使えますけれども、瘴気を祓う力はありませんからね」
「とりあえず、一匹残らず蹴散らしてくれ」
先ほどからマリアンヌの顔は、右を見て、左を見て、右を見てと、クライブとイリヤを交互に見ていた。
前からはくくくっと喉の奥を鳴らすような笑い声が聞こえてくる。
「エーヴァルト様。いったい、何が面白いのでしょう?」
「陛下。こちらは遊びではありません」
イリヤもクライブも、息がぴったりと合うようにしてエーヴァルトを睨みつけた。
「いや、すまない。マリアンヌが可愛らしくてな」
「マリアンヌを愛でたいだけならば、お帰りください」
「クライブ。相変わらずしょっぱいやつだ。この、塩男め!」
イリヤも頭を抱えたくなった。
なぜか魔物討伐に、エーヴァルトまでついてきたのだ。
クライブは必死に止めたらしい。しかし相手はエーヴァルトである。この国の最高権力者だ。その権力を振りかざして、無理矢理押し通したとのこと。
「だがイリヤ殿。こう見えても、私は強いぞ?」
その言葉の真偽は、これからわかるだろう。
「左様ですか。では、マリアンヌが怪我をしないよう、守っていただけるとたいへん助かります」
抑揚のない声でそう告げると、エーヴァルトは「この塩夫婦め!」と吐き捨てた。
「め、め、めっ!」
よくわからないが、マリアンヌがなぜか楽しそうであった。
オロス侯爵であるアレンは、騎士団の第四隊長を務めており、魔物討伐に何度も足を向けた人物である。そのためオロス侯爵の城館は、魔物討伐の拠点として使用されることが多かった。
そしてそこを訪れるのが聖女と国王となれば、慣れている彼らだって慌ただしい。
「陛下、聖女様。よくいらっしゃいました。閣下も陛下のお守りで……」
壮年の男性は、クライブに同情のまなざしを向けてきた。年相応の落ち着きを感じるものの、濃紺の頭髪には白いものがちらほらと交じって見える。
「あばぁ」
マリアンヌが愛嬌を振りまいて手を挙げると、アレンの顔もゆるむ。
「お噂は聞いておりましたが。聖女様のお披露目の儀には顔も出せずに申し訳ありませんでした」
いったいどのような噂を聞いているのか気になるところだが。
もしかしたら、毒婦が聖女だったとか、そういった噂だろうか。
「い、いえ……お気になさらず」
アレンがこの地を離れられないというのは、イリヤも聞いて知っている。
「では、すぐに部屋を案内します」
人当たりのよい男性である。これが、人生における経験の違いなのかもしれない。
イリヤにとって、騎士団の人間はいかつくて横柄な態度というのが植え付けられている。それもこれも、あの門番のせいだ。
ただ、あそこで騒いだおかげでクライブと出会えたと考えれば、結果的にはよかったのかもしれない。
「聖女様とお嬢様は、こちらの部屋をお使いください」
アレン自らが案内してくれた。
「ありがとうございます」
「閣下は、陛下と同じ部屋のほうがよろしいですよね?」
その確認の仕方から、いろいろと察することができるようになったのも、イリヤがエーヴァルトという人間を理解できるようになったからだろう。
「いや、オレはイリヤと同じ部屋で」
「ごほっ」
イリヤは思わず噴き出した。
「ま~ま~?」
「失礼しました、閣下。聖女様とご結婚されていたとのことでしたね。このたびは、おめでとうございます」
アレンもそれについては知っていたようだ。知らなかったら、またクライブが恥ずかしげもなく口にしていたことだろう。
「……クライブ様。エーヴァルト様はひとりにしても問題ないのでしょうか?」
イリヤは、そっとクライブの耳元でささやいた。イリヤとしてはそれが気になっていた。エーヴァルトをひとりにするのは、いろいろと問題があるような気がしたのだ。
何かと問題発言の多いエーヴァルトである。クライブが見張っていないと、執務すらさぼってしまうと、以前、こぼしたことがあったと記憶している。
「ああ、護衛がついているからな。しっかりと見張ってもらうし、なによりもここは侯爵邸だから心配はない」
とにかく、エーヴァルト包囲網ができているようだ。
案内された部屋は十分に広かった。抱っこしていたマリアンヌは部屋を気に入ったようで、おろせと騒いでいる。
「あ~?」
ソファの上にちょこんとおすわりをしたマリアンヌは、そこからおりて部屋を動き回ろうとしている。器用にお尻からおりるものだから、最近では本当に目が離せない。
「やはり、ナナカも連れてくるべきだったかしら?」
「なんだ? マリアンヌの母親になったときは、ひとりで世話ができると言っていただろう?」
まさか、そんな古い話を出されるとは思ってもいなかった。よっぽど根に持っているのだろうか。
むっと膨れてクライブに視線を向けると、彼は微笑みながら見下ろしてくる。
しかも、眼鏡がない。
「冗談だ。そのためにオレも来たんだから、ひとりで無理だと思うときは、オレを頼ってほしい」
卑怯である。
この状況でそのようなことを言われたら、ときめかないわけがない。みるみるうちに顔が赤くなる自覚があった。
「……おい」
「な、なんでしょう?」
「そ、そんな顔をするな」
そんな顔と言われても、どんな顔をしているのかわからない。だけど、なぜかクライブが動揺している。
クライブの手がイリヤの頬をなでる。そんなことをされたら、いろいろと期待してしまう。そして何かを期待している事実にすら戸惑う。
もう、わけがわからない。
クライブの顔がゆっくりと近づいてきた。
「だぁ~」
「あっ!」
イリヤの声にクライブは驚いて顔を引いた。
「クライブ様。見ました? 見ましたよね?」
「あっ、ああ……」
この興奮を共有するかのように、イリヤはクライブの両腕をがっしりと掴む。
「今、マリーが立ちました。ひとりで立ちましたよね? 手もはなしていましたよね?」
「……立ったな」




