第八十話 或る青春の感傷的な追憶
Pereat tristitia, Pereant osores, Pereat diabolus, Quivis antiburschius, Atque irrisores! (悲しみを遠ざけよ。憎しみを滅せよ。憎しみの悪魔を滅せよ、私達学生に徒なすものを、私達学生を嘲るものを!)
(中略)
Alma Mater floreat, Quae nos educavit; Caros et commilitones, Dissitas in regions Sparsos, congregavit; (私達を育てる学びの園は栄える。教えの源。学生よ、仲間よ遠方より集まる者達よいざ旅立ち、又、いざ集え!)
――学生歌『ガウデアムス (Gaudeamus)』より。
その後、華藏學園と假藏學園を三週間に亘って混乱の渦に巻き込んだ騒動は収束を迎えた。公には両學園の生徒會長が共謀して起こした、常軌を逸した學園の占拠及び暴動として華藏假藏學園事件の名で世間の耳目を集め、記憶される事となった。
又、華藏月子には隠された双子の姉妹がいた事は隠せず、華藏生達にとって親しんだ生徒會長と一連の事件を首謀した悪女は別人として認識され、処理されるに至った。
華藏學園に侵入していた假藏生 (多数:紫風呂来羽等)、並びに假藏學園に攫われていた華藏生 (一名:仁観嵐十郎)は教師陣や裏理事会の介入の下でそれぞれの學園に返された。特に、假藏生には素直に従わない者も多かったが、仁観嵐十郎と裏理事会の脅し、『弥勒狭野』のトップ二人の死亡、そして、分離措置に巻き込まれて死ぬ可能性が基浪計を例に出して説明された事などがどうにか功を奏し、皆元の所属へと戻っていった。
そして竹之内父娘によって祠の解析が行われ、二つの學園は三週間の融合に幕を下ろした。
事件の後、華藏學園と假藏學園が被った批難は当然のものとはいえ凄まじかった。特に、多くの生徒を死なせ、教師二名と理事長、更には経営者たる華藏家をも喪った華藏學園は存続の危機に立たされた。
戸井宝乃を中心とした当の生徒達が存続に向けて運動を起こしたのは、真里愛斗が華藏月子と対峙した時に語った言葉が皆の誇りと愛着を守ったからだろう。結果として、経営は竹之内灰丸が理事長となった事で、どうにか事態は終息に向かった。
平穏を取り戻した學園では約三カ月、生徒會が機能しない時期が続いた。残された仕事は愛斗が教師や親しい友人と協力して熟したが、その忙しさは憑子の下で働いていた時と然程変わらなかった。戸井等は、この状況で大して変わらないとはあの頃どれだけ扱き使われていたのか、と呆れていた。九月に新任の生徒會役員が選ばれる迄、それは続いた。
そして更に半年の時が流れ、三年生は卒業式の時を迎えた。
☾☾☾
三月、卒業式。出席する事になっているのは三年生のみだが、中には二つの意味で例外も存在する。
先ず、三年でありながらこの日を迎える事が出来なかった者達。生徒會前副會長・基浪計、前会計・砂社日和。彼等は華藏月子とその分身である『學園の悪魔』によって殺害され、『闇の眷属』として利用され、操り人形にされていた。そして、前生徒會長の華藏月子として學園を導いてきた憑子も又、名目上は姉の名で二人と一緒にそこに並んでいる。
そして、式場となっているホールでは、入學式と同様に現生徒會の副會長が司会進行を務める事になっている。此方は、三年生ではない者の中で出席しなければならない数少ない例外である。
現生徒會は、昨春に発生した大事件と、それに伴う學園存続の危機に率先して立ち回り、事態解決に大きな貢献を果たした事で全校生徒の信任を得た二人の生徒を中心としている。
『続きまして、在校生を代表し、生徒會長による、祝辞を卒業生に送ります。』
次の式目を読み上げる小柄な少女は、現生徒會副會長・戸井宝乃である。そして、壇上に上がろうと前に出るのも又、小柄な男子生徒である。
『高等部生徒會長・真里愛斗君。』
「はい。」
愛斗は緊張しながら壇上へ歩を進めた。雁首を並べて椅子に坐る卒業生達へ祝辞を送る、その状況に愛斗は一つの事を思わずにはいられなかった。
(五年前、この場所の生徒會長祝辞から全てが始まったんだ。あの時は僕が彼方側で坐っている一人で、言葉を送ったのは華藏先輩だったけど……。)
これ程の緊張、中学生の身で卒無く熟した彼女は敵乍ら矢張り凄いと、愛斗は感心せざるを得なかった。こんな中で大欠伸をされたら腹を立てる気持ちも解らなくは無いと思った。そして、そんな彼女の不興から始まった青春、運命に決着をつけ、終わらせるのにはこれ程絶好のシチュエーションもあるまい。
愛斗は自身を落ち着ける様にゆっくり吐息を吸い、そして吐き出した。目の前の席に並ぶ卒業生の中に、居ない筈の三人が見守っている様な、そんな錯覚がした。
(ええ、大丈夫。ちゃんと出来ますよ。基浪先輩、砂社先輩、そして、憑子會長……。)
心が凪いだ愛斗は、ゆっくりと語り始めた。
「卒業生の皆様、おめでとうございます。皆様が今日この日を迎えられました事、心より御慶び申し上げます。特に今年は、春先から理不尽で傷ましい、大変な事件が學園を襲いました。その際、誠に残念ながら命を落とされ、この場に顔を揃えられなかった先輩方もいらっしゃいます。」
三人分の席が敢えて空けられている。
「何れも、前任の生徒會役員として皆様の、僕達の學園生活をより良いものにする為に尽力された良き先輩方でした。學園生活という僕達の人生の一頁には、確かに彼等が居ました。それは人生百年時代と言われる現代に於いて、僅か数年という極一部に過ぎません。皆様の、僕達の人生はこれから何十年と続く事になろうかと思われます。一方で、彼等の人生は余りにも短かった。果たして、十数年で終わってしまったそれらは無駄なものだったのでしょうか。」
愛斗が思い起こしているのは卒業生となる筈だった前生徒會役員三名だけではない。彼と同じ学年の級友、親友であった西邑龍太郎も又、この一件で命を落としている。それを踏まえ、愛斗は力強く言い切る。
「決してその様な事は無い、と僕は信じます。短ければ無駄だというのなら、抑もこの學園で送った時間そのものが無駄だという事になってしまいます。しかし、そうではないからこそ僕達はこの華藏學園の存続を願いました。彼等と過ごした日々が、彼等の人生の最後の一時が、掛け替えの無いものだと信じたからこそ、今日迄歩んで来られたのだと思います。」
卒業生の中で一人、愛斗が噛み締めているものを理解している人物が居る。仁観嵐十郎はただ黙って愛斗を見守っていた。壇上の愛斗もその視線に背中を押された様な気がして、思い出や悲しみに負けずに話しを続けられている。
「僕達が學園で過ごした日々は彼等が生きた証です。世間には、彼等が華藏學園に殺されたのだという人も残念ながら居るでしょう。それを否定するのは困難かも知れません。しかしそれでも尚、華藏學園の生徒として過ごした日々は僕等の誇りに成り得ると信じます。誇りを胸に、堂々と社会に出て行く事が彼等に報いる道だと信じます。」
愛斗は華藏月子に対峙した際に言われた言葉を思い出していた。彼女が言っていた言葉は一遍の真実である。華藏學園は元々、人材育成とは無関係な神秘主義的で歪んだ目的の為に設立されているし、教育機関としてその目的を果たす事を目論んでいた面もある。
だがそれでも、學園が自分達に施したものは誇りとして良いのだと、彼女の言葉に改めて反駁しておきたかった。
「卒業生の皆さん、皆さんは僕達の先陣を切り、彼等と共に過ごした華藏學園を胸に社会へと出て行かれます。どうか僕達の手本として道標を築いてください。同じ學園を旅立つ僕達に、素晴らしいこれからの人生を先んじてください。皆様の将来に幸多き事を願い、祝辞に変えさせて頂きたいと思います。御清聴、どうもありがとうございました。」
スピーチを終えた、愛斗は一歩下がり、深々と頭を下げた。最初に仁観が手を叩き、続いて司会進行の戸井、それらに触発される形で割れん許りの拍手が巻き起こり、式場に反響して愛斗を包み込んだ。愛斗はその群れの中に、再び前生徒會役員の三人、基浪計と砂社日和、そして憑子の幻を見た。更には彼の背後から、二人の男がそれに加わっている様な気がした。
(ありがとう、西邑。ありがとうございます、聖護院先生、基浪先輩、砂社先輩、そして、憑子會長……。)
鳴り止まない拍手を背に、愛斗は壇上から降りて行った。戸井から無言の内に労いの微笑みを送られ、愛斗は少し照れ臭くなって微笑み返した。
戸井に次の式目が読み上げられ、卒業式は続く。
☾☾☾
同日、假藏學園でも卒業式が執り行われた。祠による繋がりが断たれた今、華藏學園とは七十キロを隔てた遠くの學園であり、姉妹校が御互いどの様な式であろうが本来は特に関係が無い。しかし、一部の卒業生や生徒には華藏學園で愛斗がスピーチを行ったという話が伝わってきていた。
「嗚呼、俺も愛斗君に見送られたかった……。」
「お前は卒業生じゃねえだろ。てか、何で居るんだよ。」
「まあまあ……。」
二年生の紫風呂来羽に、卒業生の相津諭鬼夫が突っ込みを入れ、、将屋杏樹が宥める。三名共、両學園の融合騒動が元で愛斗と交流を持った假藏生達だ。
「愛斗君……俺の心の天使、御主人様……。仮令二度と会えなくても、俺の心は君の物だからね……。」
「紫風呂、すっかり変っちまったな……。」
「もう頂点を獲ろうとかいう気は更々無さそうだね……。」
実際、事件が終わってからの紫風呂は大人しいものだった。假藏學園では『弥勒狭野』壊滅の隙を見て頂点を巡る争いが寧ろ激しくなったが、彼はそれに一切関わろうとしなかった。尤も、それは相津も変わらなかった。
「なんつーか、俺もそうだが思う所が有ったんだな、真里ちゃんと関わり合いになって。」
染み染みと語る相津と、上の空で自分の世界に浸り込む紫風呂。一方で、将屋はふと一つ思い立った。
「そう言えば、あいつと関わって生き方というか、運命が変わったのは私達だけじゃないんだよね。」
「ん?」
「いや、後から聞いた話なんだけどさ……。」
「ああ……。」
假藏學園に居た相津と将屋がそれを聞いたのは全てが終わった後の事だった。一応、事件に関わった者として事の顛末を知る権利が有るという事で、竹之内灰丸から大まかな話は聞かされていた。
「ある意味、真里愛斗に関わって人生が狂った、その最たる例が華藏月子だったのかも知れないね。」
「そうだな。あの女も真里ちゃんに関わらなければ今でも華藏家の御嬢様として好き勝手に他人を傷付けてたんだろうな。」
「鐵の奴も、基を糺せばあいつに思わぬ敗北を喫してから破滅へと急降下して行った感じがするよ。」
相津は紫風呂の方へ目を遣った。嘗ての凶悪な為人からすっかり変わり果てた彼を見て、心に去来する奇妙な靄は何なのだろう。
「果たして、本当の魔性は華藏月子だったのかな?」
「怖え事言うなよ、将屋……。」
答えが何れにせよ、恐らくもう彼等が愛斗と関わる事は無いだろう。
☾☾☾
華藏學園は立ち入り禁止の山道、その最奥の祠の前で、卒業式の式目を終えた愛斗は一人黄昏ていた。
「いけませんねえ、この山道は今も立ち入り禁止ですよ、真里君。」
「理事長先生……。」
背後から竹之内灰丸が話し掛けて来た。
「すみません。ただ、何か呼ばれた様な気がして……。」
愛斗は祠をじっと見詰めている。春の連休を利用した生徒會の合宿で憑子と共にこの場所を訪れてから、あの一連の事件は始まった。
「おー、居た居た。愛斗君、こんな所で何やってんだ?」
「やっぱり此処だった。真里、この一年何度も此処へ来てるって、皆噂してるよ。」
仁観と戸井まで現れた事に、竹之内は呆れた様に溜息を吐いて微笑んだ。
「全く、問題児だらけですね。」
そうは言いつつ、三人は愛斗と共に祠を囲む。
「この祠、どうするんですか?」
「力そのものが失われた訳ではありませんからね。引き続き、學園で管理する事になるでしょう。大幅に人数を減らしたとはいえ、『裏理事会』の役目は未だ終わりそうにありません。」
「そうですか……。」
「真里君、それと仁観君。若し宜しければ、卒業後は『裏理事会』の一員として協力しては頂けませんか? 副業として、で結構ですので。」
愛斗にとって、それは予想していた申し出だった。
「俺はパス。龍君の分まで、全身全霊で己の生き方を全うしなきゃなんねえからよ。」
「僕は……。」
仁観が断った理由を聞き、愛斗は少し考えた末に答えた。
「お受けします。何だか、誰かがそうしろと言っている様な気がするんです。」
「また? 真里、何か変な物でも食べたの?」
呆れる戸井だが、愛斗の答えは変わらない。
「それは良いけどよ、そっちは飽く迄副業だろ? 人生の本道、本命の進路はもう決めてあんのか?」
「少し考えたんですが、西邑と同じ道を僕も歩んでみようかな、と……。手始めに、今回の事件を一寸書いてみたいなとも思っているんですよ。あ、勿論、人物や出来事等々、その儘では決して書かないですけどね。」
「小説家か。ま、いいんじゃね? 一度切りの人生なんだから、生きたい様に生きれば。」
仁観は愛斗の背中を強く叩いた。彼としては軽くのつもりなのだろうが、相変わらず力が出鱈目に強い。
「仁観先輩、真里の背骨が折れたらどうするつもりですか?」
「んな大袈裟な。」
「いや、先輩の場合あながち余計な心配じゃないので気を付けて貰えると有難いです。」
「ちぇ、何だよ……。」
四人は祠を後にしようと、踵を返して歩き始める。
ふと、一陣の風が愛斗の後ろ髪を引いた気がした。不思議な感覚を抱いて祠の方へ振り向いた愛斗だったが、そこには変わらず何処か妖しげに、小さな祠が立っているだけだった。
「……また来ますよ。」
「ん、今何か言いましたか?」
示露裡と愛斗に釘を刺すように視線を向ける竹之内には小さく笑って誤魔化し、愛斗は帰路に就く。
『いい子ね、私の真里君……。』
立ち去る背中の向こうに、一人の美少女を模った靄が立ち込めていた事に愛斗達は誰一人として気付く事は無かった。
否、愛斗は何となく察していたのかも知れない。
(また、来ますよ。屹度来ます。来年の春に……。)
或いは、単なる彼の妄想、願望に過ぎないのだろうか。
最後まで御読みいただき誠にありがとうございました。
『殺戮學園逝徒會奇譚』、どうにか完結まで漕ぎ付く事が出来ました。
元々、終盤の展開が書きたいが為に衝動の赴くままに好きな人物造形を詰め込んで書き始めた本作ですが、中々に物語を動かすのが思っていた以上に難しく、コントロールに苦労が絶えない作品となりました。
そのせいか、前作以上に苦しい事もありましたが、その分書きたかった終盤はとても楽しく、また序盤から中盤の展開を書く途上でも自分の中で何かを見付ける事が出来たとも思っています。
もしお気に召して頂けましたら、フォローや評価、感想等頂けますと感無量であります。
また、過去作や次回作にも目を通して宜しければ感謝に言葉も御座いません。
では、改めまして、最後まで御付き合いくださいましたことに心より御礼申し上げます。




