第六十八話 華藏學園生徒會
われわれが追い出されずにすむ唯一の楽園は思い出である。
――ジャン・パウル
華藏學園合宿所。この二つの建屋の近くに、山道に通じる立ち入り禁止の札が在る。全てはこの場所で始まった。
真里愛斗、憑子、戸井宝乃の前に立ち塞がっている二人の生徒會役員、基浪計と砂社日和は一連の事件に於けるかなり早い段階での被害者である。が、同時に二人とも『闇の逝徒會』に与し、學園に厄災を及ぼす尖兵にもなっていた。
「二人とも、様子がおかしいですね……。」
基浪と砂社は紫の闇を纏い、虚ろな眼で力無く山道の前に立っていた。
『どうやら闇の眷属ではなく、操り人形にされてしまった様ね……。』
憑子の推察を聞き、愛斗は電気街で鐵に操られた人々の事を思い出した。彼等は自らの意思に依らず爆弾として破壊行為に利用され、殺された。それと同じ様に、操り手の気分次第で何時でも無残な最期を強いられる立場となった二人に、愛斗は憐れみを覚えた。
「嫌な気分になるよ、無限に……。」
愛斗にとって、この二人は決して好ましい先輩ではない。生前は憑子の腰巾着となって、散々愛斗に対して嫌がらせの片棒を担いできた者達だ。だが、彼は何時かと同じ思いを強く胸に抱いていた。
命を奪われ、他人としての尊厳を辱められる、そこまでの謂れが在ったのか。――嘗て、愛斗は自分を虐めていた二人が生首を晒された時、そう感じた。自分にとって不当な迫害を加えた忌むべき人物であろうと、過剰な不幸に襲われれば胸を痛めるのが、真里愛斗という少年だった。
『私の下で能く働いてくれた優秀な人材を生かす気も無く使い捨てにするなんて、あの女に人の上に立つ資格は無さそうね。』
憑子の声には強い不快感が滲んでいた。愛斗と比べ、彼女にとっては二人とも良き友人だった筈だ。だが、今更揺れる様な彼女でもない。
『まあ、遠慮する事も無いわよ、真里君。今は君も、戦う力を身に着けている事だしね。遠慮無く、死んだ彼等を在るべき姿に戻してあげなさい。』
「そう仰ると思いましたよ。ま、僕もこの二人に遠慮するつもりは更々無いですけどね。」
愛斗はそう言うと、戸井を庇う様に基浪、砂社と向き合った。二人の先輩は無言でゆっくりと近付いて来る。
「戸井、少しだけ離れていてくれ。必ず守り切るから。」
「大丈夫。私、真里の事信じてるよ。」
戸井はこれまで、愛斗が竹之内父娘を相手とする訓練で必死に食らい付く様を見てきている。その信頼を、愛斗は背中越しに感じていた。
「因みに、電気街の時みたいに會長の力で一気に彼等を解放することは出来ませんかね?」
『無理ではないけれど、余り多用する訳にはいかないわね。あの時も解ったと思うけれど、力を解放するのも結構疲れるのよ。最悪、君諸共意識を失ってしまいかねないわ。』
「じゃあ、当面は僕だけでどうにかするべきだという事ですね。」
『どうにもならなくなれば流石に介入するわよ。でも、当てにはしない事ね。』
加えて、敵の華藏月子がそれを想定していない筈が無く、ある程度の対策はされているのだと思った方が良いだろう。若しくは、操り手が鐵自由か華藏月子かで靄を祓う難易度も変わるだろう。
『来るわよ、真里君!』
基浪が勢い良く跳び掛かって来た。彼は優等生でありながら体も鍛えている文武両道の生徒で、以前は蹴りで假藏學園の祠を破壊している。その身体能力に任せた拳、蹴りの速度、威力は脅威だ。
愛斗は基浪の攻撃を腕で受け流しながら、その力を分析する。
(操り人形になって、眷属だった時よりも弱体化しているかと思ったが、そういう訳でもなさそうだ。)
とは考えつつ、対応や反撃が不可能な程の強さではないとも感じていた。慣れてくると直ぐに敵の隙も見えてくる。
「此処だ!」
愛斗は基浪の攻撃を往なし、反撃を試みる。手に白い光を纏い、会心の一撃を狙う。だが、ここでもう一人が横槍を入れてきた。
「砂社先輩……!」
もう一人の敵、砂社の介入によって愛斗は見す見す反撃の機会を逃してしまった。そして、ここからの攻防には彼女も加わってくる。基浪計と砂社日和、この二人を相手取った二対一の状況には以前も辛酸を嘗めさせられていた。
(とはいえ、別に無茶でもないな。砂社先輩の方は全然大した事無いし。)
基浪と異なり、砂社は元々単なる一女子生徒に過ぎない。運動神経は悪くなく、丸切りガリ勉の生徒という訳ではないが、所詮は一般的な女子である。基浪と比べれば全然戦力にならない。
それに、愛斗は抑も基浪の方も特に問題としていなかった。矢継ぎ早に繰り出される二人の攻撃だが、愛斗は変わらず冷静にあしらい、隙を窺っている。
(はっきり言って、訓練の方が遥かにキツイよ。)
繰り返すが、愛斗はこれまで数日間だけとはいえ戦いの為に訓練された裏理事会の人間と組手を行っている。それも、二対一である。基浪と砂社は確かに紫の闇を纏って強化されている様だが、それでも夫々の力は竹之内父娘に及ばない。
「そこだ‼」
今度こそ、愛斗の攻撃、掌底が基浪と砂社の鳩尾を捕らえた。闇の眷属にとって弱点となる部位への正確な攻撃。二人の敵は言葉にならない呻きを上げて悶絶して後退る。
『どうやら私の出番は無さそうね。このまま一気に押し切ってしまいなさい。』
「言われなくてもそのつもりですよ、會長!」
愛斗は一気に攻勢に出る。会心の一撃が入った事で、基浪と砂社は大きく隙を晒していた。形勢は一気に傾き、一方的な展開になる。攻防が続けば愛斗の攻撃が敵を捕らえる回数も増え、相手の動きが鈍くなって更に優勢となる。好循環の中にいる愛斗だったが、それすらも終わりが近いと予感していた。
『後に三発も入れば二人とも斃れるわよ‼』
「その様ですね‼」
このまま、早くも愛斗の勝利は目前である、かに思われた。
しかし、此処華藏學園が最早敵地である事、敵が死亡した人材を再利用している事を考えると、決して楽観視は出来ない筈だった。何より、愛斗は今、戸井を護りながら戦っているのだ。
「真里‼」
愛斗の背後から、その戸井の悲鳴に似た呼び声が聞こえた。慌てて振り向くと、そこには一人の男に取り抑えられている彼女の姿が在った。
「戸井‼ 糞、そうかあいつも居たか‼」
戸井を捕らえたのは生徒ではない。唯一、教師として『闇の逝徒會』と関りを持ってしまった人物、国語教師・海山富士雄だった。
『どうやら海山先生も操り人形になっている様ね。迂闊だったわ。完全に存在を忘れていたもの……。』
酷い言い草の憑子だが、愛斗も今回は他人の事をとやかく言えなかった。護るべき対象から目を離してしまったのは愛斗自身の落ち度である。
更に、戸井に気を取られてしまった事で愛斗に大きな隙が出来てしまった。
『真里君、後‼』
憑子の呼び掛けで、どうにか愛斗は後から不意打ちを仕掛けてくる基浪に気付き、辛うじて攻撃を躱す事が出来た。だが、愛斗は一気に劣勢に追い込まれてしまった。人質を取られた以上、迂闊に攻撃できないのだから当然である。
(参った。どうにかして海山先生から戸井を助け出さないと話にならないぞ。)
愛斗は基浪、砂社の攻撃は一先ず最低限の注意を向け、戸井の救出に注力する事にした。恐らく、海山は二人に比べて戦力にならないのだろうという見込みが在る。だからこそ、不意打ちの様に戸井を人質に取る役目を担っているのだろう。
「會長、少し手伝って頂けますか?」
『仕方無いわね……。』
愛斗は周囲の状況を見渡し、憑子が体の外へ出て姿を顕すタイミングを見計らう。
(単純に、一瞬間合いを大きく取った方が良いな。)
基浪が愛斗へ剛腕を振るってきた。これをチャンスと捉え、愛斗は腕で衝撃を受け止めると同時に、二倍の脚力に任せて大きく跳び退いた。ほんの少し、五人の中で孤立した位置取りへと上手く自分の体を運ぶ事に成功し、憑子に呼び掛けようとする。
尤も、声を発する前に憑子は愛斗の身体を飛び出して白い靄で華藏月子の姿を模っていた。
『浅薄な君の思惑が私に読めないとでも?』
「一々言い方が刺々しいんですよ、會長。」
憑子から白い光が溢れ、辺りを包み込む。基浪と砂社、それと海山も大きく怯んだが、操り人形状態が解除された訳ではない所を見ると、矢張り鐵と違い月子の操縦は容易に解除できないらしい。
『思った通り、生身の身体で力を打ち込む必要が有りそうね。でも、今の君ならこれで充分でしょう?』
憑子の見込み通り、愛斗は彼女から光が溢れた一瞬の内に海山へ間合いを詰めた。光が収まった時には憑子も再び愛斗の中へと戻り、再び二倍の膂力を発揮出来る状態に復帰する。
後は、滑らかな作業である。愛斗は渾身の力で海山から戸井の身柄を引き剥がすと、がら空きになった鳩尾に掌底を何発も叩き込む。戸井を救出するのは良いとして、この後三対一になった上に戸井を庇って戦うのは厳しいので、海山に対しては此処で一気に潰しておいた方が良いという判断だった。
「戸井、気を付けろよ‼」
その間に基浪と砂社が戸井を確保しないよう、彼女へ注意を呼び掛ける。その直後に入った掌底で、海山の身体から紫の靄が霧散した。彼は憑子による操作から解放され、単なる死体に戻った。
「戸井、無事か?」
「うん、何とか!」
愛斗は急いで戸井を庇う様に基浪と砂社に向かい立ち、彼等の攻撃に応戦する。海山を斃した事で、二人の解放も間近だと確信が持てる。
「来い‼」
同時に襲い来る二人の攻撃を往なし、両腕で掌底を同時に叩き込む。カウンターとなったのが功を奏したのか、それとももうダメージは充分だったのか、基浪と砂社を覆っていた靄も消えて無くなった。
『よくやったわ、真里君。』
靄の晴れた基浪と砂社の身体はそのまま崩れ落ち、三週間前に山道で見た姿と変わらない死体として横たわっていた。
「基浪先輩……。砂社先輩……。」
その傷ましい姿に、愛斗は強烈な憐れみに胸を貫かれる感覚に襲われた。唯でさえ余りにも若過ぎる死を被った身であるのに、その死すらも利用された無念を思わないではいられない。
『真里君、彼等の名誉を思って言うけれど、死んだ後に闇の眷属となった場合、西邑君の様に生前の人格を残している方が寧ろ稀なのよ。多くの場合、蘇らせた者にとって都合の良い人格の持ち主として、生前とは無関係の意思を持って蘇るわ。』
「でしょうね。僕だって、二人が人の犠牲を顧みない程腐った人間だったとは思いませんよ。」
『当然よ。後ね、彼等は期末から新学年になる辺りでは君への当たりを強くしていたけれど、最初は寧ろ期待していたのよ。私と同じくね。』
「ええ、覚えていますよ。生徒會役員として当選したての頃は、結構良い先輩達だったと思います。僕の不甲斐無さから失望させて、嫌な先輩になっていきましたけどね。その印象は変わりませんが、僕にも一定の非は有ったと思っていますよ。」
愛斗は思い出す。つい三週間前まで、彼等との間には辛いながらも高校生として、生徒會役員としての日常が、青春があった。それを奪ったのは憑子の無謀な賭けだったのだろうか、それとも月子の邪悪な企みだったのだろうか。確実に言えるのは、今急務なのは月子をどうにかして元の日常を取り戻す事だ。
「會長、行きましょう。先ずは仁観先輩を助けないと。」
『当然よ。』
愛斗は山道への入口の方へ向いた。このまま、祠を通って假藏學園に急ぎたい所だ。
しかし、愛斗は背後に不穏な気配を感じた。戦いの最中に起きた事が頭を過り、思わず戸井の方へ振り向いた。
「真里、あれ……。」
戸井は愛斗の直ぐ後ろで無事だったが、何かに怯えるように背後を指差していた。何が問題かは明らかだった。彼等の背後から、假藏寮で眠っていたと思われる大勢の不良達が黒紫の靄を纏って迫って来ていたのだ。
「拉致事件の時に襲って来て、そのまま眠っていた不良グループか……!」
愛斗は焦りを禁じ得なかった。二人相手ならばどうにかなったし、海山一人の加勢も何とか切り抜けた。しかし、今回は数が多い。この人数で襲われては一溜りも無い。
「假藏に急がなきゃ……。」
一旦、先へと逃げる。それしか選択肢が無い様に思われた。だがその時、二人に思わぬ、そして心強い救援が駆け付けた。
「安心しろ。真里君、戸井さん!」
白衣の痩せた男が颯爽と愛斗達の後ろに降り立ち、白い光を纏った腕を振るった。その一薙ぎで発した強烈な光を前に、操り人形となった不良の群は怯んで動けない。
「聖護院先生‼」
裏理事会最強の男、聖護院嘉久。華藏學園の数学教師だった彼は、生徒達と共に學園へ呼び寄せられていた様だ。
「二人とも、此処は私に任せ給え。蟻の一匹とて先へは遠さん。後、像の前に残して来た華藏生達の事は心配するな。不良達は竹之内先生と文乃君が抑えているから。」
有難い情報だった。一先ず、生徒達の安全の為に裏理事会が動いてくれたのは大きい。愛斗達も仁観の救出に専念できる。
「行こう、戸井。」
「うん。」
愛斗と戸井、そして憑子は聖護院に殿を任せ、禁域の祠へと急いだ。




