第六十七話 殺人祭典
最も身近で、最も絶対的な非日常こそが死です。であるから、死は面白い。とりわけ、華々しく絢爛な死は見応えがある。その最たるものこそが、殺し合いでしょう。
――旭冥櫻著『美しき月の夜宴』より。
竹之内灰丸、文乃父娘は護衛対象の真里愛斗達とは逆に、彼等の地元へ遠出してホテルを取っていた。二人もまた、異変に気付いて朝早くから叩き起こされた。
「御父様‼」
文乃が激しく父の部屋の扉を叩いた。
「一寸待っとくれ、急いで準備するから。」
父が言う準備とは、人前に出る上での最低限の身嗜みである。彼は専ら、普段は上下共に下着だけで過ごしているから、そのままでホテルの廊下に出れば変質者となってしまう。
文乃もそういう父のだらしなさは百も承知なので、この返答の後で無理に急かそうとはしなかった。どうせ無駄だからだ。
少しの間を置き、明らかに慌てて服を着たと丸分かりの装いで竹之内翁が部屋から出て来た。
「華藏學園で強大な闇の力が行使されたようだね。」
「ええ。それに、戸井さんと連絡が取れません。」
「私も真里君に連絡を試みているのだが……。まあ、まだ寝ている可能性も無いではない。」
「しかし、楽観的に考えてもいられないでしょう。」
二人はエレベーターに乗り、一階のロビーへと向かう。
「御父様、車は私が運転します。直ぐに華藏學園へ向かいましょう。」
「勿論だ。」
二人も又、紫の闇と暴力的な青に支配された華藏學園へと急いだ。
☾☾☾
華藏學園、華藏鬼三郎像前。
愛斗の他にも大勢の華藏生が困惑を深める中、校内放送の音声で華藏月子の声が響き渡る。
『おはようございます、栄えある華藏學園生の皆さん。生徒會長の華藏月子です。十二日振りでしょうか、皆さんがこうして再び學園へ集う日が訪れた事、心より御慶び申し上げますわ。』
愛斗の周囲にどよめきが起こった。此処に居る殆どの人間は、訳も分からず強制的に今の場所へ転移させられたのだ。さも休校明けに登校したかの様に語る月子の声に対して違和感は禁じ得ないだろう。
尤も、月子がその様な事に構うのなら、最初からこの様な行為に等及んでいない。壇上でスピーチをする様に、彼女は話を続けるのみである。
『扨て、この度の休校措置は、授業日数にすると八日間に及びました。この間、失われた皆さんの授業日数をどうすべきか、私は生徒會長として、そして學園の経営者として考えていました。この學園の不手際を、如何にして埋め合わせるか……。』
『よく言うわね。抑も自分が起こした陰謀が原因の癖して……。』
憑子は姉の言い草に怒りを露わにする。愛斗は、月子が何を言い出すのか、それを思うと不安と緊張を拭い得なかった。
『妥当な手段としては補習、という事が考えられるでしょう。しかし、皆さんの咎ではない事で貴重な課外活動の時間を削るのも些か罰の悪さを感じます。そこで思い出したのが、今華藏學園が置かれている状況です。』
空に紫の暗雲が立ち込める。それは本来の華藏學園には無い建屋、假藏學園の生徒寮から流れてきている。奇しくもその近辺は、立ち入り禁止の山道、即ち例の祠の在る場所だ。
『皆さん、學園の敷地の奥に、普段は立ち入り禁止となっている山道が有るのは御存じでしょうか。現在、そこは当學園の姉妹校・假藏學園へと通じてしまっています。また、皆さんの教室も假藏學園の教室と融合してしまっている。今更ですが、これは由々しき事態です。将来有望な華藏生と比較して、假藏生は御世辞にも釣り合う価値が有るとは言えません。』
「一体、何が言いたいんだ? 何をしようとしているんだ?」
周囲の華藏生達は互いの顔を見合わせて、要領を得ないといった振る舞いをしている。概ね、愛斗と同じ感想を抱いている様だ。
『假藏學園の生徒は身内で御山の大将の座を獲り合う事に感け、凡そ中高生に有るまじき荒んだ日常を送っています。即ち、彼等は私達華藏生と違い、卒業の為の単位を必要としていない。ならば、彼等の単位を取り上げ、華藏生に振り分ければ良いのです。』
『何を訳の解らない事を言っているのかしら、あの女は。』
月子の意図が読み取れない事に不安を覚えている愛斗、苛立っている憑子。何れにせよ、この放送の目的は未だ何一つ見えていない。
だがそれは少しずつ、身の毛の弥立つ様な全容を表し始める。
『出来る訳が無い、と御思いですか? しかし、薄々知っている人も居るのではないでしょうか。この學園に於いて、私にはそれくらいの権力が有るのですよ。例えば二つの學園の生徒の所属を入れ替える、とかね。』
「所属を入れ替える……假藏送りの事か……!」
『これまで、華藏學園生に有るまじき不逞を働いた生徒は何人か假藏學園に移って貰っています。単位くらいはどうとでもなる。丁度ゲームで運営側に不手際が有った場合に送られるお詫びの様なものです。しかし、それだけでは余りにも假藏生を蔑ろにし過ぎているのも事実。そこで、彼等にもチャンスを与えます。』
ふと、愛斗は背筋に悪寒を覚えて周囲に目を遣った。華藏生達は一応に怯えた表情を浮かべている。それもその筈、彼等の外側を取り囲むように、假藏學園の不良達が獲物を借る獣の如く屯していたのだ。
『假藏生には、籍の空いた華藏生と入れ替わりで此方の學園の生徒として扱い、大学への特待生待遇と彼等にとって望ましい力を与えます。華藏學園生は、そんな假藏生の蛮行から級友を護って下さい。籍の空いた假藏生の単位を与えましょう。互いの學園の籍を空ける……。即ち、華藏學園と假藏學園、両者対抗の殺し合い似て互いの望むものを奪い合って頂きます。』
人波に困惑と混乱の喧騒が拡がっていく。
「會長、何を言っているんだ?」
「意味が解らない、莫迦げている!」
「殺し合いなんて、やれと言われてハイ解りましたとやる訳が無い!」
華藏生は常識的な反応をしている。しかし、忘れてはならないのが、假藏生の存在である。華藏生を取り囲む彼等の雰囲気は、明らかに異常だ。
「鐵君が言ってたぜ。こっちの會長に貰える力ってのは凄まじいってな。」
「若しかしたら、今迄遠くで眺めているだけだった頂点争いに俺だって一枚噛めるかもしれねえ!」
「その上、假藏から華藏に移れれば人生逆転も夢じゃねえ!」
どうやら彼等は彼等で別に假藏の生徒會長・鐵自由から何か良からぬ事を吹き込まれているらしい。となれば、華藏生にその気は無くても彼等が暴動、殺し合いの火蓋を切る事は充分考えられる。
最悪の緊張が華藏生達の間で奔り抜け、共有される。状況の非現実性から月子の放送を本気にしていなかった生徒達も、假藏生の殺気に中てられて次第に表情を曇らせていく。
おまけに、月子が出した条件では假藏生同士が争わない様になっている。これが華藏生にとって、この浮遊感に満ちた夢想的現実を悪夢へと決定的に変えてしまう。
「おい、得物持ってきたぜ皆‼」
一人の假藏生が金属バットを何本か持って来た。狂気を加速させる武器供給である。
「おお、サンキュ! 何処から持って来たよ?」
「体育用具倉庫さ。まだまだ在るからお前等も取りに行けよ。」
愛斗は背筋が凍り付く想いに駆られた。二つの學園が融合した許りの頃、紫風呂来羽を体育用具倉庫の中に在ったバーベルのバーを使って撃退した事があった。あの時は華藏生の愛斗の方に學園の土地勘が有ったが、一週間以上の融合状態で喧嘩に使える得物の所在を把握している假藏生も出て来たという事だ。
「お、おい……冗談だろ?」
「こんな事で人殺しなんていくら何でも荒唐無稽過ぎるだろ。」
「お前等、冷静になってくれよ……。」
次々と狂気を携え、躙々と迫って来る假藏生達が華藏生を取り囲む円を狭めていく。華藏生達は中央に追い詰められ、愛斗も身動きが取れなくなっていく。
最後に、追い打ちを掛ける様に月子は一言付け加える。
『因みに、假藏學園では彼方の生徒會長が既に動いているわ。厄介な問題児の籍が今にも空きそうだから、華藏生の皆はこれ以上仲間が欠けない様に頑張って頂戴ね。それじゃあ、健闘を祈っているわよ。』
月子の言葉に嫌な予感を覚えた愛斗は、低い背を懸命に伸ばして周囲を見渡す。この状況で、真っ先に剛腕を振るうであろう男の気配が無い。
「仁観先輩は?」
『拙いわね、色々と……。』
憑子が焦りを溢した理由は主に二つ有り、愛斗も概ね同じ心境である。一つは、仁観嵐十郎の不在が月子の言う消滅間近である一つの華藏學園籍そのものである可能性が濃厚だという事、そしてもう一つは、余りに大勢の人波に愛斗の動きが著しく制約されてしまっているという事だ。
『仁観君ともあろう者が、一体何をしているのかしら……?』
「何にせよ、この人混みを抜け出さないと何も出来ませんよ。」
不安と恐怖に染まった華藏生が敷き詰められた状態で少しでも後ろに下がろうとしており、このままでは動けない許りか何かの拍子に将棋倒しとなってしまう可能性すらある。愛斗は小さい体を生かし、どうにか人並みの隙間を縫おうとする。
「真里‼」
彼がしようとしていた様に、小柄な少女が愛斗の前に人混みを掻き分けて現れた。
「戸井‼」
「先刻、假藏生が話しているのを聞いたよ! 仁観先輩、鐵達に捕まっちゃってるって! これから『弥勒狭野』の手で公開処刑するんだって‼」
『やっぱりそうなのね。全く、どういう事なのよ……。』
戸井宝乃が齎した情報は危機的な物だったが、同時に愛斗に一つの行動指針を決めさせた。
「公開処刑って事は、この状況だと仁観先輩は假藏學園側の目立つ場所に居るって事だな。」
「間違い無いと思う。でも、假藏生が言うにはとんでもなくヤバいっていう『弥勒狭野』の頭が戻って来たらしいよ。仁観先輩、その人に負けちゃったんだって。」
『情けないわね。化物染みた強さだけが取り柄の癖に。』
「會長。あの人音楽業界の世界的有名人で特待生だった筈では?」
憑子の苦言に思わず突っ込みを入れた愛斗だったが、こういう漫才をやっている場合ではない。
「一寸、二人とも何やってるの?」
「あ、そうだね御免。何にせよ、早く仁観先輩を助け出さないと……。こんな状況、あの人じゃなきゃどうにも出来ない。」
三人の考えは粗々同じだ。順序として、先ず仁観を救出する。そして彼の協力を仰ぎ、假藏生の蛮行を抑えなければならない。
と、その時少し離れた所で男の悲鳴が上がった。
「な⁉ どうしたんだ? 誰がやられた? 大丈夫か?」
愛斗がもたついている間に、乱闘が始まってしまった。假藏生が武器を持っている事を鑑みると、殺し合いに発展するのは時間の問題だろう。愛斗は一つの決意を固めた。
「皆! 僕は今から假藏に乗り込んで仁観先輩を連れて来る‼ あの人なら屹度何とかしてくれるから! それまで、どうにか持ち堪えてくれ‼」
彼の狙いは、不安で一杯になっているであろう華藏生に希望を見せ、団結して貰う事だった。愛斗は同窓生達に一定の信頼を寄せている。初めて學園が融合した時も、愛斗の級友達はそうやって各々の役割を果たし、危機を乗り越えようとした。華藏生にはそういう土壇場の底力が有る筈だ。
「仁観先輩‼ 確かに、あの人さえ来れば‼」
「唯でやられて堪るかよ‼ 假藏が何だってんだ‼」
「体育会系男子! 女子を護るぞ‼」
愛斗の見込みは正しかった。
『流石は私の同窓生達ね。生徒會長として鼻が高いわ。』
憑子も誇らしげに喜んでいる。
「真里、私も行くよ! 情報が正しいか確かめたいし、それに一人じゃ出来ない事も在るかも知れないから!」
「有難う、戸井! でも、無理はするなよ!」
「真里こそ!」
愛斗と憑子は喧騒を抜け出し、學園の敷地の奥へと駆けていく。小柄な二人の獲物を逃すまいと追い掛けようとする假藏生も居たが、屈強な華藏の運動部がタックルで止めていた。
「行かせるかよ! あの生徒會役員は俺達の希望だ!」
「生餓鬼が、調子に乗ってんじゃねえ‼」
幸いな事に、この假藏生は未だ武器を持っていなかったので、運動部員に抑え込まれてしまえばもう何も出来なかった。愛斗は内心で礼を言いつつ、禁域の山道へと急ぐ。
「教室じゃ駄目かな?」
「あの場に居た假藏生はほんの一部だ。教室に居る可能性も有る。となると、机や椅子は充分な凶器だ。山道の祠を使った方がまだ安全だと思う。」
とは言え、危険は他にも潜んでいる。特に、体育倉庫前を通る時は武器を調達しに来た假藏生に見付からない様に慎重に通り過ぎなければならない。
愛斗と戸井はどうにか二つの合宿場まで辿り着いた。此処まで来ればもう祠は目と鼻の先だ。
しかし、其処には月子が差し向けたであろう、恐るべき、そして忌むべき刺客が待ち構えていた。
「基浪先輩、砂社先輩……? どうして?」
『あの女め、又蘇生させた様ね。』
悍ましい所業の証が、愛斗達の眼の前に立ち塞がった。




