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殺戮學園逝徒會畸譚  作者: 坐久靈二
第三章 神秘學園と一つの大願
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第六十話 或る友情の悲劇的な終焉

 真の友情は、前と後、どちらから見ても同じもの。前から見れば薔薇(ばら)、後ろから見れば棘などというものではない。


――ヨハン・ミヒャエル・フリードリヒ・リュッケルト

 次の日、水曜日。真里(まり)愛斗(まなと)は何一つ手が付かず、寝て起きてを繰り返し一日を浪費した。

 前日は夜遅くに激しい戦闘で消耗し、更に命辛々逃げ出す破目にもなった。それだけではなく、余りにも精神的にハードな事ばかりが続いた一日だったので、体も心も深刻な程に休息を必要としていたのだ。


 憑子(つきこ)はそんな愛斗(まなと)に、いつもの小言を(こぼ)したりしなかった。(まる)で存在しないかの様に唯只管(ひたすら)沈黙を貫いていた。

 一気に爆発した愛斗(まなと)の不満は(もっと)もで、この気不味(きまず)さの責は(ほとん)ど全面的に憑子(つきこ)に在る。(ほとん)ど、というのは、状況が一々仲違いしている場合ではないという一点に()いて愛斗(まなと)に全く非が無いと迄は流石に言えない為である。


 華藏(はなくら)月子(つきこ)は遂にその目的を達し、本性を表した。彼女が次に何か恐ろしい事をしでかす事は明らかで、本来ならば『光の逝徒會(せいとかい)』にも『裏理事会』にも一刻の猶予すら無い筈である。その為、この一日を無為に過ごすのは非常に手痛い遅れなのだ。

 だが、今の愛斗(まなと)には()(かく)休息が必要だった。出歩く事すら(まま)ならぬコンディションで戦っても必敗だからだ。戦うのは目的を達する為で、その為には負ける訳にはいかない。


 だから、愛斗(まなと)が胸の内を吐露したのは逆に正解だったかも知れない。誰の眼にも耳にも、彼が限界を迎えていると明らかになったからだ。

 この日の無駄な浪費を咎める声は誰からも挙がらなかったが、愛斗(まなと)にとってそれだけは唯一有り難かった。しかし、一つだけ避けられない干渉が在る。


愛斗(まなと)、ご飯よ。夕飯くらい食べなさい。」


 この日、愛斗(まなと)は陽が落ちるまで何も口にしなかった。家族も只ならぬ気配を感じ、そっとしておいてくれはしたが、流石に全く食事を採らないではいさせてくれないらしい。


「わかった。今行くよ。」


 この時、愛斗(まなと)は一日で初めて声を出したかもしれない。憑子(つきこ)や『裏理事会』等、自分を戦いに駆り立てる者達ならばいざ知らず、家族が自分の身を案じる事にまで悪態を吐きはしない。

 愛斗(まなと)は素直にリビングへ(おもむ)き、この日の食事を採ることにした。



☾☾



 真里(まり)家は、私立の名門である華藏(はなくら)學園(がくえん)に息子を通わせるだけあって、それなりに裕福である以外は至って平凡な家庭である。愛斗(まなと)本人も含め、誰一人として特別な才能に恵まれた傑物も、社会に適合しない厄介者も居ない。

 そんな家族の団欒(だんらん)は、ずっと訳の解らぬ非日常に身を置いて来た愛斗(まなと)にとって貴重な、何処(どこ)までも混じり気の無い日常の純粋抽出だった。(まる)鍾乳洞(しょうにゅうどう)(しずく)(わず)かに差し込む陽光を弾く様に、闇の中で見付けられる小さな(うるお)いとなっていた。


 父も母も、疲弊し切った様子の愛斗(まなと)に何があったのか皆迄(みなまで)()く事は無かった。心配して「大丈夫か?」と声を掛けはしたが、それに対する愛斗(まなと)の反応が触れてくれるなと言わん(ばか)りだったので、今はそっとしておこうと考えたのだろう。


「それにしても、もう休校も一週間を過ぎたか……。」


 唯、意図せず愛斗(まなと)にとって触れられたくない話題が出ないでもない。愛斗(まなと)が黙っている以上、これは仕方の無い事だ。家族は飽くまで、取り留めの無い日常について話しているつもりなのだ。


「害獣駆除、上手く行っていないのかしら……?」

「余り長く続くと学業に影響も出かねん。學園(がくえん)側として、どうにか授業の出来る代替案を出して欲しい所ではあるな……。」


 両親の会話が愛斗(まなと)の胸を刺した。まさかその休校が、愛斗(まなと)の活躍によっては終わるものだったとは夢にも思っていまい。

 流石に、愛斗(まなと)も不機嫌や不満を露わにする訳にも行かなかった。唯でさえ、昨日の爆発で結束すべき味方の空気を悪くしてしまったのだ。そこに全く負い目を感じていない愛斗(まなと)ではない。()してや、何の(とが)も無い家族を責める様な筋違いは起こせる筈も無かろう。


「ああ、そう言えば愛斗(まなと)西邑(にしむら)君なんだけど……。」


 何か只ならぬ空気を読み取ったのか、話題を変えた母親だったが、悪いのは運なのか間なのか、(また)しても愛斗(まなと)の傷を(えぐ)る話題を選んでしまった。

 だが本来、それらは取り留めの無い話題の筈なのだ。愛斗(まなと)(むし)ろ、両親の会話よりもそんな日常を地雷に変えられた境遇を、華藏(はなくら)月子(つきこ)を強く恨まずにはいられなかった。

 しかし、母親が西邑(にしむら)の名を出したのは意外な意図だった。


「彼の新刊、確か明日発売だったわよね?」

「え? そうなの?」


 愛斗(まなと)は驚いてつい尋ねてしまった。


「何、アンタ友達なのに知らないの?」

「あいつとは作家活動とは余り関係なく付き合ってたし……。」


 ふと、愛斗(まなと)今迄(いままで)自分が親友の著書について何も知らない事を思い知らされた。然程(さほど)興味も無かったし、それで友人関係に問題があるとも思っていなかった。実際、触れない事で(かえ)って良好な関係が維持されていたのかも知れないしそれは必ずしも間違いではないだろう。

 だが、この時愛斗(まなと)はどうしても自分が薄情だったのではないか、と思い始めていた。親友だと言いながら、自分は西邑(にしむら)龍太郎(りょうたろう)という男が生前情熱を捧げた創作活動について何も知らない。本当にそれで良いのだろうか、という思いが、喪って初めて沸々(ふつふつ)と沸き上がってきていた。


「お母さん、一つお願いがあるんだけど……。」


 愛斗(まなと)は衝動的に、しかし強い意志を持って切り出した。


「明日あいつの小説を買いたいから、一寸(ちょっと)お小遣いを前借させて欲しいんだ。」


 この所、愛斗(まなと)は何かと出費を重ねていて小遣いを(ほとん)ど使い果たしていた。一応、西邑(にしむら)にカラオケは半ば強制的に奢って貰い、その釣りは有るのだが、それでも本を一冊買うにはやや心許(こころもと)無かった。


「それは……。」

「良いんじゃないか?」


 母親は渋ったが、父親が助け舟を出してくれた。


「読書の為なんだし、飽くまで前借なら。」

「でも、お小遣いを渡す目的ってお金の使い方を身に着けさせる為だから……。それに、別に来月まで待ったとしても本が売り場から無くなりはしないでしょう、そんな短い期間なら。」


 確かに、息子が浪費しても金を無心すれば良いと間違った学習をしては困るという母親の言い分は(もっと)もだ。しかし、愛斗(まなと)は退けない。悪いとは思いつつも、少し嘘を吐くことにした。


「実はさ……。昨日西邑(にしむら)と遊びに行ったんだ。」

「あら、そうなの?」

「うん。休校を利用して、悪い事だったと思う。実際、あんなことすべきじゃなかった。西邑(にしむら)些細(ささい)な事で喧嘩しちゃってさ……。仲直りの為に、あいつの小説を読んで感想でも言おうかと思って。あいつ、いつも読者の感想が直接聞けたら良いのに、って言ってたから……。」


 これは、愛斗(まなと)が咄嗟に思い付いた(もっと)もらしい法螺(ほら)話である。実際の西邑(にしむら)は、一般読者の感想など歯牙にも掛けていなかった。

 唯自分が書きたい物を、考え得る最も優れた趣向を凝らして創る。――それが西邑(にしむら)龍太郎(りょうたろう)という作家のスタイルだった。

 現代では、一般的な作家が考えている事がSNS上に愚痴等で流れて来るので、それを元に「(おおよ)その作家の悩みらしきもの」を組み上げる事はそう難しくなかった。


「なるほど、それで今直ぐ欲しいのね。まあ、お父さんの言う通り読書なら後々の財産になるだろうし、今回だけよ?」

「ありがとう。」


 こうして、愛斗(まなと)は翌日本屋へ走ることにした。それは現実からの逃避に他ならなかったが、今は未だこの苟且(かりそめ)の平穏に甘えていたかった。

 何より、親友が遺した文章を通じて、もう一度彼に出会い直したかった

 尚、この日は結局憑子(つきこ)と一言も口を聞かなかった。




☾☾☾




 更に翌日、木曜日。

 愛斗(まなと)は本屋で新刊として発売した(ばか)りだった西邑(にしむら)龍太郎(りょうたろう)の遺作、『賢者の海』を購入した。


「シリーズものじゃなくて良かった……。」


 西邑(にしむら)の代表作は『美醜シリーズ』と呼ばれる全四巻からなる長編小説だが、前作に手完結を迎えている。今回の作品はその後の初刊行作品という事で文壇からも注目を集めていた。

 未だ、西邑(にしむら)龍太郎(りょうたろう)早逝(そうせい)した事は世間に伝わっていない。愛斗(まなと)達ですら、死体を確認した訳ではないので、未確認の情報なのだから当然だろう。


 帰宅して、愛斗(まなと)は取り憑かれたように小説を読み(ふけ)った。普段余り本を読まない愛斗(まなと)にとって幸いな事に、西邑(にしむら)の流麗な文体が思いの(ほか)読み易かった。


 内容は、一人の男に強く()かれた男が想い人の色恋沙汰に愛憎を募らせるも、様々な葛藤の末に想い人の恋を導いた末に自ら命を絶つというものだった。悲劇ではあるが何処(どこ)か爽やかな読後感があり、夜遅くまで書けて読み終えた愛斗(まなと)(しばら)く放心した。


 西邑(にしむら)龍太郎(りょうたろう)が何を思ってこの様な作品を著したのかは分からない。だが、どうにも愛斗(まなと)にはこの主人公が西邑(にしむら)本人であるような気がしてならなかった。だとすると、想い人の正体とは……。


「そうだ……。」


 愛斗(まなと)はふと思い立ち、二人の人物に電話を掛けた。愛斗(まなと)同様西邑(にしむら)()く知る戸井(とい)宝乃(たからの)仁観(ひとみ)嵐十郎(らんじゅうろう)だ。聞けば二人も西邑(にしむら)の遺作を購入して読了したらしい。


 仁観(ひとみ)曰く、今回の作品は西邑(にしむら)にしては珍しい作風だという。報われない想いを鮮やかに描き出す点は『美醜シリーズ』を踏襲しているが、シリーズは毎回主人公が美しい相手に対して醜悪な憎悪を(こじ)らせて破滅的な結末を迎えている。その様は地獄絵図が浮かんでくるようなもので、今回の爽やかな死のエンディングとはかなり異なるものだったという。


 西邑(にしむら)の中に何か心境の変化があったのだろうか。執筆の時期を鑑みて、これが生前の西邑(にしむら)本人が書いたものに間違いは無い。()しそうなら、あの惨劇の夜に至る迄に遺した思いに従った死後の西邑(にしむら)が一貫して愛斗(まなと)を護ろうとした事に繋がる様な変化なのだろうか。


 愛斗(まなと)はこの作品が誰かの幸福を切に願う祈り様に思えた。勿論、愛斗(まなと)が読む事を想定はしていなかっただろう。西邑(にしむら)の作品はいつも自己満足である。だがその自己満足は、愛斗(まなと)の幸福な未来を最後に(こいねが)ったのか。


憑子(つきこ)會長(かいちょう)……。」

『何?』


 この時、漸く愛斗(まなと)は二日振りに憑子(つきこ)に話し掛けた。彼の中で一つの決意が生まれた。


(ぼく)はどうすべきだと思いますか?」

『それは……()かれても、(わたし)には(わたし)の希望しか話せないわよ?』

「結構ですよ、貴女(あなた)がそういう人だって熟々(つくづく)思い知りましたから。出来ればその貴女(あなた)の希望を、少しオブラートに包んで、(ぼく)にも納得出来るように装飾して言ってくれればいいんです。」


 愛斗(まなと)の中で、憑子(つきこ)に対する(わだかま)りが消えた訳ではなかった。しかし、何時(いつ)までも現実から逃げている事も出来ない。


(きみ)西邑(にしむら)龍太郎(りょうたろう)に救われた。それは彼が(きみ)に救われた恩返しだったのでしょう。しかし、あの女が居る限りは彼の献身は何れ無駄になるわ。ここまで言えば、解るわね?』

「ま、そんなところでしょうね。でも、それで良いです。」


 愛斗(まなと)は窓の外に浮かぶ月を見上げた。真珠色に輝くそれは、世界の(すべ)てを嘲笑うかの様に見下ろしていた。そう見えたのは、愛斗(まなと)が月に彼女を重ねたからだろう。


()(かく)、決着を付けますよ。」

『そう……。それならそれで良いわ。元々、(わたし)(きみ)の関係はそれだけで繋がっているのだから。』


 こうして、愛斗(まなと)は二つの夜を超えて何とか立ち直った。

 西邑(にしむら)を喪い、彼との友情は終焉(しゅうえん)を迎えてしまった。否、西邑(にしむら)にとってそれは、最初から友情を超えたものだったのかも知れない。

 愛斗(まなと)は、殺された者の弔い合戦が必要だと考えていた。彼の心とは無関係に、その機会は近く向こうから襲って来るだろう。


 事態は最終局面に向けて動き始めている。

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