第六話 私立假藏學園
父よ、彼等を御許しください。彼等は何をしているのか、分からずに居るのです。
――ルカによる福音書、二十三章より。
私立華藏學園は元々現在の山中とは別の、区域も全く離れた下町中に位置していた。当初は華藏商業學校という名だったが、戦後の或る時期を境に七十キロ以上離れた山中に本校を移し、現在に至る。
しかし、創立の地にも別の学校が残され、華藏家第二の教育機関として現在まで続いている。当時は在校生卒業までの間、暫定的に残しただけであった為、仮の華藏學園という意味で『假藏學園』と呼ばれた。そしてそのまま取り潰しとはならずに、通称がそのまま学校名として定着し現在に至る。
尚、正確な移転の理由は不詳であるが、粗々これではないか、という推測は立てられている。
元々華藏商業學校が在った土地、現在の假藏學園の立地場所となる市街地は、戦後の情勢変化によって嘗てより遥かに治安が悪化してしまっていたのだ。
斯くして、半ば本校に見棄てられた假藏學園は、現在では見るも無残な不良の巣窟と成り果て、悪童共が屯する荒れた底辺校に成り下がっていた。
外壁一面にスプレー缶で描かれた下卑た落書きは一切消される気配も無く、逆に色褪せた様子が年期すら感じさせる。又、創立者である華藏鬼三郎の胸像も塗料の餌食となっていた。因みに落書きされた当時は塗装剤を本来の用途のみで使用する訳も無く、平然と袋から良からぬ薬剤を吸引する歯の抜けた目付きと顔色の悪い生徒が學園の内外で散見された。当然、現在では規制により塗装剤としての入手が困難となっており、工業地区という立地が災いして薬剤その物を盗むという言語道断の犯罪行為が少し前まで横行していた。
そんな假藏學園に於いて、朝、登校時刻に校門前で待ち構えているのは教師ではない。風紀も糞も無い、将来さえも溝に捨てた刺青顔の男と蛇舌にピアスの男が恐怖に引き攣った生徒達を並ばせていた。
「オラァッ‼ 雑魚共が‼ 登校料一万は前もって用意しとけっていつも言ってるだろうが‼」
「チンタラと待たせて苛付かせる奴は一秒に付き肩拳一発! 金足んねー奴は顔面正の字刻み! 正の字完成で呼び出し‼ 毎朝毎朝言わせんじゃねーよ‼」
今日も今日とて、假藏學園正門では強者の怒声と弱者の悲鳴が朝礼の鐘の音より大きく響く。列に並ぶ生徒達は震えながら列を進み、それ許りかあの手この手で自分の順番を後ろへ送ろうと虐げられる者同士醜く争っていた。
「なあ、千円で後を譲って呉れよ。」
「舐めたこと言ってんじゃねえよ。てめえが前に来いや。」
「や、止めろよ引っ張るな! そうだ、お前にこの千円渡すから!」
「千円で足りるかよ莫迦! お前だって同じだろうが!」
孰れ順番が回って来る事には変わらないにも拘らず、少しでも検問に掛かるのを遅らせようと、情けない取引や取っ組み合いが列の至る所で起こっている。彼等の必死さには理由が有った。
一人の大柄な眉無しの強面男が列の順番を無視して二人の検問男の前まで肩で風を切って歩いてきた。
「応、塵共邪魔だ退け! こんな所で縮々小銭稼いで粋がりやがってよ。」
「尾咲君‼」
尾咲求、假藏學園でも五本の指に入ると言われる札付きの悪である。
「尾咲っ‼」
「順番抜かして来るとは良い度胸じゃねえか! てめえだって例外じゃねえぞ⁉」
蛇舌の男が一回りも大きい尾咲に怯まず凄んだ瞬間、その顔面に巨大な拳が飛んで来た。
検問の内片方は之でノックアウト、残った一人は腰が引けて終い、冷や汗を垂らしている。
「お前等、爆岡の舎弟共だろ? あいつが仁観の野郎と共倒れになって、自分の立場が危うくなって焦ってんな? 生やってっとぶち殺すぞ?」
「尾咲ィ……! その爆岡さんに今まで畏怖って大人しくしてた奴が、今更になって假藏の頂点取る気かよ? 嗤えんぜこいつぁ……。」
刺青男は尚も減らず口を叩いたが、すぐさま彼にも鉄拳が叩き込まれ、その場に伸された。これこそ、列を成す弱者達が後列を奪い合っていた理由である。暴力に由る理不尽な支配を打ち破る更なる暴力も又、この魔境には常に存在しているのだ。
「爆岡に畏怖る? 俺が?」
この場の暴力に由る支配構造を拳二発で塗り替えた厳つい男、尾咲求は無い眉に皺を寄せ、怒りをその強面に表す。
「あ、ありがとう尾咲君。お、お陰で皆助かったよ。」
先頭に居て辛うじて難を逃れたごく普通の弱々しい男子生徒が恐る恐る尾咲に礼を言った。しかし返って来たのは予想外の質問だった。
「なあ、お前等も俺が爆岡に畏怖ってたと思うか?」
「え?」
「即答しろや‼」
男子生徒は突然の問いに戸惑っている間に胸倉を掴まれ、爪先立ちにされた。
「即答出来ねえって事は一寸そう思ってたな?」
理不尽に凄まれ、男子生徒は涙目で首を振った。否定の言葉を出そうにも、首が絞まっていて息が出ない。
「思わねえって事は、爆岡より俺に付くって事だよな?」
尾咲に突き飛ばされた男子生徒が列に衝突し、将棋倒しを起こした。そんな惨事を起こした尾咲は悪びれもせず倒れた列に向かって脅すように言い放つ。
「よーしお前ら、今日から全員俺の舎弟だ! 上納金は月謝一万で赦してやるよ! こいつ等に毎日払う金を月一で払えば良いと思えば安いもんだろ? え⁉」
どう足搔いても弱者は強者の暴力に由る支配構造から逃れられない、それがこの假藏學園の摂理である。この荒れた不良校では何より第一に不良としての地位こそがスクールカーストであり、不良社会で伸し上がる力の無い者は徹底的に蔑視され、酷使され、搾取され、迫害されるのだ
☾☾☾
扨て、そんな假藏學園の不良生徒達の中で、一大イベントとなるのが転校生の編入である。この學園には偶に本校の華藏學園から追放された元優等生が編入して来る事がある。華藏學園側からは通称「假藏送り」と呼ばれるこの措置は華藏學園の清らかな校風に慣れ切った転校生達にとっては言う迄も無く地獄の様な日々の始まりである。
不良としての能力が必然的に欠けている華藏學園からの転校生は基本的に他の不良生徒達の都合の良いパシリ、下僕に落ち着き、一層の迫害を受ける。
始業の鐘が鳴り、この腐敗した施設が一応は教育機関であることを思い出させる。
無論、授業中である筈の教室には勉学に励む生徒の姿など皆無であり、携帯ゲームに興じる者、賭け事をする者、化粧をする女子生徒等が無秩序を蔓延らせていた。否、それすらも序の口であり、挙句の果てには授業しようとする教師の背中に的当てと称してエアガンを発砲したり、黒板消しと定規で疑似的に野球をして他の生徒にぶつけ、喧嘩を始めたりする始末である。
そして、そんな教室に遅れて入って来たのは、レジ袋に大量のパンとパック飲料を抱えた、一見おとなしそうな男子生徒二名である。
「か、買って来ました‼」
「遅えぞ愚図‼」
彼等は遅刻ではなく、授業中にも拘らず校外のコンビニまで買い物に走らされた下僕達である。二人の額と頬にはそれぞれ書きかけの正の字の様な傷痕が付いている。彼等は元華藏學園の生徒で、傷痕の数だけ今朝行われていた様な「登校料徴収」で要求された金額を払えなかった者達だ。
「はい、じゃあイケメン君達にお仕置きアンド鍛え直しターイム!」
「ヒイィッ‼」
「誰かこのイケメン君達と遊んであげても良いって女子居るー?」
「はーい‼ 私やりたーい‼」
買い物袋を受け取った染髪とピアスの不良男子、髪と眉の無い不良男子が二人を羽交い絞めにし、二人の濃い化粧をした不良女子が手招かれる儘に楽し気に寄って来た。そし彼女等は後ろに足を大きく振り上げ、勢いよく拘束された男子生徒達の股間を蹴り上げた。
「うごオッッ‼」
「ぐひぃっ‼」
「ははは、女の子は大人しいイケメンより強い悪の方が好きだからなあ‼ お前等のなんか使う気無いってよ‼」
因みにここで言う「イケメン」とは顔の良い男というそのままの意味ではなく、顔を正の字に傷付けられた者達を皮肉って言う彼らなりの隠語である。
つい最近まで假藏學園の生徒の間では関りが薄い者にでも一発で判別される「弱者の証」が存在した。それが朝、二人の男が行っていた検問に由って付けられる顔の傷である。
假藏學園の生徒達を絶対的な腕力と恐怖の下支配していた最強の不良、爆岡義裕が始めたのが「登校料徴収」という異常な暴挙である。
それは毎朝生徒に十万円の支払いを命じ、支払えない者には滞納日数に応じて顔に剃刀で「正」の字を一角ずつ刻む、と云った凶行であった。これによって目立つ顔に傷を付けられた生徒は、支払いを拒む胆力も無い弱者であると事情を知る者には一発で判別されてしまい、無関係の不良からも事有る毎に金を毟り取られたり、顎で使われたり、理由無き暴力被害を受ける。
だがそんな邪悪な支配が今、一つの事件に由って崩壊しようとしていた。
「オウコラ‼ 相津の奴は居るか⁉」
突然、教室の前の扉が開き、一人の厳つい眉無しの大男が入って来た。最早誰も授業中である事など気にしておらず、教師もエアガンを射的される位で殆ど無視されている。
「尾咲ィ‼」
教室の隅で机に足を乗せて坐っていた、頭半分髪を刈り上げた長い赤髪の不良が立ち上がった。この男、相津諭鬼夫がこの教室の不良たちを纏め上げるボスである。
尾咲求は図過々々と教室の生徒達と机椅子を掻き分けて奥へ上がり込み、相津と至近距離で眼を飛ばし合う。相津も尾咲と負けず劣らず上背がある。
「相津ゥ、一寸面貸せや……! まずてめえから潰してやるよぉ……‼」
「尾咲ィ、頂点取る気になったって噂は本気だったらしいなぁ……! 上等だよ。爆岡が居なくなって取れる頂点になんて興味無かったが、戦争に巻き込むってんなら序でに調子乗ってる奴等鏖にしてやるよぉ……‼」
札付きの不良が集まる假藏學園の中に在ってカースト上位の存在は地域の不良社会にとっても悪名高い畏怖の対象である。その中で頂点に君臨したと謳われる不良は今の所現れておらず、もし仮に実現したとすればその者は不良界の伝説になるといわれている。
だがそこに明確な基準は存在せず、長く假藏學園を支配していた最強の不良・爆岡義裕ですら頂点に限りなく近いと噂されていたが決して認められてはいなかった。
「畜生……。何で俺達こんなこの世の終わりみたいな学校に……。」
「何が頂点だよ何が偉いんだよ……。不良なんて全員同じじゃんか……。」
「何が違うんだよ区別なんか付かねえよ……。お前等の伝説なんか誰も知らねえよ……。」
「華藏學園なら今頃ちゃんと勉強して真面な青春送れたのに……。」
元華藏學園の弱者達は周囲に聞こえない様に恨み言を囁き合う。
「仁観先輩がこっちに来てくれたら少しは変わるのかなあ……?」
「あの人も大概だろ……?」
二人の声は小さかったが、それでも尾咲と相津は彼等が出した名前に反応した。
「仁観ィ……?」
「あの野郎も華藏から来んのかァ……?」
假藏學園の有力不良達が活発に争い合うようになったのは、圧倒的強者として君臨していた爆岡義裕が一人の華藏學園の生徒と喧嘩になり、双方大怪我を負って入院した為である。
由緒正しき華藏學園の生徒が不良校の生徒と互いに傷害沙汰となる大喧嘩をした等というのは前代未聞且つ言語道断の事件であり、その当事者・仁観嵐十郎は停学明けから假藏送りになる事確実と華藏側では噂されていた。
尚、假藏學園側ではたかが喧嘩で病院送りになる程度大した事と思っておらず、逆に華藏學園にも侮れない男が居ると評判になっていた。假藏の爆岡義裕・華藏の仁観嵐十郎、又は両校の地理的関係からキタの仁観・ミナミの爆岡と並び称され、伝説の不良として畏れられていた。
そして、元華藏學園の生徒達にとって、同じ境遇で最強の不良とも渡り合える仁観の存在は幽かな希望の光でもあった。
一方、この假藏學園で頂点を争う不良達にとっては面白くない。
「尾咲ィ、仁観の野郎がこっち来たら面倒だ。今の内に決着付けちまおうやァ……!」
「相津ゥ、こっちは最初から望むところだ。 場所は『祠ン処』で良いよなァ……?」
二人の意見は一致した様で、互いに眼を付け合いながら教室を出て行った。
尚、再三繰り返すが、一応授業中である。
☾☾☾
假藏學園の不良が決闘的な喧嘩をするのは、何時も決まって同じ場所である。狭い校舎裏にあって、塀に囲まれて隠されながら、尚且つ殴り合いの出来る程度の小さなスペースが存在する。其処には何故か小さな祠が在る事から、不良達は単純にその場所を「祠の処」と呼んでいた。
しかし、その場所にやって来た二人の上級不良は驚愕する。
「な、何じゃこりゃあ⁉」
「死体⁉ 四人も⁉ しかも華藏の中坊じゃねえか⁉」
其処には華藏學園の制服を着た四人の中学生の男女が死体となって転がっていた。華藏學園と假藏學園は僅かに違う似たデザインの制服である為、不良達にもその素性が容易に察せられた。転校して日が浅い元華藏學園の生徒は前の学校の制服を着て登校する為、彼等不良にとって格好の餌食なのだ。
「お、おい見ろ尾咲ィ‼」
「あ、相津ゥ、こりゃァ……。」
二人は揃って祠の方へと目を遣った。祠は濁黒い闇に包まれて、不気味な紫の光を帯びている。
その黒い闇の靄は急激に拡大し、二人の不良も校舎も、そして假藏學園その物をも飲み込んでしまった。
「うわあああああっっ‼」
これは丁度華藏學園で真里愛斗以外の生徒會役員が死体に変わり忽然と姿を消した翌日の出来事である。
そして同日同時刻、華藏學園側にも禁域の祠を中心に同じような現象が起こっていた。
興りを同じくする二つの學園は今、一つの奇怪な事件に巻き込まれようとしていた。
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