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殺戮學園逝徒會畸譚  作者: 坐久靈二
第三章 神秘學園と一つの大願
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第五十二話 春が終わり散る花(上)

 最もやさしい友情と、最も強い憎しみとは、親しみの結果から生ずる。


――アントワーヌ・リヴァロール

 その日の夜、真里(まり)愛斗(まなと)は夢を見ていた。


此処(ここ)は……この光景は……。)


 彼にとって、それは何度も通った景色でありながら、見慣れないものであり、且つ鮮烈な印象を脳裡(のうり)に焼き付けられているものだ。暗い怖い、不気味な闇が彼の進む道を覆っている。

 先を行くのはよく見知った少女。同時に、今は久しく会っていない、先輩に当たる人物だ。


會長(かいちょう)……。嗚呼、そうか。これは……。)


 そう、愛斗(まなと)が今見ている夢とは、忘れもしないあの夜。全ての始まり、未だ華藏(はなくら)月子(つきこ)の体を動かしていた頃の憑子(つきこ)と、それから数学教師・聖護院(しょうごいん)嘉久(よしひさ)と立ち入り禁止の山道に入り、(ほこら)邂逅(かいこう)した惨劇の夜の夢だった。


(そうだった……。(ぼく)はずっと気に掛かっていたんだ。)


 周囲の音は小さく、話し声は微かな雑音の様にしか聞こえない。しかし、愛斗(まなと)にとってそれは大した問題ではなかった。彼の気掛かりは、このまま経過を映像として振り返れば解決するからだ。

 一つ、愛斗(まなと)にはこの夜の記憶が()る瞬間を境に途切れている。聖護院(しょうごいん)によって華藏(はなくら)月子(つきこ)の肉体と『學園(がくえん)の悪魔』を切り離す儀式が()り行われていた時、愛斗(まなと)は強いられた苦痛からその場を逃げ出そうとした。しかし、色々あった後に誰かに殴られた後は覚えていないのだ。


()しかしたら、思い出せるかも知れない。(ぼく)の予想が正しければ、多分今なら記憶の扉が開いても良い。いや、間違っていて欲しいんだけど……。)


 愛斗(まなと)は自分自身の行動を何処(どこ)か傍観者のように眺めていた。自ら動いている感覚は有るが、ただ記憶を辿る許りで自由(みゆ)には動けない。


 今、恐ろしい表情をした白い(もや)愛斗(まなと)の中に入って来た。幸いな事に、あの時と違い苦痛は小さい。記憶の通り、愛斗(まなと)の脚はその場から逃げ出し、聖護院(しょうごいん)がしがみ付いてきた。


()しかして、この時逃げなければ今起きている事は全て無かったのかな……?)


 愛斗(まなと)の胸中に次第に自責の念が込み上げてきた。此処(ここ)で悪魔が自由(みゆ)になってしまったが為に、主に(くろがね)自由(みゆ)によって大勢の人間が犠牲になっている。()しこのまま過去に戻れるのならば、大人しく聖護院(しょうごいん)に身を(ゆだ)ねてしまえるのにと、後悔が(つの)る。

 それに呼応する様に、愛斗(まなと)は少しずつ感覚が明瞭になっていく気がした。あの時感じていた胸の痛みが蘇ってきている。同時に、小さいながら声もはっきりと聞こえる様になっていた。


(あっ、そういえば……。)


 この後の流れは、「華藏(はなくら)月子(つきこ)聖護院(しょうごいん)を殴り倒し、愛斗(まなと)に優しく微笑み掛ける。」だった筈だ。眼が覚めた時は、そこで記憶が途切れていた。誰かに殴り倒されたと思い出したのは、少し後の事だった。


(ん? 待てよ……? 何かおかしいような……。)


 愛斗(まなと)は微かな違和感を抱いたが、記憶はそれを置き去りにする様に流れていく。起きた事実の通り、聖護院(しょうごいん)は殴り倒され、愛斗(まなと)月子(つきこ)の穏やかな笑みを見詰めていた。

 屹度(きっと)それは、愛斗(まなと)が何よりも愛して已まない至上の美、そして安らぎであった。


 嗚呼、ずっとこのまま見詰めていたい、彼女のこの世のものとは思えぬ程美しく、そして優しい笑顔を。――叶わないと知りながら、愛斗(まなと)は切望を禁じ得なかった。


 だが、明瞭に聞こえる様になった自分の声が無情にも願いを押し流していく。


會長(かいちょう)……? まさか、會長(かいちょう)が先生を……?』


 あの時、愛斗(まなと)は彼女の行為に動揺しつつも直感した。この瞬間、目の前に居る少女こそが正真正銘の、(かつ)て自分を助けてくれた憧れの先輩、華藏(はなくら)月子(つきこ)なのだと。どういう訳か知らないが、今迄何らかの事情で華藏(はなくら)月子(つきこ)は全くの別人にすり替わっていたのだ、と。

 それを裏付ける様に、彼女はこれ迄の愛斗(まなと)に接してきた得体の知れない性悪な少女とは全く異なる態度を見せた。


真里(まり)君、今迄(いままで)苦しめて御免なさい。でももう大丈夫。彼等二人のこの二年に(わた)る計画は(きみ)の抵抗で頓挫する。再び私が戻って来られたのだから、もうあいつの思い通りにはさせない。』

『どういうことですか? 會長(かいちょう)貴女(あなた)は何を言っているのですか? どうしてこんな事に……? 一体何がどうなっているんですか……?』


 鈍器で人を殴ったというのに、その(こえ)(とろ)けそうな程甘く愛斗(まなと)の心を揺さ振る。まるで(いじ)めを受ける中で心のオアシスになってくれたあの頃の様に。

 しかし、愛斗(まなと)の問いに答えは返って来ない。

 彼女は何か悲壮な覚悟を決めた様な眼で目下の聖護院(しょうごいん)を見下ろし、そのまま愛斗(まなと)に逃走を命じる。


『行きなさい、真里(まり)君。そいつが(きみ)の中に入ってしまう前に。(わたし)の事は良いから、(きみ)は自分の事だけを考えなさい。』

『でも、會長(かいちょう)……。』

(わたし)は大丈夫。それよりも、早くしないと今度は(きみ)がそいつに乗っ取られるわよ。』


 依然、白い(もや)愛斗(まなと)の中に片足を突っ込んでいる。しかしその醜鬼の(かお)に見える頭の部分は憎々し気に彼女を睨み付けていた。対する彼女もその物体に視線を移し、仰ぎ見て不敵に笑う。


『貴様……! やっとここまで……! しくじったの……? 聖護院(しょうごいん)先生……何という様……‼』

『お前の身の程知らずな夢も此処(ここ)迄ね。そして、やっと出て行ってくれた。何を企んでいたかは……(おおよ)そ見当が付くけれど、逆に(わたし)がこの腐れ縁を終わりにしてやるわ。』


 自分の姿を(かたど)る何者かに対して強気な言葉を吐く彼女だが、その表情に普段の(かお)が見せていた溌溂(はつらつ)とした瑞々(みずみず)しさは欠片も見当たらず、明らかに衰弱している。

 そして、彼女にとって更に悪い事に、横たわっていた聖護院(しょうごいん)藻反々々(モゾモゾ)と動き出していた。


『ううううぅっッ‼』


 聖護院(しょうごいん)は渾身の力を振り絞る、といった様子で月子(つきこ)の身体を押し倒した。


聖護院(しょうごいん)先生……っ! 生徒に対して随分乱暴をするのね……!』

『貴様は……貴様だけは……‼』

『よくやったわ、聖護院(しょうごいん)先生‼ そのまま抑えていなさい。少々予定は狂ったけれど終わらせるわよ!』


 確かこの時、愛斗(まなと)は考えた。無い頭で考えていた。

 この状況、明らかに月子(つきこ)の分が悪い。何とかするには、自分が動くしかない、と。


 だが、今ではそれが間違いだと解る。状況から察するに、愛斗(まなと)の味方なのは白い(もや)こと憑子(つきこ)聖護院(しょうごいん)の方だ。あの狂おしくも甘い安らぎを(もたら)した少女、その中に入っている者の正体こそ、(おぞ)ましい邪悪なのだと解ってしまう。


 しかしその矢先、愛斗(まなと)の視界が揺らいだ。不倶戴天の敵に愛おしさを覚えてしまった嫌悪感からではない。頭の痛み、明らかに自身に異変が起きた。

 何が起きたのか理解出来ない儘、愛斗(まなと)は朧気な意識でこの場の者達の声を聞いていた。


貴方(あなた)はっ⁉』

『な、何故君が此処(ここ)に⁉』

『念の為に誘き出しておいて、どうやら正解だったようね。さあ、先刻の言葉通り終わりにしましょう。』


 その後、(ガン)という音が響いて人の声は愛斗(まなと)の意識に全く届かなくなった。夢に記憶を振り返っている愛斗(まなと)は、この時誰かに殴られたのだと察した。


(誰だ……? (ぼく)を殴ったのは誰なんだ?)


 愛斗(まなと)は仰向けに倒れる中で、一瞬だけ下手人の顔を仰ぎ見た。


(お前は……‼ やっぱりお前だったのか……‼)


 痛絶なる記憶が解き明かされると同時に、愛斗(まなと)は目を覚ました。時は丁度、火曜日の朝を迎えていた。



☾☾



 朝食を済ませた愛斗(まなと)は玄関から出ると、周囲に警戒の視線を送りつつ駅へと向かった。懸念しているのは敵の襲撃は勿論(もちろん)の事、竹之内(たけのうち)灰丸(はいまる)ら『裏理事会』に見つかるのも厄介だと思っていた。本来は今日も訓練の予定が入っており、愛斗(まなと)はこれをサボる形で別の予定へ向かおうとしているからだ。


(きみ)は本当、勝手な事をするのね。』


 憑子(つきこ)は呆れた様に呟いた。愛斗(まなと)がこっそりと抜け出すのはこれが初めてではない。以前にも、食欲不振から半ば無理矢理連れて行かれた保健室を黙って抜け出し、假藏(かりぐら)學園(がくえん)の不良と揉めた事がある。


「今となっては……色々と懐かしい思い出ですね。」

『そんなに日数経ってないでしょう。精々二週間前の話じゃない。』

「そうでしたね。あれ以来、何だか昨日一昨日が遠い昔の様に感じてしまって……。」


 愛斗(まなと)は道を歩きながら、思い出す。

 あれが切掛(きっかけ)で知り合った紫風呂(しぶろ)来羽(くるは)は今も昏睡状態が続いているらしい。変で迷惑な男だったが、『闇の逝徒會(せいとかい)』に利用された挙句この様な目に遭ったのは流石に気の毒に感じていた。

 そしてもう一つ、その前に保健室へ行く事になったのは、これから遊びに行く相手の西邑(にしむら)龍太郎(りょうたろう)に食欲不振を心配されての事だった。


 愛斗(まなと)はそんな西邑(にしむら)と、今日どうしても会いたかった。昨日偶然会ったのは僥倖(ぎょうこう)だったと言えるだろう。


『ま、(きみ)はこうなったら止めても聞かないものね。熟々(つくづく)、生意気な子だわ。』

「そりゃ済みませんでしたね。」


 そんなこんなで追憶したり憑子(つきこ)と言い合ったりしながら、愛斗(まなと)は最寄駅から電車に乗って待ち合わせ場所へと向かった。



☾☾



 いつもの待ち合わせの駅、改札を出ると、例によって西邑(にしむら)は読書をしながら待っていた。


「よ。」

「ああ、来たか。で、何処(どこ)へ行く?」


 彼は珍しく本から目を離し、愛斗(まなと)に行き先の選択を委ねてきた。


「いつも通りで良いよ。まず、切りが良い所までゆっくり読めよ。」

「そうか……。では、もう少しでこの本も読み終わるのでな、最後まで待って貰おうか。」


 西邑(にしむら)は再び本へと視線を戻し、(ページ)を捲り始めた。何気に、終わりまで読むと言い出したのはこれが初めての事である。心無しか、普段より西邑(にしむら)の読書のペースが遅い。

 愛斗(まなと)は黙って待ち続ける。思えば最初は、待たせた分だけ待たされる、という理屈で先に来た西邑(にしむら)の読書を愛斗(まなと)が待つ慣例が出来たのだった。曰く、この時の西邑(にしむら)の読書量は愛斗(まなと)を待った時間に基づいて配分されるのだという。


(そんなに……何を待たせたんだ?)


 西邑(にしむら)のペース配分に(わざ)とらしさを感じる愛斗(まなと)は、ふとその意味に考えを巡らせる。が、答えが出てくる訳も無かった。とも有れ、(しば)しの時間の後、西邑(にしむら)は手持ちの本を読み終えた。


「待たせたな。では、何処(どこ)から行く?」

「それもいつも通りで良いって。書店に行って、古本屋へ行って、その後は図書館だろ?」


 とことん自分の趣味に付き合おうという愛斗(まなと)の言葉に、西邑(にしむら)は一瞬(いぶか)しげに眼鏡の奥で鋭い目を更に細めた。だがそれは何かを察した様に閉じられ、(うれ)いを帯びた様な小さな溜息の後に何事も無かったかの(ごと)く元に戻った。


「では、行くか。いつも通り……。」

「ああ。」


 もう何回目か分からないが、彼らは西邑(にしむら)の趣味として大型の書店、古本屋、図書館を巡り、軽い昼食を取った後に本題の目的地へと向かう。



☾☾



 この日の行き先はカラオケボックスだった。


「平日の昼間に高校生が行くと流石に変な目で見られるな……。」

「そうだな、西邑(にしむら)。だがま、人が少なくて好都合だよ。」


 この場所を指定したのは愛斗(まなと)だった。そこには、実は憑子(つきこ)も一枚噛んでいる。


『じっくり話すなら個室の方が良い。そうよね、真里(まり)君……。』


 実の所、愛斗(まなと)の目的は歌う事ではない。憑子(つきこ)はそれを本人から聞いた訳ではないが、何となく察した様でそれに適った場所を提案した。

 そして西邑(にしむら)も、曲を入れようとはしなかった。


()て、どういう風の吹き回しだ? 真里(まり)(きみ)は歌が苦手だった筈だが?」

「ん、ああ。ま、一寸(ちょっと)話がしたくてさ。」


 愛斗(まなと)はそう言うと、放送の音量を零にして部屋から余計な音声を除いた。


「話? そんな物はいつもしているだろう。」

「いや、もっとこう、二人で落ち着いてゆっくり話がしたかったんだ。」


 西邑(にしむら)はペンと手帳を取り出すと、何やらメモ書きを走らせた。そして指で眼鏡を上げると、また一つ小さく溜息を吐いた。


「聴こうか。」

「そうだな……。先ず、(ぼく)はお前に感謝しているよ。()(ぼく)生徒會(せいとかい)に関する記憶がごっそり抜け落ちていた頃、連休明け直ぐから(ぼく)に協力すると言ってくれたのはお前が最初だった。」

「別に、そう大袈裟な物でもないさ。(わたし)は唯、(きみ)に興味が有っただけだ。」


 愛斗(まなと)は一つ呼吸を置くと、話を続ける。


「それでさ……。あの時、お前は(ぼく)生徒會(せいとかい)役員だって知らなかった訳じゃん。だからこそ、學園(がくえん)の為に動こうとする(ぼく)の行動を狂気だと思って、それで観察したいと言い出した。」

「ま、そうだな。」

「でもさ、お前(ぼく)が元々中高一貫コースだってのは覚えてたんだよな。二つの學園(がくえん)が融合したあの時、(ぼく)を過去に虐めていた連中が假藏(かりぐら)送りになったと教えてくれたのはお前だった。」

「そうだったかな? まあ、生徒會(せいとかい)に立候補する切掛(きっかけ)がその時の華藏(はなくら)會長(かいちょう)に憧れたからだというのは遠因であっても、(きみ)生徒會(せいとかい)役員だったという事実に直接は関係無いからな。記憶操作の対象外だったんだろう。」

「いや、戸井は覚えていなかったんだよ。」


 戸井は愛斗(まなと)に覚醒剤の出所の噂を話した時、愛斗(まなと)が中高一貫コースに居た事をまるで知らないかの(ごと)き口振りだった。人の噂が三度の飯より好きな彼女が愛斗(まなと)のそんな事情を把握していない筈が無い。つまり、西邑(にしむら)と違って彼女はこの事実を忘れていたのだ。


「……それで?」

西邑(にしむら)(ぼく)はこれを偶然だと思っている。基本的にはほんの些細な、どうでも良い事だと思っている。でも、親友のお前を誰よりも信じたいからこそ()かなければ気が済まないんだ。」


 西邑(にしむら)のメモ書きがまた走った。しかしその手付きはいつもと違い乱雑で、(いささ)か震えている。


「金曜日さ、西邑(にしむら)、約束をドタキャンして悪かったと思ってる。あの後、(ぼく)竹之内(たけのうち)先生に着いて行くって事、話したよな? その後の事件、ニュースで見たか? (くろがね)の奴が(ぼく)を誘き出す為に、あんな遠い場所でテロを起こしたんだ。どういう訳か、(ぼく)があの近くに居ると知っていたかのように……。」


 西邑(にしむら)は手を止め、固く目を閉ざして眉間に皺を寄せた。今この瞬間、愛斗(まなと)の言葉で親友は戻れない一線を超えようとしていた。


「『學園(がくえん)の悪魔』に関わった人間だけは、生徒會(せいとかい)役員としての(ぼく)會長(かいちょう)の記憶があった。覚醒剤を通して踊らされていた海山(みやま)先生も、(ぼく)生徒會(せいとかい)役員だって覚えていたんだ。」


 愛斗(まなと)は固唾を飲み、意を決して西邑(にしむら)に尋ねた。


西邑(にしむら)、あの夜最後に(ぼく)を殴り倒したのはお前だよな? お前、最初から『學園(がくえん)の悪魔』に関わっていたよな? (ぼく)との友情に誓って間違いだと言えるなら、(ぼく)の事を殴ってくれ。その痛みの方が、(ぼく)にとってはずっとマシだから……。」


 愛斗(まなと)は胸の痛みを、あの夜よりもずっと辛く感じていた。激痛ではないが、刺苦々々(シクシク)痛む感覚が耐え難かった。言葉の一つ一つが心臓、肺、喉、そして口に強い異物感を与えた。

 西邑(にしむら)は手帳を机に置き、ペンを強く握り締めていた。カラオケボックスにそぐわない、嫌な沈黙が流れた。

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