第五話 逝徒會
死は汎ゆる命にとって最後の花婿である。
愛がどれ程深く、重く、切なく、苦しくとも、それは決して覆らない。
ここでいう彼が抱いた嫉妬とは、愛する者の心を死に略奪された大き過ぎる絶望なのだ。
――音楽ライター・鹿目理恵著、『青い血の鎮魂歌』より。
奇妙な夜が明け、身に覚えの無い惨劇の痕が残された雨の山道。
突然脳内に語り掛けて来た声に対し、真里愛斗は困惑気味に問い掛ける。
「どういう……事だ? 僕はどうしてしまったんだ⁉ お前は一体何なんだ‼」
『今はどうでも良いから、自分の置かれた状況を考えてみなさい。君以外の生徒會役員全員が、君に居た堪れない思いをさせ続けた憎き相手達が、君の目の前で死んでいるのよ。こんな所を見られたら、誰だって真っ先に君を疑うわ。』
声を聞いた愛斗は考える。この異常な状況、拙い事は確かだ。
だが抑も、何故こんな事になっているのか。思い出してみると、事此処に至るまでの経緯、その記憶は余りにも常軌を逸していると言わざるを得ない。
愛斗は親友の西邑龍太郎から奇妙な話を聞いたことがあった。
曰く、人の精神は如何なる状況も潜在意識が求める儘に作り出してしまう事が出来るのだ、と。
ならば自分は昨日の夜から何処か変だったのではないか。本当はここにある死体の山と、自分だけ生き残っている事実が示す推測こそが真実で、今尚華藏月子の声に似た幻聴を作り出すことで都合良く逃げようとしているだけではないか。
「そう……だ。屹度それが現実なんだ……。生徒會の皆を殺したのはこの僕で、狂った僕は誰よりも心の中で大きくなっていた月子會長の慰めを都合よく生み出しているに過ぎないんだ……。」
そうでしょう、と愛斗は宙吊りに為っている月子の死体を見上げ、問い掛けた。
当然、彼女の表情は微動だにしない。
若しかすると幻覚で笑い掛けてくれるのではないか、と期待したが、外されてしまって少しだけ残念だった。
自問自答、そして被害者への問い掛けに、声は消え去ってしまった、かに思われた。
しかし暫しの間を置き、声は彼の予想もしない答えを返して来た。
『だったら自首すれば?』
「え?」
『そこまで思って、私の事も自分自身の事も信じられないのなら、一層自分が殺しましたって警察にでも駆け込めば良いわ。別に、それで事件は一件落着するでしょうし、何の不都合も無いでしょう? 君の人生なんて、台無しになったところで世の中の損失は高が知れているもの。』
都合の良い妄想だと思っていた月子の声に突き放され、愛斗は困惑を覚えた。
そんな彼の想いなど一顧だにする価値も無いと許りに、声は続ける。
『抑も、都合の良い妄想なら生徒會役員の死体が見える時点でおかしいでしょう。一番隠したい現実だけ見る位なら、死んだ彼等とこれからも変わらず過ごす幻覚に生きるくらいまで狂いなさいよ。その方が、私達が優しくなった妄想だって出来るんだから、君にとっても嬉しい筈じゃない。』
愛斗は思い出した。
嗚呼、月子會長ってこういう人だ、と。
いつもいつも、昨晩だって彼女は自分の意思が絶対で此方の都合や考えなど歯牙にも掛けないのだ。
彼は恐る恐る声に尋ね返してみる。
「幻聴じゃないと、そう思って良いんですね?」
『君が考えたい様に考えれば?』
「じゃあ、良いですよ。解りましたよ。」
依然として、声は答えをくれない。ならばもう、一層の事そういう事にしてしまおう。これが狂気の産物ならば、最期まで身を委ねて狂い果ててしまおう。どうせこんな状況、正気で居られる筈が無いのだから。
「貴女を信じますよ。自分の無実を信じて立ち回りますよ。」
『そう。だったら私の言う通りにしなさい。一旦第一合宿所に戻るわよ。』
愛斗はなるべく現場を荒らさない様に、痕跡を残さない様に注意し乍ら、その場から立ち去った。
☾☾☾
第一合宿所に戻った愛斗は再び襤褸々々の納屋で埃に塗れ、顔を顰めていた。
『掃除しておきなさいと言ったでしょう。』
「僕に出来る限りの事はやったんですよ、これでも。」
『じゃあ君は掃除も真面に出来ない無能だという事ね。』
「もう半年も一緒に居るんだから能力と仕事の兼ね合いを考えて欲しかったですけどね。」
今までの愛斗からは想像も出来ない程、声の主への反論がすらすらと浮かぶ。恐らく相手の声だけで月子の姿が見えない事と、何だかんだで自分の妄想を相手にしているという疑惑を拭い切れない事が彼の態度を却って強気にしているのだろう。
『成程、そういう事なら私にも考えがあるわ。』
声がそう言うと、愛斗の目の前に彼の身体から白い靄が噴き出して来た。
そしてそれは、次第に月子の姿形を採って行く。
「うわあ! 華藏會長‼」
『この姿を前にすれば、少しは元の萎らしく可愛い真里君に戻るかしら?』
確かに、愛斗は彼女の姿を見るだけで驚いて腰を抜かした。
そんな彼を見て、彼女は得意気な笑みを浮かべる。
『さて、時間的にもうすぐ昨日頼んでおいた朝食の出前が来るわ。君はそれを自然に受け取り、食べ始めなさい。こんな汚らしい場所だけれどね。因みに教えておくけれど、メニューはおにぎりが二つ、梅と鮭。それから、茹で卵と唐揚げが一つずつ、後は法蓮草の炒め物が和えられた少々のシンプルな軽食よ。』
「うっ……‼」
愛斗の脳裏に電流が走った。
彼女が態々朝食の内容を告げた理由、それは愛斗が知る筈も無い情報を与える事によって、自らの存在を彼の妄想ではないと証明する為だろう。その意図をすぐに察し、愛斗は言葉が出なかったのだ。
『思っていたより察しが良さそうね。答え合わせはすぐよ。多分、その後配達員は第二合宿所に向かうでしょうけれど、当然そこには受取人である筈の私達が居ない。その時初めて、私達の行方が不明であると判明するのよ。』
そういう事なら、出前が来る前に目が覚めて戻って来られたのは幸運だったかもしれない。受取人が誰も居ないと配達員は不審に思い、學園の職員に尋ねるだろう。そして捜索が行われ、禁域であの様な状況を発見されれば愛斗は彼女が言った通り殺人の罪を濃厚に疑われるに違い無い。
『勿論、すぐに動くのは駄目よ。君は取り敢えず、配達員から私達の分の食事を受け取りなさい。受け渡しさえ済んでしまえば、配達員もそれ以上の追及はしないでしょう。』
彼女曰く、愛斗以外の生徒會役員が行方不明であると他人が気付く、という過程が重要であるとの事だ。これには愛斗も納得した。
「その後は、どうするんですか?」
『まさか放っておく訳には行かないでしょう? すぐに職員室へ行き、宿直の先生に連絡しなさい。私達が消えた事は御家族に直ぐ連絡されず、學園の関係者だけで捜索が始まるでしょう。あの時の様にね……。』
「あの時?」
愛斗は彼女がまるで前例の存在を知っているかの如き言葉を漏らした事に引っ掛かりを覚えた。
すぐに彼女も失言に気付いたのか、取り繕おうとする。
『何でも無いわ。今は忘れなさい。兎に角、君は全て他人を介してこの件に関わるのよ。良いわね?』
彼女はそう告げると愛斗の目の前から霧散するように消えてしまった。まるで逃げる様にも見えたが、その理由はすぐはっきりとする。
☾☾
程無くして朝食の出前が配達されたので、愛斗は手筈通りに全員分を受け取り、配達員を見送った。
そして、少し時間を置いて職員室へ向かい、国語教師の海山富士雄に役員達が消息を絶ったことを伝えた。
海山は先日愛斗の授業態度を注意して以来彼の事を快く思っていないと露骨に解るほど目の敵にしている。当初も彼の言葉を信用していなかったが、愛斗が引き下がらなかったため露骨な溜息を吐いて一件を引き継いだ。
「わかったわかった。この件は此方で対処するから、お前はもう家に帰ってろ。」
「え? 警察を呼ぶとか、事情聴取とか、そういうのがあるなら残った方が良いんじゃ……。」
「あったとしてもお前に話が行くのは長引いた時だけだ。すぐ見付かればそれでお終いだろうが。」
本当に内々で解決するつもりなんだ……。――愛斗は月子の靄が言った通りになって内心少し驚いていた。
海山は明らかに面倒事を押し付けられたと迷惑がって眉間に皺を寄せている。
「全く……。聖護院先生といい生徒會といい、今迄真面目だった人間が何をやっているんだ……。」
「聖護院先生……がどうかしましたか?」
数学教師・聖護院嘉久の名前が出た事で愛斗は昨晩の出来事をまた思い出した。
「まさか、あの人も?」
「おっと、つい口が滑った。まあ良い、誰にも言うなよ? 実は今日、俺が宿直をやっているのはあいつの代わりなんだよ。連絡が付かないっていうからな。お陰でこっちは休日返上だ全く……。」
海山の対応が終始横着気味で冷たいのも彼の立場からすれば無理からぬ事なのかも知れない。
しかし、同僚は兎も角生徒の身の安全が懸かっている話なのだからそこは一旦忘れて真摯に対応する責任が有るのではないか、と愛斗は海山に不信感を覚えた。
『どうせこんなものよ。ここは海山先生の言う通り、家に帰りなさい。』
「わかりました……。では、僕はもう帰りますね。又何かあったら呼んでください。」
「無い事を祈るよ。色々と、な。」
海山は愛斗に対しても皮肉をぶつけたが、気付かない振りをして一礼し、職員室を後にした。
そしてすぐに昼の出前のキャンセルを連絡した。
出前相手を知らなかった愛斗にまた声が連絡先を教えた事で、愈々声は彼にとって現実味を帯びてきた。
その後、バスに乗って帰宅する迄は頭の中に声が聞こえてくることは無かった。
バスに揺られながら愛斗は、死体が見つかった時に結局自分が疑われる事に変わりは無いのではないか、と思い煩わされながら海山からの連絡に身構えていた。
☾☾☾
家に帰った愛斗は真っ先に母親の許へ行き、海山からの連絡が無かったかと尋ねた。母親は首を傾げ、特に何も無いと答えを返した。
『やっぱりね……。』
自分の部屋のベッドに荷物を置き、椅子に坐って机に向かうと、沈黙を貫いていた声が再び彼に囁いた。
「何が『やっぱり』なんですか?」
愛斗は再び声に鎌を掛けた。声が自分の幻聴でないと証明するには、自分の想像も及ばない事を言わせるしかない。考えてみれば朝食の出前の内容は、偶然当てられる事が在り得ないでもない。昼の出前は昨晩及び朝とは違う店という事である程度消去法が効く。
そんな彼の前に、再び白い靄が集まって華藏月子の姿を顕した。
『先に言っておくわね、真里君。心配しなくても、學園の禁域で生徒會役員の死体が見つかる事は無いわ。』
「どういう事ですか?」
『死体はもうあの場所には無いのよ。』
愛斗は彼女の言葉を意外に思ったが、同時に荒唐無稽とも思えなかった。あれだけ目立つ形で七人もの人間の死体が山道に放置されていたら、人手を出せば幾ら禁域とはいえ一日探して見付からず、此方に連絡して来ない訳が無い。
「誰かが動かしたという事ですか? ひょっとして連絡の付かない聖護院先生が……。」
『どうかしらね……。』
彼女はまたしても答えを逸らかした。
「あの、そろそろ教えてくれませんか? 華藏會長、昨晩貴女は聖護院先生と一緒に僕の事を巻き込んで、何をしようとしていたんですか?」
愛斗は彼女に全ての核心を問い掛けた。
いい加減にそれを話して貰わなければこれからどうすれば良いのか、訳が解らない。
『真里君、我が華藏學園には想像を絶する〝闇〟があるのよ。』
「闇……?」
『そう。生徒會役員を殺したのは華藏學園の〝闇〟と、それを利用しようとした一人の悪魔なの。私はその〝闇〟を暴き、悪魔を殺そうとした。しかし、逆に肉体を失って、君に取り憑いて存在する他無いこんな有様になってしまった……。』
彼女が言う、華藏學園の「闇」。昨日の夜、禁域に入る前に電話で彼女から仄めかされた、古い建物が多過ぎる理由。態々異界へ通じるオカルトスポットに學園を建てた事に何か関係があるのだろうか。
「なってしまった、じゃないですよ。悪いけど僕にとっては良い迷惑だ。」
『そうね。私もまさか真里君と共同生活をする羽目になるとは思わなかったわ。でも、解消する為には君にも一肌脱いで貰う必要がある。』
「僕にどうしろと言うんですか?」
愛斗の問い掛けに、月子の姿をした靄はその双眸を鋭く光らせて小さく笑った。
『君が私の遺志を継ぎ、學園の闇を暴くのよ。謂わばこれは、私が君と一緒に取り掛かった大仕事、そのやり残し。私たち生徒會の最後の後始末よ。』
「ええ⁉ そんなこと言われても、僕には學園の『闇』と云うのが何の事なのかすらさっぱり……。」
『心配は要らないわ。』
愛斗の不安と不平を彼女は一蹴する。
『どうせ明日には、學園中にその〝闇〟が襲い掛かる。生徒會最後の役員として、君は生徒達をその〝闇〟の毒牙から守りなさい。』
「華藏會長……そんな無茶な……。」
『無茶だと弱音を吐いている場合じゃないし、そんな事はこの私が許さないわ。これは會長命令。尤も、今は〝生徒會長〟なんて名乗れないわね……。』
そう言うと彼女の靄は愛斗の身体に入り込んだ。
何事か、と思っていると愛斗の身体が意思に反して動いていく。
「な、何が……?」
『何って、私が君の身体を動かしているのよ。』
声は頭の中でいけしゃあしゃあと告げると、ノートにボールペンで文字を書いていく。
『良い? 華藏月子を始めとした生徒會役員はあの夜死んだ。即ち、私は今や生きた學徒ではない。』
愛斗の手が三文字の漢字を書き終えた。
『私達が今から名乗るべきは、〝逝徒會〟。そして私は君に取り憑く意識の残骸。即ち……。』
再び文字が書き記されていく。今度は二文字だ。
『私の事は〝憑子會長〟と御呼びなさい。』
愛斗は自らの身体に自分の意思が戻ったのを感じながらも、その二つの言葉、たったの五文字から目を離せずに凝視していた。
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