第四十七話 試練と修練の場
教育こそ、人類の財産である。神秘こそ、人類の希望である。
――華藏鬼三郎
和装の寝室で敷かれた布団に腰掛ける真里愛斗、戸井宝乃、竹之内文乃に、家の主である竹之内灰丸は静かに話を続ける。
「華藏學園創立の目的は当に祠の力の研究でした。何を隠そう、我々裏理事会も元はというとその為の組織だったのです。」
「そうなのですか?」
愛斗達は學園長の大心原毎夜から裏理事会の目的について、祠に纏わる『學園の悪魔』と戦う事であり、その為の戦力を集めるべく推薦枠が設けられたと聞かされていた。
「確かに、現在では専らそのリソースは『學園の悪魔』への対抗策に終始しております。ですが何故そうなったかというと、抑も華藏學園が祠を研究する中で悪魔の存在を暴いた事で、その脅威に気付いたからです。そこで当初の目的を放棄し、悪魔と戦い最終的に滅ぼす事を目指す様になったという訳です。」
『当初の目的……?』
愛斗の中から憑子が疑問を呈した。
『それは、この世界の歴史を循環構造から解き放つ事、で良いのかしら?』
「その辺りは少々複雑でしてね。また、學園の負の側面を暴く事にもなる……。」
竹之内翁は眉間に皺を寄せ、少し困った様な表情をして腕を組んでいた。説明が難しい、という事だろうか。
「まあ、その辺りはまた明日聞いてみれば良いでしょう。真里君にはやって貰わなければならない事が在りますし。」
「僕がやらなければならない事?」
「ま、今回の旅の第二の目的といった所でしょうかな。貴方には私達、裏理事会の『通過儀礼』を受けて頂かなくてはなりません。その為に、明日も私と同行して貰いたい。」
娘の文乃が祖父の方へ視線を遣った。彼女は竹之内翁の真意を直ぐに察したらしい。
『成程、あの場所であれを行うという訳ね……。』
憑子にも心当たりが有る様だ。以上の情報と、裏理事会の通過儀礼と言う名目から、愛斗も何となく目星が付いた。
「若しかして、そこで『闇の眷属』との戦い方を教えて頂けるのですか?」
「中々勘が宜しいですな。御明察の通りで御座います。」
昼間の電気街に於ける事件で愛斗が難儀したのは、鐵自由を相手に決定打となる攻撃手段が無かった事だ。確かに、今後彼の主である『學園の悪魔』と戦う事を考えると、このままで良い筈が無い。理事長からも戦う術を身に付ける事は要求されており、早くもその機会が巡って来たという事か。
「解りました。明日は宜しく御願いします。」
愛斗は竹之内家の二人に頭を下げた。愈々、闇への反転攻勢に向けて本格的な準備が始まる。
と、そんな所へ穏やかだが不機嫌そうな中年女性の声が不意に聞こえてきた。
「話は御済みですか?」
「あ、ああ……。」
竹之内翁は愛斗の背後に強張った笑みを向ける。振り向くとそこには腕を組んだ彼の妻が立っていた。
「確か貴方にはお風呂の準備をお願いしていた筈ですが、もたもたしていてはお客様が何時まで経ってもお休みになれないのでは?」
「然様で御座います……。」
しょぼ暮れた顔で渋々、竹之内翁は妻から言われた用事を済ますべく立ち上がり、寝室を去って行った。妻はそれを見送ると、「やれやれ。」といった様子で溜息を吐いた。
「あの、大変ですね……。」
戸井が恐る恐る彼女に声を掛けた。愛斗と同じく、竹之内翁の為人の駄目な部分を戸井もまた何となく察している様だった。
そんな彼女に、竹之内の妻は笑顔で答える。
「ま、それを承知で結婚しましたから。あの人、元はというと私の先生でね。丁度、私が卒業する間近になって前の奥さんを亡くされて何も出来なくなったあの人を見て、ね……。」
彼女が竹之内よりも一世代若い事には少々事情が有るという事だ。同時に、彼女は竹之内翁が当初よりこういう駄目な人間だと判った上で結婚を受け容れたらしい。
尚、文乃は彼女の子ではなく、竹之内が前の妻との間に設けた連れ子である。
「確かに、あの人は色々と駄目な人ですよ。でも、私は別に後悔はしていませんよ。そういう所も含めて、好きになってしまったんですもの。色々と余計なお世話を焼こうとする人も居ますけれどね。」
惚気話をする彼女は、相応に皺の刻まれた顔に屈託無く笑顔を咲かせた。
「誰が何と言おうと、今私は幸せですよ。そう私が自覚している、それ以上の何が必要なのか、私には解りかねますね。」
取り留めも無い、よくある夫婦仲についての会話だった。そんな普通の話が聞けたことは、ここ数日間すっかり非日常の異様な世界に浸かり切っていた愛斗にとってある種の癒しだった。
こうして、愛斗と憑子、そして戸井は學園から遠く離れた地で金曜の夜を経て週末を迎える。
☾☾☾
翌日、愛斗と戸井は竹之内灰丸、文乃と共にタクシーで目的地へと移動した。
竹之内翁曰く、もう彼も歳だという事で運転免許は返納済みだという。本人はまだまだ運転できるつもりでいたが、妻に危なっかしいと言われて渋々従ったらしい。如何にも彼らしいエピソードである。
タクシーを下車し、暫く山を登っていく。因みに、早々愛斗は一人の老人を背負う羽目になった。如何に二倍の力が有るといえど、これから戦う術を習得しようという人間もそれ以前から負荷を掛けるのはどうなのか、という話だが、確実に場所を知っているのが竹之内翁だけなので仕方があるまい。
「憑子會長や文乃さんは御存じないのですか?」
『今の私は記憶力に自身が無いわ。』
「ここから先の道は複雑なのです。何度も来なければ完璧に把握する事は出来ません。一人で帰ろうとしても、確実に道に迷うでしょう。」
文乃の言葉は即ち、これから愛斗が逃げられない状況に置かれる事を暗に示していた。序でに、憑子が愛斗との脳の共有を惜しむのも久し振りである。
「まあ、いきなり訓練を始める訳ではありません。その前に、少々お時間を頂きたい。」
「何かあるのですか、竹之内先生?」
「昨日お話しましたでしょう? 學園が創立された当初、『學園三巨頭』が何を目的としていたのか、その話を聞いて貰おう、と……。」
文乃の言った通り複雑に入り組んだ山道を進む愛斗達の前に、見覚えの有る光景が見えてきた。
「あれは……。」
「もう一つの……祠?」
彼等が辿り着いたのは、學園の山道に在る祠と同様のものだった。假藏學園のものと合わせると三つ目、華藏學園の者が本物だとすると、二つ目の形代だという事になる。
「假藏學園の物と比べて距離がある為、普段は互いに機能しないのですがね。此方は此方で結構重要なのですよ……。」
竹之内はそう言うと愛斗の背中から降り、祠の観音開きに手を掛けた。
『あれは……!』
祠の中に安置されていたオブジェに愛斗と憑子は見覚えが有った。蜘蛛の形をした奇妙な器、華藏學園の祠に在ったものと同じだ。
「この蜘蛛が何を意味するのかは判っておりません。まあ、嘗て神武東征で服わぬ勢力を土蜘蛛と呼んだりしたそうですが、関連は不明です。祠は今のところ、全国に四ケ所、此方東方にはあともう一つ見付かっており、その全てにこの様な物が祀られているのです。祖父の調べに拠ると、旧文明の時代、歴史の闇に暗躍した四人の闇の眷属が居たそうですが、祠の数との符合は興味深いですな。」
そう言うと、竹之内は手を叩いた。
「一つは二つに。どうぞお出でくださいませ。」
それは丁度、全ての始まりだった惨劇の夜に数学教師・聖護院嘉久が唱えた言葉と同じだった。祠の力の一部を端的に示す言葉、もう御馴染のものだ。
しかし、今回白い靄が噴き出たのは誰かの体ではなく、蜘蛛のオブジェからだった。しかも、一つでは無く三つ。それらは夫々見覚えの有る三人の人型を模っていく。
「あ、まさか……。」
「昨日言いましたね。彼等は未だこの世に存在し続けていると。」
昨日、竹之内の研究室で見た写真の三人、『學園三巨頭』こと華藏鬼三郎――華藏月子と憑子の高祖父、聖護院稔久――聖護院嘉久の曾祖父、そして竹之内斧丸――竹之内灰丸の祖父である。
「お久し振りで御座います、學園の偉大なる創設者達、『學園三巨頭』の御三方……。」
『うん、裏理事会の戦力増強か。状況は解っている。』
真ん中の老翁が小さく頷いた。一人年代が違う彼こそ、間違いなく全ての始まりの人物、戦前の豪商・華藏鬼三郎だ。
愛斗も戸井も、そして憑子も驚きを隠せなかった。
『曾々御爺様……! まさか此処にずっといらしたなんて……‼』
愛斗の身体から憑子が白い靄となって噴き出し、華藏月子の姿で高祖父達と向き合った。三人の男を模った白い靄達は彼女に白羽の矢を立てている。
「ふむ、戦う術を会得するだけならば、態々彼等と会う必要は有りませんからな。聖護院先生にとっても、引き合わせる理由は無かったのでしょう。」
竹之内が言う様に、憑子は一度この祠を訪れた事がある。それは当に、聖護院嘉久に教えを乞い闇と戦う術を身に付ける為だった。
『昨日、刺青の少年が行った余りの蛮行……。例の悪魔が本格的に動き出したのだと嫌でも解る。戦力を急増せねばならんことも。』
向かって左の靄、竹之内斧丸曰く、鐵自由が行った大規模な殺戮から彼らが事を察したらしい。
しかし、その上で今度は向かって右の靄、聖護院稔久が続ける。
『しかし、闇の眷属と戦う術は一朝一夕で身に着くものではない。其処な少女はまずものにならんだろう。』
「承知しております。しかし、少年の方は可能性が有ると、御三方もお判りになると存じますが……。」
どうやら戸井が戦いに加わることは出来ないらしい。だが、愛斗にはとある理由から見込みが在るとの事だ。
『確かに、少年は既に戦う術を身に着けた我が玄孫を身体に共存させておる。ならばその力の行使に体が慣れており、即席での体得も充分可能だろうな。』
華藏鬼三郎の視線が憑子から愛斗に移った。文字通り天の上の人間だと思っていた鬼三郎との対面に、愛斗の背筋は自然に伸び、体が強張る。
だが彼にはどうしても訊いておかなければならない事があった。
「は、初めまして。僕は真里愛斗と言います。貴方達が創立なさった華藏學園で四年間の時を過ごし、今五年目です。正直……既に亡くなられている筈の貴方達と御会い出来た事、大いに驚いています。」
鬼三郎の眉間に深い皺が刻まれる。しかし愛斗は臆さず続ける。
「不躾な質問だとは承知しております。しかし、僕は自分が戦う理由をきちんと知っておきたい。だからどうか教えてくださいませんか? 貴方達が華藏學園を創設した本当の目的と、今の今までこの様な形を取って貴方達がこの世に留まり続けたその理由を。」
意を決した愛斗の質問に、暫しの沈黙が流れた。『學園三巨頭』は彼を見定める様にじっと見詰めている。
すると、竹之内灰丸が愛斗に助け舟を出した。
「御先祖様方、話し辛い事は薄々察しております。しかしどうか……。」
『解っておる。』
孫の言葉を遮る様に、竹之内斧丸が答えた。
『彼は、彼等は元々、ただ我々の創立した學園に魅力を感じ、学び舎として選んでくれただけの罪の無い若者達だ。このような面倒事に巻き込まれる謂れも無く、剰え戦いに加わろうと言うならば当然知る権利が有るだろう。』
竹之内斧丸の言葉に続き、華藏鬼三郎が小さく頷いて語り始める。
『儂から話そう。全ての最高責任者としてな。真里とやら、古文書の話は聞いたか?』
「はい。」
『ならば、この世界の循環構造についても把握しておる事だろう。だから付け加える事があるとすれば、その循環構造を利用して我々が何をしようとしていたか、だ。』
「循環構造を、利用?」
愛斗は違和感を覚えた。昨日竹之内から聞いた話だと、學園の創設は循環構造を脱する為だった筈だ。
「どういう事なのですか? 僕の聞いていた話と異なる様ですが……。」
『丸切り違うという訳ではない。循環構造からは脱するし、その為に祠を研究しようとした。だが我々にとって重要だったのは、如何なる世界を以て循環を終えるかという事だった。』
風が木立を鳴らした。朝早いというのに、何処となく辺りに影が差している様だった。
屹度、これから語られる内容は楽しい話ではないのだろう。慣れ親しんでいた學園の、本当の真実は受け容れ難いものなのだろうと、愛斗達に予感させる様だった。
「つまり、それは今の世界ではない、と……?」
愛斗は恐る恐る尋ねた。若し答えがイエスならば、それは即ち『學園三巨頭』が今の世界の滅びを良しとしている事を意味する。
『我々にとって、今の世界であってはならない理由が有るのだ。今の世界は、一つの過ちを犯した。』
「……何だと言うのですか? 僕達の歴史が滅んでも良いと思える理由は……。」
愛斗は真直ぐに鬼三郎を見据え、問い詰める。その表情にはもう気後れの色は失せていた。
鬼三郎は更に眉間に皺を寄せ、低い声で徐に答える。
『敗けただろう。先の大戦で、日本は……。』
風がざわめきを強める。それは来る全容の狂気に怯えているかの様だった。
華藏學園に込められた暗い悲願、その全貌が今明かされ様としていた。




