第四十六話 旧人類時代
事件の現場となった電気街から少し移動し、真里愛斗と憑子、そして竹之内灰丸はタクシーを待っていた。
「鐵が散々やらかした後でしたけど、呼べるもんなんですね……。」
「まあ、結構歩きましたからな。」
『よく言うわよ。真里君に背負って貰った癖に。』
珍しく、憑子が愛斗の肩を持った。
今は何食わぬ顔で愛斗と並んで立っている竹之内だが、愛斗は彼を背負って一駅歩いている。
「おや、来たみたいですぞ。」
竹之内は逸らかす様に手を上げ、タクシーを止める。
「ささ、我が城の次は我が家へ案内いたしましょう。あ、こういう言い方をするのは我が家が到底この私の城とは呼べないからでして、今回も家内に無理を言っておりますので、どうか暮れ暮れも……。」
「竹之内先生、先刻僕に飛び切りの夕食を用意するって仰いませんでした?」
「ええ、家内は客人への持て成しには拘りが持っていましてな。」
愛斗は呆れてしまった。自分が突然招いた客人に最高の持て成しをすると大口を叩き、その持て成しは妻が成功させるだろうと何一つ悪びれるでもなく言ってしまう。おまけに本人は寧ろ尻に敷かれているつもりらしい。
知り合いとして付き合いを持つならば愛嬌のある人物だとは思うが、この自分本位さ、家族や親族になるのは御免だと感じていた。
とは言え、このままでは行く所が無いのも事実なので、愛斗は未だ見ぬ竹之内の妻に申し訳無いと思いながら、タクシーに同乗した。
☾☾☾
闇の中、聖護院嘉久は青白い顔で部屋の中央に横たわる棺を見下ろしていた。
中には蝋の様に冷たい顔付きで華藏學園一の美少女・華藏月子の身体が目を閉じ、寸分たりとも動かない。棺に繋がれた管は内部で彼女の体に繋がっている様で、禍々しい音を立てながら何やら液体を行き来させていた。
「何を……企んでいる……?」
聖護院は息も絶え絶えに独り呟いた。まるでこの部屋にもう一人、眼に見えない誰かが居る様である。
居るのは彼の体の中、『學園の悪魔』と呼ばれる一連の事件の黒幕である。
『お判りでしょう? この學園から、世界の構造を造り変えるのですよ。』
何処からともなく、聖護院の目下に横たわる少女・華藏月子の声が響き渡る。悪魔はいつも彼女の声で語り掛けてくるのだ。
「それは承知だ。私はその先、貴様の動機を知りたい。」
『そうですねえ……。』
嗜虐的な笑い声が小さく鳴る。
『例えば貴方は、何故戦争で人が死ぬと思いますか?』
「何の話だ?」
『何故人が人を支配し、一方がもう一方に負担を掛け、命すら犠牲にするのか……。』
現在進行形で夥しい犠牲を出し続ける悪魔の、奇妙な問い掛けだった。
答えようにも、聖護院は立っているのが精一杯という趣で、棺に両手を突いていた。
悪魔は自ら答えを出す。
『それはね、聖護院先生、この學園の、社会の、世界の構造がその様に出来ているからですよ。人類は何度も歴史を繰り返し、そして何度も同じ間違いを繰り返す……。先生も例の古文書の事、御存じなんでしょう?』
「竹之内……斧丸の……。」
聖護院もまた、學園三巨頭と呼ばれる華藏學園の創設に関わった三人の子孫である。その切掛となった祠に纏わる情報は一通り頭に入っている。
『この世界に人類が営々と築き上げてきた社会は、構造からして全ての人間に苦役と罪咎を強いるもの。構造的に不幸を生み出す社会に於いて得る幸福など贋であり、真の幸福たり得ない。だから、一度完膚無き迄に破壊してやるのですよ。人々は古い社会から解放されなければならない。搾取される側、苦しめられる側の運命は勿論の事、搾取する側、苦しめる側の運命を破壊し、精神と魂を解き放ってこそ真の幸福が得られるのです。自由という名のね。』
聖護院は眉間に皺を寄せ、怒りの形相を浮かべた。
全ての人間を死者とし、己の眷属とし、支配しようとする存在が一体何を吐戯くのか。――そんな滑稽を通り越した矛盾に対する怒りだった。
「自由だと……。貴様に何より似合わん言葉だな……。私を解放する気も無い癖に……。」
『心外ですね。全てが終わればそれも叶えてあげますよ。死を以てしてね。でも今は……。』
悲痛な叫びが谺する。もう何度目になるか分からない、拷問の激痛が聖護院を襲ったのだ。
闇は唯深く、悪魔が作ろうとする不穏な未来の絶望を孕んでいた。
☾☾☾
タクシーが停車したのは、土地柄として裕福な住民が多そうな住宅街の一角で、それなりに大きな居を構えた家の前だった。竹之内は支払いを済ませ、愛斗と共に下車した。
「近頃はタクシーの支払いも便利になりましたな。キャッシュレス、セルフ会計の流れがこんな所にまで及んでいるとは……。」
そんな取り留めのない世間話を始めようとした竹之内だったが、誰かの気配に気が付いて脇を向いた。
「おやおや、文乃ではないか。帰っていたのかね?」
「ええ、それともう御一方客人が……。」
竹之内とは似ても似つかない生真面目で固そうな雰囲気を纏った女、竹之内文乃と共に居たのは愛斗のよく知る人物だった。
「戸井……!」
「真里、無事で良かった……。」
愛斗の級友・戸井宝乃。『闇の逝徒會』との戦いには巻き込まれた彼女だったが、今回は自分から愛斗の後を追ってここまでやって来た様だ。
「継母様には既に連絡済みです、御父様。」
「ああ、それなら良いのだがね。寧ろ助かったよ。あいつも文乃には甘いからね……。」
愛斗は一人首を傾げた。竹之内の夫婦における立ち位置が今一掴めない。
「真里、私も付き合うけど、文句無いよね?」
「あ、ああ……。」
巻き込みたくないと言っても、もう手遅れである。ならば事情を知りたいという彼女の思いを否定出来るアイデアが愛斗には思い付かなかった。
「では、参りましょうか皆さん。ようこそ我が家へ。」
竹之内灰丸はさっさと自宅へ上がろうと門を潜った。娘の文乃に後から促されるまま、愛斗と戸井もそれに続いた。
この後、彼等は竹之内邸で二泊し、休日を消費して習得べきものを修める。
☾☾
竹之内の妻が愛斗達に出した夕食は、夫の言う通り腕に寄りを掛けたと能く解る手の込んだものだった。急な来訪者に合わせ、五人分を用意した彼女は所謂「良く出来た妻」なのだろう。年代的にそういう価値観でも不思議ではないのかも知れない。
「どうです。素晴らしいでしょう、家の料理は?」
食事を終えた愛斗達に、竹之内翁は誇らしげに尋ねる。確かに、素晴らしい出来栄えに愛斗も戸井も舌鼓を打った。
夫より一世代若いと思われる中年の妻は食べ終わった食器を黙々と片付けている。
「いや、済まないね。急に五人分用意するのは大変だったろう。」
「そう思うんでしたら、洗い物は貴方がお願いしますね。」
「は、はい……。」
「序でですから、お風呂の掃除と準備もお願いしますね。」
「はい……。」
「後、明日明後日は週末ですので勿論いつも通りに洗濯も宜しく御願いします。」
「解ってますよ……。」
竹之内翁は妻にたじたじとなっていた。どうやらこの夫婦、夫は無自覚の暴れ馬だが妻がそれ以上の力で手綱を握っている、という関係らしい。
「お客さん、それから文乃ちゃん、寝室はそれぞれ用意してありますから、案内しますね。」
「あ、有難う御座います。」
「済みません、急に……。」
「いえいえお構いなく。いつもの事ですので。よく突然学生を招待してきたりするんですよ、この人。」
愛斗と戸井は気不味さから苦笑いを浮かべる他無かった。
そんな二人の気を知ってか知らずか、それなりに慣れた手付きで食器を洗いながら竹之内翁は話し掛ける。
「風呂の準備が出来次第お呼びしますから、部屋でお休みになっていてください。お風呂の後、寝るまでに多少時間が出来るでしょうから、その時少し昼間の話の続きをしましょう。」
愛斗達の方を向いた瞬間、竹之内翁の手元で水飛沫が立った。慣れてはいるが集中力には難が在るらしい。
呆れる愛斗達に、孫娘の竹之内文乃が声を掛ける。
「案内します。お風呂までの間、少し私が彼女に御伝えした情報と貴方が父から聞いた情報を擦り合わせておきましょうか。」
文乃に連れられ、愛斗と戸井は用意された寝室へと廊下を歩いて行った。
☾☾
愛斗と戸井、それから文乃は畳に敷かれた布団の上に坐り、三人で話し合った。
「ふむ、つまり真里殿は父から古文書の事、學園三巨頭の事、旧人類と旧文明の存在を聞いた。そしてそれを受けて學園三巨頭が何を目論み、學園と祠に繋がりを持たせようとしたのか、と言う話を始める所で、私から電話が入ったと……。」
戸井は戸井で、かなり搔い摘んでではあるが同じ様な内容を文乃から聞かされていたらしい。
「戸井、どうして此処へ?」
「何が起きているか訳が分からない、背景事情も分からない。そんなの、この私が我慢出来ると思う?」
そう言われると、愛斗は納得する他無かった。そうだ、戸井は何よりも學園で起きている事件簿や噂話が大好きな少女だった。
ただ、彼女の表情はいつもの悪戯っぽい下世話なものではなく、危機と対峙する覚悟を薄っすらと含んでいた。
と、その時襖扉が開いた。
「ではお風呂の前に少しだけ続を話しましょうか。」
突然、相図も呼び掛けも無く部屋へ入って来たのは家の主・竹之内灰丸だった。
「あの、御父様、御風呂の準備は……?」
「そんなのすぐ終わりますから、後回しで良いんですよ。」
「でも先生、先程は御風呂の後でって……。」
「そう言っておかないと家内が面倒臭いんですよ。」
要するに、その場凌ぎの嘘だったらしい。熟々、彼の妻の苦労が思いやられる。
そんな愛斗達の心中など露知らぬといった様子で、竹之内翁は三人の輪に加わって布団の上に腰掛けた。
「扨て、何処まで話したかは先程文乃が纏めてくれましたな。」
「學園三巨頭の目的、ですよね。」
學園の創設に関わった三人の人物、華藏鬼三郎、聖護院稔久、そして竹之内斧丸は明確な意図を持って祠の近くに華藏學園を創設した、という話だった。
「確か、祠の力が危険だから管理したかった、という事ですよね。」
愛斗は研究室での話を思い出しながら確認する様に問い掛けた。竹之内家の二人はそれを首肯する。
「御気付きとは思いますが、旧文明の滅亡、そして祠の力には密接な関係が有る。旧文明時代には二度、祠の力に端を発する異界との接触、いや連結が起こっていたのです。」
「異界との連結……。今正に『學園の悪魔』が起こそうとしているような?」
戸井もここまでの話は愛斗と大差なく呑み込めている様だ。三人で擦り合わせておいたのが功を奏したのだろう。
「世界を再構築する力、裏返せば世界の理を外側から捻じ曲げる力……。」
文乃の呟きには知識が在るが故の畏怖が僅かに滲んでいた。それが空気に伝わり、愛斗と戸井にもじわじわと緊張を齎す。
「理外の力、闇の力の正体。古文書にはそれについて、こう記されております。『穢詛禁呪』と……。」
竹之内翁からも、つい先程までの惚けた様子は見られない。
「即ちそれは、世界に構造的な破壊を齎すのです。『學園の悪魔』がやろうとしている事は、その一環に過ぎません。逆に、その破壊すらもまた循環する人類と文明の歴史、その構造に組み込まれている。祖父達『學園三巨頭』がやろうとしたことは第一に『穢詛禁呪』について解き明かし、この構造を再構築し、打破しようとした。そしてその先に、全ての歴史が報われる様な、彼等の考える最高の大団円を齎そうとしたのです。」
愛斗達はただ竹之内の話に聴き入るしかなかった。




