第四十三話 學園三巨頭
『伝統と革新の二つを一つに。』
――學園三巨頭・聖護院稔久
『先人の偉業を誇り、猶且つ出藍の誉れたるべし。』
――學園三巨頭・華藏鬼三郎
『来た道を忘れる勿れ、行く道を恐れる勿れ。』
――學園三巨頭・竹之内斧丸
研究室の一角に飾られたモノクロームの写真に光が差した。映っている三人は夫々、華藏鬼三郎、聖護院宮稔久王、竹之内斧丸。華藏學園創立に関わった『學園三巨頭』と呼ばれる巨人たちである。
「華藏鬼三郎氏は、類稀なる商才と共に大いなる公共心を持った人物でした。己の立身は己の独力ではなく、天の援け人の助けあってのものと考える、信仰心と義理人情の深い人物でありました。それ故、華藏學園の創立の目的が第一に自身の後進を育て、国家を発展させる人材を継続的に輩出する事に在ったというのは偽らざる真実で御座いましょう。」
研究室の主である老翁・竹之内灰丸は静かに語り始めた。その人物評に、華藏鬼三郎の子孫である憑子も小さく頷く。
『当然だわ。曾々御爺様が悪人の筈が無いじゃない。』
「はい。ですので、裏の目的である祠の件につきましても、恐らくは純粋な善意から行われた事なのでしょう。同じく『學園三巨頭』の子孫である私や聖護院先生も、その様に伝え聞いております。まあ私の祖父は悪人ではなかったと思いたいですがかなりの変わり者であった事に間違いありませんがね。」
だが、一方でその竹之内斧丸が華藏鬼三郎に関わった結果、祠の力が學園と結び付き、現在の災難で多くの被害を齎している。この場で唯一、『學園三巨頭』の肉親でない真里愛斗は、疑問を感じずにはいられなかった。
「ではどうしてそんな人達が、あんな危険な祠を態々利用しようとしたのでしょう?」
「危険だからこそですよ、真里君。」
竹之内の返答は早かった。
「危険だからこそ、放置する訳にはいかなかった。かと言って取り壊すのも危ない。そして逆に、やり方によっては良い方向に利用出来るかも知れない。そう考えたからこそ、彼等『學園三巨頭』は今の形を作り上げたのです。」
「利用したい、という下心は有ったと……。」
「それは否定出来ませんな。しかし、それを最善と信じるに足る曰くが祠には在ったのです。華藏鬼三郎氏は、私の祖父と聖護院先生の曾祖父から聞かされたのですよ。我が国の為に、どうしても捨て置けぬ祠の曰くを。」
時計の針の音がいやに鳴り響く。竹之内はそれを指差した。
「例えばあの時計。針は何度も決まった場所を決まったタイミングで周回しています。十二時間後には今と全く同じ形を取っている事でしょう。」
「は、はぁ……。それはそうですが、唐突に何ですか?」
「『歴史は繰り返す。』という言葉を聞いたことは有りませんか?」
愛斗の質問に、竹之内は指を絡めて椅子に深く坐り直した。それは、今から重要な話をする為に心を仕切り直すかの様な仕草だった。
「私は先程、我々が生きるこの時代から遥か昔に人類は別の文明を築き上げており、そして滅んでいると、そうお伝えいたしました。もしそれが、ただ滅んだ許りではなく今の我々の歴史と同じ様な顛末を辿っていたとしたら、当時の『學園三巨頭』は何を思ったでしょうか……。」
徐に、憑子は目を瞠った。何か大きな事に気が付いてしまった様だ。
『人類は……同じ歴史を繰り返している……? 若しかすると、これからも……。だとすると、私達の歴史も旧文明、旧人類と同じ様に破滅を迎える……。』
「縦しんば、旧文明滅亡後と同じ様に我々の文明が滅んだ後に人類が残ったとして、また同じ様な歴史が繰り返されたとしたら、どうです?」
「學園が創立された当時……。いや、祠のある場所に移設された当時、か……?」
愛斗は少し考え込むと、一つの結論に達した。
「丁度戦後すぐだ……。屹度、僕達の子孫がまた同じ様な過ちを繰り返し、遥か未来にも絶大な悲劇が世界を襲うと知ってしまったら……。何とか止められないかと考えるかも知れない……。」
『待って、でもそれはおかしいわ。曾々御爺様は戦前の人よ。曾御爺様はかなり晩年になって生まれた子だったと聞くわ。現在の華藏學園に移設した時には、彼は既にこの世を去っていた筈……。』
憑子の指摘通り、華藏鬼三郎は現在の假藏學園がある場所に華藏商業學校を建てたが、大陸で泥沼の戦争に突入していく頃には既にこの世に居ない人物である。
「それはですね、理由の一つは、あの祠には形代があったからですよ。当初、現在の假藏學園にある形代が古文書に記された祠だと思われていた。しかし、後に現在の山中に本物が見付かった。だから、移設したのです。」
『では移設は曾々御爺様ではなく、他の二人が勝手にやったという事ね。』
「いいえ、そうではありません。確かに、常識的に考えれば既に故人であった鬼三郎氏が移設に関わっていることは有り得ない。しかし、御二人とも御存じの筈ですよ。それを覆す力が祠には在ると……。」
竹之内の言葉はとんでもない爆弾発言だった。憑子は眉間に皺を寄せ、その意味する所を呑み込もうと苦悶の表情を浮かべている。
『つまり……今の私と同じ様に、曾々御爺様は肉体から離れて死後も存在し続けた、と……。』
「二つ間違いが御座います。一つは、華藏鬼三郎氏だけでなく『學園三巨頭』の全員がそうである、という事。もう一つは、それが決して過去形ではない、という事。」
目を伏せた憑子の表情からは、言われるまでもなく予想していたのであろうという苦悩が読み取れた。
竹之内曰く、華藏鬼三郎は基本的に善人である。今起きている事件の黒幕であるとは考え難い。しかしそれでも、憑子にとって、いや華藏家の人間にとって誰よりも尊敬する高祖父が生命の理を捻じ曲げる様な所業で自らの死を逃れたいた、と言われているのである。
『悪い事だと決まってはいないけれど、素直に受け容れられる話ではないわね。』
「その辺りの真意については、また後程という事にしておきましょう。兎に角、『學園三巨頭』は祠の力に恐怖と可能性を見出したのです。。三人の出会いが、その神秘を解き明かしたのです。」
竹之内はゆっくりと腰を上げ、部屋を歩き始めた。
「少し、休憩いたしますか。折角お越し頂いたというのにお茶の一つも用意しておりませんでしたな。不肖ながら、私自身喋り過ぎて喉が渇き、初めて気が付いた次第です。何分、昔から他人に気を回すのが苦手な性分でして……。」
その辺りは、根っからの研究者気質といった所だろうか。これだけ話せば喉が渇くのは無理からぬ事ではある。
「ささ、どうぞ。」
『真里君、折角だから頂きなさい。』
「は、はぁ……。」
「『新月の御嬢様』も意識すれば喉が潤させる感覚を共有出来ますので、是非どうぞ、真里君。」
愛斗は促されるままにソファへ坐り、竹之内と同じ卓を囲んで出された茶を飲んだ。
「華藏學園の前身、華藏商業學校。それは華藏鬼三郎氏が丁稚奉公していた頃に同僚の教育係を担った経験から始まったと言われております。彼はその時、商業以前の基礎教育が重要であると気付いたのでしょう。」
『ええ。私もそう聞いているわ。』
「鬼三郎氏は學校設立前から教育に力を入れ始めた。そんな、黎明期の愛弟子の中でも、取り分け優秀だったのが旧皇族の聖護院宮稔久王殿下、それから私の祖父で神道研究者の道へ進んだ竹之内斧丸でした。二人の出会いのきっかけは、知的好奇心から祖父の方から神道だけでなく仏道にも関りを持つ稔久氏に近付いた、と聞いております。そして、程無くして祖父は古文書を書いた。元はというと、口頭による伝聞で曖昧だった稔久氏の話から裏を取って整理した内容だったそうです。」
竹之内は飲み干したコップに追加の茶を注いだ。自分だけどんどん飲んでいく所を見るに、矢張り根本的にマイペースな人物なのだろう。
「軈て、二人の研究は華藏鬼三郎氏の耳にも入りました。鬼三郎氏もまた、信心深く未知への探求心の強い人物でしたから、大いに興味を持ったそうです。そして、三人はこの国の土着信仰、旧人類と旧文明の謎、祠の神秘へと踏み込んでいき、一つの大願を胸に華藏商業學校を設立した……。」
再び、竹之内はコップの茶を一気に飲み干した。
「ううむ、少々勢い良く飲み過ぎたね! 胃が水っぽくなっている気がするよ!」
「だ、大丈夫ですか?」
愛斗は苦笑いを浮かべる他無かった。
「扨て、ここからは祠の話です。『學園三巨頭』は結局、祠をどうしたかったのか……。」
一転して真剣な表情となり、竹之内は再び話を続けようとした。しかし、その時机の上で彼のスマートフォンが激しく振動し、着信を告げる。
「一寸失礼……。」
竹之内は慌てず落ち着いて電話を手に取り、着信相手を確認する。
「娘からですな。彼女も裏理事会の一人でして……。」
「あの、早く出られた方が……。」
「おっと、そうでした。」
もうスマホの鳴動は十数回を数えていた。切れないという事は、竹之内が電話に劫々出ないと知っているのか、掛け直すという選択肢が無い緊急の要件なのか、将又その両方か。
何はともあれ、竹之内は電話に出た。
「申し申し?」
『御父様、今研究室ですか?』
「ああ、そうだよ。丁度真里君と『新月の御嬢様』をお迎えしている。」
『直ぐにテレビを点けてニュースを見てください!』
電話の向こうの娘とやらは、何やら慌てた様子で竹之内の行動を急かす。
「テレビ……? 一体何だと言うのかね……。」
竹之内は面倒臭そうに頭を掻くと、山積みになった書類や文献を崩して何かを探し始めた。
「ええと、リモコンリモコン……。」
『御父様、好い加減研究室を片付けてくださいませんか?』
愛斗は電話口から漏れ聞こえる竹之内の娘の声に思わず共感を覚えてしまっていた。
竹之内は悪い人間ではないし、懇切丁寧に學園の事を話そうとしているのは解る。が、どうにも彼のだらしがない私生活が垣間見えるのは気になる。
『真里君も彼を反面教師にしなさいね。』
「會長、失礼ですよ……。」
『誰に対して、かは訊かないでおくわね。』
愛斗には別に他意は無かったが、憑子の言い方だとまるで慇懃無礼な嫌味の様に聞こえてしまう。
一方で、竹之内は散々探した挙句直接テレビの電源を入れていた。
「おやおや、臨時のニュースが入っている様だね……。一体どうした事だろう?」
テレビのニュースには市街地の映像が映し出され、人々が逃げ惑っている。
「様子がおかしいですよ、竹之内先生。」
『あれは……!』
憑子が画面の隅に映るあるものに気が付いた。すぐ後に愛斗と竹之内も目を瞠瞠る。
「紫の靄……!」
「ふぅむ、どうやら闇の力の様だね。」
『それにこの映像、場所は……。』
それは、よくテレビで映る有名な街並みだった。そして、今愛斗達が居る大学からそう遠くない場所である。
「どうしてあの電気街で闇の力が……。」
「若しや、狙いは我々かも知れませんな。」
『御父様の御想像通りでしょう。先程、映像にあの男の姿が映りました。』
画面の中で、紫の靄に憑かれた人々が暴動を起こしている。正気の人々は恐らくそれらから逃げ惑っているのだろう。
そして不意に、一瞬だけ愛斗のよく知る人物が画面に映った。
「鐵……自由……‼」
「ほう、彼が……。」
刺青を施された特徴的な顔は、愛斗にとって忘れ難い仇敵だった。目的の為なら手段を択ばず、戸井宝乃の誘拐という犯罪行為を敢行した危険人物である。また、恐らく『闇の逝徒會』とも繋がっていた。
『この様子だと、どうやらあの男も闇の眷属、使い魔と為ったようね。』
「やっぱりそうですか……。」
と、その時テレビの映像が大きく乱れた。どうやら現場で何かが爆発した様だった。
『自爆させた……⁉ まさかもうそんなレベルまで祠の力を‼』
憑子だけが事を把握した様だ。
「自爆? どういう事ですか、會長?」
『何度も言うけれど、祠の力の本質は結合と分離。そして紫の靄によって操られる人は力の影響下にある。』
「ふむ。『分離』の力を最大限の悪意を持って行使すると、一つの肉体を幾多の肉片に分離してしまうという事ですな。しかし、余程邪悪な精神が無ければ実行は不可能でしょう。即ち、それをやってのける鐵という男は元から相当悪辣な人物らしい。」
二人の解説を聞き、愛斗は戦慄と納得を同時に覚えた。あの鐵ならば有り得る。また、危険度ならば元々性格が悪いだけの常識人で優等生であった基浪計や砂社日和とは比較にならないだろう。
「行かなきゃ……‼」
愛斗は固唾を飲んで決意の言葉を漏らした。若し鐵の狙いが自分達を誘き出す事なら、彼はその為にどんな犠牲も厭わないだろう。鐵にはそれを実行出来る残虐性が有る。このままでは被害は増える一方で、何人死ぬか分からない。
「竹之内先生、直ぐ戻ります‼」
愛斗はそう言うと、勢い良く立ち上がった。
「いやいや、君の言葉は少し違いますよ。」
竹之内もまた、立ち上がってテレビの電源を切った。
「私も一緒に行きましょう。そして、なるべく早く解決して共に戻って来る。良いですね?」
話の途中だが、緊急事態の発生により、愛斗と憑子、そして竹之内は事件真只中の市街地へと向かう。




