第四十一話 未来、過去、今
訳が解らない、要領を得ない、話が全然入って来ない。
嗚呼そうか、屹度誰かが嘘許り吐いている。
金曜日、朝。
真里愛斗と図書館へ行く約束をしていたのは本好きの西邑龍太郎の他にもう一人、戸井宝乃。彼女もまた待ち合わせ場所へ向かうべく最寄り駅で電車を待っていた。
他の二人は既に夫々の護衛となる裏理事会のメンバーに接触しているが、彼女にもまた一人の女性が近づいていた。
「申し、戸井宝乃さんですね?」
突然声を掛けられた戸井は驚いたが、振り向いた先で頭を下げていたのは如何にも堅そうな、何やら武術でも嗜んでいる雰囲気を纏った短髪の小柄な女性だった。
「初めまして。私は大心原理事長より貴女の護衛を仰せつかりました、竹之内文乃と申します。」
「あ、これはどうも……。」
何処となく、戸井は第一印象で彼女に苦手意識を抱いた。決して悪い印象を受けた訳ではないし、寧ろ誠実で自分を守るという職務に忠実そうなのは心強い。だが、戸井としては愛斗や西邑と軽い調子で互いに茶化し合う様な、そういう接し方が性に合うのだ。そんな戸井にとって、竹之内はやり難い相手だった。
「あの、若しかして……。これから友達と会って勉強会に行くの……護衛の観点からは迷惑ですか……? 家に居た方が良いんでしょうか……?」
戸井は恐る恐る問い掛けた。
答えの予想は付いている。自分で言った通りだろう。
しかし、竹之内の反応は意外だった。
「いいえ、我々の使命は貴女方のプライベートを妨害するものでは御座いません。本日はほんの顔見せ程度です。身の安全は全力で保証いたしますが、何か困りごとが御座いましたらお伝えする番号にご連絡ください。」
そう言って、竹之内はスマートフォンを懐から取り出した。赤外線通信で連絡先を交換しようというのだろう。
だが、その時彼女の電話が鳴った。
「……申し申し。何事ですか、御父様?」
どうやら身内からの電話の様だ。戸井をそっちのけで話す声に少しずつではあるが怒りの様な感情が表れてきている。
そして彼女は苛立ちと呆れが混じった深い溜息と共に電話を切った。
「あの、何かあったんですか?」
「申し訳ありません。どうやら貴女の御学友に接触した祖父が勝手なことを始めたようでして……。先程の『プライベートを妨害しない』という言葉が嘘になってしまいました。」
「貴女のお父さん……。ということは、真里に何かあったんですか⁉」
既に、戸井は西邑に付いた護衛が先輩作家の旭冥櫻だと本人から聞いている。それで、残る竹之内の父が担当になったという一人の友人が愛斗だと割り出したのだ。
「実は、父が真里君を連れ出して上京しようとしているのです。どうやら大学の研究室に案内しようとしている様ですね。」
「え? どうしてそんなことを?」
「華藏學園のルーツ、どうして學園の闇と悪魔が生まれたのか、それを伝えようとしている様です。まあ、これまでの経緯から考えて彼には知る権利が有るかも知れませんが……。」
「経緯……。」
戸井は竹之内の言葉に思うところが有った。実のところ、彼女は學園の闇に纏わる一連の事件に訳も解らぬ儘巻き込まれている。当然、把握出来ていない事が今も山程有るのだ。
「あの、竹之内さん……でしたよね。若し良ければ、私にも聞かせてもらえませんか? これまでの経緯というものを。どうして真里はあの『憑子』という會長に似た人と一緒に居る事になったのか、真里がこれから知らなければならない事も含めて、もっと詳しく……。」
戸井は半ば無理を承知で思い切って尋ねてみた。だがこれに対してもまた、竹之内の答えは彼女の予想に反するものだった。
「私の分かる範囲で宜しければ……。」
「え、良いんですか?」
「隠す理由は特に御座いません。寧ろ、巻き込まれた貴女方が知りたいと思うのは当然。そして、知る権利も有ると存じます。」
そう言うと、竹之内は辺りを見渡した。
「此処では難ですし、河岸を変えましょう。何処か落ち着いて話が出来る場所へ。」
「あの、それなんですが……。」
戸井は眼に強い意志を宿し、竹之内に対して更に思い切った進言をしようとしていた。
「……成程、分かりました。」
こうして、戸井と竹之内は場所を変えてこれまでの経緯について話をすることになった。
彼女が愛斗から話されて既に知っているのは、次の通りである。
事の始まりである、生徒會合宿の夜に起きた奇妙な出来事の事。
華藏月子の姿で愛斗を誘い出した憑子は、数学教師の聖護院嘉久と共に立ち入り禁止の細道の奥にある祠の前で何らかの儀式を行おうとした。その際に不手際があり、生徒會役員が死体に変わり憑子が愛斗の体に乗り移ったのが全ての始まりだった。
その際、愛斗は何者かに殴られて意識が途切れており、当夜に何が起きたのか最後まで把握していない。
華藏學園と假藏學園が空間で一つに繋がってしまったのは丁度その翌日だった事。
これは華藏學園の立ち入り禁止区域にある祠と、假藏學園の校舎裏に在る祠の力で二つの學園が一つになった事で生じた怪奇現象らしい。
愛斗は假藏學園の不良達と知り合いながら、學園に蔓延っていた覚醒剤の謎を追った。その覚醒剤事件の裏には、學園の悪魔と呼ばれる存在が蠢いていた事。
その次の週に起こった事は、戸井にとって充分過ぎる程身近だった。
仁観嵐十郎の停学が解けた事を機に、假藏學園最大の不良グループ『弥勒狭野』が動き出したのだ。戸井は假藏學園に拉致され、これを救出すべく愛斗と仁観が動いた。
しかし、これは愛斗と憑子を始末しようとした『闇の生徒會』の罠だった。
高等部生徒會の副會長・基浪計と会計・砂社日和は死者の身ながらも蘇り、全ての黒幕である『學園の悪魔』の使い魔となって愛斗に襲い掛かったのだ。その際、假藏學園の不良を操って華藏性達に危害を加えようとした事が、理事長によって今の休校に踏み切られた理由だった。
愛斗達は今、理事長率いる『裏理事会』と『學園の悪魔』率いる『闇の逝徒會』の戦いの最中に居る。
このまま『學園の悪魔』を放置すれば、敵は際限無く犠牲を増やし、この世界を死の世界に変えてしまいかねないという。
彼らが今置かれている状況は、そんな荒唐無稽な、しかし洒落にならない危険な陰謀の渦中なのだ。
戸井も、大まかな事は理解していた。
クラスメートの真里愛斗という少年が、如何に大きな使命を背負っているか、それを思うと胸が締め付けられるのを感じていた。彼女が求めていたのは、力になる為の更なる背景情報である。
戦いは始まった許りである。戸井は更に深入りしようとしていた。
彼女もまた、學園の闇の背景とルーツを求めていた。
☾☾☾
闇の中、白衣を着た痩せた男が吐血し、床を嘗める様に項垂れていた。
「はぁ……はぁ……!」
『随分と頑張りますねえ、聖護院先生……。』
華藏學園の数学教師・聖護院嘉久。生徒會役員に惨劇が降り掛かった夜、憑子と共に儀式を執り行った男であり、愛斗に憑子が入っているのと同様に彼にも『學園の悪魔』と呼ばれる闇の存在が巣食っている。
裏理事会の一番手として『學園の悪魔』と交戦した相津美鬼也によって自我を取り戻し、悪魔の力を封じる事に成功しているが、同時に延々と拷問を受け続ける境遇に陥っていた。
『このまま苦痛で意識が焼き切れてしまえば、晴れて私は自由になれる。貴方も楽になりたくはないですか?』
「ぐっ……‼」
何処からともなく、華藏月子と同じ声が意地悪く聖護院に語り掛ける。
恐らく、この『學園の悪魔』の嗜虐性は相当のもので、自らの宿る肉体に加える苦痛は想像を絶する凄惨さだった。少しでも弱気になれば、忽ち痛みのショックで死んでしまうだろう。聖護院がここまで耐えているのは、偏に彼の強靱な精神力の為せる業である。伊達に『裏理事会』最強とは言われていない。
「またまたお楽しみですね、先生。」
「よく耐えるもんだな。」
例によって、砂社日和と鐵自由が嘲りの表情を浮かべて彼の下へと歩み寄ってきた。二人は夫々華藏學園の生徒會会計、假藏學園の生徒會長という立場に居た背景を持つ。今は『學園の悪魔』に従う『闇の眷属』として猛威を振るっている。
「鐵自由……。今日も随分殺した様だな。纏わり付く死臭が更に悍ましさを増しているぞ……!」
聖護院は狂気に歪んだ笑みを浮かべる鐵を睨み上げる。
「どうせ生きていても仕方の無い塵共の命だ。假藏學園の周辺地域にはそういうくだらねえ人間が山程居るんだぜ? 華藏學園の御行儀が良い土地柄からは想像も出来ねえだろうがな。」
聖護院は鐵を警戒している。それは、この倫理観が致命的に欠如した人間性に因る。
「私は……何らかの事情でおかしくなっている人間に唾を吐くつもりは無い……! だが貴様は違う! 貴様は健全な精神と肉体、正常な判断力を持ち、ただ考え方や倫理観が常軌を逸している! 『狂人』とは斯くの如きを言う‼」
闇の眷属となった基浪も砂社も、生前はごく普通の高校生に過ぎず、人並みの常識は備えていた。また、覚醒剤を売り捌いていた国語教師・海山富士雄も犯罪に手を染めたのは教師という職に嫌気が差していた所を付け込まれ、自分を見失っていたに過ぎない。
だが、鐵は違う。彼は誰に何をされるでもなく弱者を傷付け搾取する邪悪な慣習を假藏學園に布こうとし、目的の為なら躊躇無く罪も無い華藏の女子を拉致し、喧嘩では平気で刃物を使う人間だった。
「五月蠅え教員だな……。」
は聖護院の頭を踏み付けた。
「一寸、鐵。」
砂社はそんな新たな相方を窘めようとする。主である『學園の悪魔』も以前、余り聖護院に無礼を働くなと言っていたので、鐵の行動を見過ごせなかったのだ。
鐵は舌打ちし、足を退けた。
『鐵君、聖護院先生は君を褒めているのだよ。何故なら君の性質は彼らにとって脅威であり、そして私の役に立つ。私を飛躍的に強くする事が出来る。』
げに恐ろしきは、『學園の悪魔』は自身の影響下で死人が出れば出る程力を増す状態にあると言う事だ。これは悪魔が祠の力によって一つになった死者の怨念の塊とされ、死人が出る程に更なる怨念を吸収する事が出来る為だという。
『ところで、鐵君。私は一つ、気になる情報を掴んだ。』
声の指示を聴くに連れ、二人の男は正反対に表情を変化させた。
「ククク、そりゃ面白そうだなァ……‼」
喜びに笑みを浮かべているのは鐵自由である。彼の事だ、屹度碌でもない事を企んでいる。
一方、聖護院は青褪めていた。
(拙い……! このままではまた鐵がとんでもない事をやらかす! だがしかし、情報を掴んだ、だと……? 祠の力とは考えられん……。それとも、何かまた別の活用方法を見付けたのか?)
華藏學園に存在する祠、その力は凄まじい物だ。
二つの物を一つに合わせたり、逆に一つの物を二つに分離したりする力。それはつまり、世界を創り変える力にもなり得る。
「じゃあご主人様よ、俺がまた一仕事してきてやるよ。こりゃ、『死者の世界』を創り上げた暁には、ナンバー2の席に座るのはこの俺で決まりだな。ま、尤も……。」
鐵の表情から珍しく笑みが消えた。
「アンタが何か俺たちに隠し事をしてなきゃの話だ。何というか、俺はアンタの話す現状や目的が、どうも腑に落ちねえ。取って付けた間に合わせみたいに思えてならねえんだよ。本当は何か、もっととんでもない狙いがある様な気がする。ま、別に何でも構わんがな。」
『フフフ、どうやら私の見込んだ通りの男の様だ。』
悪魔も、特に鐵の言葉を否定しなかった。砂社は全て想定通りと言った様子で無表情に落ち着いている。
『では鐵君、自分の務めを果たし給え。砂社さんは別行動。相手との連絡を密にして私への情報漏れの無い様にする事。どうやらこの男は中々にしぶとく、当分自由に動けなさそうなのでね。』
再び、聖護院は激痛に叫びを上げた。
「承知した。」
「御心の儘に。」
二人は踵を返し、闇の中へと消えていった。
☾☾☾
愛斗は母親に電話を掛けていた。
「御免、急な話で……。」
『まあ、理事長先生が付いているなら良いんじゃないの? 三日間、しっかり勉強してきなさい。』
流石に、いきなり遠出するとは言い出せなかった。そこで、「当初予定してた三人だけの勉強会に人が集まり、クラスのメンバーでの勉強合宿になった。」という方便を用意した。
何はともあれ、これで金、土、日の二泊三日で旅に出る事が出来る。
「準備は出来ましたかな?」
老翁・竹之内灰丸に連れられ、愛斗はこれから華藏學園のルーツを辿るべく東へと旅立つ。そこで彼は、創立に因む想像以上に壮大な背景を知る事になるのだ。
一方で、物語は新たな展開へ向けて歯車を回し、不穏な不協和音を奏でていた。




