第三十八話 盤外戦
Animals are such agreeable friends, they ask no questions, they pass no criticisms. (動物達は実に感じの良い友だ。彼等は何の疑問も尋ねないし、如何なる批判も投げ掛けない。)
――ジョージ・エリオット
水曜日、夜。病室で、全身に包帯を巻かれた男が呻いている。
「痛え……痛えよぅ……!」
特に、右手と左腕は入念に固められている。彼、鐵自由は喧嘩に敗けて大怪我を負ったのだ。
「仁……観ィ……!」
苦痛の中、鐵は自身を痛めつけた仁観嵐十郎の名を憎悪に満ちた目付きと声で呟く。彼の行き場の無い狂気に呼び寄せられる様に、病室は暗い闇に覆われていた。
そう、不自然な程に暗い。仄かに紫色を帯びた部屋の概観が縁起でもない様相だ。
「畜生……あの野郎……許さねえ……!」
しかし、そんな不穏な気配など気にも留めぬ様に、鐵は焦点の合わない眼で譫言の様に仁観への恨み辛みを吐き続けている。
「この俺を虚仮にしやがってぇ……! この体さえ……!」
「体さえ、何?」
彼の枕元に、一人の少女が突如姿を顕した。華藏學園の制服に身を包んだその姿は如何にも育ちが良さそうな風体だが、人を小馬鹿にした様な薄笑いを浮かべている。その人物と鐵は面識があった。
「その声は砂社だな……? 何の用だ?」
鐵は血走った目を明後日の方向に向けたまま、砂社日和を一切視界に入れずに問い質す。
「……いや、例の野郎に繋がったお前が俺の許に来る要件は二つに一つか……。俺を利用するか、始末するか……。」
どちらにせよ、鐵にとっては面白くない話の筈だ。しかし、その割には彼の口は三日月型に歪み、折れた歯を覗かせる。
「ククク、なあ砂社、『闇の逝徒會』よ……。確かに今の俺は使い物にならねえだろうよ。死体を操れるってんなら、さっさと殺しちまうのも手かも知れねえ……。だが‼」
鐵の両手のギプスが砕け散った。破壊されているとは思えない程、その腕には力が滾っていた。
「腐っても俺は『弥勒狭野』のナンバー2、鐵自由! それを唯の物言わぬ操り人形にするのは勿体無いぜぇっ! 俺には力が有る! 知恵が有る! そして俺を舐めた奴等を全員打ち殺すという執念が有る‼」
息絶え絶えの悍ましい声で、鐵は砂社の事を全く見ない儘に力だけを希う。
「お前等が消して欲しい奴は全員俺が殺してえ奴等だ! だったらその為の力を寄越せ‼ 鏖だ! 俺のこの手で殺戮ショーを始めてやる‼」
鐵は最早正気を溝に棄てている。そんな様子を見てか、砂社は口角を上げた。
「別に、働いて呉れるんなら来る者は拒まないよ。ようこそ、假藏學園生徒會長・鐵自由。『闇の逝徒會』は貴方を歓迎しましょう。」
鐵の上に翳された砂社の手から紫色の闇が噴き出し、二人の姿は病室から忽然と消えた。
☾☾☾
假藏學園の不良達にとって、休校は実際それ程大した問題ではない。彼等にとって學園とは学び舎というよりは酒場か闘技場に近い所であり、仲間や好敵手と落ち合うのに都合が良い待ち合わせの目印でしかない。それ故、登校出来なければ出来ないで別の場所に屯し、喧嘩に興じるだけである。
木曜日、假藏學園近くの河原。今、二つの勢力が互いの頭目を筆頭に睨み合っていた。
「相津ゥ、色々遭って遅くなったが、そろそろ決着を付けようぜ……。」
「上等だァ、尾咲ィ……。」
尾咲求と相津諭鬼夫。假藏の頂点を狙う二人の大物不良が血走った目を向け合い、一触即発の様相を呈している。彼等は本来、十日前に假藏の決闘スポットである校舎裏の祠の前で雌雄を決するつもりだったが、両學園融合による死体発見でお預けを食らっていた。
少し前まで真里愛斗と仲良く覚醒剤事件の追求をしていたが、そんな面影は微塵も見えない。所詮は元々同じ地位を奪い合う敵同士、一時的に手は結べど蟠りが解ける訳ではないのだ。
「ぶっ殺してやる……。」
「こっちの台詞だ……。」
舎弟達も事が始まれば一気に雪崩込み、乱闘になるだろう。
假藏の頂点とは唯単に最も強い者ではなく、並み居る猛者達を捩じ伏せ従える覇者の事を指す。当然、それを目指す者は多かれ少なかれ自身に従う兵隊を率いており、多くの場合喧嘩となれば彼等の事も巻き込む。
「行くぞオラァッ‼」
「おおおッッ‼」
尾咲と相津が互いに殴り掛かり合い、それを火蓋に二つのグループの乱戦が勃発した。鈍い打撃音が其処等中に響き、合奏を演じている。
「尾咲ィィッッ‼」
「相津ゥゥッッ‼」
二人の腕が交差し、拳が互い違いに顔面へと炸裂した。両者は共によろめくも、この程度で戦意は揺るがない。
先に体勢を立て直したのは尾咲の方だった。共に恵まれた体格をしているが、尾咲の方がより大きい分バランスの崩れ方が少なかったのだ。
「おおおっ‼」
相津の脚を掛け、押し倒して馬乗りになる。脱出しようと藻掻く相津だったが、尾咲にとってそれは思う壺だった。暴れると、自然に頭が地面から浮く。そこへ、両手を組んだ状態で顔面を思い切り殴り付けると、相津の後頭部は河原特有の小石だらけの地面に叩き付けられる。
「ガッ⁉」
「死ねぇッ‼ 相津ゥッ‼」
尾咲は相津の長い髪を掴み、無理矢理頭を浮かせて再度後頭部を地面に叩き付ける。
更に三発目、と攻撃を敢行しようとする尾咲だったが、相津もこのまま黙ってやられはしない。通常ならばこの状態から逆転する目は無いが、相津は肘と肩の関節を外して尾咲の拘束を素早く抜け出した。
そのまま、相津は腕を使わず足腰の発条で尾咲の頭を股に挟み、逆に地面に打ち落として腿で頸動脈を締め付ける。
「ぐ、が……!」
「死ぬのはてめえだ、尾咲ィッ……!」
二人は互いに、殺し合いにも見える鬼気迫る戦いを演じている。そこには、彼等が出会った一人の狂気に満ちた男の容赦の無さが影響を与えていた。
「この野郎ォ‼」
「くっ‼」
尾咲はノールックで相津の右脇に抜き手を差し込み、怯ませた隙に拘束から脱出した。締め落とされかけて追撃の余裕が無い尾咲と、外した関節を嵌め直さなければならない相津は互いに仕切り直しを図るしかなかった。二人は距離を取って立ち上がると、互いを睨み合う。
「どうした尾咲よ? 随分イカれた戦い方するじゃねえか。」
「てめえも解ってんだろ、相津?」
二人は同時に笑みを浮かべた。互いに考えは同じの様だ。
「華藏の坊ちゃんに過ぎねえ真里ちゃんにあんなイカれっぷり見せられるとよぉ……。」
「応。天下の假藏で頂点狙うんならこっちも超えていかなきゃならねえよなぁ……?」
本人の与り知らぬところで、愛斗は殺し合いの言い訳に使われていた。
「っ……ラァッ‼」
「ゴオオッッ‼」
二人はお互い同時に殴り掛かった。巨拳、鉄拳が双方の体、取り分け急所の近傍目掛けて飛び交う。この打ち合いで優勢を取ったのは、手数で勝る相津の方だった。
「がはッ‼」
「貰ったッッ‼」
鳩尾に炸裂した膝蹴りによって体制の崩れた尾咲に相津は拳を振り被った。中指を突き出して作った一本拳は尾咲の眼球目掛けて飛んで行く。これが決まれば、尾咲は間違いなく目に深刻なダメージを受ける。そうなれば勝負は付いたようなものだ。
だが、尾咲もそう簡単には譲らない。彼は逆に相津の拳に額を合わせ、指を誤爆させて潰した。更に、渾身の剛腕で頬に巨拳を叩き込む。
「ごばァッ⁉」
この一撃で、今度は相津が大きく体勢を崩した。更に、追い打ちに一発。
「死ねえっ‼」
「ガッ‼」
更に、もう一発。流れは完全に尾咲の方へと傾いた。彼の拳は重く、相津から急速に反撃の余力を奪っていく。
「うらァッ‼」
「ぐはアアアッッ‼」
成す術も無く、相津は地面に倒れ伏した。空かさず、尾咲はその巨躯を宙に舞い上がらせる。そして相津の倒れ際に体重を乗せた踏み付けで駄目押しの一撃を入れた。
「ゲフッ……‼」
嫌な音と共に相津は吐血し、そのまま気を失った。大将同士の一騎打ちは尾咲に軍配が上がった。
☾
そんな様子を、崖上の道路から見下ろす二つの人影が在った。
「矢張り個人の実力は尾咲の方が上か……。」
「へえ、前評判からそうなんだ。私は興味無いけどね。」
假藏學園の改造制服を着た不良男子と、華藏學園の正規制服を着た女子の二人が夕日を背に佇んでいる。
「ククク、だが見てみろ。対象同士の決着とは逆に、舎弟共の乱戦では寧ろ相津側の方が優勢だ。」
「あ、そうなんだ。御免本気で興味無いわ。高々一学校、多くて千人規模の集団で御山の大将の座を巡って必死扱いて暴力争いして何が面白いのさ?」
「おいおい、大人だってそれくらいの規模の会社で出世争いするだろう?」
「勝ち抜けば社会的な名誉と一生物の財産が手に入るからね。でも不良の頭にそんなの無いじゃん。」
まだ日は沈み切っていないにも拘らず、二人の周囲には不穏な闇が立ち込めていた。不良の争いに理解のある男は鐵自由、假藏學園の生徒會長にして最大の不良グループである『弥勒狭野』のナンバー2だ。隣は華藏學園生徒會会計の砂社日和である。
「かも知れねえな。だが、俺達にはそれが重要でな。悪共を束ねる実績が有れば後の人生で箔が付く世界だって在るんだ。そこで手に入る富と力は決して小さくねえ。それこそ一生もんだ。尤も、そんな事まで考えているのは俺くらいのもんだがな。」
鐵は河原の争いを冷ややかな薄ら笑いと共に見降ろしている。彼から見れば、頭を張るもの以外が体を張って勢力争いを演じるのは滑稽にしか映らないに違い無い。
「だが、それもただ腕っ節が強いだけじゃ叶わねえ。それでどうにかなるならうちの頭、爆岡君がとっくに假藏を統一し頂点を獲ってる。その点、力に依る恐怖で従わされている舎弟共はどうしても戦意で劣る。」
「つまり、頭同士では勝ったあっちの大きいのがグループでは負けてるのはそういう事?」
「ああ。あいつは俺らのグループから力で無理矢理人員を引っぺがしてるからな。そこはうちの爆岡君も同じタイプだから仕方ねえところはあるんだが、その点相津は心から慕っている舎弟に恵まれてる。この差は意外と大きい。」
彼の言葉を裏付ける様に、相津の舎弟は勝者の尾咲に襲い掛かり始めた。一人一人は難無く処理していく尾咲だが、流石に数を前に苦戦している様子だ。
「だから爆岡君も一人で頂点を獲れる訳じゃねえ。力による支配には限界が在る。だから俺がもう一つのアプローチで舎弟共を引き留めてたって訳さ。」
「もう一つのアプローチ?」
「ズバリ、それは利益だ。」
鐵は懐から白い粉が入った小袋を砂社にほんの少しだけ見せた。どうやら彼の元には未だ覚醒剤の在庫が有るらしい。
「悪い奴。」
「不良だからな。俺の計画ではこいつの誘惑と、仁観の協力の下で『弥勒狭野』による假藏統一を達成。その後で爆岡を乗り越え、この俺が頂点に君臨する筈だった。」
「ま、上手く行かなかったんだけどね。」
砂社は呆れた様子で溜息を吐いた。彼女も鐵の本質、自分を頭が良いと思っている莫迦の性質を見抜いている様だ。
しかし、ある一点に於いて鐵の考察は鋭い。
「そろそろだな。」
鐵がそう呟いた時、河原では尾咲が相津の舎弟に対応し切れなくなり、集団で袋叩きにされて倒れていた。
「じゃ、そろそろ行くか。」
「ここで一網打尽にするって事?」
「ああ。先刻お前が言った、不良共が必死扱いて争う暴力の宴。その終盤に疲弊し切った所を狙えば、俺達の目当てである死体も簡単に手に入るって寸法だ。あいつらはどうせ本能に従って縄張り争いを繰り広げる動物みてえな存在だ。操り人形にしても扱いは同じ事だろう。」
鐵自由の不良としての真の素質、それは喧嘩の実力でも知略でも戦力分析でもない。実力的には決して弱くないが、策謀の面では本人が思っている程優れていないし、彼我の戦力差を図るという面では並の不良にも劣る。そんな彼が今の地位に上り詰めた本当の才能、それは今の様に、漁夫の利を得る機を見ることに於いて抜群に長けているという事だ。
「ま、それに関しては異論無いけど。こっちの勢力は増やしたい所だしね。」
「なら着いて来い。俺達、『闇の逝徒會』の更なる力の為にな。」
鐵が先導し、二人は階段から河原へと降りていく。「不良」達の争いに闇を纏いし真の「邪悪」が水を差し、何もかもを呑み込んで糧に変えようとしていた。
※お知らせ
本作は6/20㈫の第二章終了を機に、一旦休載致します。
第三章以降の再開は8/19㈯を予定しております。
何卒御理解の程宜しく御願い致します。




