第三十七話 裏理事会
人生とは、時間切れ迄に与えられた束の間の猶予に過ぎない。
――作家・西邑龍太郎
翌日、水曜日、真里愛斗の自宅個室。スマートフォンに一通の連絡が届いた。休校に関しては「危険生物の発見と駆除の為」と學園側から説明されているが、その詳細と今後の予定が送られて来ていた。
「まあ、流石に事実をありのまま語る訳には行きませんからね……。とはいえ、これでは直ぐに事態が収まるものと捉えられますね……。」
『それはそうだけれど、抑も余り長く休校措置を続けても問題よ。まあ、その辺りも大心原理事長は考えているでしょう。近い内に追って連絡が来ると思うわ。』
急遽休みになったとはいえ、生活のリズムを崩す訳には行かないので、愛斗は普段通りの時間に起床して自習して過ごす事にした。
『良かったら教えてあげましょうか?』
「確か、脳は共有している筈ですよね。今まで散々、僕のレベルに合わせて劣化しているみたいな事言ってきたじゃないですか。」
『それでも記憶や知識レベルで君とは依然として差がある事も判っているからね。』
憑子の言う様に、二人は思考や記憶を共有している訳ではない。それならば、今迄憑子が愛斗に対して隠し事をしてきた事実と矛盾する。
そう、今でも彼女は愛斗に対して全てを明かしてはいない。だが愛斗は一旦それを脇に置くと決めていた。先ずは今の事態に確り対応する事を優先するべきだと考えていた。
今、華藏學園ではその為の方策がひっそりと話し合われている。
☾☾☾
華藏學園・理事長室。
理事長・大心原毎夜に召集された様々な年代の男女六名が一堂に会し、卓を囲っていた。
「二人欠員ですか……。理事長先生からは聖護院先生御一人とお伺いしていていたのですがね……。」
最年長と思しき初老の男が珈琲に口を付ける。両脇には夫々、四十代と三十代の筋骨隆々とした男が坐っている。
その向かいには女が三名、二人は二十代前半、一人は三十代前半といった所だ。その内の一人、ゴシック調の黒い衣装に身を包んだ小柄な美女が溜息と共に呟いた。
「相津君なら屹度来ませんわ。仄かに漂う死の馨り……。嗚呼、何という事でしょう。早くも同輩が一人、深淵の底へと呑まれて終いましたわ……。」
言葉とは裏腹に彼女は何処かうっとりと耽溺する様な甘い声を躍らせた。隣で同年代の厳しい顔をした背の高い黒髪短髪の美女が不快感を滲ませながら苦言を呈する。
「浅倉殿、相津殿が敗死したという根拠は在るのか? 情報の真偽が何れにせよ、他人の生死を利用して自分に酔うのは如何なものかと思うが……。」
「文乃さんは相変わらずですわね。この際はっきり言っておきますけれど、特定の人間を目の敵にする癖、直した方が宜しくてよ。」
「貴女の態度が目に余るのが悪かろう。他にも、勝手に警護対象の一人と連絡を取ったそうではないか。」
「良いじゃない、固い事は言わなくても。元々西邑龍太郎先生には私も興味が有ったし、彼も喜んでいたわ。」
どうやら同年代の女二人は犬猿の仲であるらしい。そんな二人の口喧嘩に年長の女が割って入った。
「え? ず、狡い……。だ、だったら……わ、私も嵐様に……リアル生嵐様に是非是非御逢いしたい……。」
「貴女迄何ですか、鹿目殿!」
ロングヘア―の重みに拉げた様な猫背の痩せた女が強張った笑みを浮かべつつ辿々しく己の欲望を吐き、短髪の女に窘められた。
「ほっほっほ、旭冥先生も鹿目女史も相変わらず癖が御強いですな。」
「御父様、笑い事ではありませんよ。」
彼女は更に、目の前の初老の男をも睨み付けた。父と呼ばれた男は特に気にする様子も無く珈琲の薫りを楽しんでいる。
そんな中、一人執務机に着いていた理事長・大心原毎夜が溜息交じりに語り始めた。
「旭冥先生の仰る通り、相津実鬼也君は既に敵と接触し、そして亡くなられたようです……。」
彼女の言葉に、それまでの緩んでいた六人の空気が一瞬で引き締まる。当然だろう。緊張感に欠ける態度を取っていたゴシックファッションの女、旭冥櫻こと浅倉桜歌も、仲間の死を察知した上での言動である。裏を返せば、この場の者は全員死を覚悟して集まっているのだ。
「理事長先生、先程娘も申しておりましたが、そう言った情報を掴んでいる、という事ですかな?」
「本人から、呪文添付のメッセージが入っております。」
大心原は席から立ち上がり、応接机にスマートフォンを置いて六人に画面を見せた。
「ふむ、『逸早く悪魔と接触したが、矢張り一人ではどうにもならない。だが、聖護院先生の意識を覚醒させてみる。上手く行けば、悪魔の力を抑え込んでくれる筈だ。彼の自我が殺される迄の間にどうか仇を討って欲しい。』と……。そして、このメッセージは成功した暁に添付を開けるように呪いを掛けられている様ですな。」
初老の男が文面から冷静に状況を分析する。
「つまり、彼は命を投げ捨てて我々に時間と勝機を作ってくれたという事になる。これは大いなる殊勲でしょうな。決して、彼の働きを無駄にしてはなりません。」
「仰る通りです、竹之内先生。」
大心原は沈痛な面持ちでスマートフォンを回収した。
「確かに、独断専行は褒められたものではありません。しかし、恐らく彼の行動で此方の勝算は僅かにも高まった。ついては尾藤君。」
「はい。」
屈強な男の一人が大心原の呼び掛けに応えた。
「貴方は敵の居場所をなるべく早期に突き止めてください。但し深追いはせず、必ず見つかる前に我々に連絡し、援軍を待つ事。」
「勿論です。」
二人は力強く頷いた。
「残る五名、竹之内先生と千葉君、それから女性三名は生徒の守りに入って下さい。担当は夫々、西邑龍太郎君を旭冥櫻先生、戸井宝乃さんを竹之内文乃さん、仁観嵐十郎君を鹿目理恵さん。」
「り、理事長……! 話が分かる……!」
猫背の女、鹿目理恵が少し興奮した様子を見せ、隣の短髪、竹之内文乃に睨まれていた。一方で、男達も担当には思う所が有るらしい。
「ところで、理事長。」
「どうしました、竹之内灰丸先生?」
「ふむ……。」
初老の男、竹之内灰丸は白い口髭を弄りながら、机に置かれた名簿を眺めている。
「私の担当する生徒ですが、例の『新月の御嬢様』の宿主にして頂く訳には参りませんか?」
「ええ、此方としてもそう考えておりましたよ、竹之内先生。真里愛斗君には是非、貴方の御力添えを願いたいと……。」
竹之内は口角を上げ、意味深に微笑む。
「彼と彼女こそ、我々の希望ですからな。その輝き、私が必ずや眩く育てて見せましょう。」
「宜しくお願いします。では、假藏寮に眠っている紫風呂来羽君は千葉君にお願いしましょう。」
斯くして、六人は夫々己の命を賭ける任務を与えられた。
「では、第一回の裏理事会はこれにて閉会致します。皆様、どうか最後までこれ以上の欠員が出る事無く開催出来ますよう、暮れ暮れも御用心願います。」
華藏學園側は迅速に戦いに備えて動いていた。
☾☾☾
暗い部屋の中、乾いた足音が鳴り響く。男の足取りは重く、まるで自分の体をもう一つ背負っているかの様に酷く鈍臭い。
「動き……難い……! 四方やこの感覚、忌々しき脂気の如き不快感を再び味わう事になろうとは……!」
白衣を着た痩せた男と制服姿の女生徒の影が闇の中で蠢いている。
床には配管か電線回路なのか、細長い紐上の物が縦横無尽に這い回っており、非常に歩き辛そうだ。案の定、男は躓いてよろめいた。
「ぐっ……!」
「だ、大丈夫ですか?」
女生徒が慌てて男の体を支える。男は大きく口を開け、憔悴しきった表情で呼吸を荒げていた。
「砂社さん、矢張り私は暫く動けん様だ。」
「御心配には及びません。一旦はこの私、逝徒會会計の砂社日和に任せ、どうか御休みになってください。」
砂社日和に肩を借り、聖護院嘉久は部屋の奥の椅子へとどうにか腰を下ろした。
「成程確かに、貴女は優秀な逝徒會役員。此処は御言葉に甘えるとしよう。」
一つ大きく深呼吸し、天井を仰ぐと、ポンプも無しに配管を上へと流れる液体を目で追った。床に張り巡らされていたそれは天井に備え付けられた大きな箱へと繋がれている。それはつい三日前まで床に置かれていた棺の様な箱だ。という事は、当然中には一人の少女の体が収められている。
「一昨日に移動作業を済ませておいて良かった。この状態ではとても持ち上がらないからね……。」
「御体を傷付けない様、細心の注意を払いつつ運搬するのは苦労しました。」
「これから暫くは楽だ。但し、『新たなる血液』が馴染む様子を二十四時間監視しなくてはならない。本来は三人で交代しつつ行うつもりだったが、私が専念しよう。その間、貴女に色々と動いて欲しい。」
「何なりと。」
砂社は聖護院の足下に跪いて指示を仰いだ。その姿は教師と生徒というよりも完全に主と従者であった。
「學園側は私の暗躍を認知し、対策に動いてきた。恐らく、今日既に裏理事会が開かれているだろう。私の現状も把握されていると見て良い。」
「裏理事会……。所詮は恐れるに足りない相手でしょう。先鋒を切った相津実鬼也があの程度では、残りの連中も高が知れています。」
「その相津によって私は今苦しめられている訳だがね。」
聖護院の声色が変わった。恐れを成してか、砂社は頭を低くして服従の意思を表する。彼女の主は従者に対して表面上穏健的に振舞っているが、用済みとして見放せば極めて冷酷な態度で切り捨てる。現に、昨日迄居た筈の仲間が一人減っている。
「そこで、砂社さん。現状、悪いが手駒が貴女一人では心許無い。」
「それは確かに……。戦うにしても、数的不利は否めません。学校を休みにされ、假藏生を手駒として集めるのも一苦労です。」
「そうだろうとも。だからこそ、この機会にあの男と接触し、本格的に仲間として引き込んでしまうのだ。」
砂社は驚いた様に目を見開いて顔を上げた。
「彼を……ですか? 果たしてお役に立てるでしょうか?」
「砂社さん、どんな道具にも用途は有る物だよ。」
聖護院の両目が妖しげな光を放つ。
「どの道、孰れ汎ゆる命は私に従属する。ならば使える者は早めに使っておくのも一興だよ。折角の機会だ、寧ろ楽しまなくては……。」
暗い部屋の中、『闇の逝徒會』は不穏な一手を打とうとしていた。
互いの陣営が思惑を巡らせ、世界に生と死が何れかの答えを突き付ける時を待っていた。
※お知らせ
本作は6/20㈫の第二章終了を機に、一旦休載致します。
第三章以降の再開は8/19㈯を予定しております。
何卒御理解の程宜しく御願い致します。




