第三十六話 復活と遭遇
鈍感な人たちは、血が流れなければ狼狽しない。
が、血の流れたときは、悲劇は終わってしまったあとなのである。
――三島由紀夫
夜遅く、華藏學園は禁域の山道に、男女の人影が在った。
「やれやれ、両學園も思い切った事をしたものだ……。」
「まさか一斉休校の上に校舎が完全に封鎖されるなんて……。」
痩せた白衣の男・聖護院嘉久と、華藏學園女子制服を身に纏った少女・砂社日和が闇の中、細い山道を進んでいる。
假藏學園側に残された二人は、校舎への入場を防がれてしまった時点で一足の内に両學園を行き来する手段を完全に失ってしまっていたのだ。それで、交通機関を使って七十キロの距離を移動して華藏學園へ戻らなければならなかったが、辿り着いた頃には既に華藏學園側も封鎖されており、再度の侵入には夜を待つ必要があった。
「基浪君……。」
砂社の持つスマートフォンのライトが足下を照らし、転がる生首と腕の肉片を露わにする。憐れみの視線を向けたのは砂社だけで、聖護院は見向きもしない。その砂社も、唯一瞥の後にはもう聖護院と同じ方、祠の残骸に興味を移していた。
「復活させるんですよね?」
「当然でしょう。私達の計画の鍵だからね。假藏に在る形代と違い、此方は大元だから直接出向いて手を加える必要があるのは難儀だが、やらなければならない。」
聖護院は祠の残骸に手を翳し、何やら呪文の様なものを詠唱し始めた。するとバラバラに分解された祠の残骸が一つに繋がり、元通りの形に組み上がっていく。
「別々の物を一つにする力と、一つの物を別々に分ける力……。便利なものですね。」
「突き詰めればそれは創造と破壊の力に他ならないからね。又、既存の世界を新たな形に組み替える、という意味も在る。」
聖護院はすっかり修復された祠の観音開きを解き放ち、中に蜘蛛の形をした物体を収めた。それは丁度、あの夜に執り行われた儀式の際に真里愛斗が目撃した物と同じである。
「それ、一体何ですか?」
「この祠が祀っている本来の神体だよ。訳有って、一寸持ち出していたのが失敗だった。これでもう、物理的な力如きで破壊される事は無い。此方側は、の話だけれどね。」
此処で漸く、聖護院は地面に転がる基浪の生首に目を向けた。
「砂社さん、いい機会だから覚えておきなさい。二つの學園を繋ぐ祠の道を通っている最中に一方が破壊されると、祠が保っていた連結空間そのものが壊れ、中に人間が居ると抗いようの無い力でバラバラになってしまう。今後、假藏側の形代が壊される事は引き続き在り得るから、暮れ暮れも注意する事。」
「それで基浪君は……。」
「まさかあいつが部外者に祠の呪文と破壊を託すとは思わなかった。ずっと見てきた筈が、少々私も甘く見ていた様だ……。」
聖護院はそう言うと基浪の生首を憎々し気に強く踏み付けた。基浪の頭と腕は小さな赤黒い蜘蛛の塊となって四方八方に散っていった。
「君も屁間はしない様に気を付けなさい。こう成りたくなければね……。」
砂社は消えていく無数の蜘蛛を嫌悪感に満ちた表情で見詰めて固唾を飲む。若し自分もやらかせば、斯様な末路を辿るのだ。その胸中に言い様の無い恐怖が宿っている事は想像に難くない。
「しかし、不可解なのは戸井さんですね。恐らくあの女からの指示を受けて仁観君にメッセージを送ったのでしょうけど、基浪君と共に戦っていた私の見た所、あれほど複雑な指示を送れる隙が有ったとは思えない……。」
「戸井さんが受けた指示はメッセージを送信する所までだったのでしょう。文面は恐らく、『このメッセージを転送して欲しい。』と言った類の物。それを一旦、西邑君に何らかの添付と共に送って、転送される際にメッセージがすり替わる様に添付ファイルに呪文を掛けておいた。それならば比較的短時間で確実に意図を伝達出来る。」
「本当に忌々しい女! 態々華藏さんの姿まで当て付けみたいに模倣して!」
吐き棄てた砂社の言葉に聖護院の表情も歪む。昼間に対峙した時もそうだったが、それを誰よりも腹立たしく思っているのは彼、その中に潜む悪魔の人格に他ならないのだろう。
「ええ、全く……。」
聖護院は拳を力強く握り締めて震えていた。しかし、直ぐに彼は俯いたまま肩で笑い始める。
「クククッ……! だがしかし、最早何をしても無駄だ。聖護院嘉久を落とした今、あいつに私を殺す力の当ては無い。どう足搔こうが、私の野望は最早止められない! あと数日もすれば、この国の全ての人間は私にとって俎板の鯉となるだろう! そして絶命の憂いを無くし、この私に由って管理される真の理想国家を築き上げるのだ‼」
男の狂気の高笑いが夜空に響き渡った。紅い月がその悍ましい旋律を彩り、闇黒に満ちた未来を啓示しているかの様だ。このままでは全ての人間が殺され、悪魔の奴隷にされるという憑子の危惧は何も間違っていないらしい。
とその時、突如砂社の身体が弾ける様に宙を舞った。まるで何かに攻撃され、吹き飛んだかの様だ。聖護院は一瞬のうちに口を塞ぎ、地面に叩き付けられた彼女を横目で一瞥する。
「姿を現しなさい。此処は華藏學園の敷地。部外者が無断で侵入する事罷りなりませんよ?」
聖護院はこの場に招かれざる客が参った事を確信しているかの様に誰かへと呼び掛けた。尤も、學園が封鎖された今では彼の言い分はそのまま跳ね返る事になるのだが。
「それを言うなら、抑もこの場所は立ち入り禁止の筈だが?」
一人の屈強な男が學園側から山道を歩いてきた。
「……名乗りなさい。」
「華藏學園卒業生・相津実鬼也。」
男は真直ぐ歩み寄り、聖護院の間合いから三歩程離れた位置で立ち止まった。その出で立ち、振る舞いは歴戦の強者を彷彿とさせる。
「まさか本当に聖護院先生が乗っ取られちまったとはな……。話には聞いていたが、この目で見る迄は信じたくなかったぜ。」
「成程、矢張り貴方が真っ先に召集に応じましたか……。二つの學園の創設者、豪商・華藏鬼三郎の血を引き、今もその名に肖り鬼の一文字を受け継ぐ外様の末裔……。」
男は眉の薄い強面の顔付きで聖護院を睨み付ける。その顔が假藏學園の大物不良の一人・相津諭鬼夫に何処となく似ているのは、彼とこの男が兄弟であるからだ。相津実鬼也は幼少の砌より特異な力を見せており、その才能を買われて華藏學園に推薦入学し、無事卒業していた。そして聖護院の言う様に、彼は華藏月子の遠い親戚に当たる。
「それで、お仲間も待たずに一人でやって来てどうしようというのです? 当然、私もこのまま生かして帰すつもりは無いですし、貴重な戦力と命を失う愚かな抜け駆けだとしか思えませんが……。」
聖護院の体をどす黒い闇が覆う。相津はそれに気圧されたのか、ほんの僅かに後ろ足を引いた。
素手同士の戦いであれば、二人の間合いは充分に離れている。踏み込まれなければ、直ぐに危険は無い筈だった。
だが、聖護院は腕を振るって矢の様に黒い靄を飛ばした。飛び道具が使えるとなると、間合いは安全確保に意味を成さない。
しかし、そこは相津も全く心得の無い素人ではない。最初から警戒していた事もあり、あっさりと聖護院の射撃を回避して素早く背後へと回り込んだ。
「ヤバい事態だと話に聞いてたが、思ったより大した事は無いな! 學園の悪魔さんよ‼」
相津の掌が白く光る。昼間の憑子が使用した力同様、彼等『闇の逝徒會』の面子に対して効果覿面の攻撃であろう。聖護院は高く跳び上がって振るわれた相津の腕を大きく回避した。
「その跳躍力……既に人間業じゃねえな。だが、何も問題はねえ!」
聖護院を目で追って上を向いた相津は、振り終わった手を握って拳を振り戻した。今度は白い光が矢となり、宙空を舞う聖護院に逆襲する。抑も、最初に何処からともなく砂社を奇襲したのだから、当然に相津も飛び道具を扱えるのだ。
だが、聖護院は不敵な笑みを浮かべると空中で自らの軌道を急変させ、難無く光の矢を躱し切った。それは、今の彼が単に常人離れした跳躍力を持っているのではなく空を自在に飛び回れるのだという事を示していた。
「高々数メートル程度のジャンプが出来るというだけで『人間離れ』は言い過ぎでしょう。狭い世界を生きる貴方は御存じないかも知れませんが、世の中には校舎の三階や四階の窓に地面から跳躍して飛び込む様な高校生も存在するんですよ?」
その仁観嵐十郎も空中で自在に身動きが取れる訳ではない。そう言う意味で、今の聖護院の力は現実の人間から完全に逸脱していた。
「チッ、こりゃ拙いな……。」
相津の表情に焦りの色が滲む。このまま空を飛び続けられると、彼の側から出来ることは著しく限定されてしまう。
聖護院は中空で静止し、自身の纏う闇を更に大きく膨れ上がらせた。先程の射撃はほんの小手調べ、ここからが本領発揮、と言った様相だ。
「昼間も彼女に言いましたが、私は忙しいのでね。貴方の程度も知れましたから直ぐにでも止めを刺してあげましょう。」
舌なめずりをする聖護院の背中に黒い靄が集まり、巨大な悪魔の翼を模っていく。それは相津に一瞬で格の違いを思い知らせる圧倒的な威容だった。冷や汗を掻く彼は、基より勝てる戦いではないという現実を強く実感している事だろう。
「解っていたさ、そんな事はよ……。」
だが相津の戦意は折れず、迎え撃つべく再び拳を光らせる。光と闇、その量的な差は譬えるならば、小学生が現役の関取に立ち向かおうとしている様な、そんな絵面を彷彿とさせる。
「だがまあ、黙って殺られる為に此処へ来た訳じゃねえからな。こっちも本気で行かせて貰うぜ!」
覚悟の決まった表情で聖護院を睨み上げる相津だが、彼は一つ完全に忘れていた。そして、聖護院は独力で相手を除く事に拘りはしない。
相津の背後から砂社が彼にしがみ付き、身動きを封じる。
「何っ⁉」
「言ったでしょう。私は忙しいから、直ぐにでも止めを刺すと!」
絶大なる闇の靄が黒い塊となって聖護院の突き出した両掌に集まり、そして足元の相津に向けて放出された。
「くっ‼」
相津は藻掻いて抵抗したが、砂社を引き剥がすのが精一杯でとても回避までは間に合わなかった。彼は迅速にその場から跳び退くも、胸から下を降り掛かる闇に呑まれて倒れ込んだ。
「ぐうぅ……。」
「心臓から上は逃れたか……。大人しくしていれば即死出来たものを……。」
倒れたまま胸から下を全く動かせなくなった相津の目の前に聖護院が降り立つ。真面に立ち上がる事も出来ない相津に対して、傷一つ負っていない聖護院。最早勝負は決した様な物だ。
「糞っ……。未だ……やれることは有る……!」
相津は懐に右手を入れた。何か切り札を取り出そうというのか。が、そんな彼の背中を聖護院が力強く踏み躙る。
「がァ……アッ……‼」
「残念ながら、貴方は犬死です。このまま踏み殺してあげましょうねぇ……。」
聖護院の踵が相津の背中に更に減り込む。確かに、彼の脚力は簡単に彼の体を踏み潰してしまう程の強靭さを感じさせる。
だが、相津も最後の力を振り絞った。
「おおおおおおっっ‼」
相津の左手が聖護院の足首を掴む。そしてそのまま、相津の掌から聖護院の下半身、そして上半身へと白い光が伝わっていく。
「何っ⁉」
「俺の狙いは最初からこれだ! 目的は果たしたぜ‼」
不敵な笑みを浮かべる相津だったが、次の瞬間、聖護院は掌から闇を放ち相津の体を覆い尽くした。闇が晴れた後、その場には彼の白骨だけが遺されていた。
「ぬぅ……う……‼」
「だ、大丈夫ですか⁉」
相津に弾き飛ばされていた砂社が驚いて聖護院の元に駆け寄る。
「どうやら……この男も唯では死ななかった様だ……‼ 忌々しい! 生意気にもこの私の力を抑える為の方策を持って来ていた……‼」
「力を……?」
「遺憾乍ら私は少しの間自由に体を動かせなくなるだろう。この体を操る主導権を相津実鬼也は揺さ振ってきた……!」
冷や汗を掻き、聖護院は地面に片膝を突いた。そんな、上手く動けない様子の彼を見て砂社は瞠目する。
「まさか……聖護院先生……?」
「そうだ……。この体の本来の持ち主、聖護院嘉久の自我を相津は最期の力で呼び起こした様だ……。こいつを何とかしなければ……私の計画は前に進められない……。」
「そんな……一体、どうすれば……。」
「どうもこうも、暫くは潜伏するだけだよ。所詮は時間稼ぎ、再び今度は聖護院を完全に殺してしまう迄のね……。」
聖護院は脚を引き摺る様に立ち上がった。
「さあ、一旦私達の本拠地へ戻るぞ。此方も、目的は果たした。」
聖護院と砂社を紫の闇が包み、二人の姿は闇夜に紛れて消え去ってしまった。
※お知らせ
本作は6/20㈫の第二章終了を機に、一旦休載致します。
第三章以降の再開は8/19㈯を予定しております。
何卒御理解の程宜しく御願い致します。




