第三十三話 裏側の真相
死は眠りの双子である。
僕等は夜眠るように死に、目覚める様に産声を上げるだろう。
――旭冥櫻著『麝香撫子』より。
時を少し戻し、真里愛斗達が『闇の逝徒會』と戦っていた頃、この男もまた闇の力に苦しめられていた。
「糞、切りがねえな……。」
愛斗の教室で正気を失った假藏の不良達に取り囲まれた仁観嵐十郎だったが、喧嘩自体では問題にしていなかった。ただ、並大抵の不良なら簡単にノックアウト出来る仁観の力と技を受けても敵は一向に脱落しなかった。
「こりゃ完全に普通じゃねえな。もう全員、骨を折った感触があるんだが、全然止める気配がねえ。脚を折った奴も平然と立ち上がってきやがる。つまり、このままじゃよっぽど滅茶苦茶にせん限りは埒が明かねえって事か。」
仁観は奇抜且つ非常識な振る舞いが目立ち、圧倒的な暴力で邪魔者を捻じ伏せる問題児である。しかし、一方で彼は極めて真面な感性の持ち主でもある。その彼にとって、例えば四肢を捥いだり内臓を潰したり、といった喧嘩の領分を超えた無体な仕打ちを相手に貸す事は躊躇われたし、殺害など以ての外であった。
「さあて、どうするか……。」
困り果てていた仁観だったが、そこへ更なる追い打ちを掛ける様に厄介な来客が現れた。彼が警戒していた假藏二年生の強者、紫風呂来羽が巨体を揺らしながら教室に入って来たのだ。
「この糞忙しい時に……。」
紫風呂は拳を振り被り、下から上へ掬い上げる様に大きく振り上げた。瞬間、余りの剛腕故か周囲の机や椅子が巻き上げられ、仁観に降り掛かった。
「へえ、少しは鍛えたみてえだな、ええ?」
仁観は両腕で襲い来る机と椅子を振り払い、不敵な笑みを浮かべる。
「大層なパワーを身に付けた様だ。他の連中と同じ様にタフネスも規格外に上がってるんだろうな。だが、そりゃあまり良い話とはいえねえんだぜ?」
彼の言葉にはつい先刻の前例に基づいている。即ち、実力差があるにも拘らず敗ける事が無い、というのは、敗けさせて貰えない、という事であり、それは拷問に変わる。
仁観はロングスカートを浮羽璃と回せながら跳び上がって紫風呂に強烈なドロップキックを浴びせた。紫風呂は大きく蹴り飛ばされ、窓硝子を割って廊下へとその巨体を仰向けに退場させた。
「おーい、まだだぞぅ……。」
出口を塞ぐ不良を掻き分ける様に投げ捨てて教室を出た仁観は、廊下の天井を仰ぐ紫風呂に羅刹の如き威容で迫る。
とその時、彼のスマートフォンに一本の電話が入った。
「なんだ、龍君?」
掛けてきたのは知己の後輩・西邑龍太郎だった。
「もしもし? お前さあ、今取り込み中だって事くらい分かるだろ?」
『すみません、仁観先輩。しかし、戸井を伝って真里からこの事態を解決出来る方策を預かったので、お知らせしたくて。』
「愛斗君が? この面倒臭い状況を解決?」
確かに、愛斗はこの事態について何か知っている風だった。だが、戸井宝乃を通して連絡してきたという西邑の言が確かならば、今愛斗は自ら外部に連絡する所ではないという事になる。疑念を挟んでいる余裕は無さそうである。
仁観は不良達を片手間で相手しながら電話の声を傾聴する。
「で、俺にどうしろと?」
『詳しくはメールで転送しますから、隙を見て目を通してください。』
「隙を見て、ね……。」
仁観は辺りを見渡した。相変わらず、大勢の正気を失った不良が彼を取り囲んでいる。
だが、今も充分対応出来ており、その程度の事は彼にとって難しくは無いだろう
「ま、問題ねえか。解った、やってみる。」
『何卒宜しく御願いします。』
西邑からの電話が切れると、仁観は不良達の攻撃を片腕、それから脚で往なしながらメールの内容を確認する。
「先ずは……不良共の中で一番闇が濃い奴を見つけ出して、そいつを禁域の奥にある祠の前まで連れて来い、か……。」
彼が真っ先に目を遣ったのは頭を抑えて起き上がろうとする紫風呂だった。明らかに、彼から溢れ出す闇は他の有象無象とは質も量も違う。
「運が良いぜ。」
最も桁違いに強い者が連行の対象者だと判明したが、仁観は余裕の笑みを浮かべていた。如何に強化されていようと、紫風呂程度ならば相手にならない、という事だろう。
仁観は一瞬にして紫風呂に接近し、起き上がる前に顔面を掴んで後頭部を廊下に叩き付けた。そしてそのまま、彼の身体を引き摺って走り出す。
「一寸服が汚れるが、まあ緊急事態なんで勘弁しろや。」
紫風呂は両手両足をバタつかせて暴れるが、仁観の腕から逃れることは出来ない。そのまま仁観に引き摺られ、階段の前で勢いを付けて踊り場に向けて放り投げられる。
否、仁観が紫風呂を投げ付けた先は踊り場ではなく、その遥か上の窓だった。再び、紫風呂の身体は窓を突き破って校舎の外へ放り出された。
「さあ、このまま数秒間、空の旅へ御案内だ‼」
仁観も紫風呂の後に続き、自ら窓の外へと飛び出した。華藏學園は高等部二年の校舎、その二階と三階を繋ぐ階段の窓から二人の男が飛んで行く。
仁観は紫風呂に追い付くと、彼の身体を蹴って飛ばす方向を変える。彼自身は蹴った反動で勢い良く地面に着地し、再び跳び上がって更に紫風呂を追い掛ける。このまま空中散歩で指定された禁域の祠へと飛んで行くつもりだ。
「次は……何だこりゃ、まるで呪文じゃねえか……。」
空中で西邑からのメールに再び目を通した仁観は頭を掻いた。
「ま、既に奇妙な事態だから、やるだけやってみるがよ……。」
斯くして、愛斗達を助ける事になる祠の前の儀式を託された仁観は操られた紫風呂を伴って禁域の祠の前まで飛んで行く事になった。
その後、彼は指示通りに祠の前で呪文のような言葉を唱え、指示通りの動きを取って二つの仕事を成し遂げた。
先ず、一つ目の呪文で紫風呂に闇が集まり、そしてその消滅と共に彼は気を失って動かなくなった。後に説明される事だが、どうやら不良達は彼から散らばった闇によって彼を通して操られていたらしい。
次に、遠隔で假藏學園側の破壊された祠を復活させる。これによって再び華藏と假藏の二つの祠は繋がり、愛斗と戸井は憑子と共に難を逃れることが出来た。
そして仕上げに、今度は仁観の方が華藏學園側の祠を破壊する。通路をそのままにしておけば簡単に追って来られるので、当然の処置である。
以上、憑子が時間を稼いでいる間に仁観が指示を受けて動いた全容である。
彼等は憑子の提案により、直ぐ様華藏學園を治める學園長の部屋へと揃って足を運んだ。
☾☾☾
足早に禁域を後にした愛斗達は、學園長室の扉の前に立っていた。本来、滅多な事で生徒がやって来る事の無いその部屋を前に、愛斗も戸井も西邑も仁観すらも緊張した面持ちをしている。
『この私が居るのだから気兼ねする必要は無いわ。ただ、必要な礼は尽くしなさい。』
「は、はい……。」
愛斗は恐る恐る扉をノックした。すると、部屋の中からほんの少し年季を感じさせる渋みを帯びた女性のはっきりとした声が「どうぞ。」と返事を返してきた。
「學園長室かー。久し振りだなー。」
「そうですね、仁観先輩。」
西邑と仁観は過去に来た事があるらしい。文化芸能の特別推薦枠だからだろうか。逆に、成績優秀と言えど一般の生徒でしか無い戸井には縁が無いらしく、愛斗と同じ様に緊張と不安を帯びた顔付きをしていた。
「失礼します。」
意を決し、愛斗は扉を開けた。名門校の長の居城に相応しい、見るからに上等な備品で固められた内装が眩暈を覚える程に視界に飛び込んで来た。だが、正面の執務机に人の姿は見えなかった。
「そろそろ来ると思っていましたよ。」
ノックに応えたのと同じ声が右手から聞こえてきた。目を遣ると、窓辺に建っていた壮年女性が振り向いてその顔を見せた。
『お元気そうね。華藏家執事長・大心原文弥の妻にして華藏學園長・大心原毎夜。』
「御無沙汰しておりました、『新月の御嬢様』。」
小柄な彼女は一礼し、愛斗を覆うように浮かぶ憑子を見上げる。學園長である筈の大心原が生徒に接する態度としては些か不自然だが、抑もこの華藏學園を所有するのは華藏家であり、更に華藏月子は両親の早逝により名目上当主となっているという事を踏まえると分からなくもない。
しかし、それにしては彼女の「呼び方」は奇妙である。
「『新月の御嬢様』?」
愛斗は憑子の顔を見上げる。彼女は何かを覚悟したかの様に目を閉じ、自身に下る採決を待っているが如く佇んでいた。
「……まだ口を噤まれるおつもりでしたか?」
大心原の口振りからすると、どうやら憑子は何か重大な秘密を隠している様だ。それは愛斗も薄々感じていた事である。
憑子は徐に目を開いた。
『……これ以上は無理でしょうね。本格的に動き、學園を破壊し始めた奴等を相手にする上で、今後の動き方に支障が出るわ。』
「その件ですが、事此処に至っては強硬手段に出る以外に無いと考えています。速やかに全學園の生徒を家に帰し、当分の間休校とします。勿論、假藏學園側とも協議した上で。」
突如告げられた學園長の決断に、この場の者達は顔を伏せた。表情だけ見ても、戸井宝乃の誘拐と紫風呂来羽グループによる襲撃は、両學園融合以降辛うじて踏み止まっていた治安維持の一線を完全に超えたと言えるだろう。意義を挟む余地など有ろう筈が無い。しかし、それでも突然通っていた高校が閉鎖される彼等の不安と悲しみは拭えまい。
「それで、説明はしてもらえるんだろうな、大心原さんよ?」
仁観は使命とは裏腹に視線を憑子の方へと向けていた。暗に、幼馴染に対して責任を追及するかの様に。
それを受け、大心原は再び憑子に問い掛ける。
「宜しいですね、『新月の御嬢様』?」
『私の事は私から話すわ。』
憑子は愛斗の元を離れ、執務机の脇へと移動して向き直った。
「會長、先刻から學園長の仰るその『新月の御嬢様』と言うのは何なんですか?」
『それを含めて、今から説明しましょう。ただ、特に真里君と仁観君にとっては衝撃的な真実を明かす事になるわ。以前言ったけれど、一つの重大な前提を崩す事になるから。』
愛斗は瞠目し、仁観は逆に目を細めた。他の者も息を呑み、彼女の発言を待っている。今この學園長室は彼女の語ろうとする真相によって空気を支配されていた。
『結論から単刀直入に話しましょう。抑も、私は華藏月子ではないわ。』
時が止まった。愛斗は一瞬、憑子が何を言っているのか理解出来なかった。
「會長? それは……どういう……。」
『今まで騙していて御免なさい。そしてこの謝罪は君だけでなく、華藏學園全ての生徒に対するものよ。』
騙されたも何も、愛斗は未だ言葉を能く呑み込めていない。
「解り易く説明して貰えるか? お前が俺の幼馴染、華藏月子でないとしたら一体何者なんだ? その姿は一体何なんだ?」
仁観の問いに、憑子は淡々とした口調で答える。
『私は華藏月子に憑き、新月の夜にのみ目覚める事を許された者。そして悪魔と闇が手を結び、この學園を起点に世界を地獄で包むという企みを阻止すべく、彼女と入れ替わった存在。即ち憑物の憑子よ。』
今、憑子が予てより言っていた通り、愛斗の中で一つの大前提が崩れ落ちる。
憑子は滔々とこれまでの華藏家の事と、今の華藏學園の事、その裏に潜む悪魔と闇について語り続ける。
※お知らせ
本作は6/20㈫の第二章終了を機に、一旦休載致します。
第三章以降の再開は8/19㈯を予定しております。
何卒御理解の程宜しく御願い致します。




