第三十話 闇の襲来
耳のある者は聞くがよい。虜になるべき者は、虜になっていく。剣で殺す者は、自らも剣で殺されねばならない。ここに聖徒達の忍耐と信仰とがある。
――ヨハネの黙示録・第十三章より。
戸井宝乃の誘拐事件が解決したのも束の間、真里愛斗の元に舞い込んで来た情報は更なる混乱だった。
「西邑、状況を教えてくれ。一体何が起こっているんだ? お前は大丈夫なのか?」
親友の西邑龍太郎から掛かってきた電話の向こう側からは微かに何かが打ち壊される音や人間の悲鳴が聞こえてくる。
『君達が戸井を探しに行って暫くしての事だ。仁観先輩が気絶させた假藏側の不良達は少しずつ目を覚まし始めたが、最初は大人しくしていた。まあ実力差を思い知ったからには態々事を荒立てようとは思わなかったのだろう。』
この辺り、有象無象の不良としては正しい生存戦略である。故に、それが覆された事は不可解なのだ。
「そいつらが急に襲って来たのか?」
『いや、正確にはそうではない。確かに今現在、彼らも暴動に加わってはいる。だが、最初に襲って来たのは別の連中だった。』
その時、愛斗は電話口に小さく聞こえた叫び声に我が耳を疑った。聞き覚えのある声がしたからだ。
「今の声、俺は知ってるぞ。」
仁観嵐十郎が愛斗の困惑を余所に、声の主を探る。
「假藏の不良で頂点とやらを争ってる奴は大体三年だが、一人だけ二年でそこそこの奴がいる。確か名前は……。」
「紫風呂来羽……!」
愛斗にとってそれは信じたくない推察だった。だが、抑も紫風呂は元々華藏學園で愛斗に喧嘩を売ってきた男である。つまり、彼が華藏を襲わないという保証は初めから無いのだ。
しかし、それにしてもこれは不自然である。僅か三日前、遊びに行った時にはこれ以上敢えて華藏側に手を出そうという気配は無かった筈だ。
流石にそれは憑子も感じているらしかった
『真里君、襲ってきた不良に何か変な様子は無いか尋ねなさい。』
この状況、タイミング。『闇の逝徒會』の企みに影響を受けているかも知れないと思うのは愛斗も憑子と同意見である。愛斗は憑子に言われた通り、電話口の西邑に疑問を投げ掛けた。
『確かに、今暴れている不良は皆様子が変だ。』
「具体的にはどう変なんだ?」
『気のせいかも知れんが、限りなく黒に近い深紫の靄が薄く幕を張っていて、それから眼が何処となく紅い光を帯びている様な……。』
明らかに尋常では無い答えが返って来た。
『まるで悪魔に魅入られているかの様に、と言った所かしら。どうやら〝學園の闇〟が本格的に牙を剥いて来た。戸井さんの一件は矢張りほんの始まりに過ぎなかったようね。』
「だとすれば一体何が目的なんだ……?」
愛斗は考え込むがそんな彼の様子に業を煮やしたのか、傍で聞き耳を立てていた仁観がとんでもない行動に出た。
「電話借りるぜ。」
「あ、一寸‼」
仁観は強引に愛斗から電話を引っ手繰ると、西邑に対して勝手に話を進め始めた。
「龍君、取り敢えずそっちへは俺が行く。愛斗君と戸井ちゃんは一旦學園から離れさせるぜ。」
何を言い出すのか、と抗議しようとした愛斗だったが、憑子が彼を操り行動を縛った。
『妥当な判断だわ。どう考えてもまず優先すべきは戸井さんの安全確保。その為に、真里君を同行させて共に帰宅させる。問題となっている教室へは自分が向かい、暴動を鎮圧する。反対する理由は特に無い気がするわね。通常なら……。』
妙な含みを持たせる言い方だが、愛斗も憑子の言う通りだと思い直した。
「分かりました、そうしましょう。」
愛斗は通話を終えた仁観から電話を返して貰った。
「仁観先輩、僕のクラスメートをお願い出来ますか?」
「任せとけ。」
真剣な眼差しで答える仁観からは普段の傲慢で自信満々の態度とはまた違う頼もしさを感じさせられる。トラブルメーカーではあるが、トラブルに遭った時には誰よりも信用できる人物だと、愛斗はそう感じていた。
「それから、假藏の不良なんですが、何やら妙なものに操られている気がします。」
「何? 愛斗君、何か知ってんのか?」
「無事終わったら必ず話します。」
先ずはこの事態を必ず解決する。――そんな決意を含んだ「保留」に、仁観は眉間に皺を寄せたもののそれ以上は問い詰めて来なかった。彼なりに感じ入る所が在ったのだろう。
「解った。愛斗君、約束だぞ。」
「はい。」
必ず無事に終わらせるぞ。――その覚悟を確認し合う約束だった。
仁観は愛斗に背を向け、廊下を駆け出した。恐らく、三年の教室から華藏側に戻って二年の校舎、愛斗の教室に向かうつもりだろう。
「戸井、僕等も行こう。あ、その前に……。」
愛斗は忘れまいと、起きてその場に居合わせた唯一人の假藏生、『弥勒狭野』の一員にして戸井の開放に協力してくれた女子・将屋杏樹と向き合った。
「ありがとうございます。」
「礼には及ばないよ。元々こっちが悪いんだからさ。」
『その通りよ、真里君。恩に着る必要は無いわ。』
矢張り憑子の礼儀や誠意の基準は假藏生が相手となると一気に下がるらしい。
「華藏は羨ましいね。未だ真面な生徒會役員が居て……。」
そんな此方の無礼な居候の存在など露知らぬ将屋は何処か悲し気な眼で愛斗を見詰めて呟いた。その真意は分からないが、愛斗は少し肩身の狭い想いをしていた。
(とは言っても中等部の四人は殺されちゃったし、その一人は覚醒剤の売人やってたし、高等部も二人は『闇の逝徒會』側だし、會長はこんなのだしなあ……。)
華藏學園の生徒會も真面とは言い難かった。しかし、それでも愛斗は生徒會の一員として立たなければならない。
「では、僕は行きます。どうかお気を付けて。」
「ああ、頑張って。」
愛斗は将屋に一礼すると、戸井の手を引いてその場を後にした。
☾☾
愛斗は嘗て、假藏生が喧嘩のスポットにしている『祠の処』から二年の校舎へと案内された事がある。そして今回、二年の校舎から三年の校舎に移動した。即ち、祠への行き方は判っていた。
「ねえ、何処行くの?」
訳の解らない、といった疑問を戸井が背中越しに投げ掛ける。
「戸井、僕が何時もどうやって華藏から假藏へ行き来していたか、分かる?」
「それは……あの禁域の山道でしょ?」
流石は噂に聡いだけあって、戸井は二つの學園が通じている場所を凡そ察している様だ。しかし、この回答からは二つの祠の事までは知らないと見える。ひょっとすると、華藏學園の禁域の奥に祠がある事自体知らない可能性もある。
「戸井、今は兎に角僕を信じて着いて来てくれ。」
戸井は納得したのか、それ以上何も言わなかった。校舎の裏へ回ると、恐怖からか手を一層握り返してくる。
愛斗は戸井の小さな手の感触を強く感じながら、考える。
何としても、彼女を守り抜かなくてはならない。
この真面目で少し人の噂が好きな同級生は、華藏學園を愛している。
その彼女の思い出を、こんな異様な恐怖に沈んだまま終わらせる訳にはいかない。
自分には、その責任があるのだ。
「着いた。」
角を曲がると、その先に小さな祠が見えた。一週間程、假藏學園の不良が華藏學園側に侵入して来ている闇の通路の入口だ。
「後もう少しだ、戸井。もう少しで華藏學園に戻れるぞ!」
華藏側に戻りさえすれば、山道を抜けさえすれば、そのまま校舎は通らずにバス停へ向かう。バスが発車してしまえば、一先ずこの厄介事から戸井を遠ざけることが出来る。――愛斗は疑いなくそう思っていた。
「ねえ、真里。此処は?」
「戸井、この祠は華藏側の同じ祠に通じているんだ。禁域の山道、その奥にある祠にね。」
「祠……。」
戸井の脚が止まった。愛斗の手を引くその様子は強い躊躇いを覚えている様にも思える。
「どうしたの、戸井さん?」
「同じ祠が……禁域にある……。華藏學園の禁域に……。」
一人で帰る訳にはいかない愛斗は彼女に釣られて歩みを止め、振り向いて声を掛けた。戸井の表情は明らかに何かに怯えていた。
「本当に……華藏の禁域に祠が在ったんだ……。」
戸井は何かを知っている風に唇を震わせる。若しかすると、愛斗よりも祠に纏わる恐ろしい噂話を聞いたことがあるのかも知れない。
だが、こんな所で立ち止まっている訳にはいかない。愛斗は戸井の両肩に手を添え、彼女にそっと言い聞かせる。
「大丈夫。戸井の事は僕が必ず守る。」
「真里が……?」
「やっぱり、頼りないかな?」
戸井は微笑む愛斗の眼を見詰め返してじっと覗き込んでいた。
「正直……。」
「そ、そう……。はっきり言うね……。」
確かに、愛斗の容姿は小柄で華奢で童顔で、どう見ても女子を守りながら修羅場を潜り抜けられる様な風体ではない。自覚していたとはいえ、面と向かってそう告げられると流石に傷付いてしまう。
だが、それでがっくり肩を落とした事が却って功を奏したのか、戸井は可笑しげに吹き出した。
「あはは、冗談だって。助けに来てくれただけで真里の事は充分信頼に値するから安心してよ。」
「酷いなあ……。」
愛斗は苦笑いを返すしかなかった。しかし、戸井の緊張が解れたのならいつも通りに帰れば良い。
「ま、僕だって何回も行き来しているから心配は要らないよ。」
「あ、確かにそうだね。真里が行き来できるなら安心だ。」
「お前なあ……。」
軽口に呆れながらも、愛斗は気を取り直して祠に近付いた。しかし、そんな二人の許に近付く不穏な人影があった。
『真里君、早く行きなさい‼』
「え?」
憑子が警告を発した時には既に遅く、上空から降ってきた人影がいきなり祠を踏み潰して破壊してしまった。突然の出来事に、愛斗は思わず後退る。
「栄えある華藏學園高等部生徒會の書記ともあろう者がこんな破落戸共の吹き溜まりの真っただ中で何をしている? 個々がどういう場所か知っているのか?」
気難しそうな表情をした筋肉質な長身の華藏生、副生徒會長・基浪計が闇を纏って愛斗の前に現れた。突如として華藏學園への帰り道を失った愛斗は面食らったが、すぐさま踵を返して戸井の腕を強く引いた。
こうなったら何処かの教室から直接華藏に戻るしかない。――咄嗟の判断だったが、即座に行動に起こせたのは上出来だった。
問題は、相手もそれを承知だったという事だ。
「生徒會でも何度も言われたでしょ? 目上の人の質問には必ず答えなきゃ駄目なんだよ。」
引き返そうとした愛斗達の退路を、今度は生徒會会計・砂社日和が絶つ。愛斗と戸井は完全に挟み撃ちにされてしまった。
「くっ‼」
「いくら盆暗のお前でも解っているだろう? 俺達の狙いは最初からお前と、お前と一緒に居る女だ。」
「と言っても戸井さんじゃないよ。ま、纏めて始末するのも吝かじゃないけど。」
闇に魅入られた二人の先輩が、とうとう愛斗と憑子に牙を剥こうとしていた。
ここまでお読み頂きありがとうございます。
さて、四月頭から連載を開始しました本作ですが、第二章も残すところ半分となりました。
現在、第二章最終話は6/20㈫の掲載を予定しておりますが、それを以て一旦更新を一時停止致します。
理由は、暫しの充電期間を置き創作に向かう英気を養いたいというモチベーション管理の一環です。
更新再開は8/19㈯を予定しており、以降はこれまで通り週二回の更新を目標として完結まで続けたいと考えております。
誠に勝手ではございますが、何卒ご承知おきくださいませ。




