第二十七話 不良達の思惑
本当に莫迦な人間には二種類居る。
莫迦過ぎて莫迦な事を思い付く事すら望めず何も出来ない人間と、莫迦な事を莫迦だと解らず実行する人間である。
――大学教授・将屋文殊
真里愛斗と仁観嵐十郎は假藏學園三年の校舎の階段を生徒會室に向かって駆け上がる。
愛斗がふと考えるのは、覚醒剤事件の時に良き協力者となってくれた二人の不良、尾咲求と相津諭鬼夫の事だった。彼等二人なら、話によっては今回も味方になってくれるかもしれない、という淡い期待が無くもない。
だが、態々二人に連絡して助けを求めている時間が無い事は火を見るよりも明らかな状況だった。
それに、今回の協力者は假藏學園の誰もが一目置く圧倒的強者・仁観嵐十郎である。その前情報が無くとも、ここまでの活躍だけで既にこの先輩はこの上なく頼もしい。実際、三年の校舎に入ってから二人に立ちはだかる不良が全く現れていないのは、この仁観の存在に因る処が大きい。華藏生という「余所者」の討ち入りは通常見逃されないが、三年ともなると腕に覚えのある者ほど彼我の実力差を正確に見極めるという不良の資質を開花させているのだ。
校舎の階段を最上階まで昇った二人は、廊下を走って生徒會室へと向かう。愛斗を先導する仁観の足取りに迷いは無い。どうやら過去にも生徒會室へと乗り込んだことがあるらしい。
と、角を曲がったところで仁観は急に立ち止まり、愛斗は勢い余って彼の背中に衝突してしまった。
「一寸! 何ですか、先輩?」
「どうやらお待ちかねだった様だぜ。」
鼻を押さえる愛斗には、普段よりも仁観の背中が大きく見えた。気の昂り、臨戦態勢という圧が背中越しに伝わって来る。恐る恐る陰から顔を覗かせると、案の定仁観の視線の先には既視感のある不気味な顔、幾何学模様の刺青に覆われた鐵自由の歪んだ笑みがあった。二人は生徒會室の前まで辿り着いたのだ。
「これはこれは、華藏學園の御二人さん。態々お前等とは棲む世界の違う天下の不良校、假藏學園の生徒會室に何の用だぁ? 姉妹校同士、親睦会の提案でもしに来たのかぁ?」
一度は愛斗によって退けられたとはいえ、流石は大物不良、鐵は仁観に対して全く物怖じしていない。愛斗に不覚を取ったのも、如何に愛斗が見た目に反する怪力の持ち主とはいえ、彼の油断が大きな要因であることは間違いない。
更に、鐵は用心深い人物である。
「応、てめえら、出て良いぜ!」
鐵の号令と共に、三人それぞれの背後の扉が開き、『弥勒狭野』のメンバーと思しき不良達が彼等を取り囲んだ。一見して分かる鐵の狙い、即ち、多勢に無勢。
だが、仁観は心底呆れた様に溜息を吐く。
「雑魚共が……。どいつもこいつも考える事は一緒だなおい。」
「戦いの前に準備を怠らず、確実に勝てる盤面を整えるのは当然の事だぜ? まさかとは思うが、この俺が集めた『弥勒狭野』の精鋭達が数に恃む有象無象と同じだとは思っちゃいないよな?」
確かに、最初二人を袋叩きにしようとした二年生の不良集団ははっきり言って烏合の衆だった。それ故に一人一人に自分で戦う覚悟が乏しく、当に鐵の言う「数に恃んだ集団」だった。それ故に仁観はその慢心、隙を突いてあっさりと突破することが出来たのだ。
「成程、全員見た顔をしてやがる。流石は假藏學園最強の不良・爆岡率いる『弥勒狭野』だ。戦力の質も量も假藏で頭一つ抜けているらしいな。」
「まあ、それでも全學園を征服出来ないのが假藏の魔境たる所以だがなぁ。しかし、そんな事はどうでもいい。仁観、てめえも莫迦じゃねえんだ。この状況、まさか無事突破できるとは思うまい。言っておくが昨日と違い、俺に一切の油断はねえからな。」
完全に己の優勢を疑わない鐵は愛斗と仁観に対して勝ち誇る。不良グループのナンバー2として、トップと潰し合いを演じた仁観には特に浅からぬ想いがあるのだろう。
だが、愛斗にとってその様な事はどうでも良かった。彼にとって気掛かりなのは唯一点のみである。
「戸井を攫ったのはお前か?」
仁観と並び立ち、昨日よりも更に強い怒りを込めて愛斗は鐵に問い質した。そんな彼の様子に、鐵は声を上げて嘲ら笑った。
「そうだと言ったら?」
「返して貰う! 無事なんだろうな‼」
凄む愛斗に対し、鐵は嘲りの表情を崩さない。しかしよく見ると眼は笑っておらず、鋭い視線を愛斗の方にも向けていた。
「無事かどうか、そんな事はどうでも良い話だろう? 先ず第一に、てめえ等は此処で終わりだ。次に第二に、てめえらはあの雌餓鬼の居場所を知らねえ。俺達が根城にしていると知って生徒會室までのこのこやって来たんだろうが、同じ場所に閉じ込めているとは限らんだろう? そして最後に、『弥勒狭野』は假藏で最も危ねえグループだ。雑魚共から金を巻き上げ、シャブを売り捌く事も厭わねえ。そんな俺達が、態々捕らえた女の安否を一々気遣うと思うか?」
鐵の言う通り、『弥勒狭野』は假藏學園でも特に危険な不良軍団である。先週、華藏學園の教師だった海山富士雄に唆されて覚醒剤を假藏學園内で売り捌こうとしていた二人の元華藏性は假藏の生徒會役員である。即ち、生徒會長である鐵の配下であり、『弥勒狭野』は彼らの犯罪商売を黙認する素地のある集団だという事だ。
それは兎も角として彼の狙いは愛斗と仁観の怒りと絶望を煽り、精神状態を害して冷静な判断力を失わせることにあった。
「さあ、お喋りはこれくらいにしておこうか! てめえらやっちまえ‼ 仁観とその餓鬼をぶっ潰した奴は『弥勒狭野』のナンバー3とナンバー4として取り立ててやるぞ‼」
鐵の煽る儘に、前後両面から十数人の不良が一斉に愛斗と仁観に襲い掛かって来た。やはり、先程の有象無象と違い戦う覚悟の無い者は一人も居ないらしい。
しかし、彼等が敵対した相手は想像を絶する怪物だった。仁観嵐十郎は不敵な笑みを浮かべると、波打つ様に襲い掛かって来る不良達を瞬く間に殴り、蹴り、一撃の下に伸していく。
「やる気のある奴を数揃えれば勝てると思ったか? 相変わらず肝心な所で足りてねえなてめえはよ。」
仁観の圧倒的な強さと挑発に、鐵は薄ら笑いを表情から消して額に青筋を立てていた。怯んではいない様だが、動揺は隠しようが無かったらしい。
そんな敵の親玉を尻目に、仁観は愛斗に指示を出す。
「愛斗君、お前はさっさと生徒會室を覗いて来な。あの娘が捕まっていれば良し、居なければその時は俺が鐵の野郎に居場所を吐かせる。」
「解りました、有難うございます!」
愛斗は駆け出し、生徒會室の扉へ向かう。当然、鐵が通す筈も無かった。
「俺を無視すんなよ、糞餓鬼が。」
鐵は疾風の様に速い拳を愛斗の横面に向けて繰り出した。昨日とは明らかに違う、腰を入れた本気で相手を破壊する為の拳打だった。
だが、愛斗に炸裂する事は無く、彼は悠々と鐵の脇を通り過ぎて行った。
「皆まで言わなきゃ解んねえか、鐵? 俺が『行け。』って言ったって事は、『絶対に邪魔はさせねえ。』って意味だぜ?」
「仁観っ……‼」
繰り出された拳は仁観に手首を掴まれ止まっていた。状況は互いに対立しあう強者同士の一騎討ち、という様相となっていた。
「っらぁッッ‼」
仁観は掴んだ鐵の手首をそのままにまるで雑巾を振り回すが如く無造作な動きで鐵の体を投げ飛ばし、廊下の壁にぶつけた。
「ぐはッ‼」
流石の衝撃に鐵は堪らず尻餅を突いた。そんな彼の眼前に冷厳とした表情を湛えて仁観が躙り寄る。
「立て、鐵‼ てめえがこの程度で死る訳ねえよな。仮初めにもでけえチーム率いた男ならてめえのした事のけじめを付けて貰おうじゃねえか‼」
「……クク、くくくくく……。」
鐵は不気味に笑いながら立ち上がる。まるでここまでは想定内、依然として事態の主導権を握っていると確信しているかの様な趣だった。
事実として、仁観にはまだ鐵を伸す訳には行かない理由がある。先刻愛斗に告げた通り、生徒會室に拉致された戸井宝乃が囚われていなければ鐵から監禁場所を訊き出さなければならないのだ。
それを見越した上で、鐵は仁観が本気を出さないと高を括っているのだ。
「先に言っとく。生徒會室には目当てのお姫様はもう居ねえよ。」
「何?」
もう居ない。――引っ掛かる言い方だが、戸井が先程まで生徒會室に囚われていたのは愛斗も仁観も確信していない事実だった。二人の予想は確かに当たってはいた。
「先刻言った通りだ。莫迦正直に俺達の根城に大事な人質を置いとく様な間抜けはしねえって事さ。だが、惜しい線ではあったんだぜ? てめえらが此処へ辿り着く直前までは確かにあの中に居たんだからな。」
「へえ、随分得意気に話してくれるんだな?」
「我乍ら冴えていると思っているからな。」
假藏學園の生徒會長でもある鐵は当然、生徒會室の構造を熟知している。そして、生徒會室には先んじて華藏學園の生徒會副會長・基浪計と会計・砂社日和を出て行かせた様に非常階段が備わっているのだ。
「人質を別の場所に捕らえとくと言っても、先に隠し場所の方を見付けられてまんまと連れ返られちまう程間抜けな事はねえ。だから、てめえらが確実に此処へ来るまでは間違い無く目の届く先に置いておき、部屋の前でてめえらの相手をしている内に予め指示しておいた手下に非常階段から連れ出させるって寸法よ。どうだ、中々の策だろう?」
話しながら、鐵は自らの感覚を確かめる様に両手を握り締めて床を踏みしめる。つまり、これ自体が彼の策、体力回復の為の時間稼ぎという意味が一つあった。
しかし、鐵にとってそれはあくまで次善の策に過ぎない。彼の究極の狙いは別の所にある。それこそ、鐵が一貫して「人質を取る」という、言ってみれば相手の行動を制約する為の手を講じ続ける理由であった。
「だが本当はな、仁観、折角の人質をむざむざうちの莫迦共に傷者にされる事が無い様にという配慮が無い訳じゃないんだぜ?」
「どういう事だ?」
眉間に皺を寄せて訝しむ仁観に対し、鐵は抜け抜けと信じられない言葉を発する。
「俺と組め、仁観。」
「は?」
「取引をしようって言うんだよ。最初から俺の狙いはそこだ。てめえの力を借りられれば、『弥勒狭野』の向かう所は敵無しだ。爆岡君とてめえと俺が居れば、假藏の全ての悪共を屈服させ、未だ嘗て誰も成し遂げたことの無い假藏の統一、頂点の獲得は確実なものとなる。」
予想外の提案に瞠目する仁観の胸中を一切顧みず、鐵は両腕を拡げて続ける。
「なあ、仁観よ。不良ってのは基本、莫迦ばっかりだ。喧嘩で相手を捻じ伏せることしか考えず、こうやって搦め手で効率良く頂点を獲るという発想が端からねえ。だから後先考えずにすぐ手が出る。鳥頭だから最初から約束が当てにならねえんだ。」
親指を立てて自身の顔を指差す鐵の笑みは他者を見下す驕りに満ち溢れていた。
「だが俺は違う! 利益が約束される限りは良き協力者になれるんだ! 他の莫迦共とは頭の出来が違うから、生徒會長という立場の利用価値も解っているし、戦い方を熟知しているから普通に喧嘩にも勝てる! だから爆岡君にも信頼されているのさ! その俺が、お前にも約束しよう。俺と手を組んでいる限り、人質の安全は保障してやると言っているんだ!」
「……成程、続けてみ?」
仁観は眉間の力を緩め、代わりに両目を細めていた。それはどう見ても心底呆れ返っている様にしか見えない筈だが、鐵はそう思っていないらしい。
「食い付いて来たな? お前にとっても悪い話じゃねえ。お前に比べりゃ一人を除いて假藏の不良なんて雑魚しか居ねえ。爆岡君を除いてはな。しかも華藏生のお前は別に假藏統一の邪魔にはなんねえから俺から用済みとして切られる事もねえ。お前は殆どノーリスクでこの俺の伝説に手を貸すことが出来るんだ!」
「お前の伝説だと、鐵? 爆岡とお前じゃなくて、か?」
「察しが良くて助かるぜ。この俺とこのレベルの話し合いが出来る不良なんざてめえくらいのもんだ。そうさ、俺がてめえと組みてえ理由はな、爆岡君の事も乗り越える為だ! てめえと一緒ならあいつを斃せる! 『弥勒狭野』による史上初の假藏統一を成し遂げたら、最後の仕上げにてめえと一緒に爆岡の事も葬る‼ 晴れて假藏の頂点はこの俺の物になるという訳だ‼ どうだ、完璧な計画だろう‼」
自画自賛の高笑いを上げる鐵だったが、仁観の視線は冷ややかだった。露骨に溜息を吐き、侮蔑の眼を向ける。
「鐵よぉ……。」
「何だ? 俺の頭脳に感心しちまったか?」
「ああ、ある意味な。やっぱおめえ、假藏の不良の中でも断然一番の大莫迦だわ。」
鐵の表情が一気に強張る。自分を抜群に頭が良いと思っている、中途半端な策謀家。そういう類の、最も救えない愚者。それが鐵自由という男の本質である。
「自分で何言ってるのか解ってねえんだろうな。要するに人質を返すつもりはねえし、いざとなれば平気で裏切るって事だろ? それでよく自分の事を『信用に値する。』なんて言えるよな。自分で自分の事が解ってないどころか過大評価している様な奴ってのが一番莫迦なんだぜ?」
仁観の鋭い指摘に、鐵は額の青筋を震わせて歯軋りを鳴らす。頭脳派気取りの傲慢な男にとって、我慢のならない言い草だったのだろう。
「交渉決裂かよ。だったらしょうがねえ。てめえはやっぱりこの場で殺してやるよォッ‼」
「上等だ、糞莫迦野郎が。」
二人の戦いの導火線には既に火が着いている。爆発は直ぐだろう。
☾☾
愛斗が生徒會室に入ると、そこには意外な光景が広がっていた。
「え……? どういう事……?」
彼が驚いたのも無理は無い。部屋に居たのは二人の女子。一人は戸井を預かっている『弥勒狭野』の一員と思しき假藏の不良・将屋杏樹、そしてもう一人は攫われた戸井宝乃その人だった。その何が愛斗にとって意外だったかというと、丁度将屋が戸井の猿轡を外し、拘束を解いているところに出くわしたからだ。
「何をやっているんだ?」
「見れば解るだろ? この娘を解放したいんだよ私は。」
拘束を解かれた戸井は憔悴しきった様子でその場に倒れ込んだ。どうやら一人で動けそうになく、愛斗が連れて帰ってやる必要がありそうだ。
「どういう風の吹き回しなんだ? お前もあいつ等の、鐵達の一味じゃないのか?」
「確かにそうだけど、私には私の事情があって、こんな事はやりたくないって事さ。」
将屋は憎々し気に生徒會室の扉を睨む。恐らくその視線の先には鐵を意識しているのだろう。
「解ったらこの娘、連れて帰ってやりな。」
「それは勿論……そうさせて貰うけど……。でも貴女は大丈夫なんですか?」
「良い訳の算段くらいついているさ。それに、鐵の奴はどうせ只じゃ済まない。」
どうやら彼女はこの喧嘩の行く末を粗方予想しているらしい。
「私は知っている。あいつは、仁観嵐十郎は絶対に怒らせてはならないんだ。何せ、爆岡すら病院送りにした男だからね。」
扉の向こうで、噂の強者がその真価を見せようとしていた。




